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2007年10月31日 (水)

民主党の「取り調べ録画」刑訴法改正案提出方針を支持する

えん罪事件などが絶えず、裁判官が「お気の毒」などと人ごとのようなコメントを言っている現状を考えると、取り調べに「録画」を義務づける法案を出そうという民主党の方針は理にかなっている。

長く続いた自民党一党天下の下では、法改正というと業界団体の利害に関わるようなチマチマした話しばかりで、「刑事訴訟法」改正によって人権保障をより確かにしようといった話しはほとんど聞いたことがなかった。参院の与野党逆転を現実に活かそうとするもので評価できる。

「お役人の天下」を終わらせるには、「刑法」「民法」などの基本的な法律からはじめ、政治が「立法権」を持っていることをハッキリさせるため、国民サイドに立って見直していく作業が必要だ。いろいろなお考えがある問題かも知れないが、森田は死刑廃止論であり、そこまで世論形成が進んでいない現段階でも「死刑と無期の中間に『終身刑』を作る」といった刑法改正はすぐに行うべきだと思う。

いま、前防衛事務次官の「接待漬け」が問題になっているけれども、お役人のごっつぁん体質を根本から直すには、収賄に関する刑法の条項に「職務権限にかかわらず」と書き込む改正をして、お役人は「物がほしければ自分でお金を出して買う」、「飲んだり食べたりしたければ自分でお金を出す」というルールの転換を行うべきだ。今は職務権限が裁判所に認定されなければ贈収賄にならないという、便宜供与については事実上無法状態なのだ。

元官僚の坂東真理子という人が書いた「女性の品格」と言う本が売れているそうだが、「品格ある女性は、お世話になった人に季節のおいしい食べ物を贈る」と書いているらしい。さすがに元キャリア官僚だけに頂き物が大好きなのだろうが、こういう根本的なところから直していかなければ、政治・行政の腐敗はいつまでも無くならないだろう。

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2007年10月30日 (火)

メディアは元幹部自衛官の佐藤元久参院議員(ヒゲの隊長・自民)に守屋前次官の批判だけ言わせておいていいのか

フジテレビの朝番組「とくダネ!」が、昨日の守屋前防衛事務次官の衆院・証人喚問を報じる中で、「この人も声を上げた」と安倍政権下の7月の参院選で自民党から比例代表で当選した佐藤正久議員の「俺たちが現場で苦労しているののに何やっているんだ」というニュアンスの守屋批判コメントを語る様子を流していた。

ここでこの番組が作りだしている構図は、「防衛省の役人トップの腐敗はあまりにひどい。イラク派遣などで現場で苦労している無垢な自衛官たちが気の毒だ」というイメージだ。

実際には、明らかになっている接待攻勢は業者の防衛省・自衛隊に対する接待攻勢の氷山の一角なのであり、むしろ防大出の制服組の自衛官たちのうち、有望とされる者には若い頃から高級食品を中元・歳暮に送りつけるのに始まり、激しい接待攻勢がかけられているのが実情だと巷間言われている。

この際必要なのは、関連業者との会合等の実態、報告などのルールが守られているといったことの洗い直しだ。野中弘務氏はかねてより「会合の飲食代を接待側が持つことに対する規制を緩めるべきだ」と主張している。野中氏の政見には賛成できるものが多いが、この問題については賛成できない。意見交換はオフィスですればいいのであり、情報公開は公平に、オープンで行うのが筋だ。

実態と離れて、「腐敗官僚」に対し「清廉な制服組」というイメージを作りだしていては、戦前「腐敗した政党政治」を叩いて、結果として軍部の台頭を招いたのと構造的には同じことを繰り返すことになる。

巨額の調達をめぐる不正は、大正時代の海軍大スキャンダルのジーメンス事件、いやきっと明治維新当初からの軍・官僚組織の宿痾なのだ。これには政治家・軍人、背広・制服の別はない。仮にもマスメディアに関わる人々は、多少なりともそういう歴史感覚を持って事実にメスを入れてほしい。

佐藤議員に対しては、防衛産業・商社などの制服組への働きかけの実態について詳しく聞くべきなのであり、内局の腐敗を叩いてアリバイを作る片棒をかつぐことなどあってはならないのである。

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2007年10月29日 (月)

東亜同文書院大学の資料展

霞ヶ関ビルの隣りに建った「霞が関コモンゲート」内で開かれた東亜同文書院学院の資料展をのぞいてみた。

1901年に近衛文麿の父親、近衛篤麿が上海に創立した同学院は、中国・アジア重視の国際人を育成し、現在、豊橋市にある愛知大学はその流れを汲むものだそうだ。

NHKのハイビジョン特集「真珠湾への道 二人の旅人がたどる1931~1941」(2002年)では、中国人元学生が学校当局による中国人学生に対する所持品検査などによる思想チェックがあったという証言も紹介され、「五族協和」というタテマエとは別に、やはり侵略の尖兵という役割も結果として負っていたのだろうが、草創期の理想は高いものだったようである。

今回の展示自体は小規模でやや表面的なものだが、草創期の教員でもあった山田良政という人が1900年に孫文が起こした「恵州起義」に参加し34歳だかで「戦死」したといった事件が、その人の良い面構えの写真と、孫文が後に揮毫した墓碑銘とともに紹介されていたり、その弟で孫文の秘書となり、日本人としてただ一人孫文の臨終に立ち会った山田純三郎宛の孫文の革命資金についてらしい領収書が展示されていたり、それなりにナマナマしいものだった。

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2007年10月26日 (金)

対イラン開戦を決して「支持」してはならない

アメリカが対イラン単独制裁を打ち出し、アメリカ国内にも対イラン開戦を危惧する声が高まっているという。結論から先に言うが、もしアメリカが対イラン開戦に踏み切るとしても、日本政府は決してこれに「支持表明」をすべきでないと思う。

先日、『硫黄島からの手紙』の脚本家、アイリス・ヤマシタ氏が発言したパネルディスカッションを見に行った話しを書いたが、そこで元CNNのアンカー・パーソンで、PR会社を経営しているサチ・コト氏が、近年のアメリカメディアにおける対日イメージを良くした事例の一つとして、小泉首相(当時)が対イラク開戦に直ちに支持表明したことを挙げ「本当に素晴らしかった」と言っていたが、あれは結局アメリカの誤った政策を後押ししただけのことであり、日本はこれまで中東においてなんとか守ってきた「平和国家」のイメージを失った。

そうした政治的資源の損耗と引き替えに何を得たのか? 対北朝鮮政策で「拉致問題解決なくしてテロ国家指定を解除すべきでない」という日本の立場を尊重してもらえたのか? 結局は小泉氏が個人的にご褒美としてエアフォースワンでプレスリーの屋敷に連れて行ってもらってチャラにされてしまっているのではないか。

冗談はともかく、わが国は国際紛争解決の手段としての戦争を自ら禁じており、それは「良くないこと」だからそうしているのだから、日本国憲法が他国を制約するものではないけれども、自分は良くないこととして自ら禁じていることを、他国が行うことだからと言って「支持」するというのは、ロジカルでない。

それでは日米関係が危うくなる? いや、それは小泉内閣や安倍内閣、あるいは谷地事務次官や加藤駐米大使が、憲法や平和を大切にしようという気持を持つ多くの日本国民の気持ちを無視して「もっとやります」「私の力でもっとお手伝いするようにします」と対米忠誠競争を繰り広げた結果である。彼らが、現実離れした「期待感」をアメリカに植え付けてしまったのが原因なのだ。

最近、正体を現してきたシーファー大使や、アーミテージ氏はキーキー言ってくるだろう。民主党政権で日米関係を仕切ろうとしているキャンベル氏も、アメリカ政界で自分の日本に対するコントロール力を誇示するために、ハードラインで来るだろう。日本国内にも中曽根康弘氏や外務省、防衛省のある種の連中、自民党の中谷元、民主党の前原元代表らのようにそれに呼応する人々も出るだろう。

「過剰な忠誠競争」でなく、「リアリズム」に基づいて日米関係を考えれば、ベトナム戦争やイラク戦争同様、日本の基地を事実上の後方基地として、ほとんど無制限に使わせるということについて、将来はともかく、今回から急に安保条約に基づく事前協議を求めるといったことが適当かどうかは、慎重に考慮していいだろう。イランとの間で、新たなビジネスを進めるといったことは、凍結も検討すべきかもしれない。

しかし、そこまででいい。「戦争で国際紛争を解決するのを手伝うのは、わが国の原則と違う」と言うべきだし、実際問題として考えても「アフガニスタンでもイラクでも、お店だけ広げてしまって収拾つかなくなっているじゃないですか」と言うべきだ。

日本の「筋」を通す上でそうだし、アメリカ国民にもいろいろな人がいるのだから、チェイニーやアーミテージといった人々だけにシッポを振っていては、この先困ったことになるかもしれないというリアリズムも持つべきだ。

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2007年10月25日 (木)

「ゆとり教育」はよい成果を挙げているという一つの証言

『毎日新聞』夕刊に月1回掲載されている「中島岳志的アジア対談」はいつも面白いが、旧文部省OBの寺脇研氏を迎えた10月24日付の回も、寺脇氏の造詣の深い「映画」を手がかりに日本人の韓国観、インド観など展開し興味深い。

一方、話しは文部省が推進し寺脇氏がスポークスマンを務めた「ゆとり教育」に及び、そこで1975年生まれの北海道大学准教授である中島岳志氏(アジア研究)が語る証言にほほうと思った。【以下、同記事後半より引用です】

 中島 寺脇さんといえばゆとり教育ですが。ゆとり教育世代が大学に入り始めて、大学の雰囲気が変わりました。彼らは議論や質問で萎縮しない。たとえば「ねえ先生、インドって本当に毎日カレーを食べてるんですか?」と。「そんなこと聞くなよ」とも思うんですが、おもしろい。周りの教官と話しても、学生がよくなったという声が多い。今後はその変化を大学教育でどれだけ良い方向に向けられるかです。

 寺脇 ゆとり教育は相当批判されましたがね、ねらいは議論できる子供を育てることでした。自分の興味に沿って何かを言う、好奇心の強い子供。たとえばインドって聞いた瞬間に「え、どんなところ?」と興味を持つような。おっしゃるような変化は、どの大学でも起きていると思います。(中略)

 中島 昨今の教育改革についてもご意見を。僕は、安倍晋三前首相らの教育観が、税金を効率よく納めさせるために愛国心を持って働く人間を作ることだったと思います。

 寺脇 教育再生会議の議論は支離滅裂以外の何物でもありません。安倍さんたちは、要するに富国強兵時代の教育をしたかったんですね。百歩譲っても、高度成長時代にあこがれた。だから彼は、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」とそこに描かれた社会が大好きなわけです。ですが、その発想は次の段階で「戦前の社会こそが良かった」となりかねない(以下略)。

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2007年10月24日 (水)

飾らない人柄が魅力のプリンシパル、吉田都さん

10月22日放送の「英語でしゃべらナイト」に、ずいぶん長い間、英ロイヤルバレエのトッププリンシパルの地位を守り、日本に本拠を移しKカンパニーに加わってからもロイヤルバレエのゲスト・プリンシパルに遇されている吉田都さんが出演。その飾り気のない態度、話し方は大変魅力的だった。

何せ、「世界のトップ」に長く君臨している存在であり、もっと偉そうにしていたり、もったいぶった態度をとっていても誰も文句を言わないだろうに、バックンはじめレギュラー陣と本当にリラックスして、また率直に聞かれたことに答えていた。

森田はバレエの技術、文法には全く明るくないが、NHKで当時放送されたバーミンガム時代の『くるみ割人形』など誠に軽やかだった。獲得して守っておられる地位を考えると、その技術・芸術性が極めて高く評価されていると想像がつく。

その彼女が、例えて言えば、旅行の電車で乗り合わせたら、お互い見ず知らずでもひとしきり楽しく世間話して過ごせるような様子なのだ。たいへん好感を持つと共に「ホンモノというものは、はこうなんだろうな」と敬意を覚えた。

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2007年10月23日 (火)

シビリアンコントロールの問題として満州事変と本質的に同根=海上自衛隊の給油記録「誤報告」と政治的な隠蔽=

「テロ対策」としてインド洋に派遣している海上自衛隊の給油艦による、ペルシャ湾で活動する米軍空母への給油量について4分の1に過小報告し、海上自衛隊の制服組は福田官房長官(当時)がそれを根拠に「アフガニスタンでのテロ対策以外に転用がない」と答弁した時にはそのことを知っていながら、勝手な判断で隠蔽していたことが明らかになった。

自衛隊の海外での活動という、憲法の根幹に関わる問題について、自衛隊の制服組が勝手に情報を操作して、法律の逸脱を隠すということが罷り通っていては、シビリアンコントロールもなにもあったものではない。これを放置しては、やがて1931年に中国東北部で「満州事変」と呼ぶ戦争を勝手に始めた愚かな歴史が繰り返されることになるだろう。

石破防衛相が早速「徹底した再発防止」を言っているのは当然だが、それ以前に事実について究明することが大事だ。違法行為があるなら、「再発防止」以前に司法当局の捜査があるべきだし、こんなことが罷り通っていることに違法性がないと言うのなら、シビリアンコントロールに関わる「法の不備」は明確であり、必要な立法措置をとるべきだ。

これまでにも一、二度書いたが、「日本は戦争に負け、戦犯は裁かれ、憲法九条で軍隊はなくなった」というタテマエがあったため、かえって旧軍の愚行についての究明や、自衛隊に関するシビリアンコントロールの制度的な保障がおざなりになっている。

事実上の軍隊があり、時に米軍などと行動を共にし、役所の名前が「防衛省」に格上げされた今こそ、また「給油」や「前次官の腐敗」が大きなニュースになっている今こそ、徹底的な洗い直しを行うべきだ。

なお、前次官の腐敗は官僚組織全般に共通する問題で、徹底的な解明が必要だ。娘の留学がらみでも腐敗が起こっているとなると、官僚の家族の倫理観も問わねばなるまい。一罰百戒と言う点からは親族の証人喚問なども必要なのではないか。

しかし、一連のニュースの核心は制服組が勝手な振る舞いでシビリアンコントロールを犯していたことだ。前次官の腐敗には「国防総省にすら楯突く民族派(前次官)を、小池百合子氏に象徴される米軍産複合体のエージェントたちが叩いている」面も見え隠れする。「腐敗」「証人喚問」などワイドショー的には面白いが、まず追わなければならないのは「シビリアンコントロール」の方であることを忘れてはならないと思う。

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2007年10月22日 (月)

中国の指導部人事の?

中国共産党の5年に一度の党大会が終わり、胡錦涛指導部の二期目の顔ぶれが決まった。ほぼ予想通りということなのだろうが、若干の?が残った。

上海の汚職摘発、成長一辺倒の修正、黄菊氏の死去といった様々な背景から、5年前の胡錦涛体制発足時の人事が、退く江沢民氏と上海閥のやりたい放題だったことに修正が加えられるのだろうとは多くの人が思っていたが、上海の汚職摘発の時期などに江沢民派から胡錦涛派に鞍替えしたのではと言われた曽慶紅氏が引退し、同じ江沢民派でも引退が早くから取りざたされた賈慶林・全国政治協商会議主席、直前に香港情報で引退と報じられた呉邦国・全国人民代表大会(全人代)常務委員長という、あまり内容のない二人の江沢民派大幹部が残されたことに若干の違和感というか、失望が残った。

江沢民派の地位が高い凡庸な人物を残し、有能な故に危険な曽氏を切ったのか、それとも江沢民派が根強いのか。「次世代」に注目することが必要なのだろうが、気になったのはむしろ上記の点だ。ひな壇の江沢民氏は不機嫌のようだったが、あれはポーカーフェイスなのか。

賈慶林氏は先の来日時に「引退」と外務省筋は囁きあっていたが、中国のマスコミ関係者は「人事は指導者の腹一つ。本当のことは発表されるまでわからない」と言っていた。その通りなのだろう。

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2007年10月21日 (日)

NHK「映像の世紀」録画再見始める

夕食後、わが家の二人の高校生にNKHが10年以上前に放送した『映像の世紀』の第1回の録画を見せる。今世紀初めのパリ万博の映像、漱石が世紀の初めとして「幸先が悪い」と書きのこしているビクトリア女王の葬儀、辛亥革命当時の中国、サラエボ事件当日のオーストリア皇太子夫妻がサラエボ市庁舎に入っていく様子など、ナマの映像の迫力に子どもたちも引き込まれてみていた。

トルストイの晩年の様子も紹介されているが、彼が最後に手紙を送った相手は南アフリカで人権運動に投じていたガンジーで、その非暴力主義に共感し称えていたというエピソードには改めて感心する。安倍晋三氏が敬愛する大英帝国は同じ頃、南アフリカをボーア人の反乱に乗じて植民地にしようと企んでいたわけだが。人は思わぬところでつながっている。帝国主義の系譜に連なろうとする人々もいるが、自分はトルストイ、ガンジーの系譜を継ごうとするものとして努力したいと思う。

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2007年10月19日 (金)

亀戸天神の二株の藤

NHKハイビジョン特集「日本 庭の物語 -江戸大名庭園から未来の庭へ-」を見ていたら、亀戸天神の美事な「藤」は、先の大戦の空襲でいったんは全て焼け落ちてしまったけれども、奇跡的に二株だけが芽を出し、現在の姿に復活した。庭園としてのデザインも広重の「江戸名所図絵」そのままだが、藤も江戸時代のものであるといった話しを紹介していた。

それだけのことと言えばそれだけのことだが、なんだか良い話しだと思った。

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2007年10月18日 (木)

「教職員増」を求める概算要求を「悪のり」と批判する財界人・西室泰三氏の見識

文部科学省が来年度予算の概算要求で「7000人以上の教員増」を求めているのに対し、財政制度審議会(財務相の諮問機関)の西室泰三会長が先週12日の記者会見で「教育3法を利用して悪のりした」と批判している。

「財務省の、財務省による、財務省のため」の組織であり、憲法に明確な根拠のない機関のトップが言うことにいちいち目くじら立てていても仕方がないが、これには全く賛成できない。

先月OECDが発表した04年調査の結果でも、わが国の教育に関する公的支出の対GDP比は最下位のギリシャに次いで下から二番目の25位。OECDは「少ない支出で効果を挙げている」と評価しているようだが、日本には「人」しか資源が無く、グローバルな競争の時代にここに力を入れなくてどうするかと思う。

「私的負担分」を加えると、もう少し順位が上がるようだが、これは簡単に言えば、所得の高い人が子どもを塾にやったり、家庭教師を雇ったりする費用であったり、大都市の居住者が子どもを私立学校に通わせたりする費用のことだろう。

「格差」ということが問題になっているが、特にその「固定化」ということに対する対処法がもしあるとすれば、公立学校の教育を充実し、どんな家庭に生まれた子どもでも、学習意欲を持つ機会を得て、頑張れば勉強ができるようになる環境を準備するということ以外に何か具体的な方法があるだろうか。

ヨーロッパなどと比べても、何でもかんでも教職員にやらせている日本のやり方がいいかどうかは考えるべきで、構内の見回りなどはもっと一般の職員に任せるべきだ。給食費の徴収などもそうだろう。クラブ活動などにももっと地域のパワーを導入する工夫が必要だろう。だから、文部科学省が今のやり方のまま「教職員増」だけを言うのは充分ではないかも知れない。

しかし、「いじめ」「学力低下」などが話題になるたびにメディアが知らせる公立学校の現状は、教師が「忙しすぎる」ことが問題の一端であることを明らかに示している。小学校低学年の問題など、クラスの定員を半分にすればかなりの程度改善できることは誰が考えてもわかることだ。政治の都合で行われる「改革」のたびごとに教師のやることが増え、子どものために使う時間が少なくなっているというのはブラックユーモアだ。「教員増」が問題の全てを解決するわけではないが、森田は問題の半分まではそれで解決できると踏んでいる。

小泉元首相が就任当時「米百俵」のエピソードを述べて人気を博した。臨時収入の米百俵を、山分けしてしまわないで、共同体の未来のために使おうというのは確かにいい話だ。ただ、あの話しは米百俵を「借金の返済に充てました」ということではなく、「子供たちの教育のために役立てました」という話しなのだ。

西室氏は経団連の新旧会長(御手洗会長と奥田碩トヨタ自動車取締役相談役)とともに安倍晋三前首相を囲む「晋福会」に参加しているそうだ。もらう勲章の等級を考えると、推薦してくれる財務省に目一杯サービスしておきたいという気持はわかるが、いま日本の教育に必要なのは極右イデオロギー偏向ではなく、「公立学校の教育をしっかり立て直すこと」であるという認識はしっかり持っておいてもらいたい。

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2007年10月17日 (水)

ヒラリー・クリントン候補のCTBT(全面核実験禁止条約)批准公約を熱烈歓迎する

来年の米大統領選に出馬を表明しているヒラリー・クリントン上院議員が、「フォーリンアフェアーズ」誌電子版に初めて包括的な外交政策を発表したそうだ。そこに毎日新聞の及川ワシントン特派員による記事によると、「全面核実験禁止条約の批准」も公約にすると書かれているという。大歓迎だ。

ゴア副大統領(当時)をブッシュ大統領が僅差で破り、さらに9・11からイラク戦争までの世界政治の「大逆流」が発生し=そのことを一部アメリカ人や尻馬に乗る日本のメディアは「世界は変わった」などと言っていたが=、「ゴア氏が京都に乗り込んで決めた温暖化対策」や、「ビル・クリントン大統領が世界の首脳に先駆けて署名した全面核実験禁止条約」が皆ホゴにされていたのが、昨年秋の米議会中間選までのアメリカと世界の大きな流れだった。

「温暖化」の方は、バイオエネルギーが票やカネになるのだろう、今年になってブッシュ大統領以下アメリカ政府が「6年間」の無視から一転して積極的になり、日本の外務省や安倍首相もそれまでは全く本気の関心を示さなかったのに、アメリカ様がご意向を変えたので、慌てて来年日本で開催のG8サミットの主要議題だ、日本がリーダーシップをとるなどと騒ぎ出している。

2005年春にニューヨークで開かれた核拡散防止条約再検討会議は、一方では「核開発の権利」ばかり言い募るイランやエジプト、他方はCTBTなどに見向きもしないアメリカの対立で、何の成果も生まずに終わってしまった。

もう開発されてから60年にもなる「核兵器」という古くて巨大な破壊力について、人類の政府組織は安定感のある管理を実現していない。通常兵器の命中精度の向上などにより、やろうとすることに比べて「核爆発」など「何の意味もない」という声は、アメリカの安全保障専門家の間にも聞こえるのである。

北朝鮮やイランは、核不拡散体制を尊重し核兵器やその開発は放棄すべきだが、ブッシュ政権のように「お前たちは核を持つな」という一方で、核不拡散条約で約束した核軍縮に向けての努力については知らんぷりということでは、話しに説得力がない。

アメリカがクリントン政権時代に立ち戻って、包括的核実験禁止条約(CTBT)を批准するというのであれば、それは正しい方向への明確な転換になる。アメリカの次期大統領には、ぜひこのような考え方の人になってほしい。日本政府も、ブッシュ様が「苦しうない」と言う温暖化問題だけでなく、広島・長崎で核攻撃を体験した国家として、再び核軍縮に向けて力を注ぐべきだ。

漏れ聞くところでは、G8サミットの同じ年の秋に、同じ国で開かれることが恒例になっている「G8下院議長会議」について、河野洋平衆院議長は広島開催を関係各国などに打診しているという。成否は定かではないし、来年秋までには総選挙で議長も交代している可能性が高いが、次期議長もこのアイデアは継承してほしいと思う。また、9月のベルリンでの会談で広島開催に賛意を示したというペロシ米下院議長は、実際には11月の大統領選を控えて来日が難しいかもしれないが、その場合は、別の時期に単独で来てもらって、日本の議長が広島、長崎に案内するのがいいと思う。

それを「初の女性大統領誕生」→「アメリカ大統領初の広島・長崎訪問」につなげることができれば、日米の本当の絆を強め、核兵器のない北東アジアに向けての強いメッセージを発信することができるだろう。

【以下は毎日新聞記事のコピー】

アメリカの選択:’08大統領選 ヒラリー氏「就任後60日以内にイラク撤退開始」
◇CTBT批准も--ヒラリー氏、就任後公約

 【ワシントン及川正也】08年米大統領選で民主党有力候補のヒラリー・クリントン上院議員は、外交誌「フォーリン・アフェアーズ」11・12月号(電子版)に包括的な外交政策を発表した。当選を果たせば、就任後60日以内にイラク駐留米軍の撤退を開始する方針を表明。また、核不拡散政策の柱として核実験全面禁止条約(CTBT)への批准も公約とした。

 クリントン氏は「イラク戦争は米軍の能力を弱め、装備を消耗させた。アフガニスタンへの注意をそらし、同盟国を遠ざけ、米国民を分断した。戦争終結が米国の指導力を回復する第一歩になる」とブッシュ政権のイラク政策を批判した。

 現在16万人規模のイラク駐留米軍のうち、対テロ戦で緊急展開が可能な特殊部隊を除き、戦闘部隊(陸軍旅団)と支援部隊のほとんどを段階的に撤退させる方針で、これに代わってイランやシリアを含めた外交的手段による地域安定化を進める。また、アフガニスタンでの国際テロ組織アルカイダや旧支配勢力タリバンに対する軍事作戦を強化する意向を表明した。

 イランについてはウラン濃縮活動停止を求め、「国際社会の意思に従わなければ、すべての選択肢を俎上(そじょう)に載せる」として、武力行使を否定しなかった。北朝鮮問題では「国務省の外交的努力で遅ればせながら進展を見せている」と言及した。

 また「中国との関係は今世紀、世界で最も重要な2国間関係になるだろう」とし、米国が中国の経済的台頭に備える一方、将来の協力関係構築を目指すべきだと指摘した。インドとの関係強化の必要性も強調し「オーストラリア、インド、日本と対テロ戦争や地球温暖化などの問題で新たな協力関係を構築しなければならない」としている。

毎日新聞 2007年10月16日 東京夕刊

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2007年10月16日 (火)

警察庁が「命の教室」-教育・警察連携が持つ可能性

警察庁が来年度から、犯罪被害者の遺族の思いを子どもたちに語ってもらう「命の教室」という事業をはじめるという記事を見た(2006年10月9日付『毎日新聞』)。受刑者などを対象に行って効果を挙げている事業の対象を一般の子どもたちに広げるということのようで、教育効果を考えても、また遺族の方にわずかでも慰めにつながるとするならば、たいへんよいことだと思う。

以前、アメリカ・ネブラスカ州オマハの私立小学校の授業を見学したときに、長身・制服の女性警官が教壇に立って「麻薬」に関する授業を行っているのを見たことがある。その授業は単発ではなく、同じ警察官が半年にわたって行うもので、森田が見学した日は「薬」そのもののことではなく、「お前も万引きしないと、仲間はずれにするぞ」と言われたときにどうしたらいいかというケースについて、子供たちに意見を言わせ、警察官が先生役としてアドバイスするという内容だった。

先生の話の内容も、法律云々というタテマエの話しではなく、人間関係術にわたる巧みで子供たちを惹きつけるものだった。

過激派が横行した70年前後の子ども時代、午後家にいると交番のお巡りさんがまわってきて、家族構成などを聞きながら雑談していくということがあった。警察の人に「ああいうことを充実させると、地域の防犯力というか、テロ対策なんかにもいいんじゃないですか」と話したことがあるが、「最近の若い警察官は、対人関係が苦手な者が多く、そうやって地域と関係を作っていくことがなかなか難しい」と聞いて少し驚いたことがある。

最近の子供たちの「薬物汚染」などひどいものがある。教育と警察が連携して、例えば定期的に警察官が教壇に立ち、麻薬や犯罪についての情報を子供たちに与えながら、子供たちと一緒に安全な地域づくりを考えるといったことも良いのではないだろうか。

そうすることは、警察官や警察組織の自己認識を「国家権力」というだけではなく、「人権を守る組織」「地域ととも安全を守る組織」という方にも向けていく効果が期待できるのではないだろうか。警察官のコミュニケーション能力アップにもプラスになると思う。

すでに「学校評議会」などに所轄の署長などを招いている学校も多いのだろうが、こうしたもっと生徒たちの身近なところで「市民と歩む警察」を作っていく努力を充実してはどうだろう。

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2007年10月15日 (月)

『源氏物語』千年紀-丸谷才一氏の話しになるほどと思う

10月14日(日)夕方、NHK教育テレビの「日曜フォーラム『一千年目の源氏物語』」を見る。2~3年前に『輝く日の宮』をたいへん楽しく、また感心しながら読ませてもらった丸谷才一氏の話しに再び感心した。

森田は文学に造詣が深い方ではないので、その世界に趣味のある人には当たり前の話しなのかもしれないが、丸谷氏によれば長編小説にとって大事な二つの要素の一つは「構成」で、もうひとつは「文体」だそうで、まあ「文体」というのは表現の魅力というコトだと思うけれども、氏が言うには『源氏物語』はこの二つの両方の要素とも優れており、やはり当時の世界の水準を考えても、たいへん優れた作品であるということだそうだ。

この番組を見るきっかけになった『朝日新聞』文化欄の記事にも紹介されているが、いろいろな理由から、一部国学者を除いて、長い間蔑視されていた『源氏物語』が注目されたのはアーサー・ウェイリーという人の戦前の英訳がきっかけで、それで中央公論から谷崎潤一郎の現代語訳が出て注目が高まったという。丸谷氏は昭和は暗くてやな時代だが、『源氏物語』に光が当たったというのは良かったといったことを言っていた。

これも、日本文化とか日本歴史というものを、国際的な視点において捉え直すと言うことの意味を教えているエピソードだと思う。

番組中の発言の中で、加賀美幸子さんが紫の上の最期のところのさわりを朗読した。さすがの説得力と味わいで、七五調の読み方について自分は自信がなかったけれども、あれでいいのだなどと思いつつ、あの加賀美さんの話を拡大したようなテレビシリーズができないものか、などと思った。

なお、『源氏物語』がほぼ千年前の書物であるという話しは、小渕内閣が2000円札を出した時に聞きかじったが、『紫式部日記』の言及というファクトを基準にすれば2008年が『源氏物語』千年紀だそうだ。去年はモーツァルト生誕250年にすっかり熱中したが、今度は源氏物語か。以前、ちょうど紫の上が亡くなるあたりまで読んだ瀬戸内寂聴訳の続きを読むあたりからはじめましょうか。

(以下、メモ代わりの朝日新聞記事写し)

シンポ「一千年目の源氏物語」「新しさ」ときほぐす

2007年10月10日10時47分

 『源氏物語』の存在が初めて記録に現れてから来年で1000年。この「一千年目の源氏物語」をめぐる講演会とシンポジウム(国文学研究資料館主催、朝日新聞社など後援)が先月、東京都立川市で開かれた。作家の丸谷才一さんが、昭和における源氏の発見や20世紀ヨーロッパのモダニズム文学に通じる先進性について語るなど、聴きごたえがあった。

 『紫式部日記』の寛弘5(1008)年11月1日の条で藤原公任(きんとう)が紫式部にたわむれる場面に、「若紫」「源氏」という言葉が出てくる。このことから、宮中で当時すでに源氏物語が読まれていたと推定される。

 丸谷さんは「暗澹(あんたん)たる昭和に功績があったとすれば長くおとしめられていた源氏を華やかにたたえた時代である点だ」と語った。

 「国文学者を除けば源氏は昭和に至るまで蔑視(べっし)され無視されてきた。皇子(みこ)が天子の后(きさき)と恋仲になって子をなし、その子が帝(みかど)になる筋がけしからん、という非文学的な理由によって。明治最高の目利きである鴎外と漱石も源氏に冷淡だった」

 源氏の発見を促したのは20世紀ヨーロッパのモダニズム文学だという。アーサー・ウェイリーの英訳(1925~33)で、源氏は欧米で『失われた時を求めて』と同じように受け入れられ、読者はプルーストと同じ資質を紫式部に見いだす。ウェイリー訳を国内では正宗白鳥が絶賛し、その影響で谷崎源氏が生まれ、源氏は戦後、日本文学最大の長編小説とされる。

 「源氏には(1)時間を扱う(2)文体の美しさというモダニズム文学に通じる要素があり、千年前の紫式部は現代の読者の心を動かす。小説で大事なのは構成と文体だが、二つを備えた小説はごく少ない。構成と文体について最もよく教えてくれる小説が源氏であり、長編小説の模範だ」

 歌人の岡野弘彦さんは師事した折口信夫の「源氏はいろごのみの道徳を説いた物語」という説を踏まえ、源氏の中で女性が果たす役割についてこう指摘した。

 「源氏は理想的な男性の物語と考えられやすいが、私は女性が多様性をもって生き生きと生きている物語とみる。いろごのみとは理想の異性を選びとることであり、古代からのいろごのみの伝統が平安の華やかな雰囲気を巻き込みながら源氏で新しい展開を見せた」

 たたりをなす六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の造形について「黄泉(よみ)の国を支配したイザナミノミコトに一つの原点を置いてみたい」と指摘したのは興味深かった。

 詩人の大岡信さんが取り上げたのは、第26帖「常夏」などに登場する個性的な脇役の近江の君。粗野で早口で和歌もへただが、憎めない。「道化者的な彼女が登場する個所は長編の中の短編を思わせ、小説全体を引き締める。複雑な構造をもつ源氏は千年の時間差を感じさせず今も新しい」

 NHK番組キャスターの加賀美幸子さんも「源氏は好きな個所から読めば物語がおのずから胸を開いてくれる。出家する女性の多さに着眼するなど、様々な読み方ができる」と語った。

 講演会とシンポジウムの内容を編集した番組が14日午後6時からNHK教育テレビで放映される予定だ。

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2007年10月13日 (土)

サントリー美術館の「BIOMBO/屏風 日本の美」を見る

広々した新しい美術館に、多数の壮麗な屏風が展示される特別展を見物するのは心楽しいひと時だった。

ケルン、東京、ボストン、クリーブランドと、もともと一つだった作品の一部が別れ別れに収蔵されている「祇園祭礼図屏風」「賀茂競馬図屏風」などが並べて展示される様子には感動がある。

視線を交わす雌雄ペアの麝香猫(じゃこうねこ)が、日米に泣き別れになっている屏風が、やはりこの展覧会の期間中だけ再会している。もっとも、帰ってから動物に詳しい息子に聞くと、ジャコウネコは単独性が強く、無理に一緒にしておくと雄が子どもを食べたりするので別けて飼うそうだ。

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2007年10月12日 (金)

アイリス・ヤマシタさんが「合作映画」の勧め

クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』の脚本を担当した日系米国人であるアイリス・ヤマシタ氏がパネラーとして参加した「変わりゆく日本のイメージ?-米メディア界で活躍する日系人の見方」という公開シンポジウムを見に行った(10月11日、経団連ホール)

ヤマシタ氏は20世紀のアメリカの映画を含むメディアにおける日本人のイメージの変遷について資料を用いて紹介したが、一般のアメリカ人に日本人や日本文化についての理解を進めるための方策として「合作映画」を作ることを推奨していた。

『硫黄島からの手紙』は第一稿が採用になったという裏話はヤマシタ氏の実力を裏付けるものだったが、初めから「日本人俳優を起用し、日本語で撮影する」というコンセプトを採用していたこの映画が、当初は監督も日本人起用を考えていたのに対し、ヤマシタ氏が「それではほとんど日本映画になってしまう」とアメリカ人監督の起用を主張、イーストウッド氏がメガホンをとることになったという。

たしかに『硫黄島からの手紙』は、「お互い同じ人間で、違うところもあるけれども生活感情はじめ共通することの方が多い」というメッセージを強く発していた良い映画だったと思う。ヤマシタ氏によれば1969年の日米合作映画『トラ・トラ・トラ』でさえ、日本人理解に大いにプラスになったという。そういえば、コックの渥美清が軍艦の厨房で松山省二と日付変更線越えについて論議をしていて「昨日の弾が今日の敵に当たるはずないじゃないか」と言っていた場面など、アメリカ人には受けたのかなとふと思った。

「合作の推進」を国際理解推進の方策とするという提案はたいへん前向きだと思う。そういえば中国残留婦人を取りあげた『純愛』という映画が、東京の若い女性たちに強く支持されたというニュースもあった。

いろいろな分野の映画で国際合作が進むと良いと思う。森田としては西木正明氏の『夢顔さんによろしく』や劇団四季の『異国の丘』の題材となった、1930年代にプリンストン大ゴルフ部キャプテンとして同大チームを全米優勝に導き、上海同文館では単身重慶に乗り込み和平工作に身を投じようとして日本陸軍に阻止され、ついにはシベリア抑留からの帰国直前に亡くなった近衛文麿首相の長男・文隆氏のストーリーなど、「日米中」、または「日米中ロ」合作で見てみたいと思う。

なお、他のパネラーからは「日本にはアジアの他の国との競争に負けてほしくない。世界市民になるためには、Engrish.com(English.comではなく)という日本人の英語の間違いを集めたWEBページにあるような、恥ずかしい英語のレベルを向上させてほしい。中国では小学校1年生から英語が必修だ」という趣旨の発言(サチ・コト氏)もあった。

それを聞いて森田は、それでは一生アメリカの後追いばかりだ。それよりも、アメリカで中国語を勉強する人も増えているので、日本人の必修外国語は「全員英語」ではなく、「3分の一は英語、3分の一は中国語、残り3分の一はスペイン語、アラビア語、韓国語など他の言語」にするといった思い切った手を打つことこそ、現実的な選択ではと思った。

安倍前首相の政権投げ出しも、われわれが想像する以上に日本のイメージを損なったらしいこともパネラーの発言から知ることができた。外務省なども良いところに気がついてこういった事業を後押ししていると思う。日本文化を内在的に理解している「日系人」との良い関係を結んでいければ、日本にとって大きな宝になるだろう。

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2007年10月10日 (水)

テロ対策特別法-「『後方支援』なら何やってもいい」「『国連』のお墨つきあれば何やってもいい」は共に誤り

衆院予算委の二日目の中継を少し見た。菅直人氏のテロ特措法についての追及はわかりやすかった。「インド洋で給油」と言うが、インド洋のアラビア半島寄りの部分は「アラビア海」とも言い、そこで日本の給油艦からアメリカの補給艦に燃料を補給し、その米補給艦が対イラク開戦に向かう米空母キティーホークに給油していたことがかなり強く印象づけられたと思う。

アメリカにいろいろ軍事活動を「手伝え」と言われる時に、「正面で鉄砲撃つわけにはいかないけれども、油の補給など後方支援なら」というのが日本政府がとってきた基本姿勢だろう。しかも「テロ特措法」は、「イラク戦争を批判したドイツ、フランス、カナダなども参加しているアフガニスタンでの活動」なのだからいいんだというわけだ。

ところが、どうも国民には見えないところでイラク戦争の手伝いもしていたということになると、国民としては「話が違うじゃないか」ということになる。

もっとも、小沢一郎党首が唱える「国連の活動に参加するということであれば、タリバン掃討など武力行使を伴う任務に日本が参加することは可能」という考え方にも、にわかには賛成できない。「海外で武力行使せず」が「日本国憲法第9条」のエッセンスであるというのが保守ハト派まで含めた多くの国民の共通理解であると考えるからだ。

侵略に対する正当防衛はともかく、後方支援とはいえ「武力行使」に荷担するのは、わが国の憲法の示す基本方向とは異なると思う。「油の補給なら安全だし、感謝されているからいいではないか」と言う人も多いが、それでは日本の国家としての筋が通らない。国連安保理の承認すらないアメリカのいわば「単独行動」であるならなおのことだ。他方、筋だけで考えて「国連のお墨付きのあるタリバン掃討に参加してもいい」というのも短絡だと思う。漱石の『草枕』の冒頭ではないが‥

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2007年10月 9日 (火)

映画「ラブソングができるまで」(MUSIC AND LYRICS)

DVDレンタル開始で再見。ヒュー・グラントが中年の元ポップスター、ドリュー・バリュモアが作家の卵という組み合わせで、「うた」づくりの楽屋を見せながら「前向きに楽しくやろう。でも、譲れない一線にはちょっとは勇気を出そう」といったメッセージをもった佳作。

あまり映画館に足を運ぶ方ではないが、5月の連休に出かけ、7月のアメリカ出張の全日空便でも往復見た。主役の二人がとにかくおかしく、周辺の登場人物も温かみとユーモアに溢れている。森田は映画の技法、文法には全く明るくないけれども、物語、対話がよどみなく流れていくことには、高度なテクニックの裏打ちがあるのだろう。

「音楽」と「詞」が主人公とあれば、作曲者と脚本家にとっても大きなチャレンジだったに違いない。笑い話に逃げる風を見せながら、きっと全力投球だっただろう。お薦めする私のレベルがわかってしまうことになるかも知れないけれども、騙されたと思ってぜひ一度ご覧下さい。

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2007年10月 5日 (金)

安倍前首相が「任命」した古森重隆NHK経営委員長(富士フィルム社長)の偏向に要注意

安倍前首相の退陣は、さすがの温厚な国民もあまりの偏向に「ノー」を突きつけたということだが、安倍氏の教育基本法改悪強行成立などの悪しき実績は消えない。安倍氏の応援団である富士フィルム社長の古森重隆氏が、NHK経営委員長に就任したことも、安倍政権の亡霊として監視が必要だ。

なにしろ、参院選挙中の報道が野党寄りに偏向していたかのような圧力発言だ。NHK叩きが続く中で、NHKの現場は「憲法60年」にしても、もうすぐ体験者がみな他界してしまうであろう年齢に達した、先の大戦についての「証言」を集めたドキュメンタリーにしても、よい仕事をしているのが気に入らないのだろう。

古森氏が経営委員にふさわしい人なのかどうか、ここはよほど注意して見ていく必要がある。参議院も責任をもって考えるべきだし、われわれも必要があれば「富士フィルム」に対して何らかの意思表示をしていくことも考えるべきだろう。

「朝日新聞」が、社説で古森氏のNHKの経費削減などについての言動に拍手を送っていたが、たまたま対立した経緯があるからといって、肝心なことを外していると思う。

NHKの議事録公開はたいへん結構なことだ。政府の各種「審議会」も議事録公開を法的に義務づければ、少しは国民の目が行き届くことになると思う。

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2007年10月 4日 (木)

プーチン大統領、退任後は首相就任?

10月1日のロシア与党「統一ロシア」党大会に際し、プーチン大統領が12月の総選挙に与党名簿一位で出馬し、来年五月の大統領退任後は首相に就任するという考え方について「現実的」と発言したそうだ。

帝政時代のロシアは「皇位継承順位」について明確な原則が無かったため、結果として血で血を洗う歴史が綴られることになった。ソ連崩壊後の新生ロシアも、高齢・病身のエリツィン氏からプーチン氏への円滑な権力委譲がうまくいったことには、関係者の政治的判断力・能力が高かったこともあるが、偶然に助けられたこともあると思う。

憲法の規定で大統領を続けることができないプーチン氏が、政治上圧倒的に大きな存在であり、国内をまとめていくには同氏の存在が不可欠だという見方は強いのだろう。そのことと憲法上の規定が矛盾する現実iにより「強権的な憲法改正による独裁制の復活」「新しい権力者と、引退したはずのプーチン氏の権力闘争」といった状況が起こることを心配させる。

12月の総選挙に出馬、後継大統領には自らの意のままになる人物を指名し、5月までの大統領任期を最後まで務めた後は首相に就任して実権を握る。このシナリオは、プーチン氏が権力を握り続けることで政治の安定を確保するとともに、手続き的にも合法的、民主的な手段をとることになる。「狡猾」という人がいるかも知れないが、賢明な行き方だ。

「プーチン与党が圧倒的多数の議会」という現状の下では、プーチン独裁のバリエーションと見られても仕方がないが、将来、ロシアの民主主義が成熟すれば、プーチン氏がそんなことを考えているかどうかは別としても、「多元的な議会による議院内閣制」が次第に確立し、幅広い国民の声を汲見上げる民主的なロシアに進む可能性を開くものとも言えるだろう。

もっとも、そうなるにしてもそれはずっと遠い未来のことだ。「ロシアが欧米並みの人権重視の国になり、また外交面でも柔軟な国になってほしい」「なるといいな」という願望を持つのは自由だが、「民主的な手続きを最低限満たしながら、内実は強権的で、外交面でも強硬なロシア」の存在は「現実」であり、日本の対ロシア外交もそれを織り込んだものとしなければならないだろう。「領土問題が解決しないのは、全てロシアがこちらが望むような理想の国になってくれないのが原因だ」というのでは、非現実的な理想主義と言わなければならない。「価値観外交」だの、「平和と繁栄の弧」などと言っている場合ではないのだ。

政治も外交も結果だ。橋本・エリツィン当時のやり方で問題を解決できず、領土が戻ってきていないことについて、それを主導した丹波元大使ら外務省の人々は責任を負わなければならない。タフだがある程度合理性を重んじるプーチン大統領の時代に、だだただ時間を空費した小泉純一郎元首相、田中真紀子元外相といった人々の罪は一段と重い。

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2007年10月 3日 (水)

日米関係は「封建制」か

昨日、韓国ノムヒョン大統領平壌へ。今日、衆院代表質問始まる。

中央公論の「世界の歴史」の古い方のシリーズを読み始めたら「中国古代の周代は封建制か」という話しのところで「西洋で封建制というのは、君主と家臣のあいだは、家臣は忠誠を誓い、君主はその安全の保証、保護をあたえるという相互の個人的な契約の上に成り立っている」という記述を目にした(貝塚茂樹『世界の歴史1 古代文明の発見』中公文庫)。

主流派外務官僚やそれに連なる人々の行動パターンを振り返ると、これは今のアメリカと日本の関係のことではないかと思う。

冷徹な利害の分析から、これを継続するというのはひとつの選択肢だろう。しかし、知的怠惰から「忠誠を誓う」ことが自己目的化し、結局は国益を損なうことにならないか、道徳的な腐敗が起こっていないか。厳しく自ら律していくことが必要だと思う。

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2007年10月 2日 (火)

教科書検定による「沖縄戦自決強制否定」-野党多数の参議院は徹底検証と制度の再設計提案を

9月29日(土)に沖縄で、教科書検定で沖縄戦における集団自決において、それが「軍による強制ではなかった」と印象づけられるような書き換えが求められていたことについての抗議大集会が行われ、週明け、町村官房長官が沖縄県民の意を汲んで何らかの措置がとれないか知恵を出すよう指示しているという趣旨の発言をしている。

安倍前政権に象徴される、自民党や官僚組織内部の「『軍』復活」を目論む右派にとって、沖縄戦において「軍」が県民に対してどのような振る舞いをしたかという「現実」は、誠に不都合なものであり、それをできるだけ隠したいということだったのだろうが、それはまず意図をもって真実をねじ曲げるという点で正義にもとり、また体験者や子孫である沖縄の人々に対してはたいへん失礼な話しだ。

官房長官らは、役所に「知恵を出せ」という話しとともに、「教科書会社が自主的に書き換えることを期待する」という姿勢も示している。これはまた別の観点から大問題だ。すなわち、偏った政治的意図を持った政治集団が、匿名で政治行政をねじ曲げて誤った行為を行い、それが露見して正すときに、いきさつも、責任の所在も明らかにせず、「選挙」と「基地対策」目当ての弥縫だけを、他人に仕事を押しつけて行おうとするものだ。

「誤った歴史の書き換え」の中味をもとに戻すとともに、誰がどうやって、どういう理屈と法的正当制の下で作業をしたのかという検証をするとともに、教科書検定制度についての透明性とアカウンタビリティーの保障される方向での制度の再設計を示すことが、参院で多数を占める野党に求められる。

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2007年10月 1日 (月)

足利尊氏、義満、日野富子、そして小泉純一郎-流布イメージと実像

週末、テスト勉強で室町時代に取り組む娘がいることもあってNHK「その時歴史が動いた」の過去の放送録画から「足利尊氏」「足利義満」「日野富子」それぞれの回、3回分を見た。

江戸時代以来、先の終戦まで続いた、実証より「正統性」をめぐるイデオロギーにとらわれた史観の下で「立場をコロコロ変え、後醍醐天皇に弓引いた逆賊・尊氏」「対明勘合貿易の都合とはいえ、日本国王を名乗った逆臣・義満」、「高利貸しと結託し私腹を肥やし、実子を将軍継嗣にするために応仁の乱を起こした悪女・日野富子」と巷間言われ、学校の授業でもそれとそう違う話しを聞くことはなかった3人だが、短いテレビ番組が示す範囲でも、実像は大きく異なるようだ。

執権・北条氏の専横と腐敗を糾し、武士階級の利益を守るために後醍醐天皇の呼びかけに応じた尊氏は、建武政権がイデオロギー的な復古主義にばかり熱中し、武士階級の最大の関心事である領地問題の調整などで全く実務能力に欠ける現実に対し、再び立ち上がった。武士階級の現実の利益を守るという目的意識は一貫していた。「反逆」の原因は、結果を出せなかった建武政権の方にある。

今年放送された3代将軍・義満の話しは一段と興味深い。「贅沢」のイメージで見られる「金閣」は、実は幕府が明国との国交正常化を実現するためにしつらえた舞台であり、国交正常化は遣唐使廃止以来途絶えていた正式国交を回復し、貨幣の不足でデフレ状態だった国内経済を銅銭「永楽銭」の大量輸入で活性化するという明確な目的を持ったものだった。朝貢スタイルや、国王を名乗ることは国粋主義勢力の攻撃を受けるが、明国のスタイルにあわせて「実」をとるための方便に過ぎず、ここにあるのも国益と幕府の利益についての現実的な感覚だ。

よいイメージのなかった日野富子も、応仁の乱は夫である8代将軍足利義政がわがままで引退を急いで弟の義視を後継指名し、乱の中でその弟に裏切られるといった当事者能力の欠如にこそ原因があるので、実際は受け身の立場だったという。「高利貸しと結びついて私腹を肥やした」と言うのも、見方によっては「税源を、貨幣経済の発展で新たに勢力を大きくした金融業への課税に求めた」と言い換えることができ、実際に資金力は朝廷や幕府の修理事業に用いて幕府の求心力回復に成功し、貧民救済にも使って庶民対策もした。将軍家の財政再建を導き、それを政治的にも賢明に使ったと言えるのだ。

夫・義政の周辺に集まる文化人たちは、カネを無心してもなかなかくれない富子を「春の日」(=なかなか暮れない)と皮肉ったというが、大衆の困窮を無視し、文化と趣味の世界に生きる夫とその周辺と対照的に、富子は政治・経済の現実を見つめ、それに適切に対処する素晴らしい政治家だったのかもしれない。

江戸時代の田沼意次も、失脚後に宣伝上手の松平定信にいいように言われてしまったことが今日に至るまでのイメージの元になっているという。逆に、織田信長などは巷間言われるような優れた指導者ではないということを書いた本が週末の『朝日新聞』の書評欄に出ていた。

最近では、小泉純一郎という個性的な政治家が出て、竹中平蔵といった人とともに何だか善玉イメージで受け止められたままになっている。彼らに「抵抗勢力」のレッテルを貼られた人々にも逆の意味で同じようなことが言える。白か黒かという話しではないが、「巷間伝わるイメージ」とは別に、現実に残したことは何なのかということに力点を置いた実証が必要なのではないか。

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