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2008年4月30日 (水)

「朝まで生テレビ」での貧困・格差問題

「昭和の日」、ダビングしながら貧困・格差問題を取り上げた4月25日(金)深夜放送のテレビ朝日「朝まで生テレビ」録画をながら視聴。タイムリーなテーマについて、語れる論者を集めていた。3時間という番組枠は、それなりに論点を出し尽くすに十分な時間で良い番組だったと思う。

まずは「格差」より「貧困」対策だ。それと正規雇用と非正規雇用の差別は立法措置で廃絶を目指すべき。必要な施策は打たなければならないし、それから目を逸らそうとする人は建て前で言っていることはともかく、要は「私は資産も所得もたくさんあるけれども、他の人や日本社会がどうなろうと、とにかく私は税金を払いたくない」「私は労働者がどうなろうと金を儲けたい企業、お金持ちで税金を払いたくない人の味方ですから、資金パーティーの券を買ってください。財・官・マスコミぐるみで選挙に勝たせてください」ということを声を大にして言っているに過ぎないように見える。時間とって少しづつじっくり見ても見ようと思う。

ごく部分的に見ただけだが、たとえば生活保護について世耕弘成議員が「本当に必要な人が認定されないということがあるなら、運用を改める」というのは良いけれども、続けて「しかし、本来は受け取るべきでない人が受け取っている例も多い」と言いつのり、データを示すよう求められて返答に窮する様子を見ると、まだまだこの人たちは現実に起こっていることにしっかり目を向けているとは評価できない。小泉・安倍政権で問題を作り出す立場だったのに「安倍政権は○○したが、福田政権は‥」と言った言いぐさも×。

奥谷禮子といった人を出演させてどんどんしゃべらせることはいいことだと思う。このような人々の議論が、どのような教養と人間性に裏打ちされているかがよくわかる。松原聡氏の最低賃金についての意見、堀紘一氏の「やはりモノづくり」といった意見など司会者に顧慮されなかった意見に、部分的に「そうだ」と思うところあり。こういった人が新自由主義のお先棒をかついできたことには、時流に流されてきたという要素も大きいので、こちら側が大きな議論をしっかり立て、巻き込んでいくことが大事だと思う。

雨宮処凛という人はデータをよく押さえ、実態を表現するのに巧みで本当に優れた人だと思う。森永卓郎さんは討論の反射神経が鈍いと思う人が多いかもしれないが「必要な福祉施策は講ずべきで、与野党共にそのためにとにかく消費税引き上げを言うべきだ」というような俗論に対し「富裕税、資産課税の方がいい」と即座に反論したのは良いと思う。森田は消費税引き上げに反対ではないが、大きな資産を持つ人や企業の負担軽減の財源としたり、必要な負担増を全て消費税で賄わせようとする体制マシーンの誘導には要注意と思う。

番組始まって22年目というのに驚く。1987年と言えば、ゴルバチョフ政権のペレストロイカが本格化して冷戦の終わりが始まった頃であり、バブル最高潮の時期、宮沢大蔵大臣が円高に呻吟していた頃だ。正直言って、テーマの立て方にしろ、「軽い」政治家などあまり中味のない出演者の選定など、あまり良いイメージを持っていなかったが、今回は良かった。今後に期待したい。

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2008年4月28日 (月)

カーティス教授も「問責決議提出は疑問」

「問責決議」について政治学者のジェラルド・カーテイス氏が4月27日放送の「時事放談」(TBS系、日曜6:00~)でこんなことを言っていた。

司会(御厨貴) 福田さんが仮に問責された場合、いま自民党周辺では無視すればいい、無視してやっていけばいいと言っているわけですけれど、どうご覧になりますか。

カーティス 無視すべきだとおもいます。どうして問責決議が通るかという、国民の支持もあるかもしれないし反省すべきだと思うけれども、これが通ることによって彼が何かするということは私は無いと思います。それよりも、問責決議を出したり、何とか追い込んで早く解散させようということをやめて、とにかく次の選挙、いつあるかわかりませんけれども、民主党が本当に政権を担当する能力があるんだということを、今のうちに国民に納得させる。それが問責決議案を通すことよりもね、もっと、いちばん重要であるしね。自民党も、問責に対してどうこう考えるよりも、国民の信頼をどうもういちど回復するのか、戦略と国民への説明を考えた方がいいと私思うんですけれども。問責決議案を出すこと自体も、僕は非常に疑問に思います。

(以上、番組録画テープより)

カーティス氏は、小泉郵政解散での自民党大勝後、やや興奮して「日本の政治は変わった」とのたまっていたり、いつも正しい分析をされるわけではない。アメリカ人だからとか、知日派のコロンビア大教授として多くの日本人の面倒を見てきたからと有り難がる気持ちは毛頭無い。

ただ、少し距離を置いたところから、長く日本を見てきた人の一部にも、森田と同じ意見を言う人があったので紹介しておきたいと思った。    

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2008年4月27日 (日)

日曜午後「エフゲニー・オネーギン」のビデオ見る=NHK「名曲探偵アマデウス」は楽しい=

「東京のオペラの森」の「エフゲニー・オネーギン」のリヒター演出が良いという批評(毎日新聞4月24日付夕刊・梅津時比古氏)を見たことに刺激され、またNHK・BSの「名曲探偵アマデウス」で、チャイコフスキーが「悲愴」4楽章冒頭のメロディーを第一バイオリンと第二バイオリンにメロディーとハーモニーを分解して、個々に聴いてはわからないように書いてアンサンブルを徹底的に聴きあうように工夫した、という話しに感心したこともあって、放送を録画していたパリオペラ座(バスチーユ)のロシアの歌手たちを起用した2003年公演のテープを見る。

演出という点ではこれもなかなかで、決闘から時が流れ、タチヤーナが公爵夫人になっていく心象風景を例の「ポロネーズ」を間奏曲のように使い、黒い衣装の人々の静かな動きで表現していて見事だった。

タチヤーナ役のソプラノ(オリガ・グリャコワ)も、思慮深い人柄の表現にせよ、心の乱れを垣間見せながらの堂々とした幕切れも立派。それにしても、このオペラを見ると自らの愚かさ、あらゆる意味でのタイミングの悪さを責められているようでつらいものあり。

ついでながら、「名曲探偵アマデウス」はパイロット番組の「ボレロ」、本放送の「ベト7」、「ブラ4」「ゴードベルク変奏曲」など、すべてたいへん良い出来映えだった。森田程度のクラシックファンが知るアナリーゼの基礎が全部盛り込まれていて、スタジオのN響が曲の一部をパートごとに演奏して見せるなど、なるほどと思わせる。毎回のベテランゲスト俳優もそれぞれ演技に味がある。

この番組も、小・中・高の学校音楽の授業でビデオを生徒に見せるといいのではないかと思う。

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2008年4月24日 (木)

「移民100年」日本ブラジル交流年に寄せて

今からちょうど100年前の1908年4月28日(訂正しました)、ブラジル移民第一陣を乗せた笠戸丸が神戸を出港した。今年はそれを記念して「日本ブラジル交流年」とされている。

昨日朝、ホテルニューオータニの新館エレベーターで日系ブラジル人が扉を開けて待っていてくれて、こちらの背広を指して「日本の人はこういう格好。ブラジル人はこうね」とリラックスしたスタイルを話題にした。とても人なつこい感じ。初対面らしい日系人同士で「日本語話せる?」「‥(手を左右に振る)」「僕は話せないよ」と日本語でやっている。イベントでの来日だろう。

「ブラジル交流年」にこんなこと思う。

1. 100年前に神戸を出航した笠戸丸の781人の移住者が、現在では140万人に  達している。一世の方々にはたいへんご苦労された方が多いわけだが、いまブラジルの人に「日系人のイメージはどうですか」と聞くと、「知的で、勤勉だ」という答えが一般的だと聞くと、この先人たちの努力が、今日の日系社会の繁栄の基礎を作っていることを嬉しく思うとともに、わが国の昨今の状況を考えると、私たちがブラジル日系人社会に学ぶものがあるのではないかと思う。

2. 世界に躍進著しいブラジルとの関係は日本の未来にも大きな影響を与える。日本の農産物輸入の40パーセントがブラジルからと聞くと、いちだんと「よろしくお願いします」と声を大にしたくなる。

3. 現在日本では31万人のブラジル国籍の方々が暮らしている、浜松市などには大きなブラジル人社会ができていると聞く。日系の人々には、わが国の労働市場開放の先鞭をつけてもらっているわけだが、これらの人々の日本語学習の支援、子どもたちの就学支援や、社会保険の問題などは、世界の中で生きる日本という観点からも、ブラジルと日本の絆という面からも、日本の政治や行政にとって大きな課題である。

4.百年前の笠戸丸出発の今日、東京で記念レセプションが開催され、到着記念日である45日後の6月18日にはブラジルで記念行事が行われるらしい。ブラジルは距離について言えばとても「遠い国」だが、昨日のエレベーターでの一瞬の出会いに、心と心は近いと感じる。この100周年の行事を機会に、これからの100年、1000年の日本・ブラジ  ルの友好関係、日本人と日系ブラジル人の方々との絆を強めていきたい。

                                                                         

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2008年4月23日 (水)

刑法改正による終身刑創設を

光市の未成年者による母子殺害事件に死刑判決。いくつかの意見を見たが、たとえばきっこのブログ「命でしか償えないこと」、逆に少数派を自称する反戦な家づくり「光市事件の不当判決について」の両方に共感を覚えてしまった。

「刑法改正による終身刑の創設」についてはどちらの派にも絶対的な否定論はないようなので、いつも微温的な森田としては「刑法改正による終身刑創設」を、神学論争決着以前に政策プログラムに乗せるべきだと思う。20年もすれば仮釈放になることもある「無期懲役」と「死刑」の落差は大きすぎるだろう。

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2008年4月22日 (火)

「高齢者医療新制度」=保険料で徴収するか、消費税で集めるか、累進税を充てるか=

年金からの天引きが始まったことも引き金か、という親子心中事件も起きて、高齢者対象の新医療制度への反発が厳しさを増している。

この制度設計の根底には「小泉・竹中」構造改革路線がある。高齢化で構造的に増える社会保障歳出についても他の政策経費と横並びで歳出カットが課され、厚生労働省はとにかく全分野での収支を改善するために「扶養家族になっている人にも保険料を課そう」「とりはぐれのないように年金天引きだ」と「小泉歳出削減路線」になんとか従おうとした結果出てきたのがこの制度である。

そして、この動きの背景にある考え方は「どんどん削れ。もうこれ以上削減されたらかないませんから、どうぞ消費税を引き上げて(社会保障費を確保して)くださいというところまで削れ」というのが小泉首相が言っていたと伝えられるところだ。これは森田がやや得意とする「翻訳」ではなく、本当にそう言っていたらしい。

そんな、死人まで出して社会保障の手当の必要な人々を恫喝し、増税を受け入れさせようというのが、小泉・竹中路線、またそれに同調する財務官僚たちの考え方だ。その一方で、ミサイル防衛システムという、やがて無用になり巨額経費を消費するだけの軍備競争はやっていこうと言うのだから、なんともはや、「軍備拡張、弱者切り捨て、愚民政策」の「右」全開の路線である。

困った状況に陥った人々が安心できるシステムを維持し、あるいは作り直していくことは必要だ。イデオロギー的に「小さな政府」を言うのではなく、本当に必要なシステムはどのようなものかを検討し、そのための財源について合意作りに努めるというのが本筋だろう。森田自身は、「インチキ小さな政府論」よりも、政府サービスの適正規模をしっかり検討し、その上で財源の確保についても国民合意の形成に努めるということが大事だと思う。端的に言って国民負担の上昇は説明でき、納得が得られる範囲なら選択肢から排除すべきではないと思っている。

ただし、国民負担には単純化すれば

①ひとり頭いくらと決まっていて、貧しい人ほど負担が重くのしかかる「保険料」、 ②消費に比例するので、低所得の人に負担が重いが、たくさん使う人がたくさん払うという面もある消費税、 ③税金は払う力のある人がたくさん払う所得税や法人税などの累進税

という三つの集め方がある。金持ちの味方の政府・与党から出てくるのは「保険料を上げるのが無理なら、消費税引き上げしかない」という、二者択一の選択肢だけだが、官庁と族議員が結託して設けている種々の特例措置撤廃、資産課税などの適正化といった方法も組み合わせるべきで、それらも含めてしっかり見直すというということが必要だろう。

2年前の制度改正時は、マスコミも「小泉改革支持」一辺倒でこの問題をわざと見過ごしていた。福田さんは「今になって騒ぐとは」という気分だろう。しかし、安倍政権ですら参院選の結果に恐れをなして半年導入を延期し、結局実施は難しいとも言われた制度変更を、強い反発を予想できずに導入してしまった福田さんの目測力は批判されても仕方がないだろう。

民主党は「ふざけるな」という高齢者の声に唱和していれば、当面の選挙にはいいのだろう。しかし、国の将来を考えるとそれだけでは十分ではない。社会保障、あるいは財政について「このように転換する」という原理、プログラムをぜひ整理して打ち出してほしい。

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2008年4月21日 (月)

日仏修好150周年レセプションで聞く「安重根」の名

4月11日、南麻布のフランス大使公邸で「日仏修好150周年」のレセプションが開かれた。磯村尚徳氏が司会、市川団十郎がパフォーマンスを行い、トルシエ監督はじめ日仏関係の有名人がこぞって姿を見せていた。来日したフィヨン首相がスピーチしたが、浦賀のドックの設計者、ガス灯導入の技術者など、聞いたことのあるフランス人の名が次々に出るスピーチだった。

初めて姿を見るフィヨン首相は、落ち着いた若々しさと上品さを示し、地方選前後の人気急落を報じられたサルコジ大統領と対照的に支持率急上昇というのもうなずける好感度だった。

カミーユ・クローデルの弟、ポール・クローデルの名はスピーチの頭と終わりに2回出てきて、やはり草稿作成者が外交官の先輩に敬意を表しているのが感じられたが、もうひとつスピーチ内容で印象に残ったのは、本レセプションの前に行われた河野洋平衆院議長に対するレジオン・ドヌール勲章授与式におけるフィヨン総理の受章者紹介だった。

フィヨン氏は河野氏への授与理由を日欧関係への貢献の他3つほど挙げていたが、ひとつはアジア太平洋の貿易・投資の自由化促進であり、ついで核不拡散問題でのイニシアチブ。そして3つめに「あなたは日本と周辺諸国との関係を、最も痛ましい歴史的出来事も含め、その過去に明晰で勇気ある眼差しを向け、強化することに邁進されました」と称えた。

これに導かれるように、授与式の乾杯の音頭をとった小倉和夫国際交流基金理事長(元駐仏大使、元駐韓大使)は「私は韓国に大使として赴任して早々、思うところあって安重根記念館を訪れた。そうしたら記名簿のトップに河野外務大臣の署名があり、私は大いに感動した」と語り始めた。小倉氏のスピーチはフランス語で語り、サマリーを自身で日本語で話すというやり方で、フランス語では安重根の人となり、伊の藤博文暗殺事件のことを少し説明したようで、それに続けて「この広い心は日韓関係の改善に大きく役立ちましたが、これは自由、平等、博愛というフランス共和国の理想と重なるものであると思います」。

思わぬところで安重根の名を聞いたことに少し驚いた。

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2008年4月20日 (日)

下北沢のトルコ料理店「MARMARA」でMILLAさんのベリーダンス=ひとつの楽しい週末の過ごし方=

イスラム圏ではエジプト、トルコでも「原理主義」の影響力が強まっている関係で、いまやベリーダンスを楽しむには東京が一番という説を聞いた。

下北沢にMARUMARAというトルコレストランが出来たという話は前にも書いたような気がするが、4月の某週末、そこでMILLAさんのショーを鑑賞、しまいには一緒に踊る。

一度ショーのある日に出かけたいと思ったところ、昼に店の前の黒板に本日MILLAさん出演との掲示見て予約。初めて拝見するダンサーだけれども、姿もスラリと美しく、演技も見事で花がありとっても素敵だった。「趣旨が違う」とお叱りあるかもしれないが、お肌もほんとうに白くて美しい。月に一回はここに出演とのこと、お勧めです。

トルコファンのおやじさんの手作り料理は、メニューに手書きのイラスト入りレシピも楽しく、トルコ料理は初めてという家族連れにも楽しめます。「この人は今日が誕生日」と言ったら、おやじさんが「なんか後で出しましょう」と言ってくれ、なんとショーの直後にアラブ風アレンジの「ハッピバースデートゥーユー」の音楽が流れ、MILLAさんが該当者に特製デザートを持ってきてくれて、フロアに誘ってダンス、花びらを撒いてくれました。

「ベリーダンス」というとちょっと引きますか?楽しいですよ。

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2008年4月19日 (土)

「鳥のビオソフィア」-充実した展示会

ある週末、本郷の東大構内にある博物館で開催されている「鳥のビオソフィア-山階コレクションへの誘い展」という展示会に出かける。

充実した標本などの展示なのだが、最近の流行なのだろうか、展示スペースをたっぷりとり、レイアウトにも美的な配慮が行き届いている。引き出し型の標本収納棚に収納されている状態を展示していて、山階鳥類研究所を訪ねたような気分になるコーナーがあったり、たいへんたくさんの種類のニワトリが展示されている部屋があったり、たのしい見学ができた。

見学者は年配者から、若いアベックまで幅ひろい。子どももよろこぶ内容だ。土曜日に訪ねたが、比較的空いていた。入場無料ということもあり、休日を過ごすアナ場としてお勧め。5月18日まで。

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2008年4月18日 (金)

「空自イラク活動違憲判決」に思う

名古屋高裁の「空自イラク活動違憲判決」(2008年4月17日)について、私は以下のようなことを思った。

【1】 「バクダットは戦闘地域であり、そこに多国籍軍の兵員を輸送するのは武力行使と一体になった行為であり、『特措法』にも違反し、違憲である」というのは、論理的で常識にかなった判決だ。この常識的な判決が「異例」と受け止められるのは、すなわち、通常は政府・与党に都合が悪い判決は、司法行政の中枢によって押さえ込まれていることの証左である。ほとんどの裁判官は「空気読み過ぎ」なのだ。そもそも、「司法試験には憲法第9条は出題されない」というあたりからおかしい。

【2】自衛隊の海外派遣と憲法9条の関係については、次の立場があり得る。

[A.一切認めない。] [B.国連PKO協力法に基づく、国連の一員としての活動に限定。]

[C.「周辺事態法」「イラク特措法」などに基づき、米軍をお手伝い。]

森田は 、宮沢内閣の段階における[B] の立場を基本にするべきであると考えている。[C]については橋本内閣の「日米共同宣言」で「アジア太平洋にお手伝いの範囲を広げよう」という発想が示され、小渕内閣の「周辺事態法」で法整備が行われた。小泉内閣のイラク戦争支持と派兵は、そういった積み重ねをさらにすっ飛ばした蛮行と呼ぶべきだろう。

[C]までやるのが「同盟国だから当然だ」「それくらいやらなければ日米安保が持たない」という意見の人も多いようだ。しかし森田は、それは必ず今度の「イラク戦争支持と派兵」のように、時の政権によって拡大解釈され、わが国自身のせっかくの「国際紛争解決の手段としての武力行使の放棄」という外交資源ともなる国家の原則を台無しにすると考える。

「日米安保条約」本体で、お互いに約束しているのは、「日本がアメリカに基地を提供する」ということと、「アメリカが日本を防衛すること」だ。アメリカがもし「守ってほしければもっとよこせ」「ショーザフラッグ、ブーツオンザグラウンド、もっと戦争を手伝え」という時に、歴代駐米大使のようにそのお使い走りになっていてはダメなので、「平時における基地提供と、事実上の無制限な自由使用だけではご不満ですか?条約以上のことについては、主権者の日本国民の声を聞く必要があります」としっかり主張し、国益を守ってもらわなければならない。

【3】軍事評論家の江畑謙介氏が「イラクに輸送目的で自衛隊を派遣した以上、何を運んでいるか他の国は関心がない。水や食料、燃料はいいが兵員や弾薬はだめなんて(今回の判断は)世界の常識と懸け離れている。兵員を運ばないことで自分の手が汚れないというのは自己満足だ」と判決を批判している(東京新聞)。

 江畑さんは兵器について、また軍事について豊富な知識を持った方だ。ここで言っておられることもファクトとしては当たっている。しかし、森田なら同じ指摘の上に立って「だからこそ、日本の輸送機の派遣自体、多くのイスラム圏、あるいは途上国の一般民衆から見れば、アメリカの戦争に荷担した敵対行為に見える。平和憲法の国だなどと言ってもインチキじゃないかと言われることになる」と言いたい。

江畑氏は続けて「世界貢献はこのような考え方では行き詰まるだろう。日本は食料自給率が低い。海外貢献せずに飢えてしまっていいのか」とコメントしている。江畑さんがどのようなご意見を持たれようとそれは自由だが、新聞社は誰に何を聞くかはもっと考えた方がいい。「世界貢献」といったことについてどう考えるかについてコメントをもとめるには、もっと適当な人がいそうである。

【以下は中日新聞の貼り付け】

空自イラク活動は違憲 名古屋高裁判決

2008年4月18日 02時28分

 自衛隊のイラク派遣は武力行使の放棄などを定めた憲法9条1項に違反するとして、全国の市民や元外交官ら約1100人が国に派遣差し止めや慰謝料などを求めた訴訟の控訴審判決で、名古屋高裁は17日、多国籍軍の武装兵士を輸送する航空自衛隊(空自)の活動について「憲法に違反する活動を含んでいる」として違憲との判断を示した。同項$について違憲の司法判断が示されたのは初めて。慰謝料などの訴えそのものは棄却されており、主文以外の判決文には法的拘束力はない。
 勝訴した国側は事実上、上告できず、原告側も上告しないため判決は確定する見通し。
 判決理由は、審理を担当した青山邦夫裁判長(退官)に代わって高田健一裁判長が代読した。

 判決は、現在のイラクの状況について「泥沼化していて、国際的な武力紛争が行われており、イラク特措法でいう戦闘地域である」と指摘。
 空自が米国からの要請を受け、2006年7月以降から実施しているバグダッド空港への空輸活動について、多国籍軍の戦闘行為にとって必要不可欠な軍事上の後方支援を行っていると認めた。
 その上で「他国による武力行使と一体化した行動であって、自らも武力の行使を行ったとの評価を受けざるを得ない」と述べ、「イラク特措法に違反し、かつ、憲法9条1項に違反する活動を含んでいる」と認定した。
 派遣差し止めについては「控訴人(原告)らに違憲な戦争の遂行や協力などを強制される事態にはなっていない」として、原告としての訴えが認められないとした。
 06年4月の名古屋地裁での1審判決は、派遣差し止めなどについて却下した。
 これまで憲法9条に違反するとの判断が示されたのは、1973年9月、札幌地裁で出された長沼ナイキ基地訴訟の判決だけ。長沼判決では、自衛隊の存在について憲法9条2項(戦力不保持)に違反しているとした。

<判決の骨子>
▼イラク、特にバグダッドはイラク特措法が自衛隊の活動を認めていない戦闘地域に該当する
▼空自による多国籍軍武装兵員のバグダッドへの空輸は、他国の武力行使と一体化した行動で、自らも武力行使したとの評価を受ける
▼空自の空輸活動は、武力行使を禁じ活動地域を非戦闘地域に限定した特措法の規定に違反し、憲法9条1項に違反する活動を含んでいる
▼違憲確認請求と差し止め請求は不適法。平和的生存権の侵害までは認められず、損害賠償請求は認められない
(中日新聞)

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2008年4月17日 (木)

「NHKスペシャルは格差や貧困に偏りすぎ」=自民党・世耕議員の偏向質問=

少し前になるが、3月31日に参院総務委員会でNHKの新会長を呼んでの参考人質疑が行われ、世耕弘成議員(自民党)が質問に立っていた放送をテレビで見た。たまたま自動録画をセットしている「視点論点」の時間を変更しての放送だったので目に止まったわけだが「NHKスペシャル」についての発言がちょっと聞き捨てならない感じがしたので参院の会議録から紹介したい。

「最近若干、この一年ぐらい気になるのが、どうもNHKスペシャル、看板番組、NHKが世の中に、今これが問題ですよ、世の中こっちの方へ注意をしなければいけないんじゃないかというような注意喚起の番組だと思っていますが、その内容がこの一年ぐらいどうも、格差の問題とかワーキングプアの問題とか貧困の問題、どうもそっちに偏り過ぎているんじゃないか。この問題も私は非常に重要だとは思いますけれども、しかし余りに内容としてそっちに偏り過ぎている」

「その背景にある厳しいグローバル競争の現状とか、あるいは中国が今世界でどうなっているか、アジア諸国が今世界でどうなっているか、日本のアジアにおける立場がどうなっているか、そういうことをもう少しスポットライトを当てる番組が不足をしているんじゃないか。これは私は感覚で申し上げているんではなくて、現場でも経済部とか国際部の人がいろいろ企画を上げてもなかなか通らないという声も私は聞いております。そういう中で、新会長として、こういった面についてもやはりビジネス御出身の立場としてもう少し重点を置くべきではないかということについてはどうお考えでしょうか」

これを聞いてみなさんはどう思われるだろうか。森田は、3度に渡る『ワーキングプアー』の放送などは、現実に起きている問題に警鐘を鳴らす、公共放送の使命を果たしたものであると高く評価している。森田には世耕氏の発言は「国民の多くが本当のことに気づくと困るからもっと工夫しろ。あんたは、せっかく我々が送り込んだ財界出身の会長なんだからうまくやれよ」と聞こえる。

もちろん、国会内で行われた逃げも隠れもしない政治家の発言であり、この発言について何か法的な追及を行うべきだといった話しではない。しかしひとつ言えることは、自民党という政党は、NHKについてこういう考え方であるということを、有権者としてよく認識した上で選挙権を行使したいということだ。

あの安倍晋三氏も、何の羞恥心もなく元気に復活してドイツに出張してメルケル首相と会談するそうだ。こういった人たちが、NHKをすっかりねじ曲げてしまわないうちに、一度自民党は5年くらいは野党にする必要があると思う。

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2008年4月16日 (水)

「問責決議可決は参議院の存在価値をなくすだけ」=小泉発言=を支持する

小泉純一郎氏は「外交」もダメ、「マクロ経済政策」もダメな政治家だが、多くの人が知るところでは「大衆操作」を最も得意とし、さらに森田の評価としては「政局」を極めて得意にする人だと思っている。

その小泉氏が後掲のNHK原稿のように「問責決議可決は参議院の存在価値をなくすだけだ」と野党を牽制しているという。小泉氏のねらいは、福田康夫総理を援護射撃することで派閥に貢献する姿勢を示しつつ、彼が元々持っていた「派閥を通じて政治的基盤を作り出す」という、「改革派政治家」とは違う「もう一つの顔」を発揮しているのだと思う。

冷徹な小泉氏のこと、予想もつかない展開となる場合を除き「歳入法案を衆院3分の2により再議決」 → 「問責決議が提出されて可決されようと、衆院解散はしない」 → 「問責決議可決なら、参院は完全に無視し、衆院3分の2で2ヶ月ごとの『再議決』を繰り返して国政を独裁運営する」と腹を固めているということだろう。現に報道された発言の中で「もし問責決議案が可決されれば、福田総理大臣や大臣も参議院に出て行く必要はなくなる」と言っている。本来は「出たいのに出席させてもらえない」というのを、開き直って「出なくていいなら結構」と切り捨てるつもりだ。

そんなことは許されない?いやいや、掟破りの「地頭力」が小泉氏の本領である。これは半分以上本気だ。ただ、単にそうすることを決めているというだけなら、何も報道されるように公言する必要はない。小泉氏の狙いは、NHK原稿の言うように「問責決議提出」への牽制だ。つまり、小泉氏は自民党にとっての政局対処ということだけではなく、「福田首相を援護する」という姿勢を明確にしているのだ。

もちろん、小泉氏の「福田援護」は自分のためである。この動きを通じて、自らの権力のリソースを強化しようとしているのだ。「牽制」なぞすれば、民主党の「問責決議」提出の方向は強まるとも考えられるけれども、とにかく「自民党としては強行突破」、そして小泉氏自身としては「安倍再登板」や「麻生太郎政権」ではなく、「できるだけ福田を守りたい」ということだろう。

このブログで語ってきたことの多くは小泉氏に対する批判だった。しかし、ここは森田としても浅井の裏切りで北陸から大返しする織田軍のしんがり、羽柴秀吉に明智光秀や徳川家康が加勢した故事に習って、「小泉発言支持」を表明したい。

もちろん、森田の狙いは小泉とは別だ。森田の観点からすれば、ここで福田が総辞職に追い込まれれば、次の政権は麻生太郎政権だろう。麻生氏については、中国ばかりでなく韓国政府ですら強いアレルギーを示しているが、森田が知る限り、麻生氏は実はかなりバランス感覚、常識のある人だ。

ただ、この場面で福田から麻生にチェンジするということは、中川昭一、安倍晋三といった人々がもれなく付いてくるということを意味している。小泉・安倍時代にボロボロになった近隣外交がようやく落ち着いて来ているときに、また「極右」の政権を作るのは災厄ではないか。前にも書いたが、あの連中がまた衆院3分の2の権力を握って、来年の通常国会でもやった日には、とりかえしのつかないことになりはしないか。

だから、民主党にとって賢明な策は、自民党内の「右」や「道路族」が福田に後ろから斬りつける口実を与えないために、特定財源問題では自民党と折り合い、少なくとも参院採決で否決して両院協議会に持ち込み、参院の問責は出さないのがいちばんいい。そのことで福田と取引し、「7月解散」「9月解散」などがもし確実に勝ち取れればいいではないか。

森田好みのカードとしては、「福田首相VS岡田民主党首」が政権交代の可能性が大きいと思う。「麻生太郎首相VS小沢一郎党首」では、「まさかの政権交代逸機」ということになるのではないか。

【以下はNHKのホームページより】

小泉氏 問責決議案でけん制

4月16日 19時43分
自民党の小泉元総理大臣は16日、大阪市で講演し、税制関連法案の取り扱いに関連して、民主党が参議院に福田総理大臣に対する問責決議案の提出を目指していることについて、「問責決議案に法的拘束力はなく、参議院の存在価値をなくすだけだ」と述べ、けん制しました。

この中で小泉元総理大臣は、与党が税制関連法案を衆議院で再可決した場合に、民主党が参議院に福田総理大臣に対する問責決議案の提出を目指していることについて、「問責決議案には法的拘束力はないし、もし問責決議案が可決されれば、福田総理大臣や大臣も参議院に出て行く必要はなくなる。そんなことになれば参議院は存在価値をなくすだけだ」と述べました。そのうえで、小泉氏は「気にいらないからと言って問責決議案を出すというのは、権力の使い方を知らない。たまたま参議院選挙で勝って権力を使いたい気持ちもわかるが、問責決議案を出せば、国民から問責を受けるのは民主党だ」と述べ、民主党をけん制しました。さらに、小泉氏は「こういうときに突っ張り合っていてもどうにもならない。今は、話し合い、譲り合い、妥協し合ってよいものを作っていこうという時代だ」と述べ、与野党がよく話し合うべきだという考えを示しました。

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2008年4月15日 (火)

井出孫六『中国残留邦人』(岩波新書)=広く薦めたい良書=

「中国残留孤児」が大きく報道され、世間の耳目を集めたのは80年代になってからのことだった。たまたま改革開放後の海外留学「一期生」の同じ年の友だちがいたのだが、NHKのテレビ中国語講座などでも活躍していた彼女が、当時はまだ東京オリンピック時代の建物を使っていた代々木のオリンピック記念青少年センターに通い、ボランティアを務めていたのには頭が下がった。

様子を聞くと「森田さん、信じられないかもしれないけれど、私は日本語の通訳というつもりで行ったけれども、あの人たちは中国語の読み書きも不自由なんです」と言われ、驚いたことを思い出す。

満蒙開拓団を一番多く送り出した長野県出身で1931年生まれの井出孫六氏は、自身の子ども時代のふるさとでの見聞から説き起こし、どのような背景、手続きで人々が大陸に送り込まれたのか、またどのような暮らしだったのかに始まり、終戦時の様子はもちろん、肝心なところとして戦後のわが国の保守政権が取り残された人々をどのように扱ったのかがこの本では時系列を追ってていねいに語られる。

どうして中国語の読み書きもできない人がいたのか。なぜ「残留孤児」ではなく、「残留邦人」という用語でなければならないのか。行政の恣意により若い女性だった故に一段と苦労されることになった方々のこと、また岸信介という人が政権に就き、日中関係の正常化をイデオロギーを先行で妨げたことが、残留日本人に「二次災害」と言ってもよい被害をもたらした政治面でのいきさつなどがよく見通せる。

この本は、若い人々が「中国残留邦人」の苦難をたて糸に、戦前戦後を通じての、日本という国家と国民の関係を実態に即して知る上でとても参考になる。神奈川県では知事の肝いりで高校の「日本史」が必修になるそうだが、大化の改新や蒙古襲来ばかり何度も繰り返して勉強していも仕方がないので、教師の方々には、この本を夏休みの課題図書にされることを薦めたい。

政治は「結果」なのだから、「自虐史観だ、いやそちらのは自慰史観だ」などといった観念的な話よりも、この教材で日本政府は戦前、戦後を通じて現実に国民をどのように扱ったのか、またいまは行政や司法でどのように扱っているのか、事実を学ぶことが良いと思う。

神戸地裁の判決が巻末に抄録されている。裁判官の出来映えも、国の運命を左右すると強く感じる。論点が少しそれるかもしれないが、今の時代、裁判の判決文も、個人の住所などは伏せ字にした上で、全文ホームページで閲覧できるようにし、広く国民の批評を受けるようにすることも考えるべきではないかと思った。

ところで、井出さんが三木内閣の井出一太郎官房長官の弟で、村山内閣の井出正一厚生相(さきがけ)の叔父であることは知る人ぞ知ることだろう。しかし、この本には伊東正義外相や新自由クラブの田川誠一代表などの名は見えるが、この問題で著者の働きかけもあって大いに働かれたに違いないこれらの著者の親族についての言及はない。こういう奥ゆかしさには、大いなる魅力というかなつかしさを感じる。

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2008年4月14日 (月)

「光州5・18」=政治、外交、歴史を学ぶ学生の5月連休明け必見映画

1980年、全斗煥軍事クーデターに反対する民衆の運動を、全羅南道光州市で軍部が空挺部隊を投入して血の弾圧を行った事件「光州事件」を映画化した「光州5・18」という映画を角川映画の試写室で見る。友だちの友だちということで、まだお目にかかっていない真鍋祐子さん(東大東洋文化研准教授)より招待券送っていただいた。

森田の人生と重ねると、朴大統領暗殺事件が大学1年。光州事件は大学2年の5月。何が起こっているのかよくわからない。『世界』のT・K生氏(池明観先生)のレポートなど毎月熱心に読んだこと、次の年にかけてこの事件を口実に死刑判決を受けた金大中氏の死刑反対の手紙に学友の署名を呼びかけると、大半がノンポリ組の学友たちが驚くほど積極的に応じてくれたのを思い出す。

映画は、「事件」を光州市の、民衆の内側から描き出す。余計な紹介は無用だろう。「市民が参加」という活字は当時も読んだ。つくづく思うのは、自分なりに想像力を働かせて、あの時の光州の状況を考えていたつもりだったけれども、映画でさえこれまでの想像より段違いに苛烈であり、またそこに人間のドラマの積み重なりがあるということだ。

「光州事件。覚えているけどどんな事件だったっけ?」という大人の人は、この映画を見ることでようやく本当に北東アジアで生きてきたということになると思う。まだ生まれていなかった大学生諸君。仮にも「国際政治を勉強しています」とか、「北東アジアの地域協力に関心があります」と言いたい学生にとって、この映画は必見映画です。「軍」というものの本質について学習する機会にもなるだろう。なにしろ、韓国陸軍も、陸上自衛隊も、蒋介石の国民党軍同様、戦前の日本の陸軍士官学校出身者が礼儀作法からカルチャーまで形作っていることでは共通しているわけだから。

「私たちのことを忘れないでください‥」。そう演じるイ・ヨウォンさんは事件の頃の生まれか。忘れてないさ。ちょっとだけ、いや本当いうとずいぶん表現方法は違うけれども、僕もひとりの「光州市民」として、あなたたちが意地を通した同じ隊列を歩んでいるつもりだよ。

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2008年4月12日 (土)

「物価高はしょうがない」(福田首相)は間違い。過去10年の主要国指導者が引き起こした人災だ。

福田首相が、恒例の新宿御苑における「桜を見る会」で「まあ、いろいろありますよ。物価が上がるとか、しょうがないことはしょうがないのだから、耐えて工夫して切り抜けていくことが大事だ」と発言したそうだ(共同)。

「しょうがない」は間違いだ。食料品価格の上昇、エネルギー価格の上昇と、欧米の金融危機と信用収縮による景気後退などには、はっきりした原因がある。

端的に言えば、アメリカの「戦争」と「バイオ燃料推進」、またいかがわしい金融システムが生み出すバブルに依存した経済システムの破綻が原因となり、無責任な投機マネーにコントロールがきかないことが状況の悪化に拍車をかけているのだ。

日本など主要国の首脳は、それに歯止めをかけることができず、オールタナティブを示すことができなかった。特に日本は、今でも「イラク戦争支持」は間違っていなかったと公言し、「金融立国」なぞ幻想に過ぎないというしっかりした整理を打ち出せずにいる。いまだに「改革が充分でないからだ」などと寝言を言っている人がいる。

アメリカがITバブル崩壊後も続けた、住宅バブルと「証券化」などのテクニックを悪用した信用創造による好況は、破綻した。このアメリカのバブルと中国経済の成長に便乗するだけで、中身のない、あるいはせいぜい労働分配率を下げて企業の見かけ上の業績を上げただけの「改革」騒動の一方で、「内需拡大」につながる必要な政策展開を全くさぼってきた日本の政府与党中枢と霞ヶ関の罪は重い。

主犯はブッシュ政権と、小泉・安倍政権だが、「しょうがない」などと言って、起こっていることの原因についていい加減な情勢判断で済ませていては、わが国の将来はたいへんなことになる。ここは厳しい分析によって、何が間違っていたのかをまずハッキリさせるべきだ。

外交も、内需拡大に主眼を置いた経済政策も、そして現実に起こっている弱い立場の人々の状況深刻化にセーフティーネットをしっかり張ることについも、必要なことは「原理をハッキリさせた上での『転換』」だ。これは、総選挙で「なんとなく民主党中心の政権が出来ました」というだけでは充分ではないだろう。

「食料、エネルギー価格の高騰」、「金融システム動揺と世界大の景気後退」「日本の内需主導への転換の遅れ」「社会保障政策の機能不全」などについて、現状を厳しく分析し、「次の政権の4年間」で成し遂げる「転換」のゴールとプログラムを明確にし、自民党に変わる政権を形成する人々にそのような政策の採用を迫り、新しい政権に対する国民的な支持をとりつけるよう力を尽くす。

日本のリベラル派言論人、政治に関わるリベラル派の一人一人が、いま大きな使命を負っている。

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2008年4月10日 (木)

「とくダネ!」小倉智昭さんのチベット問題発言=チベットという地域は中国の領土の一部という言い方認める国際人はそんなにいない=は視聴者をミスリードする発言

チベット問題がクローズアップされている。森田は世界中のどこであれ、人権は守られるべきであり、民族自決権、民族文化は尊重されるべきであると考えている。チベットの人々の人権は守られるべきだし、中国政府はチベット民族の伝統文化を尊重し、より高度な自治を認めていくべきだと思う。これは「信条」の問題。

他方、現在の国際関係は、お互いがお互いの「領土、主権」を認め合う主権国家同士が、「お互いの主権を尊重する」という前提の下に外交関係を結んでいるというのが、平たく言った国際社会の基本ルールだと思う。これはかなりの程度の「現実」の問題。

この二つはオールオアナッシングではないが、矛盾することもしばしばである。小倉さんの番組中での発言は、リベラルな小倉さんだけに論旨の大方には同意できる。しかし、福田総理が「中国の内政問題」と発言するのを、「チベットが中国の一部という言い方を認める国際人はほとんどいないんじゃないか」と一刀両断にするのは、視聴者に日本政府がとるべき政策について誤った示唆を与えるのではないかと思う。

森田なら、「福田さんは中国の内政問題と言うけれども、国家間の関係としてはそうだということは認めるけれども、人権の問題は人類普遍的な問題なんだから、『内政問題であるというのは理解するが、私は、日本国民はチベットの人権が尊重されることを願っている』ともっと強く言うべきだ」と言うところだ。

国威発揚の聖火リレーにクールな視線を送るのは正しいのかもしれないが、暴力による聖火リレー妨害を容認するかのような姿勢も問題だと思う。イスラム教徒を弾圧する人々に甘く、たまたま批判されるべき対象がアジアの国家だとかさにかかってバッシングしてくる欧米メディアに引きずられるのはいかがなものかと思う。それでなくとも、中国は扱いの難しい国だ。欧米と違って、わが国にとっては引っ越せない隣組であり、今後の国益を考えた上でも戦略をもってつきあわなければならない相手だ。メディアにも賢明な対応を望みたい。

【以下は、番組中の小倉智昭氏の発言】

「日本政府、福田さんは『チベット問題は中国の内政問題だ』ということで、『友好的な話し合いをして下さい』と言うだけなんですよね。でも国際的に見ても、誰がどう考えても、チベットという地域はチベット民族のものであって、中国が言うように『中国の領土の一部』というような言い方を認める国際人は、そんなに僕はいないんじゃないかと思うんですよね。

今もう、チベット民族は言葉を奪われ、さらにチベット語の名前を奪われ、そして結婚問題だってね、中国男性とチベットの女性の結婚は許すけど、中国女性とチベット男性は許さないとか、結婚はね。仏教を弾圧したりとか、これで国際世論が黙っているわけがないですよ。

そういう状況でオリンピックをやって、聖火リレーはきれいごとでやっていいのかって思うのは誰しも一緒だと思うんですけどね。」

(2008年4月10日 8:00~「とくダネ!」=フジテレビ=」 家庭用録画の音声より)

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2008年4月 5日 (土)

キャンディーズ解散30周年イベントを目撃して

キャンディーズの解散コンサート30周年の「同窓会」に出かけてきた。当日朝の「天声人語」(後掲)に取り上げられたのにも驚いたが、後半登場して往時の映像と共演したバンドMMPの演奏ご機嫌で、楽しいイベントだった。

大里さんという方が構成を担当されたということだが、前半に30年前のコンサートの前半に洋楽が連続して歌われた場面(多くが未放送)をあまり加工せずに流していき、そのコーナーのしめくくり近くにアースウィンドアンドファイアーの「ファンタジー」が歌われたところで、はじめてパックステージのキャンディーズが仲良く楽しげにしている思い出の映像が映し出されるといったように、とてもセンスよく、本当の意味で「構成」されたイベントだった。

どうして解散30年後に、こうしたことが成り立つのか不思議の感に打たれた。大里氏自身がアミューズの会長を退く区切りのイベントと考えられたとのことで、「キャンディーズ」という人をハッピーにさせる、罪のないメモリーで音楽、映像、放送、イベントといった分野で力のある大人たちが、思いっきりのお遊びをしたというところだろう。大里さんの謝辞に大手広告代理店、放送局、芸能プロダクションなどの名が次々に上がったのを聞きながら「この世界も偉い人が多いんだな」などとも思った。

今、こんなイベントが成り立たせることができた、3つの条件といったものを考えてみた。ひとつは、キャンディーズそのものの性格だ。そもそも可愛くて面白い。映像出演の伊東四朗氏や小松政夫氏は3人が本当に仲が良かったこと、「ズンズンチャッチャ、ズンズンチャ」という毎週のギャグ的な振り付けも自分たちで考えて一生懸命に練習するなど、いつもまじめに全力投球という姿勢を絶賛、また吉田照美氏とともに特別MCを務めた大橋照子さんはキャンディーズのメンバーは「品が良かった」とコメント。昨今のタレントを思い浮かべながらなるほどと思った。

3人がファンを前に、また記者会見で語る場面を見て、さすがにミキちゃんの「変な大人になるよりは」というのには参ってしまったけれども、基本的にキャンディーズのメンバーは自分たちのことをよく知っていた、賢い人たちだったと言えるだろう。分をわきまえたミューズたちが、可愛くて面白いのだから、当時からまわりのおじさんたちは「一肌も二肌も脱いじゃうぜ」ということだったのだろう。つまり「神話」の核心部分に「真実」があった。それが昨夜のイベントを成り立たせた3要素の一つだ。

二つめは、全国キャンディーズ連盟や、それと同世代の人々が「何かを待っている」、自分を奮い立たせる何かがほしい。時に青春時代を振り返りたいという空気が存在するということだろう。

上は全共闘世代。これには正直言ってついていけない。でも、例えば政界でも「現場」はこの世代に牛耳られている。下は、「個」と「過剰同調」のないまぜになった世代。なんだか元気が出ない。

30年前。韓国はまだ光州事件より2年も前の朴大統領の暗い軍事政権の時代だった。中国は毛沢東主席が死去して文化大革命が終わる、改革開放がようやくはじまる貧しい時代だった。アメリカはベトナム戦後のリベラルに勢いがある時代だが、わが国はなにしろすでに「全国キャーンディーズ連盟」の時代だったのだ。

豊かに育った世代が、退廃に陥ることなく、キャンディーズや全国キャンディーズ連盟の無垢な心で、どんな時代を創ることができるのか。これは日本が先に直面している東アジアの新しいチャレンジであるのかもしれないし、昨夜のお祭りは、その現場に帰る前に「穢れ」(「気」の枯れ)を落とす「禊ぎ」だったような気がしてきた。

昨夜のイベントを成り立たせた3要素の最後のひとつは、「やろうと言い始めた人の『本気』」にあったのだと思う。

石黒謙吾さんとは、いつもやりとりがあるわけではないけれども、ほとんど初対面の四半世紀前から堂々と「キャンディーズの元追っかけです」と名乗っておられた。昨日、会場の様子を見て「これは、本当の、ホンモノだったのだ」と遅ればせながら痛感した。

思い立ち、まず大里さんという人に会いに行く。この面談先の選択は、石黒氏の素晴らしい政治的センスを示しているが、同時に、石黒さんのキャーンディーズおよび全国キャンディーズ連盟に対する「思い」がホンモノだったからこそ、大里さんに火がついたのだと思う。

 「人をハッピーにさせるホンモノ、キャンディーズ」、それに「本当にのめり込んでいるホンモノのファンで、同時に組織力、行動力のある石黒氏の存在」、「大里氏をはじめ、いまキャンディーズをもとめる空気の存在がホンモノであること」。この三拍子がそろって、昨夜のお祭りが成立した。

石黒氏は、最後にステージで「キャンデイーズは『私たちは幸せでした』と言って終わりましたが、僕たちは『僕たちは幸せです』と、未来形で語っていきたい」といった話をされた。一夜の夢を見せてくれ、また「ホンモノ」でなければ人は動かないよと暗に教えてくれたた石黒さんに心より感謝。

【以下は、『朝日新聞』2008年4月4日付コラム「天声人語」の貼り付けです】

 時代と切り離せない音や像がある。その端っこに、若くて熱かった自分がいる。落ち込んだ日など、私たちは時の引き出しから熱い記憶を取り出し、少しだけ元気になる▼70年代に青春が重なる方なら、耳目にキャンディーズを呼び出せるかもしれない。私事になるが、上京の春は「年下の男の子」、下宿を移った2年後には「やさしい悪魔」。どちらの旋律も、引っ越しのホコリの中で流れていた。彼女たちの解散から、きょうで30年になる▼旧後楽園球場での解散公演は5万人を集めた。紙テープで埋まったステージ。3人は最後の曲の中で「本当に、私たちは、幸せでした」と叫び、高く手を振り、抱き合って泣き、肩を組んだまま奈落に消えた▼ほぼ同じ場所で今夜、当時のファン組織、全国キャンディーズ連盟の有志らが企画した「大同窓会」が開かれる。約1万円の参加費には紙テープ10本が含まれ、2千人の働き盛りがあの日の映像に放つはずだ▼発起人に名を連ねる大手電機メーカー社員(52)が言う。「皆でアイドルを超えた存在にしようと燃えた4年間は、人生のベースになりました。それぞれ成長した全キャン連の仲間と集い、次のステップへの手がかりにしたい」▼解散宣言の「普通の女の子に戻りたい」は流行語になった。伊藤蘭(53)、田中好子(51)のお二人は今も芸能界に、藤村美樹さん(52)は家庭にいる。いずれも参加の予定はない。されどこよい、普通のおじさんたちが同時代の引き出しを合鍵で開け、少し元気になる。そしてたぶん、明日の日本も。

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2008年4月 3日 (木)

大阪、京都での「靖国 YASUKUNI」上映決定を歓迎する。

報道によると、大阪市淀川区の「第七芸術劇場」、広島市中区の「サロンシネマ」、京都市下京区の「京都シネマ」などが映画を予定通り上映することを決めたそうだ。自民党の稲田代議士一派の陰湿な圧力や、右翼の威圧には「屈しない」という姿勢を示されもので、高く評価すると共に連帯のエールを送りたい。

これらの館がリスクを負って使命を果たされようとすることに対し、皆で何か支援の方法を考えたい。

右翼の暴力に対しては、警察が法秩序を守る観点からもちゃんと役割を果たすことが大切だ。トップが基本姿勢を示すことが大切であり、かつて加藤紘一代議士宅が焼き討ちされた際には、小泉首相も、安倍官房長官も、一週間以上何のメッセージも発しなかったことがあったが、ここは福田総理および国家公安委員長から「言論の自由、表現の自由を暴力やいやがらせで損なおうとすることは、法秩序に対する挑戦であり、警察も毅然とした姿勢で臨むべきである」というメッセージが発せられて然るべきである。

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2008年4月 1日 (火)

NHKに映画「靖国 YASUKUNI」の放映を望む

「靖国 YASUKUNI」という映画が話題になっていたので、ぜひ見にいきたいと思っていた。上映予定館を調べたところ、便利なのはシネマート六本木というところなので、そこに出かけてみようと思っていた。

ところが、残念なが」ら「上映中止」ということだ。自民党の「右」が補助金の対象としておかしいというプレッシャーをかけ、映画館も右翼の威圧を受けたとか、それを恐れて「自粛した」などと言われている。

これを「あの2008年の桜の頃が、日本における言論の自由のターニングポイントだった」ということにしてはならない。

具体案が一つある。できれば地上波のチャンネル、次善の策としてはBS2でもよいので、NHKが放映することだ。

僕はNHKの視聴料をちゃんと払ってきた視聴者の一人として、事情があって映画館で見ることの難しい作品を見るチャンスがほしいという素朴な要望なのだが、同時に「いろいろな見方のある作品ですが、議論を深めるために放送します。視聴者のみなさんはどう思われますか」というスタンスでの放映は、公共放送の使命に合致していると思う。

もちろん、制作サイドでテレビ放映はビジネスの妨げだからいやだというのなら仕方がないが、そうでないなら積極的にNHKと対話されてはどうか。件の自民党・稲田代議士も、安倍前首相のお仲間ながら、言論の自由は守られるべきで、上映が不可能になることは望んでいないという趣旨のことを言っているらしいので、よもや放映に反対するということはないだろう。

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