河野洋平衆院議長の広島スピーチ(2005年8月)
昨年末でニフティのニューズ・クリップスのサービスが終了したため、グーグルのニュースページを眺めることにしていますが、元旦には広島の地方紙『中国新聞』に河野洋平衆院議長の年頭の辞についてのニュースが出ていました。きっと紙が配られたのでしょうが、ほとんど全てのメディアが小泉総理の「焦点」をわざと外した年頭所感ばかりを報じているのに対して目を引きました。
広島といえば、昨年の衆院解散直前の8月6日に河野衆院議長が当地の式典で行ったスピーチについては、産経新聞の社説が批判していたのが目立っていた一方、現地で聞いた人々のブログに高く評価するものが目立ち、探すとロイターやAFP、新華社などの配信で世界中のメディアに引用されているのに、国内の主要メディアではほとんど報じられていませんでした。
この時、報道関係に配られた紙をその後入手しましたが、まあ目新しいことは何も言っていないものの、森田としても「このくらいが日本政界の認識のスタンダードであってほしい」という線のことが出ていたのを思い出しました。
どうもどのページにも出ていないようなので、ここにコピーを掲示してご参考に供したいと思います。
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広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式における議長挨拶(案)
(平成17年8月6日(土)午前8時)(於 広島市平和祈念公園)
昭和20年8月6日、ここ広島は原爆の投下を受け、人類史上最初の核戦争の現場となりました。
その巨大な破壊力により、一瞬にして生命を奪われた多くの方々、あるいは原爆による放射線の影響に長く苦しみ、亡くなっていった方々、また今もその影響に苦しむ方々をはじめ、関係者の皆様にあらためて心からのお悔やみと、お見舞いを申し上げます。
あれから60年。ひとつの区切りとなる時を迎え、私はいま二つのことを肝に銘じなければならないと考えております。 ここ、広島平和公園の慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれています。この「過ち」とは何でしょうか。
一つは、わが国、日本が明治維新以後、60年前の原爆投下の日まで、アジアの中で針路を誤り戦争への道を歩んだことであると思います。 欧米列強から独立を守るため、明治維新で近代化を成し遂げたわが国には、「アジア諸国が独立と民主主義を求める戦いに連帯する」という「もう一つの選択肢」があったにもかかわらず、実際に歩んだのは「日清・日露戦争後に韓国の独立を奪い、中国に軍事介入し、自らの支配を押しつけ」ようとする、欧米列強と同じ帝国主義の道でした。
わが国にもアジア諸国の独立運動に連帯し、支援を惜しまない人々がいたことも事実ですが、日本が国家として選んだのは別の道であり、その道を国際社会を敵に回して歩んだ帰結の一つが、原爆の投下だったのです。
私たちが繰り返してはいけない、もう一つの「過ち」は、人類が、いかなる理由があるにせよ、核兵器という巨大な破壊力を持つ非人道的な兵器を、同じ人類に対して使用したという事実です。 「人類と核兵器は共存できない」。広島で起こったあまりに悲惨な現実を知るとき、私たち日本人には、このことを世界に訴える使命があることがわかります。
アメリカをはじめとする核保有国は、核拡散防止の枠組みを強化するためにも、包括的核実験禁止条約の批准など核軍縮に取り組む国際的な約束を政権が替わったからといって反故にすることなく、真摯に守らなければなりません。
核兵器を持たない国々は、自国の平和利用の権利ばかり言い立てるのではなく、IAEAの査察強化など、拡散防止に役立つ措置の導入にもっと前向きにならなければなりません。
わが国はまず、そのような核不拡散体制の強化に尽力し、将来の核兵器廃絶に向けての足場をしっかり固める努力に全力を傾注していかなければならないと考えます。
衆議院は去る2日、終戦・被爆60周年にあたり、核兵器廃絶とあらゆる戦争の回避を求める決議を行いました。
今日ここに原爆投下60周年を迎え、犠牲者の方々のご冥福をあらためてお祈りしますとともに、戦後広島をこのように復興した市民の皆様に敬意を表します。
最後に戦後、「民主主義」「非核・平和」の道を歩み、国際社会に誇れる民主的で豊かな国家の再建を成し遂げたわが国が、これからも民主主義、独立、平和を求める世界の人々と連帯し、核兵器の脅威のない、平和な世界の実現に向けて努力して参りますことを戦没者の御霊の前にお誓いし、私のご挨拶とさせていただきます。
平成17年8月6日
衆議院議長 河 野 洋 平
(河野洋平衆院議長の広島スピーチ(2005年8月))
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