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2006年4月19日 (水)

日本医大の前医学部長、へき地の診療所長に

今日の『朝日新聞』朝刊2面の「ひと」欄に、日本医大医学部長を昨春定年退職した麻酔科医の小川龍(おがわ・りょう 66)さんが、志願して新潟県のへき地にある町立診療所長を務めて1年になるという記事が出ていた(2006年4月19日付)のを読み、とても良い話しだと思った。

自らの能力を活かし、しかも、かつて若い人々に求めた奉仕を自らも買って出る。医師というと申し訳ないけれども「仁術よりも算術」といった人々の顔ばかり思い浮かんでしまうが、こういう立派な人もおられるわけだ。

同じような気持ちを持ちながら、踏み切るきっかけや企画・実行力がちょっと足りないという人々もいるのではないだろうか。こういうことをコーディネートするNPOがあっても良いと思う。

【以下は記事の写しです】

(ひと)小川龍さん 日本医大医学部長からへき地の診療所長

 東京都心の日本医科大学医学部長を昨春、定年退職し、山奥の無医地区へやってきて1年。福島県境の新潟県阿賀町立鹿瀬診療所長を務める。
 群馬大学付属病院麻酔科医局員1期生で、日本の麻酔科の開拓者のひとり。日本医大付属病院副院長も務めた。
 日本医大で教えながら、自治医科大学でも非常勤で教えた。10年以上前、卒業生の文集で「学生に『へき地で働け』と言うのなら、教授も定年後はへき地で働いてはどうか」との一文を見つけ、もっともだ、と思い続けた。
 定年が迫った一昨年、へき地はどこか考えた。子供の頃に読んだ鈴木牧之の「北越雪譜」の秋山郷を思い出し、新潟県庁に手紙を書いた。
 「小生のような者でも健康な間、貴県の無医地区でお役に立てないか」。自治医大卒の県職員が目に留め、医師が不在の鹿瀬診療所を紹介。
 東京に妻を残し単身赴任。昨春まではいつも背広姿だった。診療所ではネクタイをつけたことがない。教授として医師100人を率いた頃、眠れぬ夜に酒量が増えたが、「今はストレスゼロです」。阿賀野川のせせらぎを子守歌に熟睡。酒量は減った。
 豪雪のこの冬、雪下ろしで腰や肩を痛めたお年寄りが次々訪れた。手早く局所麻酔薬を打ち、痛みの悪循環を断ち切る。ベテランの技が生きる。「技術を応用できて楽しい。現場が一番ですよ」
 (文・小野智美、写真・丹羽敏通)

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