2008年6月 4日 (水)

「アフリカ大使に課長クラス起用を」-鈴木宗男氏の説になるほどと思う

 先週の朝日ニュースター『ニュースの深層』で、上杉隆氏がアフリカをテーマに鈴木宗男代議士を呼んで話を聞いていた。泥棒にも三分の理と言うが、この最も腐敗した、品位のない代議士の話にも、いくつか耳を傾ける点があった。

 一つあげると、わが国のアフリカ駐在の特命全権大使が外交官の「上がりポスト」になっていて、大使たちも仕事よりも蓄財ばかりに熱心になっているので、ここには外務省の課長クラスの若い人材を大使として起用してはどうかと言うのだ。アフリカなど途上国との関係は「長くつきあうことが大事」であり、若い外交官も、こうした赴任で実績を上げれば本省に戻って出世のチャンスにつながるということにすれば、大いにやる気を引き出せると言うのだ。

 これは一理ある。6カ国協議のヒル米国務次官補が駐韓国大使を経験しているのは、今の仕事にたいへん活きていると思うし、ああいう人材が大使をやっていたことは、たとえば光州の5・18慰霊碑への献花といった形で、深いところで米韓関係にもプラスを生み出している。

 それにしても、あの鈴木宗男氏がご立派なことばかり述べるのを聞かされるのはなあ、と思って見ていたら、サブ司会者の重信メイさん=あの重信房子さんのお嬢さんだそうだ=が、アフリカはどの国も「腐敗」の問題がひどい。この腐敗の構造の中に入らないとなかなか実績が上げられないという現実があるが、そのような中で腐敗に巻き込まれずに日本外交が援助などで実績を上げるにはどうしたらいいと思うかと鈴木氏に尋ねていた。それも嫌みな感じでなく。いい質問でした。

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2008年5月21日 (水)

クラスター爆弾国際会議-NHK山澤記者のレポートに違和感

おととい5月19日(月)、ダブリンでクラスター爆弾の禁止を目指す「オスロ・プロセス」の最終合意をめざした会合が始まった。小型爆弾を多数ばらまくクラスター爆弾は、一昨年、イスラエルがレバノンに侵攻した際に使用され、戦闘が終わって軍隊が撤収したあと多数残った不発弾の事故で、多くの子どもたちが亡くなったり、手足を吹き飛ばされたりしたことで、かつての「対人地雷」と同様、人道的観点からの廃止論が高まった。

「オスロ・プロセス」は、対人地雷の時のカナダ政府の役割をノルウェー政府が買って出たもので、この「有志」のプロセスには対人地雷の時と同様に、アメリカ、ロシア、中国といった国々は参加していないが、志ある国々の政府と国際NGOが連帯して、具体的な措置を動かし、国際世論も動員することでこうした国々をも動かそうというものだ。

各紙で報じられている通り、一方ではアメリカ、ロシアなど禁止に反対でこのプロセスに参加していない国々があり、その反対にノルウェー、中南米諸国など全面廃止に積極的な国々、そしてその中間に「部分禁止」を主張する英仏独などの国々がある。

それでは、わが国、日本政府の立場がどうかと言えば、朝日新聞2008年5月20日付3面の記事では「日本や英仏独などは‥『信頼性が高く、正確なものは除外すべきだ』という立場を取る」と書いている。さらに毎日新聞の同日付は英独仏は「最新型」のみを例外とすることを主張しているのに対し、日本は現在保有するものを持ち続けることを前提に「不発率が実戦で10%以上もあるとされる現有の『改良型』の堅持を主張している。国連の軍縮関係筋は『日本の主張に同調しそうなのはフィンランドくらいだ。逆に、他の部分禁止派と全面禁止派の溝は狭まっている』」と報じている。

現段階での日本政府は、当時の小渕外相が政治決断する以前における「対人地雷」の時と同様、アメリカにおもねる外務省と、軍事力維持の面だけから廃棄に反対する防衛省が積み上げてきた、いわば霞ヶ関のお役人たちボトムアップで形成された政策を主張することに止まっている。自民党政権が長く続きすぎたせいか、そこに憲法第9条の理想などかけらも見あたらない。福田さんにも、せめて小渕さん程度の大所高所からの政治的な判断を期待したいものだ。

ところで、このことを報じた2008年5月19日放送のNHK・BS1の「今日の世界」(22:15~)において、スタジオからの原稿読み上げと字幕では、わが国が英独などとともに「全面禁止」には反対し、「部分禁止」を主張していることを紹介していたが、現地からの山澤里奈記者のレポートでは、わが国がどういう立場をとっているかという話がスッポリ抜け落ちていた。これでは極右の経営委員長とは逆の意味で「どこの国のニュース番組なの?」ということになってしまう。「合意をめざすノルウェー政府代表が部分禁止を主張しているイギリスやドイツの政府代表を訪ね、妥協点を探っている」というだけの原稿は、「日本は全面禁止に反対している」という事実の印象を、作為的に薄めようとしているのではないかと感じた。

NHKの国際部記者が、外務省の役人や自民党の一部政治家と良い関係を築いておきたいというのは処世術かもしれないが、あまりに「アメリカ政府に最大限に媚びを売り、日本国民にはそのことを最大限覆い隠しておきたい」一部外務官僚に操作されていることが見え見えで、その思惑通りの放送をしているのでは公共放送の使命を果たしていることにならないと思う。

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2008年5月15日 (木)

内田樹氏の「頭を冷やせ」になるほど。

東京は久しぶりに良い天気。昨日までコートを着て、事務所近くまで地下鉄を乗り継いだのに、今朝は日よけにキャップをかぶって外苑東通りをウォーキング。事務所に入ると、やはり昨日まではモーツァルトの短調のピアノコンチェルトなぞを聞いていたのに、今日はベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』、往年のジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団の演奏CDなど久しぶりにかけてみる。

ここのところ、チベットのことで中国に対して批判というよりは誹謗中傷する連中に頭に来て、特に聖火リレーをデモで妨害する行為に対する反発から、カッカと来ていろいろ言いながら、なんとなくスッキリしない気分でいたところ『毎日新聞』2008年5月12日付夕刊で内田樹氏の「争いがとりあえず決着するために必要なのは、‥当事者の少なくとも一方が(できれば双方が)、自分の権利請求には多少無理があるかもしれないという『節度の感覚』を持つことである」「『いいから少し頭を冷やせ』というメッセージが政治的にもっとも適切である場面が存在する。そのような『大人の常識』を私たちはもう失って久しいようである」という論を見た。

いつも内田氏の議論は面白いと思うが、今度も第三の視点を出すとすればこういうことかとなるほどと思った。ただし、内田氏も「そんなことは言っていない」と言われるだろうが、森田としては21世紀に入ってからのわが国の政策の方向性の誤りについて批判し、代替プログラムを模索することを「自制する」つもりは毛頭ないけれども。

【以下は、毎日新聞2008年5月12日夕刊より内田樹論文 =『内田樹の研究室』より=】      

オリンピックの聖火リレーをめぐる騒動を眺めていて、いささか気鬱になってきた。何か「厭な感じ」がしたからである。何が厭なのか、それについて少し考えたいと思う。
 熱い鉄板に手が触れたときに、私たちは跳びすさる。「手が今熱いものに触れており、このまま放置すると火傷するので、すみやか接点から手を離すことが必要である」というふうに合理的な推論してから行動するわけではない。たいていの場合、私たちはわが身に何が起きたのかを行動の後に知る。
 聖火リレーにまつわる「厭な感じ」はそれに似ている。
 だから、この論件については、誰の言い分が正しく、誰の言い分が誤っているというような「合理的」なことは申し上げられない。それは「厭な感じ」が議論の内容ではなく、論を差し出す仕方のうちに感知されているからである。語られている政治的言説の当否は私にとっては副次的なことにすぎない。
 私が「厭な感じ」を覚えたのは、たぶんこの政治的イベントに登場してきた人たちが全員「自分の当然の権利を踏みにじられた被害者」の顔をしていたせいである。
 チベット人の人権を守ろうとする人々も、中国の穢された威信を守ろうとする人々も、聖火リレーを「大過なく」実施したい日本側の人々も、みな「被害者」の顔で登場していた。ここには「悪者」を告発し、排除しようとする人々だけがいて、「私が悪者です」と名乗る「加害者」がどこにもいない。
 そんなの当たり前じゃないか、と言われるかも知れない。権利を主張するということは「被害者」の立場を先取することなのだから、と。
 まことに、その通りである。「本来私に帰属するはずのものが不当に奪われている。それを返せ」というのが権利請求の標準的なありようである。それで正しい。困ったことに、私はこの「正しさ」にうんざりし始めているのである。
 近代市民革命から始まって、プロレタリアの名における政治革命も、虐げられた第三世界の名における反植民地主義の戦いも、民族的威信を賭けた民族解放闘争も、つねに「被害者」の側よりする「本来私に帰属するはずの権利の奪還」として営まれてきた。
 私たちが歴史的経験から学んだことの一つは、一度被害者の立場に立つと、「正しい主張」を自制することはたいへんにむずかしいということである。
  争いがとりあえず決着するために必要なのは、万人が認める正否の裁定が下ることではない(残念ながら、そのようなものは下らない)。そうではなくて、当事者の少なくとも一方が(できれば双方が)、自分の権利請求には多少無理があるかもしれないという「節度の感覚」を持つことである。エンドレスの争いを止めたいと思うなら「とりつく島」は権利請求者の心に兆す、このわずかな自制の念しかない。
 私は自制することが「正しい」と言っているのではない(「正しい主張」を自制することは論理的にはむろん「正しくない」)。けれども、それによって争いの無限連鎖がとりあえず停止するなら、それだけでもかなりの達成ではないかと思っているのである。
 私が今回の事件を見ていて「厭な感じ」がしたのは、権利請求はできる限り大きな声で、人目を惹くようになすことが「正しい」という考え方に誰も異議を唱えなかったことである。「ことの当否を措いて」自制を求める声がどこからも聞こえなかったことである。
 「いいから、少し頭を冷やせ」というメッセージが政治的にもっとも適切である場面が存在する。そのような「大人の常識」を私たちはもう失って久しいようである。

(毎日新聞2008年5月12日付夕刊)

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2008年5月12日 (月)

NHKスペシャル「セーフティーネット・クライシス」【感想】

NHKスペシャル「セーフティーネット・クライシス~日本の社会保障が危ない~」を見る。社会保障というと、話題として何が目立っているかということで「①年金、②高齢者医療、③介護保険‥」といった順番でとりあげられることが多いように思うが、ここでは「①医療保険、②介護保険、③生活保護、④教育支援‥」という順番で、しかもここのところ急速に進んだ「正規雇用の非正規雇用による置き換え」「小泉改革による社会保障費削減」がもたらしている影響という明確な視点を持って取り上げていた。

また「暗い面ばかり取り上げている」という自民党の政治家もいるのだろうが、さすがに小泉内閣以来の政権ブレーンである吉川洋氏も「非正規雇用の割合が増えすぎたと言う点ではコンセンサスがあると思う」と発言、財界代表の門脇英晴氏も「非正規雇用が増えれば、国民健康保険がどうなっていくかといった点で想像力に欠けていた」と認めざるを得なかった。企業が保険料を半分持つ正規雇用を減らし、企業の保険料負担のない非正規雇用に置き換えると、企業城下町の市町村で国民健康保険の負担が増え、これまで加入してきた商店主なども保険料が上がってしまうという状況が番組で紹介されていた(あの松下政経塾のスポンサー企業の城下町ではなかったか)。

吉川氏や門脇氏の殊勝な姿勢の裏には「だから消費税増税が必要でしょう」という主張があるわけだが、いずれにせよ金子勝教授が言われるように「最低限の保障はどれだけのものを整えるべきか」ということを、現実に起こっていることを出発点に国民合意を作り直すことが日本国憲法第25条からいっても、まずなされるべきことだ。国の政策、方向性の「転換」が必要なのだ。

森田は数年前、鼠けいヘルニア(脱腸)の手術をした。傷跡のほとんど残らない全身麻酔の腹腔鏡手術という何十万円もかかる手術だったが、7割は社会保険、同じく保険からの高額医療費補助、任意の掛け捨て共済保険からの給付でかなりの部分がカバーできた。以前、別のドキュメンタリー番組で、同じ病気の人がリストラで正社員の地位を失い、不幸が重なって国民健康保険の保険料も払えなくなった結果、病状が悪化して腸閉塞で死ぬリスクと背中合わせで暮らしている様子を紹介していた。

森田自身は制度のありがたさを感じたが、もっと苦しい立場の人が救われないのでは、やはりセーフティーネットとしては本末転倒だ。もちろん制度全体の再設計が必要だが、まず一番弱い立場の人に焦点を当てて緊急の手直しを考えるべきだろう。本来、政治がやるべき仕事はこういうことであるはずだ。

キャスターに町永俊雄氏が出てきたところで、今日はまじめな番組だということがわかったが、ケース紹介において政府・与党に容赦なく、討論では建設的な意見交換を重んじる、優れた番組だった。

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2008年5月11日 (日)

葉千栄氏の胡錦涛主席来日に関する感想=上田紀行氏を迎えた番組で=

胡錦涛主席の来日について、5月8日(木)放送のCS朝日ニュースター『ニュースの深層』におけるキャスター、葉千栄氏のコメントが興味深かった。

葉氏は、日中友好6団体主催のレセプションに日本側(!)の出席者の一人として列席したそうだが、「もし中国にいたら、雲の上の人で絶対に姿を見ることがなかっただろう」という胡錦涛氏のナマで見る印象の第一は、「腰の低い人だ」というとだったそうだ。演壇に上ると3方向に向かって一度づつ、3回お辞儀をするるこれは毛沢東以下のかつての中国のトップのイメージからは想像できないと言うのだ。

それを聞いたゲストの上田紀行氏が「(ギョーザ、チベットなど)いろいろまずいから、低姿勢だったんじゃないの」と混ぜ返していたが、葉氏は中国にいる友人たちと電話で感想を交換していたようで「聞いてみると中国での共産党の会合でも同じだそうです」ということだった。

葉氏の感想の第二は、胡錦涛氏は他の指導者に比べ非常に「親日的」なのではないかという印象を持ったということだ。胡耀邦時代の青年交流の話は、今回の訪日の報道を通じて多くの人々が再び共有するところとなったわけだが、日本と中国の両方のカルチャーを肌で知り、ジャーナリトストとして「人」と話し、「人」を見続けてきた葉氏の観察にはさらに重いものがある。

10年前に来た江沢民前主席は、宮中晩餐会に人民服で現れ、日本側が「反省と謝罪」を明記しなかったからと文書に署名しなかった。5年後や10年後の指導者は、アメリカ一辺倒かどうかはともかく、日本などは全く先進国グループのワンオブゼムとしか見ないだろうことを考えると、今回の「10年ぶりの中国国家元首来日としての胡錦涛主席来日」について、日本側は大きなチャンスを逃してしまったのではないかと言う気がしてくる。

葉氏の感想の3つ目は「こんなことここで言っていいかどうか」と声をやや潜める葉氏のいつものスタイルで、胡錦涛主席に続いて演壇に上がったのが令計劃(れいけいかく)中国共産党中央書記処書記・党中央弁公庁主任、王滬寧(おうこねい)党中央書記処書記・党中央政策研究室主任の二人であり、葉氏流の表現で「たいへん偉い人」である戴秉国(たいへいこく)国務院国務委員、楊潔チ(ようけつち)外相、武大偉外務次官(六カ国協議代表)らが、この二人に対しもたいへん遠慮して、一歩も二歩も下がっていたのが印象に残ったということだった。

葉氏は、5年後の中国指導部の一端を垣間見た気がするというが、一方で腹心・令計劃氏はともかく、王滬寧氏は葉千栄氏が上海の大学で演劇を専攻したり、新劇俳優だった時代には「復旦大学の国際政治の先生に過ぎなかった」ので意外感があったようだ。これもクレムリノロジーの一種だろうが、分析の視点を持ち、データ観察を積み重ねてきた人の話だけに、記憶に止めておきたい。

なお、NHK・BS1が放送した早稲田大学での胡錦涛主席講演を報じる中国中央電子台のニュースの映像も、まず「令計劃主任と王滬寧主任」の二人、ついで「戴秉国国務委員、楊潔チ外相」の二人を映し出していた(ただし同時通訳の音声は「令計劃主任、戴秉国国務委員らが同行」としていた)。

ちなみに、早稲田講演は恐らく王滬寧氏の「監修」だろう。戦後日本に対する肯定的評価、ODAなどの支援に対する感謝などはすでに昨年四月に温家宝首相が国会で演説した内容に含まれていたので、驚くような内容だったわけではないが、温家宝演説が素晴らしい内容ながら、おそらくさまざまなリサーチの結果、助言などを盛り込みすぎて、全体の構成がややゴシック的な感じになっていたのに対し、胡錦涛早稲田講演は清朝末期の留学生たちのことをはじめ歴史的な視点を織り込みながらも、シンプルな流れでまとめられ、結語に早稲田構内の演劇博物館の「世界は舞台」というシェークスピアのことばを引き「世界という舞台で共に役割を演じていこう」とまとめる洒落たものだった。

番組のゲスト・上田紀行氏は、最近ダライ・ラマとのインタビューを本にしていて、胡錦涛来日についても、例えば「唐招提寺などで胡錦涛主席を接遇する仏教関係者は、チベットのことを強く言うべきで、日本にもそれくらいの気概がなければ」といったことを言っていた。それはともかく、上田氏と葉氏が、チベットの歩みについて詳しく論じていくのを聞くのはたいへん参考になった。ダライ・ラマは柔軟な思考と反射神経を持つ、たいへん興味深い人物のようだ。聞いていて、中国にとっても、ダライ・ラマが死ぬのを待つのではなく、対話する方がよいのではないかと思った。

もっとも、日本の「仏教界」に対して上田氏はかいかぶりないしは無理なプレーアップがあるように思う。全国の僧侶の大半は、通夜・葬儀と法事に時間の大半を過ごしており、うんと偉いお坊さんたちの「世界宗教者平和会議」などへの参加などは例外として、平和の問題、貧困の問題はじめ社会問題との関わりに、鎌倉時代、あるいは江戸時代以前の仏教関係者が持っていたような真剣な関わりの片鱗も感じられない。

上田氏は、そういった問題にも関心を持ってきているのは知られている。チベット問題を、カンフル剤として日本仏教の(葬儀業ではなく宗教としての)再興につなげようというセンスは、政治的には正しい計算と言えよう。ただ、結果として日中関係の健全な発展を阻害する反中国扇動に流れないようにお願いしたいものだ。

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2008年5月 6日 (火)

シューベルト

4年目になる東京のラ・フォルジュルネ音楽祭のテーマはシューベルトだったので、ピアノソナタなどに出かけたいと思っていたけれども、うっかりしていてチケットを購入しようと思ったときには関心あるコンサートは全部売り切れ。まだ残券あったフランスから来たトリオが弾く変ロ長調だかのピアノ3重奏がすごくいいらしいという前評判を聞いたけれども、22時30分開演ということで、自宅で録画しておいた「ぴあのピア」(NHK)のシューベルトのシリーズや、名曲探偵アマデウスの「死の乙女」を見ながら自宅で一杯やる方を選ぶ。

ぴあのピアで見るシューベルトの人間像は、とても友だちに大切にされた人であることが印象に残る。きっと、とても人柄のいい人だったのだろう。うらやましい。リートの人で、室内楽もいいが、ピアノソナタも奥が深そう。かつて内田光子さん、最近では田部京子さんなどが全曲演奏に取り組んでいるが、すこし追いかけてみたいと思う。

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2008年5月 5日 (月)

「仮面ライダー電王&キバ/クライマックスデカ」

引き続き息子のお供で、「YASUKUNI」を降りたバルト9で「仮面ライダー電王&キバ/クライマックスデカ」を見る。

冒頭からラストまで期待通りの出来映え。「電王」のテレビ放送は1月に終了しているが、度肝を抜かれた「どこにでも電車でやってくる」という設定、このCGはやっぱり劇場スクリーンで見るといちだんと迫力が。東映だけに、ちょっと暴力過剰かなとも思うが、子役(松元環季)のワイヤープレイの大活躍など楽しい。同社は何十年かぶりの観客動員初登場1位をとったとかで、ささやかな祝意を‥

客席に子どもがあまり多くないのには驚いた。女子高生らしいグループ、20代女性の3~4人組などが目立った。「大人だから」「女性だから」といって遠慮することなく、「見たい人が見る」という時代なのだなと思う。男優たちも魅力的だが、エンドロールで「モモタロスの声 関俊彦」など異界出身の準主役たちの声優の名前が真っ先に出てきたあたりに、声優ブームが反映されているようにも思った。客層もこの辺の反映か。

デンライナー一行と行動を共にするゲスト、新米刑事(村井良太)が始め無鉄砲な行動で皆に迷惑をかけ、最後には手柄を立てる成長物語はお約束だが、時を行き来できる主人公たちに、ご褒美として22年前のある場面に連れて行かれるシーンでは涙がこぼれた。この場面を短時間演じた森本亮治という若い俳優は好印象で存在感もあり、伸びる人のように思った。エンディングの制作シーン、松本若菜さんが花束に涙ぐむように見えた「ご苦労さん」シーンなどには、テレビ版に出演した人たちの番組への思い入れも感じられた。

最近のこの手の作品には、いや以前からかも知れないが、「異界」に住む者同士が理解し合い、力を合わせ、友情を育てるストーリーが多いように思う。現実の外交や国際政治がその点であまりに「遅れている」ことに対する、クリエイターたちの、また民衆のいらだちの反映ではないか。

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2008年5月 1日 (木)

「砥いで出てくるのは、塗り重ねたもんだけ」-NHK朝ドラ『ちりとてちん』より

2007年10月~2008年3月放送の、NHK朝の連続テレビ小説『ちりとてちん』、実は一度も欠かさず、一日平均1.5回くらい見ておりました。視聴率はあまり上がらず、一方で新聞の文化部記者や関係筋にはたいへん評価が高かったらしい。

『タイガーアンドドラゴン』のような落語再現時代劇も楽しみだったけれども、とにかく脚本の「腕力」が素晴らしく、落語のストーリーを換骨奪胎して織り込みながら、家族の物語、師弟愛の物語が縦横に展開していく物語。キャストも音楽も皆素晴らしかった。音楽はちょっとうるさかったかな。

騙されやすい方なので、四散していた草若一門の弟子たちがようやく再結集する八犬伝のような場面には、わがことのように喜び、佐藤めぐみという人は本当に悪い人だと思いこんで見ていた。

連休5日と6日に放送される総集編の前振りで、大阪制作の「それぞれのちりとてちん」というエピローグのような番組が、東京でも深夜放送され次の台詞にまた出会った。

正太郎(祖父・塗箸職人・米倉斉加年)人間も箸とおんなじや。砥いで出てくるのは、この、塗り重ねたもんだけや。なあ、一生懸命生きてさえおったらあ、悩んだことも、落ち込んだことも、綺麗な模様になって出てくる。お前のなりたいもんになれる。

喜代美(子役)  ‥‥(笑顔)。

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2008年4月27日 (日)

日曜午後「エフゲニー・オネーギン」のビデオ見る=NHK「名曲探偵アマデウス」は楽しい=

「東京のオペラの森」の「エフゲニー・オネーギン」のリヒター演出が良いという批評(毎日新聞4月24日付夕刊・梅津時比古氏)を見たことに刺激され、またNHK・BSの「名曲探偵アマデウス」で、チャイコフスキーが「悲愴」4楽章冒頭のメロディーを第一バイオリンと第二バイオリンにメロディーとハーモニーを分解して、個々に聴いてはわからないように書いてアンサンブルを徹底的に聴きあうように工夫した、という話しに感心したこともあって、放送を録画していたパリオペラ座(バスチーユ)のロシアの歌手たちを起用した2003年公演のテープを見る。

演出という点ではこれもなかなかで、決闘から時が流れ、タチヤーナが公爵夫人になっていく心象風景を例の「ポロネーズ」を間奏曲のように使い、黒い衣装の人々の静かな動きで表現していて見事だった。

タチヤーナ役のソプラノ(オリガ・グリャコワ)も、思慮深い人柄の表現にせよ、心の乱れを垣間見せながらの堂々とした幕切れも立派。それにしても、このオペラを見ると自らの愚かさ、あらゆる意味でのタイミングの悪さを責められているようでつらいものあり。

ついでながら、「名曲探偵アマデウス」はパイロット番組の「ボレロ」、本放送の「ベト7」、「ブラ4」「ゴードベルク変奏曲」など、すべてたいへん良い出来映えだった。森田程度のクラシックファンが知るアナリーゼの基礎が全部盛り込まれていて、スタジオのN響が曲の一部をパートごとに演奏して見せるなど、なるほどと思わせる。毎回のベテランゲスト俳優もそれぞれ演技に味がある。

この番組も、小・中・高の学校音楽の授業でビデオを生徒に見せるといいのではないかと思う。

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2008年4月17日 (木)

「NHKスペシャルは格差や貧困に偏りすぎ」=自民党・世耕議員の偏向質問=

少し前になるが、3月31日に参院総務委員会でNHKの新会長を呼んでの参考人質疑が行われ、世耕弘成議員(自民党)が質問に立っていた放送をテレビで見た。たまたま自動録画をセットしている「視点論点」の時間を変更しての放送だったので目に止まったわけだが「NHKスペシャル」についての発言がちょっと聞き捨てならない感じがしたので参院の会議録から紹介したい。

「最近若干、この一年ぐらい気になるのが、どうもNHKスペシャル、看板番組、NHKが世の中に、今これが問題ですよ、世の中こっちの方へ注意をしなければいけないんじゃないかというような注意喚起の番組だと思っていますが、その内容がこの一年ぐらいどうも、格差の問題とかワーキングプアの問題とか貧困の問題、どうもそっちに偏り過ぎているんじゃないか。この問題も私は非常に重要だとは思いますけれども、しかし余りに内容としてそっちに偏り過ぎている」

「その背景にある厳しいグローバル競争の現状とか、あるいは中国が今世界でどうなっているか、アジア諸国が今世界でどうなっているか、日本のアジアにおける立場がどうなっているか、そういうことをもう少しスポットライトを当てる番組が不足をしているんじゃないか。これは私は感覚で申し上げているんではなくて、現場でも経済部とか国際部の人がいろいろ企画を上げてもなかなか通らないという声も私は聞いております。そういう中で、新会長として、こういった面についてもやはりビジネス御出身の立場としてもう少し重点を置くべきではないかということについてはどうお考えでしょうか」

これを聞いてみなさんはどう思われるだろうか。森田は、3度に渡る『ワーキングプアー』の放送などは、現実に起きている問題に警鐘を鳴らす、公共放送の使命を果たしたものであると高く評価している。森田には世耕氏の発言は「国民の多くが本当のことに気づくと困るからもっと工夫しろ。あんたは、せっかく我々が送り込んだ財界出身の会長なんだからうまくやれよ」と聞こえる。

もちろん、国会内で行われた逃げも隠れもしない政治家の発言であり、この発言について何か法的な追及を行うべきだといった話しではない。しかしひとつ言えることは、自民党という政党は、NHKについてこういう考え方であるということを、有権者としてよく認識した上で選挙権を行使したいということだ。

あの安倍晋三氏も、何の羞恥心もなく元気に復活してドイツに出張してメルケル首相と会談するそうだ。こういった人たちが、NHKをすっかりねじ曲げてしまわないうちに、一度自民党は5年くらいは野党にする必要があると思う。

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2008年4月14日 (月)

「光州5・18」=政治、外交、歴史を学ぶ学生の5月連休明け必見映画

1980年、全斗煥軍事クーデターに反対する民衆の運動を、全羅南道光州市で軍部が空挺部隊を投入して血の弾圧を行った事件「光州事件」を映画化した「光州5・18」という映画を角川映画の試写室で見る。友だちの友だちということで、まだお目にかかっていない真鍋祐子さん(東大東洋文化研准教授)より招待券送っていただいた。

森田の人生と重ねると、朴大統領暗殺事件が大学1年。光州事件は大学2年の5月。何が起こっているのかよくわからない。『世界』のT・K生氏(池明観先生)のレポートなど毎月熱心に読んだこと、次の年にかけてこの事件を口実に死刑判決を受けた金大中氏の死刑反対の手紙に学友の署名を呼びかけると、大半がノンポリ組の学友たちが驚くほど積極的に応じてくれたのを思い出す。

映画は、「事件」を光州市の、民衆の内側から描き出す。余計な紹介は無用だろう。「市民が参加」という活字は当時も読んだ。つくづく思うのは、自分なりに想像力を働かせて、あの時の光州の状況を考えていたつもりだったけれども、映画でさえこれまでの想像より段違いに苛烈であり、またそこに人間のドラマの積み重なりがあるということだ。

「光州事件。覚えているけどどんな事件だったっけ?」という大人の人は、この映画を見ることでようやく本当に北東アジアで生きてきたということになると思う。まだ生まれていなかった大学生諸君。仮にも「国際政治を勉強しています」とか、「北東アジアの地域協力に関心があります」と言いたい学生にとって、この映画は必見映画です。「軍」というものの本質について学習する機会にもなるだろう。なにしろ、韓国陸軍も、陸上自衛隊も、蒋介石の国民党軍同様、戦前の日本の陸軍士官学校出身者が礼儀作法からカルチャーまで形作っていることでは共通しているわけだから。

「私たちのことを忘れないでください‥」。そう演じるイ・ヨウォンさんは事件の頃の生まれか。忘れてないさ。ちょっとだけ、いや本当いうとずいぶん表現方法は違うけれども、僕もひとりの「光州市民」として、あなたたちが意地を通した同じ隊列を歩んでいるつもりだよ。

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2008年4月 3日 (木)

大阪、京都での「靖国 YASUKUNI」上映決定を歓迎する。

報道によると、大阪市淀川区の「第七芸術劇場」、広島市中区の「サロンシネマ」、京都市下京区の「京都シネマ」などが映画を予定通り上映することを決めたそうだ。自民党の稲田代議士一派の陰湿な圧力や、右翼の威圧には「屈しない」という姿勢を示されもので、高く評価すると共に連帯のエールを送りたい。

これらの館がリスクを負って使命を果たされようとすることに対し、皆で何か支援の方法を考えたい。

右翼の暴力に対しては、警察が法秩序を守る観点からもちゃんと役割を果たすことが大切だ。トップが基本姿勢を示すことが大切であり、かつて加藤紘一代議士宅が焼き討ちされた際には、小泉首相も、安倍官房長官も、一週間以上何のメッセージも発しなかったことがあったが、ここは福田総理および国家公安委員長から「言論の自由、表現の自由を暴力やいやがらせで損なおうとすることは、法秩序に対する挑戦であり、警察も毅然とした姿勢で臨むべきである」というメッセージが発せられて然るべきである。

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2008年4月 1日 (火)

NHKに映画「靖国 YASUKUNI」の放映を望む

「靖国 YASUKUNI」という映画が話題になっていたので、ぜひ見にいきたいと思っていた。上映予定館を調べたところ、便利なのはシネマート六本木というところなので、そこに出かけてみようと思っていた。

ところが、残念なが」ら「上映中止」ということだ。自民党の「右」が補助金の対象としておかしいというプレッシャーをかけ、映画館も右翼の威圧を受けたとか、それを恐れて「自粛した」などと言われている。

これを「あの2008年の桜の頃が、日本における言論の自由のターニングポイントだった」ということにしてはならない。

具体案が一つある。できれば地上波のチャンネル、次善の策としてはBS2でもよいので、NHKが放映することだ。

僕はNHKの視聴料をちゃんと払ってきた視聴者の一人として、事情があって映画館で見ることの難しい作品を見るチャンスがほしいという素朴な要望なのだが、同時に「いろいろな見方のある作品ですが、議論を深めるために放送します。視聴者のみなさんはどう思われますか」というスタンスでの放映は、公共放送の使命に合致していると思う。

もちろん、制作サイドでテレビ放映はビジネスの妨げだからいやだというのなら仕方がないが、そうでないなら積極的にNHKと対話されてはどうか。件の自民党・稲田代議士も、安倍前首相のお仲間ながら、言論の自由は守られるべきで、上映が不可能になることは望んでいないという趣旨のことを言っているらしいので、よもや放映に反対するということはないだろう。

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2008年2月21日 (木)

倖田來未さんバッシングに湯川れい子さんの一言

2008年2月20日付の『朝日新聞』朝刊17面の「声」欄に、音楽評論家 湯川れい子さんの以下の投書が掲載されていた。共感覚えたので、書き留め【全文引用】。

すてきなことみつけようよ

音楽評論家 湯川れい子(東京都世田谷区 69歳)

 歌手の倖田來未さんが「35歳をまわるとお母さんの羊水が腐る」と言ったとかで、CM打ち切りやメディアのバッシングを受けているようですけれど、結婚した仲間に「早く赤ちゃん産んだ方がええよ」と言った意味で、つい表現がすべってしまったということでしょう?

 確かに「腐る」という表現は感心できないし、間違っているとは思うけれど、ここまで鬼の首でも取ったように寄ってたかってバッシングするようなことでもないと思うんですけれど。

 それよりも、あまりに多くの添加物が環境ホルモンとして母体に影響を与え、年齢が高くなるほどリスクが高まるとも考えられているのですから、そういうことの方こそメディアは取り上げてほしいと思います。

 いずれにしても、寄ってたかって小さな問題をバッシング対象にするというのは、大人の社会までがイジメの体質を持ってきているようで、気持ちの良いものではありません。イヤなところを見つけて責めるより、もっと気持ちの良いステキなところをみつけてほめる習慣を、国も社会も身につけたいものですね。

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2008年1月17日 (木)

俳優・小西博之さん

某日、外苑東通りで人か車を待っている様子の小西博之さん姿をお見かけする。失礼かと思いつつ「小西さん、息子がBSイレブンの隊長を毎週拝見しています」と申し上げると「ウルトラギャラクシーですね」と笑顔で応じ、「息子はもう高校生なんですけど」というと少し驚かれましたが「自閉症で、戦隊ものなど一生懸命見ています」と言うと「そうですか。それではポスターなんかお送りしますよ」と言われ、お願いしたサインも「息子さんのお名前は」と聞いた上で、宛名付きでサインをして下さった。とても暖かい人柄を感じた。

もちろん、息子はとても喜んだが、考えてみると一番喜んでいたのは森田自身であるような気がする。「僕自身、昭和35年生まれで、最初のウルトラマンを学校に上がる前に見た世代ですよ」と言うと、「僕がひとつ上ですね。」と言われ「実はまだ発表していないんですけれども‥」と、『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』について息子が大喜びした情報を教えてくださった。書けませんけどね。

こういう内緒の情報を出し惜しみするようなことを書いて嬉しがっているというのも、なんとも子供っぽく、また芸能人に弱いなあと思うわけですが‥

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2007年12月20日 (木)

国会は古森NHK経営委員長を呼ぶべきだ。

NHKの古森経営委員長(富士フイルムの持ち株会社の会長)が、強引な委員会運営でホコリをたてているようだ。複数の経営委員が公の場で委員長が世間に説明していることと違うことを言っている。公共放送であるNHKの経営委員会が、強引な運営によって偏った方向に引っ張られていることを伺わせる事態である。

NHKが、イデオロギー偏向によってねじ曲げられてはならない。とにかく、経営委員の承認権を持つ国会は、古森氏を呼んで、事実関係を聞くことからはじめ、委員会の公正な運営を確保する努力をすべきである。

【以下は東京新聞の記事の貼り付け】

NHK経営委員が委員長批判会見 求められる説明責任
2007年12月20日 朝刊

 NHK経営委員会の菅原明子委員、保ゆかり委員が十九日、会見を開いて、次期NHK会長選出をめぐる古森重隆委員長のやり方を批判した。経営委員が公の場で委員長への不満を述べるのは前代未聞の出来事。「強引で、看過できない」(菅原氏)というのが理由だが、両氏の説明と古森氏のこれまでの発言は、事実関係で食い違いが目立つ。両氏の批判を受けて古森氏は「一方的な運営をした事実はない」と反論しているが、説明責任を果たす必要があるのは間違いなさそうだ。 (小田克也)

 「威圧的で、議論を封殺する」。両氏は、古森氏の議事運営をこう言い切った。

 その具体例として、経営委員による指名委員会(13日)の模様を取り上げ、「新会長についてNHKの内部から起用するのか、それとも外部からか」という議論のスタートがそもそもおかしく、人物本位で選ぶべきだと意見を述べたが、古森氏に聞き入れられなかった-と主張した。

     ◇

 これまでの会見で古森氏は、十三日の指名委員会で各委員に次期会長の候補者を挙げてもらうと述べていたが、菅原氏によると「(事前に)そういう働きかけはなかった」という。

 NHK会長は放送法に基づき、全国八地区から選ばれた八人と地区に関係なく選ばれた四人の計十二人の経営委員中、九人以上の議決により選出する。要するに多数決で選ぶのだが、「委員長は、できれば採決しない方向を考えていた」と菅原氏。これが事実とすれば、放送法との整合性の点で疑問符がつく。

 菅原氏は「(13日の指名委員会後の会見で)古森委員長は、外部からの起用に反対だったのは一人と言ったが、正確には答えを保留したのが二人、内部からの起用がいいと言ったのが二人いる」と説明。

 放送法によれば、会長が任期満了を迎えても、新会長が任命されるまで在任することになる。

 従って、古森氏が意中の人物を提案しても「(経営委員の)四人が反対に回れば、現執行部が残る確率はある。(内部、外部からの起用以外に)第三のオプションとして、それもあり得ると思っていたが、委員長は会見で、そのことも説明していない」とも述べた。

     ◇

 古森氏の議事運営がおかしいと思うなら、両氏は記者会見を開く前に委員会の場でただすべきではないのか。十九日の会見でこう記者団に問われた菅原氏は、「委員会は議論できる状況にない。この方法しかなかった」と語った。「委員長は声が大きかったり、自分の意見を強く推されるので、思ったことが言えない」とも。「委員長に議事録をテープに残して公開してほしいとお願いしているが、人事案件だから、と言葉を濁している」と不満をあらわにした。

 九州・沖縄地区選出の保氏は、「特定の候補を推薦しない委員もいる。(委員長に意中の人物の)名前を公表してほしいといっても公表してもらえない。地方にいる者などは、いきなり二十五日に言われても判断できない」と、困り顔だった。

 こうした両氏の批判に対し古森氏は、次期会長選出について、「すべての委員から意見を聴取の上、少数意見にも配慮し、今後の議論の対象とした。各委員からの個別の推薦もさらに呼びかけていた。両名の意見についても十分に議論し、経営委員会としての機能を果たしていく」などとするコメントを発表。批判は当たらないとの考えを示したが、矛盾点についてはあらためて説明する必要がありそうだ。

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2007年11月 9日 (金)

ひろいもののテレビドラマ「ジュリアス・シーザー」(2002年、米など)

世界史を勉強中の高2の息子と、NHKスペシャル「ローマ」3回、同ハイビジョンスペシャル「ローマ皇帝の歩いた道」2回のうち前編を見たところ、息子が「シーザーの扱いが軽いな」と言うので、たしか正月にTBSが放送した米伊など合作のテレビドラマで未見だった『ジュリアス・シーザー』の録画テープを引っ張り出して見た。これが拾いものだった。夜中の放送で、見た人も少ないだろうから、NHK-BSでも放送した方がいいのではないだろうか。

スッラのクーデターで生命の危機にさらされ、逃亡途中で海賊に捕まるエピソードのあたりから、暗殺までを描いているが、ジェレミー・シストという線の細めな俳優がシーザーを演じていることもあり、塩野七海さんの『ローマ人物語』によって語っている、型どおりの英雄豪傑ではなくちょっとインチキ臭い、しかし人間的な魅力と胆力のあるシーザー像と一致している。

ブルガリアでロケしたというガリア遠征の合戦シーンもなかなかの迫力で、エジプトの宰相がポンペイウスを暗殺する場面のおどろおどろしさ、自決するカトーと、葬儀の主催を申し出るシーザーに対しカトーの息子が示した威厳ある態度もよい。一方、シーザーの娘ジュリアとギリシァ人奴隷家庭教師の心の触れあい、その家庭教師が奴隷反乱に参加して捕らわれ、ジュリアの救済を断って仲間と共に処刑されることを選ぶ場面など、なかなか心を打つ。

シーザー暗殺の場面で終わるので、シェークスピア劇では見せ場であるアントニーのシーザー追悼演説、あの「ブルータスは高潔な人物である」で始まり、表面上はブルータスらを持ち上げながら、演説を聴いたローマ市民が「シーザー暗殺は間違いではなかったか?」と局面を転換するに至る弁舌の場面はない。しかし、脚本がよく工夫していて、男前の若手俳優が演じるアントニーが、ルビコンを渡る前のシーザーから元老院に先乗りを命じられ、公衆にシーザーの立場を代弁する演説をして喝采を受ける場面が描かれていた。

アメリカの脚本家組合が大規模なストライキをやっているというニュースが伝えられているが、このドラマを見て、アメリカの脚本家の力もたいしたものだと改めて思った。

それにしても、日本政治にはシーザーのような人間力、アントニーのような弁舌力をもって局面を転換するような人材が「平民派」の方から出ないものか。右の方は「小泉マジック」を繰り出して、後継の安倍氏が凡庸すぎた故に今は後遺症に悩んでいるわけだが。

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2007年11月 6日 (火)

「雲は何色だ?」-映画「真珠の耳飾りの少女」

フェルメールが、モデルになった新人のお手伝いの少女を窓際に呼び、「雲は何色だ?」と訊く。少女は「白‥」と思わず口にしたあと、もう一度目を細くしながら雲を見上げて「黄色、‥青、‥灰色」。フェルメールは「理解したようだな」と言い、少女をラビスラズリを買いに出す。

日曜日にNHK・BSで放送された映画「真珠の耳飾りの少女」。先週、新国立美術館の展覧会、「フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展」に出かけたが、そこで垣間見た「世界」が映像で目の前に展開する。なんとも楽しい。

昨日の午前、事務所で見る。昼食に出ると映画のあの場面のような空、雲。思わず「何色かな」と暫し見上げる。

小沢一郎氏が党首を「辞めた」のではなく、みんながひれ伏して「続けてください」と言えば続投してやってもいいということらしい。またか。それや、これやは、雲と光が見せる世界に比べると、実につまらないことだなあ、と感じた午後だった。

そういえば、フェルメールこそ面白いという話しをはじめて聞いたのは、四半世紀前、座談会での浅田彰氏の発言だった。どうしておられるだろうか。ちなみに、絵だけ見るとパラノイア型に見えるフェルメールは、映画の中では充分にスキゾ型だった。

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2007年10月21日 (日)

NHK「映像の世紀」録画再見始める

夕食後、わが家の二人の高校生にNKHが10年以上前に放送した『映像の世紀』の第1回の録画を見せる。今世紀初めのパリ万博の映像、漱石が世紀の初めとして「幸先が悪い」と書きのこしているビクトリア女王の葬儀、辛亥革命当時の中国、サラエボ事件当日のオーストリア皇太子夫妻がサラエボ市庁舎に入っていく様子など、ナマの映像の迫力に子どもたちも引き込まれてみていた。

トルストイの晩年の様子も紹介されているが、彼が最後に手紙を送った相手は南アフリカで人権運動に投じていたガンジーで、その非暴力主義に共感し称えていたというエピソードには改めて感心する。安倍晋三氏が敬愛する大英帝国は同じ頃、南アフリカをボーア人の反乱に乗じて植民地にしようと企んでいたわけだが。人は思わぬところでつながっている。帝国主義の系譜に連なろうとする人々もいるが、自分はトルストイ、ガンジーの系譜を継ごうとするものとして努力したいと思う。

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2007年10月19日 (金)

亀戸天神の二株の藤

NHKハイビジョン特集「日本 庭の物語 -江戸大名庭園から未来の庭へ-」を見ていたら、亀戸天神の美事な「藤」は、先の大戦の空襲でいったんは全て焼け落ちてしまったけれども、奇跡的に二株だけが芽を出し、現在の姿に復活した。庭園としてのデザインも広重の「江戸名所図絵」そのままだが、藤も江戸時代のものであるといった話しを紹介していた。

それだけのことと言えばそれだけのことだが、なんだか良い話しだと思った。

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2007年10月12日 (金)

アイリス・ヤマシタさんが「合作映画」の勧め

クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』の脚本を担当した日系米国人であるアイリス・ヤマシタ氏がパネラーとして参加した「変わりゆく日本のイメージ?-米メディア界で活躍する日系人の見方」という公開シンポジウムを見に行った(10月11日、経団連ホール)

ヤマシタ氏は20世紀のアメリカの映画を含むメディアにおける日本人のイメージの変遷について資料を用いて紹介したが、一般のアメリカ人に日本人や日本文化についての理解を進めるための方策として「合作映画」を作ることを推奨していた。

『硫黄島からの手紙』は第一稿が採用になったという裏話はヤマシタ氏の実力を裏付けるものだったが、初めから「日本人俳優を起用し、日本語で撮影する」というコンセプトを採用していたこの映画が、当初は監督も日本人起用を考えていたのに対し、ヤマシタ氏が「それではほとんど日本映画になってしまう」とアメリカ人監督の起用を主張、イーストウッド氏がメガホンをとることになったという。

たしかに『硫黄島からの手紙』は、「お互い同じ人間で、違うところもあるけれども生活感情はじめ共通することの方が多い」というメッセージを強く発していた良い映画だったと思う。ヤマシタ氏によれば1969年の日米合作映画『トラ・トラ・トラ』でさえ、日本人理解に大いにプラスになったという。そういえば、コックの渥美清が軍艦の厨房で松山省二と日付変更線越えについて論議をしていて「昨日の弾が今日の敵に当たるはずないじゃないか」と言っていた場面など、アメリカ人には受けたのかなとふと思った。

「合作の推進」を国際理解推進の方策とするという提案はたいへん前向きだと思う。そういえば中国残留婦人を取りあげた『純愛』という映画が、東京の若い女性たちに強く支持されたというニュースもあった。

いろいろな分野の映画で国際合作が進むと良いと思う。森田としては西木正明氏の『夢顔さんによろしく』や劇団四季の『異国の丘』の題材となった、1930年代にプリンストン大ゴルフ部キャプテンとして同大チームを全米優勝に導き、上海同文館では単身重慶に乗り込み和平工作に身を投じようとして日本陸軍に阻止され、ついにはシベリア抑留からの帰国直前に亡くなった近衛文麿首相の長男・文隆氏のストーリーなど、「日米中」、または「日米中ロ」合作で見てみたいと思う。

なお、他のパネラーからは「日本にはアジアの他の国との競争に負けてほしくない。世界市民になるためには、Engrish.com(English.comではなく)という日本人の英語の間違いを集めたWEBページにあるような、恥ずかしい英語のレベルを向上させてほしい。中国では小学校1年生から英語が必修だ」という趣旨の発言(サチ・コト氏)もあった。

それを聞いて森田は、それでは一生アメリカの後追いばかりだ。それよりも、アメリカで中国語を勉強する人も増えているので、日本人の必修外国語は「全員英語」ではなく、「3分の一は英語、3分の一は中国語、残り3分の一はスペイン語、アラビア語、韓国語など他の言語」にするといった思い切った手を打つことこそ、現実的な選択ではと思った。

安倍前首相の政権投げ出しも、われわれが想像する以上に日本のイメージを損なったらしいこともパネラーの発言から知ることができた。外務省なども良いところに気がついてこういった事業を後押ししていると思う。日本文化を内在的に理解している「日系人」との良い関係を結んでいければ、日本にとって大きな宝になるだろう。

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2007年10月 9日 (火)

映画「ラブソングができるまで」(MUSIC AND LYRICS)

DVDレンタル開始で再見。ヒュー・グラントが中年の元ポップスター、ドリュー・バリュモアが作家の卵という組み合わせで、「うた」づくりの楽屋を見せながら「前向きに楽しくやろう。でも、譲れない一線にはちょっとは勇気を出そう」といったメッセージをもった佳作。

あまり映画館に足を運ぶ方ではないが、5月の連休に出かけ、7月のアメリカ出張の全日空便でも往復見た。主役の二人がとにかくおかしく、周辺の登場人物も温かみとユーモアに溢れている。森田は映画の技法、文法には全く明るくないけれども、物語、対話がよどみなく流れていくことには、高度なテクニックの裏打ちがあるのだろう。

「音楽」と「詞」が主人公とあれば、作曲者と脚本家にとっても大きなチャレンジだったに違いない。笑い話に逃げる風を見せながら、きっと全力投球だっただろう。お薦めする私のレベルがわかってしまうことになるかも知れないけれども、騙されたと思ってぜひ一度ご覧下さい。

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2007年10月 5日 (金)

安倍前首相が「任命」した古森重隆NHK経営委員長(富士フィルム社長)の偏向に要注意

安倍前首相の退陣は、さすがの温厚な国民もあまりの偏向に「ノー」を突きつけたということだが、安倍氏の教育基本法改悪強行成立などの悪しき実績は消えない。安倍氏の応援団である富士フィルム社長の古森重隆氏が、NHK経営委員長に就任したことも、安倍政権の亡霊として監視が必要だ。

なにしろ、参院選挙中の報道が野党寄りに偏向していたかのような圧力発言だ。NHK叩きが続く中で、NHKの現場は「憲法60年」にしても、もうすぐ体験者がみな他界してしまうであろう年齢に達した、先の大戦についての「証言」を集めたドキュメンタリーにしても、よい仕事をしているのが気に入らないのだろう。

古森氏が経営委員にふさわしい人なのかどうか、ここはよほど注意して見ていく必要がある。参議院も責任をもって考えるべきだし、われわれも必要があれば「富士フィルム」に対して何らかの意思表示をしていくことも考えるべきだろう。

「朝日新聞」が、社説で古森氏のNHKの経費削減などについての言動に拍手を送っていたが、たまたま対立した経緯があるからといって、肝心なことを外していると思う。

NHKの議事録公開はたいへん結構なことだ。政府の各種「審議会」も議事録公開を法的に義務づければ、少しは国民の目が行き届くことになると思う。

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2007年2月11日 (日)

六本木東宝シネマズの『不都合な真実』チケット売り切れ

明日、家族を連れて六本木東宝シネマズにゴア元副大統領の『不都合な真実』を見に行こうと思ったけれども、前売り券は夕方までの4回までは全て売り切れ。来週以降にすることに。

12月30日の午後に『硫黄島からの手紙』を見に行った時には(たまたま安倍総理の前日だった)、ずいぶん入っていたけれども前夜の予約でいちばんいい席だったので、なかなかの人気のようだ。これは嬉しいニュース。

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アニメーションの技術に驚く

アニメーションについは全く門外漢だが、たまたま先ほど息子が『デジモンセイバーズ』という番組を見ていた時に画面が目に入った。主人公たちが車で移動している場面だったのだが、画面にゴーストが出ているよう顔が少し二重写しに見えたので、息子にそれを言うと「車の中の場面なので、窓に顔が映ってるんだ」と言う。

よく見るとその通りで、あまりにうまく表現できているのでびっくりした。その世界のことを知っている人にとっては「何だ、今頃そんなこと言っているのか」と言うことだろうけれども、鉄腕アトムや鉄人二十八号のような今となっては紙芝居のような映像で育った世代としては技術進歩に驚くばかりだ。

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2006年12月 7日 (木)

「7日間」と「7年間」ーふたつの文書の起草にかけられた時間

クイズです。ある文書は7日間で起草されました。それと対比されるある文書は起草に7年間がかけられました。さて、この二つの文書は何でしょうか。

ここのところ、わが家の二人の高校生のために、「そのとき歴史が動いた」をはじめとする歴史関係のテレビ番組録画VTRテープをハードディスクに移して、取りあげている時代順に並べ替えてDVDに収め直すという作業をしてきたが、なかなか勉強になった。

7日で起草されたのは「日本国憲法」の草案であり、7年がかけられたのは「大日本帝国憲法」だ。今年は日本国憲法公布60周年だったが、10年前の50周年に大阪の朝日放送が、五十旗頭真・神戸大教授(当時、現防大校長)をキャスターに起用した番組は今でも見応えがある。

女性の権利を憲法に書き込むべく努力したベアテ・シロタ・ゴードンさんの当時の仕事ぶりが広く知られるきっかけになった番組だが、存命だったケーディース大佐らへの長時間インタビューは、GHQによる草案の起草過程を鮮やかに描いており興味が尽きない。

占領政策にオーストラリアやソ連に一定の発言権が与えられる「対日理事会」が設けられる直前、日本が提示した「松本案」は大日本帝国憲法のマイナーチェンジで話しにならなかった。マッカーサー最高司令官が天皇制を温存した民主憲法をアメリカのコントロール下で制定するチャンスが限られたがある日、GHQの一室にスタッフが集められ「憲法草稿を、分担し一週間で起草するように」と指示された時には、最初は悪い冗談のように受け止められたようだ。

しかし、ここで言いたいことは「軍人による、7日間のいい加減なやっつけ仕事だ」ということではない。むしろ、7年間がかけられた「大日本帝国憲法」が、天皇が神であるとし、統帥権が内閣や行政から独立して天皇に直属するとしていたために、愚かな戦争の巨大な惨禍を引き起こしたのと対照的に、7日間でアメリカ人の