文化・芸術

2009年6月10日 (水)

辻井伸行さん、ヴァン・クライバーン氏

全盲のピアニスト、辻井伸行さんがヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝という嬉しいニュースがあった。

親御さんが大事に育てられ、才能に恵まれたとはいえ、本人も常人では考えられない頑張りでの国際コンクール優勝だ。

コンクールに優勝するばかりが大事だというわけではないけれども、わが家の発達障害の息子も、自分たちなりに頑張って育ててきたという気持ちがあるだけに、辻井さんのご両親に心から拍手を送りたい。

ところで、ヴァン・クライバーン氏(70歳代で健在)がチャイコフスキーコンクールで優勝し、大ブームになったのは旧ソ連はフルシチョフ政権、アメリカはケネディ政権誕生前夜で、後のキューバ危機を挟んで「デタント」が模索された時期である。

わが家にあるクライバーンが弾いてフリッツライナー指揮シカゴ交響楽団がサポートしたベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番のジャケットの写真を見ると、実に若々しい美男、その演奏と同様に爽やかイメージの人だったようだ。

クライバーンのチャイコフスキーコンクール優勝はソ連共産党のデタントに向けたサインか?

そういう要素は否定できないかもしれないけれども、アメリカ国民の反応はソ連側の計算を超えたものだったかもしれない。

余談だが、森田の中学の英語の教科書は三省堂の「クラウン」で、主人公のジョンはギターも弾くけれどもピアニストを目指していて、ソ連でピアニストを目指しているスタニスラフと文通していた。このストーリーもクライバーンのエピソードが投影していたのではないか。

辻井君の優勝に政治的な背景はないだろう。でも、ひょっとしたら「カネ儲けを考えて中国ばかりに注目してきたけど、落ち着いて考えると日本人もつきあう甲斐があるかも」という空気がアメリカの一部にあって、それが反映したこともあり得るか、などと空想する。

それはともかく、こうした嬉しいニュースが、福祉に目がいき、文化や教育の大切さが改めて意識され、全ての子どもたちが大切に育てられることにつながるといいなあと思う。

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2009年4月16日 (木)

一部スペイン語になった「ウェストサイド・ストーリー」

2週間ほど前だろうか、NHKの朝ニュースで、こんどのNYブロードウェーでのミュージカル「ウエストサイド・ストーリー」はセリフや歌詞の一部がスペイン語に変更され、ヒロインはアルゼンチンでスカウトされた女優が務めると現地レポートで紹介していた。

「ロメオとジュリエット」の本歌取りで、マンハッタンのさびれた西の外れを舞台に、イタリア系のジェット団とプエルトリコ系のシャーク団という、ニューヨークの最下層を象徴する二つの10代のチンピラグループの縄張り争いと、愛し合う二人の犠牲を描いたミュージカルは半世紀前に大ヒットし、チャキリスが大人気となり、ナタリー・ウッドがヒロイン(歌唱は「口パク」。北京オリンピックで騒いだ人たちはハリウッドの伝統を知らない)を演じた映画はわが国でも大ヒットした。

ピンとくる人が多いだろうが、カリブ海の米領プエル・トリコの人々はスペイン語がネイティブの今でいえばヒスパニックで、彼らがたむろしたり、歌う場面が全部英語という方がリアリティーに欠けていたと言える。

今の興行主や演出家による勝手な変更か?-作曲のレナード・バーンスタインも、振り付けのエイモリー・ロビンスもすでに亡く‥、と思って見ていたら、オリジナルの脚本家が存命で、彼自身が当時からスペイン語の採用を希望していて、今回それが実現したのだという。

いっとき「戦争と愛国主義」にすっかり傾斜してしまっていたアメリカが、多文化に寛容な方向に少し振り子が戻っていることを感じさせる興味深いレポートだった。

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2009年3月22日 (日)

シルヴィ・ギエムのベジャール振り付け「ボレロ」

連休中の夜(20日)、NHK教育テレビでシルヴィ・ギエムさんが東京バレエ団公演で踊るラヴェルのボレロを惚れ惚れとして見る。森田自身はスポーツはじめ自分では全く体を動かすことがないので、彼女の身体能力がいかに優れているか本当には理解できないなりに。

表情にジョルジュ・ドンが宿って見えたのは気のせいだろう。

パリオペラ座からロイヤルバレエに移った時の話し、独立しての活動の理念など、芸術家としての「自立」ということを強く印象づけるギエムさんが、何度も来日を重ねてくれたことにはありがたい思いがある。東京バレエ団の活動ぶり、あるいは日本のバレエの観衆のあり方の何かが、彼女の心を打ってこういうことになったのだとすれば、何か嬉しいように思う。

つづけて放映された、2005年パリでのベジャールバレエ団公演「ペストオブ・モーリスベジャール」。存命中の公演であり、ベジャール氏本人もカーテンコールに姿を見せていた。

「春の祭典」の大詰めが、第一部の冒頭と、第二部で演じられるが、注意力散漫で見ていたが同じ振り付けのよう見え、主演の二人のコスチュームが違うといった程度の違いのように感じた。

「テーマはここに還ってくる」という意味なのだろうか。

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2009年3月 8日 (日)

N響神田さんのフルートはアメリカ製

今週の愛川欣也「パックインジャーナル」(朝日ニュースター)は小沢秘書逮捕「陰謀論」に重点があったらしいが、本放送は息子の高校の卒業式、当日の再放送はゲルギエフ~サンクトペテルブルグ・マリーンスキー劇場のストラビンスキー「火の鳥」「春の祭典」などのオリジナルに近い形でのバレエ公演の放送を受信するのを優先して、今後の再放送を見ることに。

世田谷区にある「科学技術学園高校」の卒業式は、どちらかというと勉強の苦手な生徒が集まる学校だが、校長や理事長の挨拶もよく練られた短いもので、吹奏楽バンドもテクニックは別として心のこもった演奏。なかなかテキバキとした気持ちのいい卒業式だった。

春の祭典のあの振り付けや衣装の版は、テレビでも通しで見たのは初めてで、とても興味深く良かった。それにしても、容姿ひとつとってもロシアのバレエはまだまだ層が厚いと感じた。

ところで、日曜に2年前だかのアシュケナージ指揮・N響ロサンゼルス公演のドビュッシー『海』のビデオを取り出して観たが、前の曲との間に現地レストランで寛ぐ団員たちの様子が流れ、フルートの神田さんが「私のフルートはアメリカ製で、私自身アメリカは初めてなので、楽器も初めての里帰り」という話をされていた。

神田さんの演奏は音楽性も豊か、音がとても美しい。あの黒い木管であろうフルートも名器に違いないと思っていたが「アメリカ製」と聞きちょっと意外な感じ。フルートの事情など全然知らないが、てっきりヨーロッパ製か日本製と思っていた。

もちろん、「アメリカ製」であろうといいものはいいのは日本国憲法も同じだ。

そういえば最近、左派系ブログでは森田敬一郎の親米色が少し浮いているような気がしている。

「右」の方にも、ちょっと前の産経論壇内に「親米右翼」と「民族派右翼」の二色の違いが目立ったけれども、森田の場合は「左派だけれども、相手がブッシュ&チェイニーでは全くダメだが、アメリカのリベラルとの積極連携なら志向する親米ハト」という第4の路線なのかなあとも思う。まあ、こうした分類やレッテル貼りよりも、肝心なことは中身だと思うけれども。

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2009年3月 7日 (土)

カルロス・クライバー~安永徹氏の毎日新聞インタビューより

毎日新聞の水曜日の夕刊文化欄(毎日新聞 2009年3月4日 東京夕刊)に、ベルリンフィルのコンサートマスターとして長く活躍した安永徹氏のインタピュー記事が掲載されていて、そこに出てきたカルロス・クライバーの話に安永さんもそんな感想持っておられたのかと興味深く読んだ。

最近、NHKのBSハイビジョンで10年あまり前のクライバーが指揮したウィーン国立歌劇場の『バラの騎士』を再放送していたが、さらにその10年前ほどの髪がふさふさしていた時代のバイエルンのオペラを指揮した時の流れるような指揮ぶりなど、本当に惚れ惚れする。

いつか、バイエルンの放送オーケストラの『こうもり』序曲のリハーサルの映像を見たことがあるが、これがかなり徹底を極めたもので、ベテランのオーボエトップがこれでもかとクライバーのニュアンスを消化するまでやっつけられていた。そしてしまいにはオーケストラが流麗なダンスを踊る。

毎日のインタビューで安永さんが、ベルリンフィルでもリハーサルで指揮者が話している時にけっこう雑談も交わされていると言っておられるのも面白いが、クライバーの時はみな一言も聞き漏らさないようにしていたというのもさもありなんと思った。

カラヤンが亡くなって、ベルリンフィルが誰に音楽監督就任を要請するかについて話し合ったときに、音楽の面で圧倒的に人気があったのがクライバーだったけれども、クライバー氏はレパートリーが自分が関心持ったものに偏り、キャンセルなども多いといったことから断念されたという話を、当時ラジオのFM放送で音楽評論家が話していたのを思い出す。

後年、NHKの放送で見たベートーヴェンの4番のシンフォニーとか、いくつかのコンサートも主催者がクライバー氏が欲しがっていたスーパーカーをおまけにつけたりして引っ張り出したものだったらしい。

モーツァルトの交響曲33番、ベートーヴェンの4番・7番、『こうもり』、『トリスタンとイゾルデ』、『バラの騎士』。クライバーが得意とした曲は、僕の最も好きな曲ばかり。一度もナマのステージを見ることがなかったのは残念。

【以下、切貼・毎日新聞 2009年3月4日 東京夕刊】

安永徹:ベルリン・フィル退団 北海道に拠点、デュオ中心の活動へ

 ◇若い人と室内楽をもっと 演奏増え、何ができるかわくわくする

 ベルリン・フィルの弦セクションを30年にわたってまとめあげてきたコンサートマスターの安永徹が3月をもって退団する。今後はピアニストの市野あゆみとのデュオを活動の中心にし、拠点も北海道に移すという。安永と市野に思いを聞いた。【梅津時比古】

 ◇市野あゆみ、学生の同時指導にも力
 昨年末、来日公演を行ったラトル指揮ベルリン・フィルのブラームスでは、従来以上に弦が安永の品性の高い美音に染まっていた。

 安永は「ロマン的な解釈のラトルのブラームスで、バイオリンの音もロマン的にすると(表現全体が)大時代的になってしまう。ラトルも『どういう弾き方があるか?』と聞いてくるので、『弓先だけでこういうふうな感じで』とか実際に弾いてみせると、皆すぐ分かる。そういう機会が増えたことと、僕がやめることを分かって皆が結束してくれたのでしょう」と説明する。

 それは、ベルリン・フィルが安永をいかに必要としているかを示すものだ。57歳での退団は驚きを呼んだ。

 「定年の65歳までいたら、その後にエネルギーが残らない。20年ぐらい前から市野と2人でデュオの演奏をしていて、2人を中心に若い人と室内楽をすることもある。そういうとき自分が充実しているのを感じる」

 「コンサートマスターをしていると、次(の公演プログラム)の準備に時間がかかり、公演が重なると自分の時間がなくなってしまう。デュオや室内楽のことを考えると、技術的にも基本的なことからやり直さないと間に合わない。これから年をとる一方だし、どちらかにしぼらないと、と退団を決めました」

 約30年の在籍で得たものは?

 「偉大な芸術家、たとえばピアニストではアラウ、ルプーらと間近で共演できたことが大きい。指揮者ではやはりクライバー。リハーサルでも楽団員全員が静かにクライバーの言を聴く。他の指揮者のときなど、けっこう皆、雑談してます。クライバーは、自分はこういうイメージを持っていると、ちょっと言葉で言って、それを指揮棒でやる。その棒がなるほどと思うほど、的確なんです。あそこまで、棒で表情を表せた人はいない」

 今後の活動の選択肢は多いだろう。

 「実は決めてはいないのです。帰国して、まず体を休めてから。市野と2人でやってきたことを中心にするのは確かですが」と安永。その言葉を受けて、市野が教育活動のイメージを示してくれた。

 「10年ほど前から2人で、バイオリンとピアノの学生への同時レッスンを始めました。ピアノの学生は友達とちょっと合わせるぐらいでは、弦楽器がどういう楽器か分からない。弦楽器の先生もピアノの学生には、やはりバランスのことぐらいしか教えられない」

 「技術的なことに関しても同時にレッスンすると分かりやすい。ピアノの学生がピアノの先生から指導されていることをバイオリンの学生も聞いて、ピアノにとってはどういうことが難しいのか、バイオリンの学生が知る。その反対も。そういう機会を通して、今までとは違う視点で、音楽や演奏を考えてみるきっかけになれば」

 彼ら自身の演奏活動も当然増えるだろう。

 安永は「自分たちで何かをつくっていきたい、という思いが強くなっています。今後、演奏は国内を中心に。デュオでまだやっていない曲もあるし、これからどういうことができるか、わくわくしています」。

 最近はオーケストラの弾き振り(バイオリンと指揮)も始めた。

 「指揮者が許可する範囲で音楽をするのではなく、皆でこうしたいな、と話し合って音楽ができればと思ったので。そういう共演関係は続けたいと思いますが、指揮者になるつもりはありません」

 住むのは北海道。市野は「周りに何もないので防音もしなくていいし、夜中の2時に窓をあけてピアノを弾いていられる。すると夏は眠っていた小鳥が鳴きだすんです」と楽しそうだ。

【以上、切貼・毎日新聞 2009年3月4日 東京夕刊】

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2009年2月22日 (日)

「日本の財務相がバチカンのラオコーン像によじ登って警報鳴らす」-爆笑と言ってはいられない

今週末も新聞切り抜きなどしながら、羽根木公園・梅まつりの川場村の売店に飲むヨーグルトを買いに出た以外は在宅の週末。

あいかわらずのテレビ。森田敬一郎の発言に続いて(笑)、小倉さんがとくダネの「週間エンタマイスター」で取り上げた幸田浩子さん。月末の津田ホールのチケットは売り切れのようだが、昨年四月の紀尾井ホールでのN響メンバーによるアンサンブルをバックにしたコンサート(NHK・BS)の放送録画を見る。

「とくダネ」で紹介していたドンギアという作曲家が彼女に捧げたという「新しい色の祝祭にて カリヨン」は、そこで紹介されていたイタリアのアンサンブルをバックにしたものより少しテンポが速めのよう。モーツァルトのコンサートアリア『あなたに明かしたい、おお神よ』K.418がとりわけ素晴らしい歌唱だった。

もうひとつは日本映画専門チャンネルで放送された映画『長州ファイブ』(2006年)。幕末の井上、伊藤らの密航は教科書にも出ているかも知れないが、高校生などがイメージをつかむのに良い映画だと思う。

長州は、明治後の軍国主義と政官財癒着を先導したグルーブだけに手放しで礼賛する気にはなれないが、井上が後に条約改正交渉で「鹿鳴館」など軟弱と批判された漸進路線をとったり、日露戦争後に米ハリマンの「南満州鉄道の日米共同経営」提案に前向きの姿勢を示したこと、あるいは伊藤が日露戦争前後にロシアに対して宥和的と言われたハト派的な姿勢の根底に、命がけで体得した国際政治の現実感覚があったことを想起させる。

ところで、録画で見た先週火曜日放送のNHK『爆笑問題のニッポンの教養』は美術解剖学の布施英利さんの話でとても面白かったが、番組のはじめの方でいくつかの美術の映像が流された時に「あれ、これどこかで見たな」という彫刻。

今朝、朝日新聞2009年2月21日付社会面で見たバチカン博物館蔵「ラオコーン」像だ(!)

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中川昭一前財務相兼金融相があの泥酔会見のあと、バチカン観光で柵を乗り越えて警報を鳴らして恥をさらした時に、よじ登ったやつらしい。

まあ、いつ世でも猪武者のように威勢のいいことを主張するのは、たいてい現実を知らない愚かな人々であり、「国家、国家」と声高に叫ぶ連中にかぎって、「ローマのレロレロ」のように国益を大きく損ねるのが関の山なのだ。

威勢がいいのは自民党ばかりではないかもしれないが、『長州ファイブ』でも見て、先人の苦労を学ぶべきだろう。

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2009年2月20日 (金)

サンサーンス『動物の謝肉祭』の標題はダジャレ?

サンサーンスの「白鳥」といえば、知らぬ人はいないチェロ独奏の名曲だが、これが含まれている組曲『動物の謝肉祭』はパロディー満載の珍曲集だ。

NHK・BSの『名曲探偵アマデウス』(BSハイビジョン2月14日放送など)がこの曲を取り上げていたが、なかなか楽しかった。

最初に出てくる「百獣の王」から、「空虚5度」という音程を使って「権威」、「空威張り」をからかっているといった知識が増えるのも楽しいが、しかもからかいの対象には、当時フランス楽壇の権威だが作風が保守的と批判されていたサン・サーンス自身がどうも含まれていたという背景説明を聞くと、漱石の『坊ちゃん』の悪役・赤シャツには漱石自身が投影されているといったことが思い起こされたりする。

のっそりした「亀」のメロディーは文明堂のコマーシャルソング、オッフェンバックの『天国と地獄』の有名なメロディーを4分の一のスピードに引き延ばしたお遊びだが、4倍のスピードで再生して俳優たちがソファーの周りを走ってみせるなどは、本当にテレビ的で面白い。

「化石」の引用もとである、サンサーンス自身の交響詩『死の舞踏』が直ちに聞こえてくるのも楽しく、やはり2曲のフランス民謡を特定したアナリーゼも目からウロコだが、ここでも自身の作品が保守的であることを自虐的に描いているように見えて、実は同時に「自分の作品は古典として残る」という自信も投影しているという分析が興味深い。

それにしても、ドイツを旅行中にワーグナーを批判して演奏会ができなくなり、この組曲をウィーンで初演したというのだから、サン・サーンスという人はホントにおかしな人だ。そういえば、中学生の頃にカール・ベーム指揮ウィーンフィル、俳優をしているベームの子息がナレーションを担当(カップリングの『ピーターと狼』の方だけかな?)というLPが売り出され、演奏者と曲がミスマッチという印象受けたけれども、ウィーン初演の曲だったんですか。

「名曲探偵アマデウス」、この日のオーケストラはN響ではなく日フィル。チェロのソロの人は儲け役で、親戚や友だちに電話しただろうな。

一緒に見ていた息子は、各曲をテーマに絵を描き始めた。一枚は登場する動物が全部集まって、全体は象の形に集合しているという躍動的な優れもの(親バカ)。実は森田自身、子ども時代にすり切れるほど聴いたLPがアーサー・フィードラー指揮ボストンポップスのこの曲で、そこではヒュー・ダウンズという人のナレーションが聞かれるが、子ども時代には一言もわからず聞き流したものを大人になって聞き返すとこれもダジャレ満載のようで、そもそも「アーニマール、カーニバール」という標題からして韻を踏んでいるように聞こえる。

そうこうしているうちに、今月28日にティアラこうとうで開催される東京シティフィルの公演で「動物の謝肉祭」が演奏されるということを知った。たまたま2台のピアノのうち一人は、昨年熱海のMOA美術館でとてもセンスの良いプーランクの「ナゼールの夜会」を聴かせてくれた森田由子さん(親戚ではない)だ。メインはドビュッシーが北斎の『富嶽三十六景』の「神奈川沖浪裏」にインスパイアーされて作曲した交響詩『海』。わが家の画の巨匠を誘って出かけることにしよう。

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2009年2月16日 (月)

村上春樹氏の「エルサレム訪問、そして発言」を支持する。

村上春樹氏が文学賞受賞でエルサレムに招待され、ガザ侵攻直後という状況から訪問すべきでないという声もあった。

村上氏は「訪問する。そして予定されていた講演の中で批判する」という選択をした。森田はこの選択を支持する。

世界の人々は、狭い地球の上で、お互い関わり合って生きていかなければならない。体の一部が病気なのに、それを放っておいて他の部分が健康を保つことが出来ないのと同じで、この世界で起こっていることで、僕たち一人一人と関係のないことなど一つもない。

村上さんは「文学者は自分の目で見たものしか信じない」という趣旨のことを述べたそうだ。そして僕は思う。世界の問題に関わっていこうとするなら、できることなら当事者と会って話をすべきだ。

「対話」こそが、明日を開く。

1980年のモスクワオリンピックを、日本もアメリカもボイコットすべきではなかった。モスクワに出かけ、ソ連のアフガニスタン侵攻について市民と対話すべきだったのだ。いま、NATO諸国がアフガニスタンに駐留するロジックが、当時のソ連のロジック=部族対立や山賊行為に対する中央政府の統治の確立を手助けする=とほとんど同じことが、ついでに想起されるが。

チベット問題について、本当に問題解決を手助けしたいなら、聖火リレーを暴力で襲うのではなく、北京を訪れて老若男女、あるいは自分の同業者や同好の士と語り合うべきなのだ。

村上さんがとった態度は、われわれに世界市民としての範を示したものだと森田は思う。

【以下、2月20日、共同通信のこのページから切貼】

【日本語全訳】村上春樹さん「エルサレム賞」授賞式講演全文

 こんばんは。わたしは今日、小説家として、つまり嘘を紡ぐプロという立場でエルサレムに来ました。 

 もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。よく知られているように政治家も嘘をつきます。車のセールスマン、肉屋、大工のように、外交官や軍幹部らもそれぞれがそれぞれの嘘をつきます。しかし、小説家の嘘は他の人たちの嘘とは違います。小説家が嘘を言っても非道徳的と批判されることはありません。それどころか、その嘘が大きければ大きいほど、うまい嘘であればいっそう、一般市民や批評家からの称賛が大きくなります。なぜ、そうなのでしょうか?

 それに対する私の答えはこうです。すなわち、上手な嘘をつく、いってみれば、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、真実の本来の姿を把握し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。しかしながら、これを成功させるには、私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。

 そうは言いながらも、今日は嘘をつくつもりはありません。できる限り正直になります。嘘をつかない日は年にほんのわずかしかないのですが、今日がちょうどその日に当たったようです。

 真実をお話しします。日本で、かなりの数の人たちから、エルサレム賞授賞式に出席しないように、と言われました。出席すれば、私の本の不買運動(ボイコット)を起こすと警告する人さえいました。これはもちろん、ガザ地区での激しい戦闘のためでした。国連の報告では、封鎖されたガザ市で1000人以上が命を落とし、彼らの大部分は非武装の市民、つまり子どもやお年寄りであったとのことです。

 受賞の知らせを受けた後、私は何度も自問自答しました。このような時期にイスラエルへ来て、文学賞を受けることが果たして正しい行為なのか、授賞式に出席することが戦闘している一方だけを支持しているという印象を与えないか、圧倒的な軍事力の行使を行った国家の政策を是認することにならないか、と。私はもちろん、このような印象を与えたくありません。私は戦争に反対ですし、どの国家も支持しません。もちろん、私の本がボイコットされるのも見たくはありません。

 しかしながら、慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。おそらく、他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたことと正反対のことをする傾向があるのです。「行ってはいけない」「そんなことはやめなさい」と言われると、特に「警告」を受けると、そこに行きたくなるし、やってみたくなるのです。これは小説家としての私の「気質」かもしれません。小説家は特別な集団なのです。私たちは自分自身の目で見たことや、自分の手で触れたことしかすんなりとは信じないのです。

 というわけで、私はここにやって参りました。遠く離れているより、ここに来ることを選びました。自分自身を見つめないことより、見つめることを選びました。皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです。
 ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。

 「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。

 そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?

 この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。

 しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。

 私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。

 私の父は昨年、90歳で亡くなりました。父は元教師で、時折、僧侶をしていました。京都の大学院生だったとき、徴兵され、中国の戦場に送られました。戦後に生まれた私は、父が朝食前に毎日、長く深いお経を上げているのを見るのが日常でした。ある時、私は父になぜそういったことをするのかを尋ねました。父の答えは、戦場に散った人たちのために祈っているとのことでした。父は、敵であろうが味方であろうが区別なく、「すべて」の戦死者のために祈っているとのことでした。父が仏壇の前で正座している輝くような後ろ姿を見たとき、父の周りに死の影を感じたような気がしました。

 父は亡くなりました。父は私が決して知り得ない記憶も一緒に持っていってしまいました。しかし、父の周辺に潜んでいた死という存在が記憶に残っています。以上のことは父のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。

 今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。

 このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「組織」をつくったのです。
 これが、私がお話ししたいすべてです。

 「エルサレム賞」、本当にありがとうございました。私の本が世界の多くの国々で読まれていることはとてもうれしいことです。イスラエルの読者の方々にお礼申し上げます。私がここに来たもっとも大きな理由は皆さんの存在です。私たちが何か意義のあることを共有できたらと願っています。今日、ここでお話しする機会を与えてくださったことに感謝します。ありがとうございました。(仮訳=47NEWS編集部)

 【英語全文】村上春樹さん「エルサレム賞」授賞式講演全文

 以下の英文は村上春樹さんが講演を終えたあと共同通信エルサレム支局の長谷川健司特派員(支局長)がエルサレム賞主催者から入手したテキストが基になっています。しかし、実際の講演はこれに少し修正が加えられていました。当日、長谷川特派員が授賞式会場の取材で録音したレコーダーを聞きなおし、実際に村上さんが話した通りに再現したものです。

“Jerusalem Prize” Remarks

Good evening. I have come to Jerusalem today as a novelist, which is to say as a professional spinner of lies.
Of course, novelists are not the only ones who tell lies. Politicians do it, too, as we all know. Diplomats and generals tell their own kinds of lies on occasion, as do used car salesmen, butchers and builders. The lies of novelists differ from others, however, in that no one criticizes the novelist as immoral for telling lies. Indeed, the bigger and better his lies and the more ingeniously he creates them, the more he is likely to be praised by the public and the critics. Why should that be?

My answer would be this: namely, that by telling skilful lies--which is to say, by making up fictions that appear to be true--the novelist can bring a truth out to a new place and shine a new light on it. In most cases, it is virtually impossible to grasp a truth in its original form and depict it accurately. This is why we try to grab its tail by luring the truth from its hiding place, transferring it to a fictional location, and replacing it with a fictional form. In order to accomplish this, however, we first have to clarify where the truth-lies within us, within ourselves. This is an important qualification for making up good lies.

Today, however, I have no intention of lying. I will try to be as honest as I can. There are only a few days in the year when I do not engage in telling lies, and today happens to be one of them.
So let me tell you the truth. In Japan a fair number of people advised me not to come here to accept the Jerusalem Prize. Some even warned me they would instigate a boycott of my books if I came. The reason for this, of course, was the fierce fighting that was raging in Gaza. The U.N. reported that more than a thousand people had lost their lives in the blockaded city of Gaza, many of them unarmed citizens--children and old people.

Any number of times after receiving notice of the award, I asked myself whether traveling to Israel at a time like this and accepting a literary prize was the proper thing to do, whether this would create the impression that I supported one side in the conflict, that I endorsed the policies of a nation that chose to unleash its overwhelming military power. Neither, of course, do I wish to see my books subjected to a boycott.
Finally, however, after careful consideration, I made up my mind to come here. One reason for my decision was that all too many people advised me not to do it. Perhaps, like many other novelists, I tend to do the exact opposite of what I am told. If people are telling me-- and especially if they are warning me-- “Don’t go there,” “Don’t do that,” I tend to want to “go there” and “do that”. It’s in my nature, you might say, as a novelist. Novelists are a special breed. They cannot genuinely trust anything they have not seen with their own eyes or touched with their own hands.
And that is why I am here. I chose to come here rather than stay away. I chose to see for myself rather than not to see. I chose to speak to you rather than to say nothing.

Please do allow me to deliver a message, one very personal message. It is something that I always keep in mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this:

“Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.”

Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will do it. But if there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?
What is the meaning of this metaphor? In some cases, it is all too simple and clear. Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high wall. The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. This is one meaning of the metaphor.

But this is not all. It carries a deeper meaning. Think of it this way. Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: it is “The System.” The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others--coldly, efficiently, systematically.

I have only one reason to write novels, and that is to bring the dignity of the individual soul to the surface and shine a light upon it. The purpose of a story is to sound an alarm, to keep a light trained on the System in order to prevent it from tangling our souls in its web and demeaning them. I truly believe it is the novelist’s job to keep trying to clarify the uniqueness of each individual soul by writing stories--stories of life and death, stories of love, stories that make people cry and quake with fear and shake with laughter. This is why we go on, day after day, concocting fictions with utter seriousness.

My father passed away last year at the age of ninety. He was a retired teacher and a part-time Buddhist priest. When he was in graduate school in Kyoto, he was drafted into the army and sent to fight in China. As a child born after the war, I used to see him every morning before breakfast offering up long, deeply-felt prayers at the small Buddhist altar in our house. One time I asked him why he did this, and he told me he was praying for the people who had died in the battlefield. He was praying for all the people who died, he said, both ally and enemy alike. Staring at his back as he knelt at the altar, I seemed to feel the shadow of death hovering around him.
My father died, and with him he took his memories, memories that I can never know. But the presence of death that lurked about him remains in my own memory. It is one of the few things I carry on from him, and one of the most important.

I have only one thing I hope to convey to you today. We are all human beings, individuals transcending nationality and race and religion, and we are all fragile eggs faced with a solid wall called The System. To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong--and too cold. If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others’ souls and from our believing in the warmth we gain by joining souls together.
Take a moment to think about this. Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow the System to exploit us. We must not allow the System to take on a life of its own. The System did not make us: we made the System.
That is all I have to say to you.

I am grateful to have been awarded the Jerusalem Prize. I am grateful that my books are being read by people in many parts of the world. And I would like to express my gratitude to the readers in Israel. You are the biggest reason why I am here. And I hope we are sharing something, something very meaningful. And I am glad to have had the opportunity to speak to you here today. Thank you very much.

【以上、切貼】

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2009年2月 6日 (金)

毒蝮三太夫、幸田浩子、星野知子-かぜで静養・ラジオで過ごす

かぜで静養。いつもは昼間聴くことのないラジオなど。昼前のTBSラジオの毒蝮三太夫さんの話芸はあいかわらず。72歳だそうだ。夕方遅くのNHK第一では星野知子さんがインドの話をしたり、インド映画のサントラをかけたりしていた。

午後のNHK・FMでは、ソプラノ歌手の幸田浩子さんが笑福亭笑瓶さんと、ずっと前に渡辺徹・熊本マリのコンビで始まったクラシックとおしやべりの番組で、時に関西弁のイントネーションを交えながら話していた。落ち着いた話しぶりと、なかなかのユーモアのセンスに好感。新春オペラコンサートでの『ホフマン物語』のオランピアやN響のモーツァルトのハ短調「大ミサ」を聞いたとき、ひょっとしたら日本でいちばんきれいな声のソプラノではと思っていたけれども、大阪府ご出身と知り少し驚く。

佐藤しのぶさんも大阪出身だそうで、笑瓶氏が「この番組にお呼びしたら、大阪弁でお話になるかな」と‥

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2009年1月25日 (日)

映画『誰も守ってくれない』

午後、新宿ピカデリーで『誰も守ってくれない』。報道と人権、時に牙をむくネット・メディアを背景に描かれるドラマだが、主演の佐藤浩市氏の魅力、テーマの時代性、スピード感のある構成、演出と実に素晴らしい映画だと思った。

人を苦しめる「悪」は凶悪な意思を持った特殊な人や、権力の上の方から人々に降りかかるとは限らない。おもしろ半分だったり、「善意」からくる「横の圧力」というか、空気読めの「空気」に類するものも恐ろしい力を発揮することがある。メディアがそれを無反省に増幅してはならないということがこの映画の作り手の論点の一つなのだろう。

具体的には、最近「被害者の人権」ということがようやく注目されるようになった反面、振り子が振れすぎたように加害者の周辺の「人権」がないがしろにされるようになってはいないかという問題提起がなされているのだと思う。

実は、このまえの戦争だって、多くの人が敗戦後に「騙された」と言い、中国政府が「日本人民も被害者」というのとは違って、南京など中国の都市が陥落するとちょうちん持って行列し、自由主義者や共産主義シンパをよってたかって叩いた議会人、マスコミ、そして一般の人々が作り出した「横の圧力」に政党や支配層、軍部が迎合したり、それに便乗したりして引き起こされたという側面があるのだと思う。「郵政選挙」に幻惑されて、自民党に投票した人もやはり反省が必要なのだ。

しかし、小倉智明さんの推薦、昨夜のテレビドラマ『誰も守れない』にすっかり乗せられて出かけた訳だが、ストーリーの展開に引き込まれ堪能した。映画の最後のところもとても良い。僕もずいぶんたくさん「忘れ物」をしているに違いないと思う‥。

『誰も守ってくれない』『おくりびと』『K-20 怪人二十面相伝』など、あまりたびたび劇場に足を運ぶ方ではないが、最近見た日本映画はどれも素晴らしいものばかりである。今日の新宿ピカデリーでも』『おくりびと』『K-20 怪人二十面相伝』に「チケット完売」の館内放送が流れていたが、わが国の文化、表現の分野はなかなかの水準を示していると思う。それなのに政治・行政の中枢のていたらくはとも思うが、まあ、これも夜明け前の暗闇と考えたい。

それにしても佐藤浩市さんはいいなあ。家人はモッくんの方が贔屓のようだけれども、佐藤浩市さん、『風のガーデン』(フジデレビ2008年)の中井貴一さんなど、自分と同年配のいい役者さんたちのいい演技に触れることができるのはたいへん嬉しい。しかしわが頭髪の寂しさに比べ、佐藤浩市氏のフサフサした髪はうらやましいなあ。

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