司法

2009年4月 3日 (金)

イスラエルのリーベルマン外相、汚職疑惑で捜査

司法の公正を確保するためには、それが政治ときちんと切り離されていなければならないことは言うまでもない。その意味で、小沢一郎民主党代表の秘書を、この時期に逮捕した東京地検特捜部の動きに多くの人々から疑義が呈されている。それには森田も同感である。

それはイスラエルにもあてはまり、いくら日本のネット右翼と同じ程度の知能程度と横着さで知られ、パレスチナ和平をすっかりぶち壊しかねない極右政党出身のリーベルマン外相についても同様だ。

ここまでは公式見解。イスラエルについては、中東と人類の未来のために、リーベルマンのような男は逮捕でも何でもして失脚させ、ネタニヤフ政権が崩壊することがパレスチナの未来と世界の平和のために必要だ。イスラエル警察頑張れ。

というのはやっぱりまずいか。「二重基準」。

【以下、切貼】

汚職疑惑で外相を聴取  イスラエル警察

 【エルサレム2日共同】イスラエル警察は2日、贈収賄やマネーロンダリング(資金洗浄)などの疑いがあるとして、ネタニヤフ新政権のリーベルマン外相から約7時間にわたって事情聴取した。警察の報道官が明らかにした。

 警察は数年前からリーベルマン氏の捜査を続けているが、事情聴取するのは外相就任後初めて。同氏は旧ソ連からの移民で、ロシア系、ユダヤ系実業家との関係が深いことで知られる。1999年に国会に初当選し、これまで国家基盤相、運輸相などを務めた。

 ことし2月の総選挙の運動期間中には同氏の娘も事情聴取された。リーベルマン氏はネタニヤフ政権で法相就任にも意欲を示したが、捜査対象となっていることから外された。

 同氏は疑惑を否定し、左派寄りの司法当局による「政治的捜査」だと批判している。

 リーベルマン氏は、極右政党「わが家イスラエル」の党首で、3月31日に発足した右派連立政権の外相に就任したばかり。

2009/04/03 01:23   【共同通信】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月 6日 (金)

「献金返却」という自民党議員-証拠を見せろ。

加納時男議員とか、二階派とか、西松関係の献金を「返却する」と表明している自民党の議員たちがいて、それをメディアは大きく報道している。

これは、本当に返却したかちゃんと見届けないと怪しい話だ。検察が偽装とリークしている政治団体は解散しているというのだから、いまのところ「誰」に返したらいいのかハッキリしていないなどと言うではないか。

「そのうちハッキリしたら」などと言っているうちに、メディアの関心は他の方に移ってしまい、結局は逃げ切ろうという魂胆の議員もいるのではないか。

「ここに返しました。これがその領収書や振り込みの記録です」というものが提出されない限り、森田は「返却」を信じない。

メディアには社会部というものがあるのだから、検察リークばかり報じていないで、また政治部に遠慮ばかりしていないで、この辺でもちゃんと報道の使命を果たして欲しい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年4月23日 (水)

刑法改正による終身刑創設を

光市の未成年者による母子殺害事件に死刑判決。いくつかの意見を見たが、たとえばきっこのブログ「命でしか償えないこと」、逆に少数派を自称する反戦な家づくり「光市事件の不当判決について」の両方に共感を覚えてしまった。

「刑法改正による終身刑の創設」についてはどちらの派にも絶対的な否定論はないようなので、いつも微温的な森田としては「刑法改正による終身刑創設」を、神学論争決着以前に政策プログラムに乗せるべきだと思う。20年もすれば仮釈放になることもある「無期懲役」と「死刑」の落差は大きすぎるだろう。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年12月21日 (金)

平安時代、藤原仲成処刑以来350年近く死刑を停止したわが国の朝廷=『毎日』コラム「余録」より=

学生時代、大学にアムネスティー・インターナショナルのグループを作りたいという友人に誘われて参画した。アムネスティーが「良心の囚人」とよぶ、世間で言う政治犯の釈放に当局への書簡送付などソフトな「直接行動」を粘り強く進める団体の趣旨に強い共感を覚えたが、当時は「死刑廃止」の主張には違和感を覚えた。

フランス革命で大量殺人を犯し、奴隷の売買や虐待について明確な謝罪をしていないヨーロッパ諸国が死刑廃止を訴えることに偽善を感じる人も多いだろう。

しかし、死刑の実情についての新聞記事を読み、9・11同時多発テロの際に、報復の連鎖を避けるべきというヨハネ・パウロ二世の言葉に共感し、今もイラクなど世界の現状にその言葉の正しさを日々感じている自分としては、「人類には、死刑を正当化している原始的な段階に止まる人類と、死刑を止めたより進歩した人類の二種類がある」と考えるようになっている。

アメリカでは、1970年代の最高裁判例変更で多くの州で復活した死刑が、最近のニューハンプシャーのように一部の州で再び廃止される動きがあるという。あのアメリカでも、州によっては死刑を廃止しているのだ。日本は、それでも中国やイスラム圏と同様に死刑制度を続けるのか。

そんなことを考えていたら、毎日新聞の12月20日付のコラム「余録」で興味深い事実を知った。保元の乱で藤原信西が復活させるまでの平安時代、天皇家25代、350年近く、わが国では死刑が停止されていたというのだ。余録子も言っているが、こんな例は世界にもまれだろう。仏教思想の影響が指摘されるが、とにかく「死刑廃止」はわが国と天皇家の、世界に誇るべき伝統なのだ。

「死刑」を続けるのか。それは、われわれがこれからどのような社会を作っていくのかという大議論の中にしっかり位置づけ、タブーとせずに議論していくべきだと思う。

【以下は、12月12付『毎日新聞』コラム「余録」の写しです】

余録:死刑停止

 「死罪を行えば海内(かいだい)に謀反(むほん)の輩(ともがら)たえず」は「平家物語」の平重盛の言葉だ。保元の乱の際、天皇家25代にわたって長らく行われなかった死罪を藤原信西(しんぜい)が復活させたのを批判する。清盛に死罪を思いとどまらせるためだ▲信西は後の平治の乱ではその報復を受けることになった。重盛はそこで仏教的な因果応報を説くのである。実際に朝廷は810年の藤原仲成(なかなり)の処刑以来、350年近くにわたって死刑判決があれば減刑し、事実上死刑は廃止されていた▲背景には仏教思想があったものの、たとえ仏教国であれ何であれ、こんな長期にわたり死刑を停止した例は世界でもあまりないだろう。その復活をもたらしたのは武家の台頭で、それから850年もたてば日本も世界もまるで様変わりする▲国連総会は死刑執行の一時停止を加盟国に求める決議案を賛成104カ国で採択した。ここでの日本は米国や中国など53カ国とともに反対票を投じ、棄権は韓国など29カ国である。決議の背景には、死刑廃止にむけた国際的圧力を強める欧州連合(EU)などの働きかけがある▲「死刑停止」といわれても、昨今の凶悪犯罪の冷血、被害者遺族の無念を目の当たりにすれば、とても受け入れられないという方が多かろう。ただ凶悪犯罪は日本だけでないのに、この30年間で一挙に100カ国以上も増えた死刑廃止・停止国である。その経験や、掲げる価値を踏まえた論議はもっとあっていいように思える▲裁判員制度では市民が死刑判決にかかわる局面が生まれる。死刑の現実を見つめ、人間の罪と罰をめぐる深みのある考察が求められる今だ。平安時代ほどの論争もない方がおかしい。

毎日新聞 2007年12月20日 0時01分

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年10月31日 (水)

民主党の「取り調べ録画」刑訴法改正案提出方針を支持する

えん罪事件などが絶えず、裁判官が「お気の毒」などと人ごとのようなコメントを言っている現状を考えると、取り調べに「録画」を義務づける法案を出そうという民主党の方針は理にかなっている。

長く続いた自民党一党天下の下では、法改正というと業界団体の利害に関わるようなチマチマした話しばかりで、「刑事訴訟法」改正によって人権保障をより確かにしようといった話しはほとんど聞いたことがなかった。参院の与野党逆転を現実に活かそうとするもので評価できる。

「お役人の天下」を終わらせるには、「刑法」「民法」などの基本的な法律からはじめ、政治が「立法権」を持っていることをハッキリさせるため、国民サイドに立って見直していく作業が必要だ。いろいろなお考えがある問題かも知れないが、森田は死刑廃止論であり、そこまで世論形成が進んでいない現段階でも「死刑と無期の中間に『終身刑』を作る」といった刑法改正はすぐに行うべきだと思う。

いま、前防衛事務次官の「接待漬け」が問題になっているけれども、お役人のごっつぁん体質を根本から直すには、収賄に関する刑法の条項に「職務権限にかかわらず」と書き込む改正をして、お役人は「物がほしければ自分でお金を出して買う」、「飲んだり食べたりしたければ自分でお金を出す」というルールの転換を行うべきだ。今は職務権限が裁判所に認定されなければ贈収賄にならないという、便宜供与については事実上無法状態なのだ。

元官僚の坂東真理子という人が書いた「女性の品格」と言う本が売れているそうだが、「品格ある女性は、お世話になった人に季節のおいしい食べ物を贈る」と書いているらしい。さすがに元キャリア官僚だけに頂き物が大好きなのだろうが、こういう根本的なところから直していかなければ、政治・行政の腐敗はいつまでも無くならないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月17日 (木)

「教育基本法&共謀罪」は、わかりやすく言えば「教育勅語&治安維持法」=保坂展人代議士=

「次の内閣の最優先課題は、教育基本法と共謀罪と聞いている。わかりやすく言えば、「教育勅語」と「治安維持法」だ。」

社民党の保坂展人代議士のブログがそう書いているが、全く同感である。

来年の夏は、12年に一度の統一地方選と同じ年に行われる参院選(イノシシ年、保守系は統一地方選でくたびれて敗北する傾向が強い=故石川真澄氏の指摘=)で、わが方には大きな反撃の機会が与えられているが、安倍政権誕生からそれまでの間が「魔の時」である。

臨時国会は修羅場となろう。「最悪の秋」に備え、心あるものは保坂氏にならい準備を怠ってはならない。正念場だ。

先の衆院選で、比例東京ブロックの自民党名簿搭載者が足りなくなって社民党にまわって議席を回復した保坂氏。これも与党3分の2議席を心配した天の配剤、存分な働きを期待する。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年8月15日 (火)

小泉総理「終戦の日」靖国神社参拝

早朝、参拝を決めたことを知る。自らの人気を、国益に優先する愚かな振る舞いだ。「敗れて目覚める。それ以外に日本が救われる道があるか。そのさきがけとなるのは本望」と犠牲を受け入れた、若き有為な人材たちの心を無にするものだ。

なぜわが国の首相は、わが国の国民は、目を覚ましていることができないのか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月28日 (水)

「日本・中国・韓国」犯罪グループによる誘拐事件のニュースに、外国語教育の方向性を考える

女性誘拐犯が「日中韓」グループだったというニュースを聞いて、そういう時代かなと思った。徳川時代の鎖国、冷戦など一時の歴史的な条件が隔てていた日中韓は近くて近い国になってきた。

こんどのような事件に接して考えるべきことは「中国人や韓国人はできるだけ入国させるな」「犯罪予備軍として警戒しろ」といった、中国人や韓国人を遠ざける方策ではないと思う。

犯罪グループだってこんなに協力できるのだから、文化・学術や経済産業、政治・行政などあらゆる分野で協力の潜在的可能性は大きいと考えるべきだ。同じ東アジアの文化的な伝統の上に立ち、しかし全く個性の異なる文化の出会いは新しい創造の源泉となり得る。

犯罪抑止という面だけについて言っても、例えば捜査当局全体の「中国語」「韓国語」の能力の水準を高めるといったことが効果的だろう。

しかし、それらのことをとってつけたように実現することはできない。国策として、外国語教育における英語一辺倒を改め、第二外国語として中国語や韓国語を学べる機会を飛躍的に充実すべきである。小学生に英語を教える「特区」があるそうだが、第一外国語が「韓国語」「中国語」「ロシア語」という市町村があってもいいと思う。その場合、第二外国語として英語を学べる機会の充実が必要であることは言うまでもないが。

日本はアメリカの植民地ではないのだから、外国語教育のあり方について、もっと国益を真剣に考えた構想を持つべきである。そうしたことが日本の「国際化」の本当の意味での出発点になるだろう。

ピンは「日中韓のコラボレーションの未来」のため、キリは「不心得な中国人や韓国人の犯罪から子どもたちを守るため」、日本人の中国語力、韓国語力を飛躍的に向上させるべきだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月 1日 (土)

靖国神社「遊就館」-多数の遺影に想う

高2の娘と少し前から靖国神社の「遊就館」に行ってみようと約束していたところ、桜も満開で好天の休日となったため家族で出かけてきた。

「遊就館」は思ったより大きな、きれいな施設で驚いた。広々したスペースに近代の戦争・歴史絵巻が展開され、先の戦争はやむを得ない自衛戦争だったという史観に基づく映像などが何カ所かで放映されている。

いちばん印象に残ったのは、展示の最後の方に遺書や遺品などとともに、たくさんの小さな遺影が氏名、階級、死亡場所などを明記して掲げられていたことだ。そこに東条英機首相も「法務死」として紛れ込ませてあるところはまことに姑息な感じがするものの、一人一人の遺影を見ていると、それぞれの多様で、しかし平凡でどこでも出会うような表情の後ろに、家族の様子、学校時代の様子や徴兵前の職場での様子などが思い浮かび、戦争の歴史がいかに多くの人々の人生を巻き込んだかを印象づける。

神社側の狙いは「靖国史観」の宣伝なのだろうが、森田自身は「こんなにもの犠牲。政府首脳の誤った判断と、大衆・マスメディアが作り出した愚かな、しかし逃れることの難しい『空気』によってこんなにも多くの人々を犬死にさせた愚行を決して繰り返してはいけない」という思いをますます強くした。

終戦を小さな子供として迎えたであろうご婦人達が、開戦前の日本が戦略物資の入手をどれくらいアメリカからの輸入に頼っていたかを示すグラフを前に「これで戦争を始めるなんてとんでもない」と語り合っていたのをはじめ、批判的な視点をもった来館者も見かけた。

娘は「ほかに近代日本の政治外交史、戦争の歴史を詳しく紹介した博物館などはないのだから、見る価値がある」と言っていた。そうかもしれないが、開戦を望んだアメリカに締め上げられて仕方なく自衛のために戦ったという史観に貫かれ、政府首脳の失策のなかで昭和天皇の意向を受けて終戦に尽力した鈴木貫太郎首相のポツダム宣言「黙殺」のみを特筆大書し、展示の最後でパール判事の東京裁判批判を大きく掲げて自らの主張を押しつけようとする展示には違和感を覚えざるを得ない。

阿南陸相の遺書を見た5~6歳に見える女の子が「どうして血がついているの?」と父親に聞いていた。陸軍の意向を代弁しつつもついに辞表を出さずに踏みとどまり、ポツダム宣言受諾に極めて大きな役割を果たした阿南氏の責任ある態度は、今日のわが国の繁栄の礎の一つであることは間違いない。少女がそのことを知るきっかけに触れることができることは、一面では良いことだと思う。

しかし、それがこのような偏った考え方の施設でしか行われないというのは困ったことだ。やはり靖国神社はビル・エモット氏の言うように国営化して展示施設などは政府の見解に沿ったより中立的なものにすべきかもしれない。そうでないなら、青少年や外国人に日本の近代政治外交史、戦争史を紹介する公営の展示施設・博物館などを別に設けることを考えるべきだと思う。

A級戦犯合祀や、このような偏った展示施設に皇族の写真などもたくさん掲示していることは、わが国の姿勢について諸外国に誤解を与え、青少年の歴史教育において問題がある。このような国益を損なう事業を「宗教法人」として課税面でも特別な優遇を受けて続けさせていいのだろうか。公益を損なう勝手なことをどうしても続けたいというのなら、宗教法人の認可は取り消して、一民間結社として固定資産税などちゃんと払わせるべきだと思う。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2005年10月21日 (金)

総理の靖国参拝「結果責任」再論

 私の発言について、masasanから「これは明らかに間違ったコメントですね。要するに『外交よりも信念を優先させた』とおっしゃりたいと思うのですが、そんな次元の問題ではないのです。中韓は、問題化することによって、自国の利益を得ようとしているだけであって、それを問題として取り上げること自体が、実は中韓に有利に働いてしまっているのです。神や、祖先に対して礼をすることは、日常的行為です。そんなことまで干渉されてはたまりません。逆に、中韓はそんなことでゴタゴタしている日本を見て、いよいよ調子づいて、イチャモンをつけるでしょう」というコメントがありました。

 なるほど、言われてみれば小泉総理の参拝は「信念」だけではなく、(主観的には)何かを実現しようとする意図、戦略にもとづいた行動である可能性もありますね。

 では、何を実現しようと言うのでしょうか。私は中韓に対して外交上、あるいは国際法上、言うべきことや主張すべきことがあれば、明示的に、そのことを直接ハッキリ言えばいいのだと思います。

 私は「A級戦犯合祀はおかしいじゃないか」「宗教法人の判断としてA級戦犯を合祀するというのなら、日本政府がサンフランシスコ平和条約で東京裁判の結論を受け入れたことを否定しているとの誤解を避けるために総理の参拝は控えるべきだ」という意見は筋が通っていると思いますから、中国政府、韓国政府の考えを単なる「イチャモン」と思っていません。

 だから「この問題で相手の言い分を認めてしまうと、他の問題でもズルズル押されてしまうことになる」とは考えていないのです。筋の通った問題については堂々と主張し、そう簡単には引き下がらない。もっと自信をもってもいいのではないですか。

 小泉総理は、中曽根総理以降の歴代総理の判断を覆し、日本の国内情勢を「ゴタゴタさせている」張本人なのです。やはり、私はA級戦犯合祀の問題に説得力のあるけじめをつけないままの総理の靖国参拝強行は、先の発言で申し述べた通り、日本の国益を大きく損なうと考えます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)