中国

2009年6月16日 (火)

金正男氏、中国亡命も?

昼過ぎにNHK-BS1で放送していた韓国KBSのニュースの最後のところで、中国の消息筋からの情報として、プリンス金正雲(三男)の側近グループによる、プリンスの異母兄でマカオ滞在中の金正男氏(長男)の暗殺計画が中国に察知され、中国は北朝鮮に対し「支援見直し」も示唆して計画の中止を強く警告するとともに、金正男氏の身柄を保護。正男氏は将来、中国に亡命するかもしれないという。

韓国の報道は、日本のメディアに比べフライングを恐れない傾向があるので割り引いて考えなければならないかもしれないが、仮にトンデモ情報だったにしても、いろいろ考えさせられる。

今朝は朝日新聞にプリンスが少し前に父の名代として北京を訪問し、胡錦涛主席と会談していたと報じていた。どれくらいクギを差したのかが興味深いわけだが、少し間を置いて「正男暗殺計画」のリークないし創作である。

真偽のほどがわからないことをいろいろ考えてもしょうがないが、ホントなら報道の字面とは別に、中国が「おマエらの首根っこは押さえている。正男は人質に頂いておく。核のことなど、どうしても言うこと聞かなければ、こちらには政権転覆、正男政権樹立という道もある」と強烈なプレッシャーをかけているようにも見えるのだ。

一方、正男氏はヨーロッパでもフジテレビのクルーに気軽に日本語で応答する様子や、例の家族をディズニーランドに連れて行きたかったという田中真紀子外相時代の偽パスポートによる密入国事件など、不思議な軽さを漂わせる。

彼はこれから、シアヌーク殿下のような長い旅をするのだろうか。島田雅彦氏の連載小説をなんとなく思い出すが、徳仁親王といい、北東アジア儒教世界の長男はいろいろたいへんだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月27日 (金)

最近の中国、日中関係についての感想

先の全人代では、最近の世界経済の状況とそれが中国経済に与えている影響に焦点が当てられたため「政治改革は棚上げ」という批判報道もあったが、これは問題の緊急性と中国の国際的責任という面からはやむを得ないと思う。

世界の金融において中国の占める位置には大きなものがあり、IMFへの拠出を増やすなら中国は発言権を強めるべきべきであるという中国の主張には当然であるいうという側面がある。日本外交は、もし国連安保理でのポジションを強めたいと考えるならば「国連の安保理改革についてのわが国の主張などと合わせ、お互いの立場をサポートできれば良いと思う」と働きかけたらどうか。

全人代では呉邦国常務委員長から、年金や失業、医療保険などの内容を含む「社会保険法」を年内に成立させるという提案があったことも注目に値する。わが国も同様だが、経済が難しい時期においては、こうした分野の施策が充実していることが社会の安定に有益だからだ。

そもそも中国は「改革開放」「市場経済導入」以前においては、退職労働者の生活保障などは所属した「国営企業」の仕事だったのであり、「市場経済」に転換したなら、いわゆる西側の国々で導入している公的な社会保障制度を整備しなければ、「社会主義」の看板をかかげながら、資本主義国より社会保障で遅れをとるという逆転現象を招く。

全人代閉幕後の会見で温家宝総理が、将来台湾に「這ってでもいきたい」と発言したことは印象に残った。もっとも私は、最近の中国本土と台湾の関係のよい方向への変化を見るにつけ、また、同じ会見で温家宝総理は「われわれは積極的に政治体制改革を推進しなければならない。特に重要なのは社会主義民主政治を発展させ、人民の自由と権利を保障すること、司法体制改革により社会の公平と正義を実現することだ」と述べたが、こうした方向で着実な前進が図られるなら、おのずから問題は多くの人が予想するよりも早く解決に向かうのではないかと思っている。

それにしても、呉邦国常務委員長が全人代での発言で「西側の制度をまねることはない」「三権分立はやらない」という保守色丸出しの発言をする一方で、温家宝総理が会見でこうした政治改革重視を表明する発言をすることには指導部の中にも「色合い」の違いがあることを感じさせる。

中国指導部においても「温かみ」を強く感じさせる人物はかつては周恩来総理ということだと思うが、近年では大工さん出身で歯に衣着せぬ発言で人気のあった引退した李瑞環・元全国政治協商会議主席、それた温家宝総理だろう。昨年、四川省で流された涙は、自分のためではない、人民のために流した涙であることが我々にも伝わった。

日中関係は昨年の胡錦涛主席の来日の際に「戦略互恵」という高いレベルに引き上げられているが、70項目の共同コミュニケといっても、例えば環境の分野などは必ずしも具体的に進んでいないといった不満が中国側にあるようであり、着実な前進を図る必要がある。ショーのような外交より中味が重要だ。

なお、いまわが国の参議院との交流で来日している全人代の代表団=衆参両院が1年交代で交流=が沖縄を訪問することが産経新聞などに「米軍基地の情報を狙った領事館設置の布石」として注目されている。

沖縄は琉球王朝の時代、日本の室町時代・戦国時代、中国の明代に「日本、明国、東南アジア」と等距離にある貿易拠点として栄え、室町幕府が明と交易する方便として「朝貢」の形を整えたのと同様に明に朝貢する形式をとっていたため、形式的には日本と中国の両方をいわば宗主国としていたため、産経新聞が神経質になるのは理解できるが、ここは「沖縄は気候も人柄も暖かく、食べ物や美術工芸、地方色の強い音楽や舞踊など実に魅力的なところでありゆっくりしていって下さい。中国の方が台湾を『宝の島』と言われるのと同様、私たち日本人にとっての宝の島であると考えています」と軽く受け流すのがいいだろう。

そして、産経新聞にとっても、日本政府にとっても、あるいは本土の人間にとっても、先の戦争の終戦の遅れにより筆舌に尽くしがたい惨禍に見まわれ、現在も基地負担に喘ぐ沖縄を本当に大切にすることを真っ先に、真剣に考えなければならないる。中国に「手を出すな」などと言っている暇があるなら、そちらを先にすべきなのだ。
                                                                       
それにしても、産経新聞は佐々某の「北朝鮮のミサイルは、絶対に迎撃しなければならない」などという愚かな議論を大々的に掲載している。警察官僚あがりの石原慎太郎の選対本部長らしい意見だが、これは言ってみれば北朝鮮の「日中」「日米」離間策に乗せられる議論だ。

「戦争だ、という恫喝に屈するな」というが、前にも書いたが発射に「成功」した場合は、国際法上の多数説によるわが領空のはるか上を飛んでいくわけであり、偽装であるにせよ「人工衛星打ち上げ」の国際法的な手続きもとっており、これを「とにかく迎撃ミサイルを発射しよう」などというのは愚論中の愚論。麻生内閣の迎撃命令も「失敗して落ちてきた時」と言っているではないか。こんな頭も性格も悪い爺さんが、たまたま部下だったことがあるというだけで、故後藤田正晴氏の名前を出して自分に箔をつけようとしているのにはいつもあきれかえる。

北朝鮮の「人工衛星打ち上げ」は、そのやり方からして日本政府として容認できるものではないというのはわかる。一方、北朝鮮の農村や都市に暮らすごく一般の人々の窮状を思いやれば、ただただ「迎撃ミサイル発射」といきり立つのではなく、関係各国が種々の問題を乗り越え協力を強化することが必要と考えるべきだ。

こうした問題を考えても、中国と日頃から意見交換を密にし、協力を強化していくことが重要であると思う。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月22日 (日)

西松建設は戦中の中国人強制労働問題にも誠意ある態度を

毎日新聞の広岩近広記者が書いていたが(3月22日付「発信箱」)、例の西松建設は戦前・戦中に連行された中国人を強制労働に従事させていた企業であり、現在もそのことで問題ある対応をしているそうだ。

一昨年に最高裁判決が出て「日中共同声明で賠償請求は放棄」と強制労働の謝罪と補償を求めていた原告側の訴えが棄却された際に、最高裁は異例の付言で西松建設が「中国人労働者らを強制労働に従事させ相応の利益を受けている」と認定し「被害者らの救済に向けた努力をすることが期待される」と道義的責任にもとづく救済を促したけれども、西松建設は「単に裁判官個人の意見」としてこれを無視しているという。

こうした品性下劣な振る舞いによって、中国の人々の対日観に影響があると考えると本当に頭にくる。西松建設は、世間にご迷惑をかけていて申し訳ないという気持ちがあるなら、心ある社員の声を糾合してこういう問題についても是正してもらいたい。

自民党の議員たちにも「返す先がわからない」という多額の献金があるらしいが、こうした被害者の救済基金でも作ったらどうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月20日 (金)

中国の胡錦涛主席、訪中した北朝鮮首相にクギを差す。

中国の胡錦涛主席が訪中した金英逸(キムヨンイル)首相に対して19日、「6カ国協議を再開させることは、関係国の共通の課題だ」と述べ、ミサイル発射なども念頭に自制を促したという報道がなされている。

中国の北朝鮮に対する働きかけは、水面下で行われることが多く、このような報道に接するのは珍しいことだ。これはどのような「変化」を反映することなのだろうか。

言うまでもなく、1950年に始まった朝鮮戦争の時に、米軍の反撃で敗北の危機にあった北朝鮮に対し、建国間もない共産党政権の中国が鴨緑江を渡河して加勢し大きな犠牲を払いながら米軍を押し返して以来、中朝両国は「血で固められた同盟」という関係を誇ってきた。

今では北朝鮮は、中国からの食料、エネルギーなどの支援がなければ存立できないということは誰の目にも明らかなのだが、中朝関係は中国が北朝鮮のプライドをとても尊重する関係を結んできた関係があり、いまのキムジョンイル国防委員長の父親である金日成主席の時代から、日本側から中国側に対し「北朝鮮に対して影響力を行使してください」と働きかけても「ちょっと大きな声では言えませんが、全然言うこと聞いてくれないんですよ」という関係が続いてきた。

今回、公開の席で中国のトップから、かなりはっきりと例えばアメリカや日本も歓迎するような立場からの話が北朝鮮側に行われた。

この真意はどこにあるのか。中国として、米新政権が6カ国協議から米朝二国間に舞台を移すことのないよう、六カ国協議を本気で動かそうとしているのか。それとも、アメリカなどに一定のありばいを作ろうとしたのか。それとも、異例なトップによる半ば公開の場での発言ということは、さすがの中国も現在の北朝鮮のやり方にしびれを切らしかけているのか。

このトップからの注意喚起が、結果として北朝鮮のメンツを立てることになって、全体がいい方向に動くことに期待したい。しかし、逆にこのような明白な「助言」に対し、かつて毛沢東の中国がスターリンのソ連に反発したような過激な反応に出ないかちょっと心配がないわけではない。

しかし、いずれにせよ北朝鮮に関わることで日本の国益を実現したければ、「日米韓」をしっかり固めることとともに、中国の協力をいかに引き出すが決定的に重要だ。その点について現実が全く判っていなかった小泉政権に象徴される自民党政権、かつての外務省首脳部のあり方に対し、次期政権における「明確な転換」が強く求められる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月 5日 (木)

【切貼】中国「新型核兵器の研究を中止」  韓国『中央日報』2009年1月22日付

少し前になるが、中国の国防白書に関する韓国『中央日報』記事から。新型核兵器の研究を「一時的に」中止ということに何ほどの意味があるかとも思うが、日本の防衛省や外務省の記者クラブ所属記者へのブリーフィングにこういう観点からのコメントがなかったせいか、日本国内の報道に見かけなかったポイント。

【以下、切貼】

中国「新型核兵器の研究を中止」  韓国『中央日報』2009年1月22日付

  中国が新型核兵器の開発に向けた研究を中断したと明らかにした。

  核兵器で先進技術を有することから、持続的に研究する必要がないということだ。中国が核兵器開発の状況についての立場を公式に表明したのは初めて。「2050年までは世界のいかなる国からの攻撃も防御、撃退できる軍の現代化計画を終える」という方針も明らかにした。こうした内容は中国の国防省が20日に発表した「2008年国防白書」で公開されたものだ。中国は98年から国防白書を発表しており、今回で6回目となる。

  ◇「核兵器の製造、反撃能力は十分」=白書は「新型核兵器の開発を中断した」としている。もちろん「しばらくの間」という前提の下だ。理由は「外部からの核兵器による脅威が減少した」ということだ。

  しかし軍事専門家の見方は異なる。マカオ国際軍事学会の黄東会長は香港紙「苹果日報」とのインタビューで「中国軍が新型核兵器の開発をしばらくの間中断したのは、強力な核兵器製造の能力に自信を示したものだ。中国は核弾頭搭載の技術や核反撃能力の正確度を向上させるための研究を続けるだろう」という認識を表した。また「中国はすでに約2000基の核弾頭を保有し、核による自衛能力が十分だと判断している」と述べた。

  白書はしかし「核兵器の先制使用はしない」という点を明らかにした。中国は64年に核実験に成功して以来、先制攻撃をしないという原則を固守している。

  ◇陸海空軍の戦術変化=白書は「今後、中国軍は旅団や大隊級の戦闘体制に変化する」と明らかにした。大規模な作戦より強力な小規模の部隊を中心にした戦闘が現代戦の中核となるというのが、中国軍の指導者らの認識だ。各軍の変化の方向も公開された。陸軍は「地域防衛」の概念から脱却し、「全地域への機動型防衛」と攻撃の概念に変化している。

  「全地域」の概念が、北東アジアやアジアなど特定の地域を含めたものかは定かでない。海軍の主要任務は沿岸の警戒と防衛だが、公海上の作戦能力を向上させ、「非伝統的な安保脅威」に備える作戦も並行する計画だ。また昨年7月に海軍専門大学を開校し▽関連戦略の研究▽人材の養成▽新たな訓練システムの開発--に乗り出した。

  空軍は従来の「領空防衛」の概念から「反撃と攻撃」に作戦の概念を変えた。攻撃能力を強化するということだ。このために空軍は▽偵察や早期警報のシステム▽ミサイル防衛(MD)や戦略兵器を活用する能力--を強化するという立場を明らかにした。

  ◇「軍事力は不透明」=中国軍は07年から航空母艦の建造を直接かつ間接的に認めてきたが、白書は空母建造には言及していない。また軍別の兵力数や基本兵器の現況も公開しなかった。カナダの軍事専門紙「カンワ・ディフェンス・レビュー」の編集長アンドレ・チャン氏は、香港英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストとのインタビューで「台湾やベトナムなどといった国でもこれ以上秘密ではなくなった陸海空軍の兵力、パイロット、戦闘機の数などについて、白書は公開していない」とし「中国の軍事力は依然不透明だ」と指摘した。                    韓国『中央日報』2009年1月22日付   

【以上、切貼】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月20日 (火)

加藤紘一政権誕生-中国紙が内田樹説をキャリー

たまたま、中国の南方新闻网というWEBページのこんなページが目にとまった。 広東省の方の新聞だろうか?

自民党内出现串联 派阀活动频繁  2009年01月15日10:54   南方新闻网

その最後にこんなことが書いてある。

 《朝日时代》是日本最有影响力的周刊,1月12日那一期的第一页,刊登了日本最著名的思想家、政治观察家内田树的一段预言:“麻生太郎首相会再一次因为大嘴引发事件。自民党内部开始倒阁,麻生切腹(日语中意为‘辞职’)。作为看守内阁,政治家与谢野馨登场,他决定解散众议院实行大选,结果自民党大败。乱世之人小泽一郎登场,经过一番较量后,小泽推举加藤纮一出任首相,大民主党加藤政权诞生。”

中国語なので定かにはわからないが、内田樹氏が日本の雑誌に「麻生首相が大口を叩いたのがもとで引きずり下ろされ、与謝野選挙管理内閣の下で解散。自民党は大敗し、小沢一郎氏が加藤紘一氏を推し『大民主党加藤政権』ができる」といった予測を述べたということだろうか。

かつて村山富市・自社さ政権ができた年のはじめに、その政権の誕生を予測した人はたぶん一人もいなかっただろうことに比べると、若干の蓋然性があるような気がする。変な右翼の新首相よりはずっといいと思うが、できれぱいま自民党にいる人など一人も参加しない新政権の方がいい。

やっぱり中国記者は加藤氏に親近感があるのだろうか。それはそれで悪いことではない。あるいは加藤さん自身がウワサを流しているのかな?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月18日 (月)

福原愛選手、台湾監督に電話して日本チーム当日練習相手を派遣してもらう

 卓球女子団体の日本チームはメダルに届かず残念だったが、敗者復活2回戦で強豪香港を破った際に、福原愛選手が得意の中国語を活かして前夜台湾チームの監督に電話をかけ、早朝から練習相手の選手を一人派遣してもらったというエピソードに感心した。

 試合当日練習で3人だと1人余るので効率を考えてということだが、近隣諸国のことばを話せるということが、世界の舞台で日本が活路を開いてゆくときに役に立つということを示すモデルになっているように思う。最近の中台関係の雪解けムードという背景もあるだろうが、このストーリーが日本、中国、香港、台湾といったマルチラテラルな関係において展開しているところが、時代を先取りしている。

 総合商社などでは、第二外国語としての中国語に徹底して力を入れているらしい。日本からの若い留学生も増えていると聞く。いつも言うことだが、長期的な国益を考えれば、初等中等教育で「外国語と言えば『英語』一辺倒」の発想では、19世紀でもなく、20世紀でもない現代とこれからの「現実」に適合できないのではないか。

 さて、日本チームは3位決定戦で韓国に敗れた。韓国の人々は最近の「竹島」の摩擦で、表向きは領土問題のことで怒っているが、心の底では「日本は韓国のことを全然大切に思っていないじゃないか!」と怒っている。

 「竹島」のことは安倍晋三や中川昭一に連なる手合いや外務省、文科省に巣くう頭の悪い右翼官僚の工作に乗せられて国内で盛り上がっているだけではなく、歴史的な背景や資源などの現実問題も全て視野に入れ、韓国側との対話によって諸要素の均衡点を互いに見つけて折り合わなければならないと思う。

 しかし、それはそれとして「対韓国戦」は相手に敬意を払えばこそ、必勝の気概を持って全力で戦って欲しいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月13日 (水)

チャン・イーモウ監督演出の北京オリンピック開会式の政治的メッセージ

 8月9日の北京オリンピック開会式。家人が「すごい」と騒いでいたが仕事の都合で翌日録画を見る。チャン・イーモウ監督の演出は、歴史を前面に打ち出してスケールが大きく、映像技術を駆使し話題になった「絵巻」や五輪マークが空中に浮かんでゆく装置など表現技術も見事だった。緩急、静寂の対比させた構成や音楽の使い方もバランス良くまとまっていた。

 感じたのは「芸術」「文化」の持つ力だ。正直言って「金メダルをこんなにたくさんとった」と言われても、「そうですか?どうもそういうことを強調するのは途上国型、全体主義型のマインドですよね」と皮肉が言いたくなる。「こんなに世界中の首脳を集めました」と言われても、「僕は中国の話なら全部ケチをつける手合いとは違いますが、やっぱり民主主義とか、人権とかいろいろありますから、『政治』がテーマでは、なかなか中国さすがだねという気分じゃないですよね」ということだ。

 これに対して、あの開会式がもたらした感動については「さすが中国」という思いが素直に出る。もちろん、古典文明をモチーフにしながらも、チャン監督の表現技法はハリウッドなどに学んだ普遍的なものである要素が強いのだろうし、だからこそ多くの人が感銘を受けたのだろうが、いずれにせよチャン監督は結果を出した。

 興味があるのは、このイベントの内容について、中国共産党指導部がどれくらいチャン・イーモー監督の裁量権を認めていたのかということだ。NHKで見たBBCのスポーツ担当記者も「この開会式には、一人の人物の姿がありませんでした。毛沢東です」と言っていた。若宮啓文氏もコラムで「革命」の姿がなかったと書いた。森田自身は、実は歴史がテーマになると聞いたとき悪役で日本軍国主義が登場し、八路軍に叩きのめされるのではないかと心配していたので胸をなで下ろしたくらいなのだ。

 アヘン戦争を描くのではなく、サラ・ブライトマンを中国歌手とデュエットさせ、日本軍国主義も出てこない歴史絵巻。そこには「和」という漢字が3つの時代の字体で順に大きく浮かび上がった。チャン・イーモウ監督のイニシアチブだろうが、中国共産党指導部や宣伝部門の承認なくして不可能であったに違いないイベントのパフォーマンス。ここにどれくらい政治的メッセージが含まれているのか、それとも国民レベルの脱イデオロギーの反映なのか。

 開会式の翌日、TBSのサタデー・ズバットで葉千栄氏が、中国のいろいろな問題点、まだまだ遅れている点を批判することも必要だが、30年前の中国からすれば、この開会式に見るように、考えられないくらいの変化があった。この変化は、日本にとっても良い方向の変化だったのであり、そうした変化の方向性と大きさを評価する視点がもっとあって良いのではないかという趣旨の話をしていた。共感をもって聞いた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月18日 (金)

ロシアが四川大地震の被災学童1,000人をウラジオストックなどに招待

 NHK・BS1の2008年7月18日未明から朝にかけての枠で放送された中国中央電子台およびロシアRTRのテレビニュースで、中国の四川大地震の被災地の学童1,000人あまりがロシア政府の招待でウラジオストックやノボシビリスク州のキャンプ地への3週間ほどの滞在に招待され、17日に出発したという映像を流していた。

 内陸の四川省や陝西省、甘粛省出身の子どもたちは、海を見るのは初めてという子どもたちも多いそうで、張り切って飛行機に乗り込む子どもたちの明るい表情を見てほっとした。ロシア側も「中国料理を用意しているし、水温も海水浴にちょうど良い」と張り切っていた。

 これは良いニュースであると思うと同時に、ロシアもなかなかやるなと思った。ソ連崩壊後の極東アジアは経済停滞やインフラの老朽化などのイメージが強く、廃船になった原子力潜水艦の解体などは日本が資金面でずいぶん協力した。それが、ブッシュ政権のイラク戦争開始も関わるロシア経済の絶好調と、プーチン~メドヴェージェフ政権のAPECのウラジオストック誘致や極東ガスパイプラインの推進など、ロシアは「極東」地区を大いにてこ入れしているわけだが、このニュースは金額としてはそれほど大きな話してないにしても、そうした流れの中でのニュースであるとも受け取れる。

 「ロシアが中国の子どもを大事にするのはあたりまえではないか、ロシアだの中国だのはもともと仲間。ロシア・中国・中央アジアによる『上海協力機構』に見られるように、日米同盟とは別の側だ」という見方をする人がいるかもしれないが、その点、森田のこれまでの経験に基づく見方は異なる。中国のある知識レベルの人の外交面での日本に対する評価を一言で言えば「でも結局はアメリカに従うんでしょ」というものであるとするならば、中国のロシア観を一言で言えば「油断できない」というものだ。

 小さな行事だし、「宣伝」と言えばそれまでかもしれないが、ロシアは極東における中国の対ロシア観を改善する機会をうまく捉えたと思う。ロシアの東アジア政策にプラスになるだろう。それにひき換え、わが日本の政府は、対中国にせよ、対ロシアにせよ、何もよい知恵を出していない。それどころか、何の必然性もないタイミングで「竹島問題」を持ち出して、日韓関係を極端に悪化させることで外交の足下を自ら崩している。

 洞爺湖サミットにはやたらカネもつぎ込み、プレーアップに努めたけれども、自民党政権には外交に関して本当の意味での「やる気」が感じられない。

 四川の子どもたちのために日本政府も今からでも何か考えたらどうか。政府がダメなら、自治体や企業でもいいから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月16日 (水)

芥川賞に中国人女性作家の作品選ばれる

 芥川賞に中国人である楊逸さんの『時がにじむ朝』が選ばれた。1面で報じた毎日新聞に「文学史上の事件」という見出しが躍っているが、日本もいよいよ本当の「国際化」の時代を迎えつつあるのだなあと思う。たいへん結構なことだ。

 サルコジ大統領がローマ帝国の領域と重なる地中海諸国会議を盛大に開催し、シリアのアサド大統領の出席を実現してレバノン情勢や中東和平に積極貢献するアピールに成功して存在感を示しているのと対照的に、わが国は本当なら日本が提唱して主導権を握るべき「六カ国協議」をアメリカ提唱、中国の仕切りに任せて文句を言うだけ、挙げ句の果てにはせっかく親日政権になりそうだった李明博政権に対して、何の戦略もタイミングの判断もなく「竹島問題」をわざわざ持ち出して「対日強硬路線」に追いやるなど、国のトップや政府のレベルでは「外交3流」を絵に描いたような現状だが、「中国人作家が芥川賞受賞」というニュースは、馬鹿な政治家や役人のレベルとは別に、国民の日常のレベルで、また文化のレベルでの「日本の存在」の可能性が高まってく可能性といったものを感じさせるのだ。

 すでに漫画・アニメなどポップカルチャーの世界など、政治・外交に関わりない部分で日本は世界の中に居場所を確保しているが、さらにアートや文学の世界でもいっそう魅力を発信し、また交流を育て、公的な部門でも各国の人々に日本語を学ぶ機会を提供し、日本の資料に触れる場を増やす作業を、これまでの「お役所仕事」のレベルから革命的にレベルアップすることを考えるべきだ。

 いつも言うことだが、わが国の外国語教育のほぼ「英語オンリー」の状態は早く改めるべきだろう。中学での外国語は、半分は英語でいいとしても、もう半分は中国語、韓国語、スペイン語、アラビア語などを第一外国語で学べるようにする方が、日本の未来は明るいように思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月30日 (金)

「自衛隊機中国派遣見送り」の報に

「中国が自衛隊機派遣要請」という見出しをみて、「ぜひ派遣すべし」とフライングで感想を述べてしまったが、結局は派遣見送りだそうだ。

たしかに日本海軍による重慶爆撃は、ゲルニカや広島・長崎に先立つ、無差別都市空爆の世界史における嚆矢であったという指摘もあるわけで、町村官房長官ばかりでなく、森田自身も、そこまで一気に乗り越えることができるような期待を持った不明は恥じなければならないと思う。

とにかく、今は自衛隊派遣の可否などはサイドストーリーに過ぎないので、中国のニーズにどうすれば最大限に応えることが出来るかに意識を集中すべきだろう。

それにしても、自民党の一部に「中国は失礼だ」といったもの言いが聞かれるというのは呆れてしまう。相手の悪口を言うよりも、例えばアメリカの軍用機は、かつてはユーゴの中国大使館誤爆事件や偵察機の強制着陸事件などもあった米中の軍同士の関係を乗り越えて、すでに救援物資を運んでとっくに中国に飛んでいるという現実を直視すべきだ。

つまり、残念がるなら「ぜひ来てください」と言ってもらえるような信頼関係を構築できていないことを残念がるべきなのだ。小泉首相の靖国参拝で、アメリカが米中関係の信頼構築に努めた5年間を、わが国は空費してしまったことのツケがまわってきているだけの話と考えるべきだ。とにかく、繰り返しだが、今はそんなことより何をすべきか、何が出来るかに集中すべきだろう。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年5月28日 (水)

中国の「自衛隊機派遣」要請に驚く

第一報を聞いて驚いた段階での感想だが、まず結論から言えば、飛べる輸送機とヘリコプターを全部提供してでも要請に応じるべきだと思う。

驚いたのは、阪神大震災の時のわが国と同様に、外国の援助受け入れには全く不慣れであるように見受けられ、また日本の「軍」だの日の丸には強いアレルギーがあるに違いないと思いこんでいた中国から、日本の「軍」用機の派遣要請があったことだ。

背景には、おそらく中曽根元首相のような人々から中国政府に売り込みがあったのではないかと想像する。そう言えば、空自のOBでイギリスの危機管理会社の顧問として中国に駐在している人がいるという話を聞いたこともあるので、そういった「民間」レベルの中国政府への助言もあり得ると思う。

森田は基本的に、社会の中でミリタリーの占める位置が大きくなることに賛成ではない。しかし、ここは「自衛隊のセールスマンたちに乗せられているかな」という懐疑を持ちつつも、彼らが日頃語っている「自己完結で外に出て役立てる組織は、日本では自衛隊だけ」という点に当たっている面もあると思う。実際に役に立てる可能性は大きいのではないか。

法的には「国際緊急援助隊法」といったことになるのか?とにかく名古屋高裁で違憲判決が出たような、アメリカの戦争を手伝うための海外派遣ではなく、まさしく要請を受けての災害救援派遣だ。

政府間の調整などに、なかなか大変なことはあるのかもしれないが、ニーズに最大限応える派遣が、迅速に行われることを期待したい。この問題では、ひょっとすると森田と安倍晋三氏あたりは同じ意見ということになるのだろうか。それとも、中国に軍事機密が漏れるから慎重にと言うのだろうか。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2008年5月21日 (水)

クラスター爆弾国際会議-NHK山澤記者のレポートに違和感

おととい5月19日(月)、ダブリンでクラスター爆弾の禁止を目指す「オスロ・プロセス」の最終合意をめざした会合が始まった。小型爆弾を多数ばらまくクラスター爆弾は、一昨年、イスラエルがレバノンに侵攻した際に使用され、戦闘が終わって軍隊が撤収したあと多数残った不発弾の事故で、多くの子どもたちが亡くなったり、手足を吹き飛ばされたりしたことで、かつての「対人地雷」と同様、人道的観点からの廃止論が高まった。

「オスロ・プロセス」は、対人地雷の時のカナダ政府の役割をノルウェー政府が買って出たもので、この「有志」のプロセスには対人地雷の時と同様に、アメリカ、ロシア、中国といった国々は参加していないが、志ある国々の政府と国際NGOが連帯して、具体的な措置を動かし、国際世論も動員することでこうした国々をも動かそうというものだ。

各紙で報じられている通り、一方ではアメリカ、ロシアなど禁止に反対でこのプロセスに参加していない国々があり、その反対にノルウェー、中南米諸国など全面廃止に積極的な国々、そしてその中間に「部分禁止」を主張する英仏独などの国々がある。

それでは、わが国、日本政府の立場がどうかと言えば、朝日新聞2008年5月20日付3面の記事では「日本や英仏独などは‥『信頼性が高く、正確なものは除外すべきだ』という立場を取る」と書いている。さらに毎日新聞の同日付は英独仏は「最新型」のみを例外とすることを主張しているのに対し、日本は現在保有するものを持ち続けることを前提に「不発率が実戦で10%以上もあるとされる現有の『改良型』の堅持を主張している。国連の軍縮関係筋は『日本の主張に同調しそうなのはフィンランドくらいだ。逆に、他の部分禁止派と全面禁止派の溝は狭まっている』」と報じている。

現段階での日本政府は、当時の小渕外相が政治決断する以前における「対人地雷」の時と同様、アメリカにおもねる外務省と、軍事力維持の面だけから廃棄に反対する防衛省が積み上げてきた、いわば霞ヶ関のお役人たちボトムアップで形成された政策を主張することに止まっている。自民党政権が長く続きすぎたせいか、そこに憲法第9条の理想などかけらも見あたらない。福田さんにも、せめて小渕さん程度の大所高所からの政治的な判断を期待したいものだ。

ところで、このことを報じた2008年5月19日放送のNHK・BS1の「今日の世界」(22:15~)において、スタジオからの原稿読み上げと字幕では、わが国が英独などとともに「全面禁止」には反対し、「部分禁止」を主張していることを紹介していたが、現地からの山澤里奈記者のレポートでは、わが国がどういう立場をとっているかという話がスッポリ抜け落ちていた。これでは極右の経営委員長とは逆の意味で「どこの国のニュース番組なの?」ということになってしまう。「合意をめざすノルウェー政府代表が部分禁止を主張しているイギリスやドイツの政府代表を訪ね、妥協点を探っている」というだけの原稿は、「日本は全面禁止に反対している」という事実の印象を、作為的に薄めようとしているのではないかと感じた。

NHKの国際部記者が、外務省の役人や自民党の一部政治家と良い関係を築いておきたいというのは処世術かもしれないが、あまりに「アメリカ政府に最大限に媚びを売り、日本国民にはそのことを最大限覆い隠しておきたい」一部外務官僚に操作されていることが見え見えで、その思惑通りの放送をしているのでは公共放送の使命を果たしていることにならないと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月15日 (木)

内田樹氏の「頭を冷やせ」になるほど。

東京は久しぶりに良い天気。昨日までコートを着て、事務所近くまで地下鉄を乗り継いだのに、今朝は日よけにキャップをかぶって外苑東通りをウォーキング。事務所に入ると、やはり昨日まではモーツァルトの短調のピアノコンチェルトなぞを聞いていたのに、今日はベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』、往年のジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団の演奏CDなど久しぶりにかけてみる。

ここのところ、チベットのことで中国に対して批判というよりは誹謗中傷する連中に頭に来て、特に聖火リレーをデモで妨害する行為に対する反発から、カッカと来ていろいろ言いながら、なんとなくスッキリしない気分でいたところ『毎日新聞』2008年5月12日付夕刊で内田樹氏の「争いがとりあえず決着するために必要なのは、‥当事者の少なくとも一方が(できれば双方が)、自分の権利請求には多少無理があるかもしれないという『節度の感覚』を持つことである」「『いいから少し頭を冷やせ』というメッセージが政治的にもっとも適切である場面が存在する。そのような『大人の常識』を私たちはもう失って久しいようである」という論を見た。

いつも内田氏の議論は面白いと思うが、今度も第三の視点を出すとすればこういうことかとなるほどと思った。ただし、内田氏も「そんなことは言っていない」と言われるだろうが、森田としては21世紀に入ってからのわが国の政策の方向性の誤りについて批判し、代替プログラムを模索することを「自制する」つもりは毛頭ないけれども。

【以下は、毎日新聞2008年5月12日夕刊より内田樹論文 =『内田樹の研究室』より=】      

オリンピックの聖火リレーをめぐる騒動を眺めていて、いささか気鬱になってきた。何か「厭な感じ」がしたからである。何が厭なのか、それについて少し考えたいと思う。
 熱い鉄板に手が触れたときに、私たちは跳びすさる。「手が今熱いものに触れており、このまま放置すると火傷するので、すみやか接点から手を離すことが必要である」というふうに合理的な推論してから行動するわけではない。たいていの場合、私たちはわが身に何が起きたのかを行動の後に知る。
 聖火リレーにまつわる「厭な感じ」はそれに似ている。
 だから、この論件については、誰の言い分が正しく、誰の言い分が誤っているというような「合理的」なことは申し上げられない。それは「厭な感じ」が議論の内容ではなく、論を差し出す仕方のうちに感知されているからである。語られている政治的言説の当否は私にとっては副次的なことにすぎない。
 私が「厭な感じ」を覚えたのは、たぶんこの政治的イベントに登場してきた人たちが全員「自分の当然の権利を踏みにじられた被害者」の顔をしていたせいである。
 チベット人の人権を守ろうとする人々も、中国の穢された威信を守ろうとする人々も、聖火リレーを「大過なく」実施したい日本側の人々も、みな「被害者」の顔で登場していた。ここには「悪者」を告発し、排除しようとする人々だけがいて、「私が悪者です」と名乗る「加害者」がどこにもいない。
 そんなの当たり前じゃないか、と言われるかも知れない。権利を主張するということは「被害者」の立場を先取することなのだから、と。
 まことに、その通りである。「本来私に帰属するはずのものが不当に奪われている。それを返せ」というのが権利請求の標準的なありようである。それで正しい。困ったことに、私はこの「正しさ」にうんざりし始めているのである。
 近代市民革命から始まって、プロレタリアの名における政治革命も、虐げられた第三世界の名における反植民地主義の戦いも、民族的威信を賭けた民族解放闘争も、つねに「被害者」の側よりする「本来私に帰属するはずの権利の奪還」として営まれてきた。
 私たちが歴史的経験から学んだことの一つは、一度被害者の立場に立つと、「正しい主張」を自制することはたいへんにむずかしいということである。
  争いがとりあえず決着するために必要なのは、万人が認める正否の裁定が下ることではない(残念ながら、そのようなものは下らない)。そうではなくて、当事者の少なくとも一方が(できれば双方が)、自分の権利請求には多少無理があるかもしれないという「節度の感覚」を持つことである。エンドレスの争いを止めたいと思うなら「とりつく島」は権利請求者の心に兆す、このわずかな自制の念しかない。
 私は自制することが「正しい」と言っているのではない(「正しい主張」を自制することは論理的にはむろん「正しくない」)。けれども、それによって争いの無限連鎖がとりあえず停止するなら、それだけでもかなりの達成ではないかと思っているのである。
 私が今回の事件を見ていて「厭な感じ」がしたのは、権利請求はできる限り大きな声で、人目を惹くようになすことが「正しい」という考え方に誰も異議を唱えなかったことである。「ことの当否を措いて」自制を求める声がどこからも聞こえなかったことである。
 「いいから、少し頭を冷やせ」というメッセージが政治的にもっとも適切である場面が存在する。そのような「大人の常識」を私たちはもう失って久しいようである。

(毎日新聞2008年5月12日付夕刊)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月14日 (水)

朝日新聞記事「五輪の囚人」(4月28日付)

最近、新聞を読んでいて「えッ」と思った記事があった。それは、中国で当局批判を行って投獄されたり、そうした人々を助ける弁護士の活動を報じたものだった。一昨日、池上彰さんのコラムを読んでやっぱりメモしておこうと思った。

森田自身も、基本的人権の尊重されるべきことは人類普遍の原理であると思っている。また日本国憲法の定めるところにより、わが国も国家としてそのような立場であるはずである。ここに報じられたような事実があるならば、メディアがこれを報道するのは当然のことだ。「えッ」と思ったのは、申し訳ないことに中国駐在メディアは、当局の目を恐れてこのような報道は自己規制してしまうだろうという先入観があったからだ。

以前、故田中角栄元首相の葬儀に際して、ある政治家が読んだ弔辞について田中真紀子代議士が「父の全てを語って下さいました」と礼を述べた。実は、その弔辞を担当した歴史観に欠け、空気ばかり読むライターは、田中角栄氏の事績を振り返る弔辞から「ロッキード事件と裁判対策としての自民党闇支配」については全て欠落させていた。

昨年の温家宝首相の国会演説、先般の胡錦涛主席の早稲田大講演で「日本の戦後の歩み」が高く評価され、ODAへの感謝も述べられた。「タブー」は破られた格好だが、これら首脳スピーチが歴史の流れを語る際に言及が避けられるのは、『大地の子』が中国で放送されなかった原因とも考えられる「文化大革命」と、6・4天安門事件だ。しかし、実はここを抜きに中国の本当の歴史を語るのは難しい。

こうしたことが率直に語られるようにというのは、当面の外交課題というのとは少し違うだろう。しかし、とにかく「五輪の囚人」を取材した記者や、この記事の掲載を決断したホネのある人々の頑張りが助けとなって、いつの日にか、中国の人々とこうした20世紀後半、あるいは21世紀初頭の「歴史」についても構えることなく本当のことを語り合える日が来るといいなと思う。

【以下は『朝日新聞』2008年5月12日付夕刊be4面の池上彰氏によるコラムの写しです】

(池上彰の新聞ななめ読み)「五輪の囚人」 記者の怒りと勇気、感じる

 新聞記事の中には、これだけの内容に仕上げるには、さぞかし苦労があったのだろうと思わせるものがあります。最近では、「北京百日前」企画のひとつである「五輪の囚人」が、そのひとつでした(4月28日朝刊)。

  中国で、「北京五輪に巨費を投じるより人権状況を改善してほしい」という署名活動をしただけで、「国家政権転覆扇動」の罪で懲役5年の判決を受けた男性。逮捕された後、拘置所でベッドに手足を縛りつけられたまま食事や排泄(はいせつ)を強いられたという。この男性は、「五輪の囚人」と呼ばれる。
 人権活動家を支援する弁護士が、「公安」と名乗る4人の男に拉致され、3日間も監禁されたという。
 別の弁護士は、逮捕されている活動家の面会に行く途中で暴漢に襲われ、重傷を負ったが、警察は取り合ってくれない。
 中国国内で相次ぐ事件の数々を伝えています。「共産党独裁政権の弾圧を恐れずに人権や民主、法治、言論や信教の自由などを訴えているのは活動家だけではない。彼らを支援する弁護士も、身の危険にさらされながら闘う」と北京の朝日新聞記者は書きます。
 活動家の弁護をする弁護士は、弁護士の業務を停止させられたり、本人自身までもが国家政権転覆扇動罪に問われたりする危険があるというのです。
 こうした事実を、中国の報道機関は報じません。報道機関自らが、共産党中央宣伝部によって統制されているからです。
 「権力は党に集中する。その幹部に不正がはびこる。メディアは沈黙する。大衆が不満を募らせても、党批判は断罪されかねない。罪に問われた被告を守ろうとすれば、弁護士にも身の危険が迫る。
 これが中国の現実だ」
 記事には、記者の怒りが滲(にじ)んでいます。しかし、報道の自由がない中国で、日本の新聞記者が、こうした現実を取材すること自体、当局の妨害を受けるはずです。電話が盗聴されていることを前提にして、取材対象に迷惑をかけないように配慮しながら、取材の連絡を取り合う苦労。
 当局にとって都合の悪いことを書けば、その後、陰に陽に嫌がらせを受けることが容易に予想できる中で、ペンを鈍らせることなく、どこまでのことが書けるのか。
 この記事を書いた記者は、きっと中国の弁護士たちの行動に勇気づけられて、ペンをとったのでしょう。その記事を読むことで、私たちもまた、勇気づけられるのです。

(朝日新聞2008年5月12日付夕刊be4面)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月13日 (火)

民主党の「平沼赳夫氏との連携」には賛成できない。

四川省で大規模な地震があり、大きな被害が出ているという。被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げると共に、日本政府も有効な支援に力を尽くしてほしい。

さて、毎日新聞の2008年5月12日(月)付朝刊2面に、「合い言葉は反自民-政界再編へ『野人の会』」という見出しの囲み記事が出ていて、国民新党の綿貫民輔氏と平沼赳夫氏の顔写真が二つ並んで載っている。

週の初めから変なものを見てしまったという気分だ。まずは、第3極なんてものは現段階で国民にとっては不要だ。必要なのは、今の連立与党から、今の野党にスッキリ政権交代が実現することで、アメリカ一辺倒の戦争協力路線と、弱者切り捨ての新自由主義路線からの「転換」を明確にすることだからだ。野党にはそういう旗をまずしっかり立ててもらうことが必要だが。そもそも第3極などというものを必要としているのは、参議院のコントロールを取り戻したい自民党の方だ。

平沼氏というのがそもそも気に入らない。綿貫氏なんて者も前議長として偉そうなこと言っているのがプレーアップされているが、宮沢内閣時の自民党幹事長として政治家としては全く無能であることをさらけ出した「みんなで靖国神社に参拝する会」の神主さんに過ぎない。もっとも、国民新党については亀井久興幹事長がテレビで話していることが党の路線であるとするなら、外交ハト派、マクロ経済重視の保守中道路線と言えるわけだが。

平沼さんは「極右」ですよ。いまの後藤田代議士と故後藤田正晴代議士との関係に似たような血縁関係にあり、義理の祖父になっている戦前の平沼騏一郎首相は、戦前の構図の中でも「右」と言われた人で、米内海相や山本五十六海軍次官が体を張って抵抗した「日独伊三国軍事同盟」を強力に推進しようとしていた首相在任時に、ヒトラーが突然ソ連と不可侵条約を結んだことにパニックを起こし、欧州情勢は「複雑怪奇」とって政権を投げ出してしまったような人だ。

平沼氏のこれまでの言動を見ると、極右体質も、情勢判断能力の欠如も、まさしく「おじいさん」の生き写しだ。以前「民主党の早期問責提出は、麻生太郎内閣への交代の引き金になり、そうすれば中川昭一、安倍晋三らがもれなくついてくる」というようなことを書いたが、平沼氏はイデオロギー的にも、もれなくついてきそうだという点でもこのご一統なのだ。

民主党はこんな平沼氏の選挙に協力するため、同氏の選挙区への候補擁立を見送っている。民主党岡山県連は、昨年当選した変な参議院議員の擁立など、ちょっとおかしいのではないか。

とりとめないこと書いてしまったが、kojitakenという方が書いておられる「きまぐれな日々」というブログの民主党は平沼赳夫一派との連携を模索するな(5/3)、タカ派政治家の劣化(5/12)、平沼赳夫首相」の悪夢(5/13)が参考になると思います。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年5月11日 (日)

葉千栄氏の胡錦涛主席来日に関する感想=上田紀行氏を迎えた番組で=

胡錦涛主席の来日について、5月8日(木)放送のCS朝日ニュースター『ニュースの深層』におけるキャスター、葉千栄氏のコメントが興味深かった。

葉氏は、日中友好6団体主催のレセプションに日本側(!)の出席者の一人として列席したそうだが、「もし中国にいたら、雲の上の人で絶対に姿を見ることがなかっただろう」という胡錦涛氏のナマで見る印象の第一は、「腰の低い人だ」というとだったそうだ。演壇に上ると3方向に向かって一度づつ、3回お辞儀をするるこれは毛沢東以下のかつての中国のトップのイメージからは想像できないと言うのだ。

それを聞いたゲストの上田紀行氏が「(ギョーザ、チベットなど)いろいろまずいから、低姿勢だったんじゃないの」と混ぜ返していたが、葉氏は中国にいる友人たちと電話で感想を交換していたようで「聞いてみると中国での共産党の会合でも同じだそうです」ということだった。

葉氏の感想の第二は、胡錦涛氏は他の指導者に比べ非常に「親日的」なのではないかという印象を持ったということだ。胡耀邦時代の青年交流の話は、今回の訪日の報道を通じて多くの人々が再び共有するところとなったわけだが、日本と中国の両方のカルチャーを肌で知り、ジャーナリトストとして「人」と話し、「人」を見続けてきた葉氏の観察にはさらに重いものがある。

10年前に来た江沢民前主席は、宮中晩餐会に人民服で現れ、日本側が「反省と謝罪」を明記しなかったからと文書に署名しなかった。5年後や10年後の指導者は、アメリカ一辺倒かどうかはともかく、日本などは全く先進国グループのワンオブゼムとしか見ないだろうことを考えると、今回の「10年ぶりの中国国家元首来日としての胡錦涛主席来日」について、日本側は大きなチャンスを逃してしまったのではないかと言う気がしてくる。

葉氏の感想の3つ目は「こんなことここで言っていいかどうか」と声をやや潜める葉氏のいつものスタイルで、胡錦涛主席に続いて演壇に上がったのが令計劃(れいけいかく)中国共産党中央書記処書記・党中央弁公庁主任、王滬寧(おうこねい)党中央書記処書記・党中央政策研究室主任の二人であり、葉氏流の表現で「たいへん偉い人」である戴秉国(たいへいこく)国務院国務委員、楊潔チ(ようけつち)外相、武大偉外務次官(六カ国協議代表)らが、この二人に対しもたいへん遠慮して、一歩も二歩も下がっていたのが印象に残ったということだった。

葉氏は、5年後の中国指導部の一端を垣間見た気がするというが、一方で腹心・令計劃氏はともかく、王滬寧氏は葉千栄氏が上海の大学で演劇を専攻したり、新劇俳優だった時代には「復旦大学の国際政治の先生に過ぎなかった」ので意外感があったようだ。これもクレムリノロジーの一種だろうが、分析の視点を持ち、データ観察を積み重ねてきた人の話だけに、記憶に止めておきたい。

なお、NHK・BS1が放送した早稲田大学での胡錦涛主席講演を報じる中国中央電子台のニュースの映像も、まず「令計劃主任と王滬寧主任」の二人、ついで「戴秉国国務委員、楊潔チ外相」の二人を映し出していた(ただし同時通訳の音声は「令計劃主任、戴秉国国務委員らが同行」としていた)。

ちなみに、早稲田講演は恐らく王滬寧氏の「監修」だろう。戦後日本に対する肯定的評価、ODAなどの支援に対する感謝などはすでに昨年四月に温家宝首相が国会で演説した内容に含まれていたので、驚くような内容だったわけではないが、温家宝演説が素晴らしい内容ながら、おそらくさまざまなリサーチの結果、助言などを盛り込みすぎて、全体の構成がややゴシック的な感じになっていたのに対し、胡錦涛早稲田講演は清朝末期の留学生たちのことをはじめ歴史的な視点を織り込みながらも、シンプルな流れでまとめられ、結語に早稲田構内の演劇博物館の「世界は舞台」というシェークスピアのことばを引き「世界という舞台で共に役割を演じていこう」とまとめる洒落たものだった。

番組のゲスト・上田紀行氏は、最近ダライ・ラマとのインタビューを本にしていて、胡錦涛来日についても、例えば「唐招提寺などで胡錦涛主席を接遇する仏教関係者は、チベットのことを強く言うべきで、日本にもそれくらいの気概がなければ」といったことを言っていた。それはともかく、上田氏と葉氏が、チベットの歩みについて詳しく論じていくのを聞くのはたいへん参考になった。ダライ・ラマは柔軟な思考と反射神経を持つ、たいへん興味深い人物のようだ。聞いていて、中国にとっても、ダライ・ラマが死ぬのを待つのではなく、対話する方がよいのではないかと思った。

もっとも、日本の「仏教界」に対して上田氏はかいかぶりないしは無理なプレーアップがあるように思う。全国の僧侶の大半は、通夜・葬儀と法事に時間の大半を過ごしており、うんと偉いお坊さんたちの「世界宗教者平和会議」などへの参加などは例外として、平和の問題、貧困の問題はじめ社会問題との関わりに、鎌倉時代、あるいは江戸時代以前の仏教関係者が持っていたような真剣な関わりの片鱗も感じられない。

上田氏は、そういった問題にも関心を持ってきているのは知られている。チベット問題を、カンフル剤として日本仏教の(葬儀業ではなく宗教としての)再興につなげようというセンスは、政治的には正しい計算と言えよう。ただ、結果として日中関係の健全な発展を阻害する反中国扇動に流れないようにお願いしたいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月10日 (土)

「フリーチベット!」より、日本企業による人権侵害=外国人研修・実習 不正=を糺すべき

「フリーチベット」を叫ぶ人々を見て、人権問題に関心を持ち、行動する若い人々がたくさんいることを知り、たいへん結構なことだと思う。

こういう人々には、外国の政府がやっている人権侵害を安全地帯から批判するだけではなく、ぜひ自国の企業がやっている、また自国の政治・行政がそうした行為を事実上作り出したり、放置している「外国人研修・実習の不正」といった問題にも目を向け、行動してほしい。

その辺が、本当に「人権」に関心があるのか、ただ安倍晋三たちのように外国の悪口を言って劣情を満たし、あるいは「右」の世論に阿って政治基盤を拡大しようとしているだけなのかのリトマス試験紙になるだろう。

チベットの人権について、人類社会の一員として発言し、行動することはよいことだ。しかし、それ以前に、日本企業が行っている、また日本政府がそれを事実上手助けしている問題については、日本国の主権者である日本国民は、直接に責任を負っているからである。

こうした人権侵害を放置しているのは日本の恥だ。外国人労働者の処遇問題は、経済がらみで自己の利害にはねかえってくる可能性があるからと目をそらし、自分は何の痛みも感じない「フリーチベット」にのみ狂奔するのは、愚かなだけでなく、卑怯だ。

【以下はNHKニュース原稿貼り付け】

外国人研修・実習 不正が急増

5月10日 6時32分
法務省は、外国人が日本の技術を学ぶ「外国人研修・実習制度」で、研修生らを不当に安い賃金で働かせるなどの不正行為があったとして、去年1年間で前の年のおよそ2倍の449の企業や団体に処分を行いました。

「外国人研修・実習制度」は、平成5年に、日本の技術や技能を発展途上国などへ移転するために設けられましたが、安い労働力を確保する手段として使う企業があとを絶たず、法務省入国管理局は、企業への立ち入り調査を増やすなど指導を強化しました。法務省のまとめによりますと、その結果、去年1年間に不正行為があったとして処分を受けたのは449の企業や団体に上り、前の年のおよそ2倍に増え、過去最高となりました。このうち、残業の割増賃金を支払わないなど不当に安い賃金で働かせていた企業などが175と最も多かったほか、中には、研修生らが逃げ出すのを防ぐためにパスポートや預金通帳を強制的に取り上げるなど、悪質な人権侵害に当たるケースもあったということです。政府は、現在の制度には問題が多いとして来年までに見直すことにしていますが、法務省は「制度の見直しと並行して、企業側に対する指導もさらに強化していきたい」と話しています。【NHK】

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年5月 8日 (木)

イエメン論議は「A」、対中外交強硬論は「C」=フジテレビ朝ワイド『トクだね!』採点=

フジテレビの『とくダネ!』は、アンチ中国の国民感情に棹さすばかりで、結局1930年代から40年代に戦争を煽ったメディアのDNAをまさしく継承していると大いに不満。上村某というう元新聞記者に「安倍首相は靖国に行くかもしれないと脅しをかけながら中国と駆け引きしたが、福田首相はダメ」などと言わせているのを聞くとがっかりする。

もっとも、イエメンの誘拐事件についての小倉智昭氏はじめレギュラー陣の論議を聞いていると、なかなか座談のレベルは高いと思う。古代のシバの女王の伝説から、最近の天然ガスが出るまで中東でも非常に貧しい国だったことの紹介、岩上安身氏の「日本の女性と驚くような危険なところで出会うことがある」という注意喚起や、サウジ出身といわれるアルカイダ幹部も、ルーツはイエメンにある場合が結構あり、「貧困」がテロの背景にあるという解説は適切だ。岩上氏の対中強硬論には、結果として中国内の江沢民のような保守強硬派を利することになると思うので賛成できないが。

小倉さんも「パンダ以外に何か成果はあるのか」というのは、僕から見れば悪態だが、小倉さんのチームがテレビに出ている人々の中ではかなりいい方だというのも事実。中国の人たちには「ましな方でもこういう感じよ」と教えることで、参考にしてもらうことにするか。ところで、昨日出ていたデーブ・スペクターという人は、だじゃればかり言っている人かと思ったら、日中をめぐる国際政治論などはバランスがとれた見方をしていると思った。高木美保さんは、いろいろなことで良い意見を言っているが、対中外交については空気に流されて強硬論を煽る方に回っている。テレビで煽るより、中国政府に直接助言するようにした方がいいんじゃないか。ちょっと残念。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月 7日 (水)

連休中の国際ニュースから

事務所で連休中の国際ニュースをまとめてザッと見る。フランスのフィヨン首相は訪米して英語で講演「フランス風のイントネーションを楽しんでいただきたいと思いまして」。別に「大統領の母」もインタビューに登場しており、就任一年の共同インタビューで国営テレビのニュースキャスターに「どうしてあなたの改革は失敗したのか」といきなり突っ込まれていたサルコジ大統領の盛り上げに必死。

韓国の李明博大統領も支持急落はサルコジ氏の後を追っている感じ。若い有権者が、目先の変わる活気ある「右」の大統領を選べば局面が良くなると錯覚して、政策の方向性が間違っていたり、曖昧だったりする指導者を選ぶと、大いに落胆することになるという例。わが国は同じ轍を踏みたくない。

その韓国のニュースで、「北」が核放棄を印象づけるため寧辺原子炉の「冷却塔」を自分で爆破する準備があるというものに少し驚く。韓国のテレビや新聞は、日本のメディアや官僚から見ると「飛ばしすぎ」らしいが、小渕内閣の頃「韓国メディアは飛ばしすぎ」と役人たちが言っていた羽田-金浦のシャトルはちゃんと飛んでおり、米朝が思いの外進んでホントにならないとは限らないだろう。

胡錦涛主席の非公式晩餐会の松本楼は、日本で革命運動をやっていた孫文を支援していた人の末裔が経営者。餃子、ガス田も大切だが、刹那的にならずに100年の視点を持っていくことも大切だろう。過去100年の前半は日本の侵略が重いが、「欧米列強からの自立」という観点から辛亥革命に協力した日本人もいるのだ。明るい面を掘り起こして、今後の100年を展望したい。

【以下はリンクした胡錦涛首席、孫文、松本楼関係の毎日新聞夕刊記事の貼り付け】

胡・中国主席:来日 日中交流秘史に光 両首脳、東京・日比谷の松本楼で夕食会

 ◇「国父」孫文支えた梅屋庄吉しのび

 福田康夫首相は6日夜、胡錦濤国家主席を東京・日比谷公園内のレストラン「松本楼」に招き、非公式の夕食会を開いた。警備が難しい都心のオアシスをあえて会場に選んだのは、松本楼にまつわる日中近代史の「秘話」に光を当てようという双方の計算があった。

 中国民主主義革命の先駆者で「国父」と呼ばれる孫文(1866~1925年)。その政治活動を物心両面から支えた梅屋庄吉という日本人がいたことは、あまり知られていない。松本楼の経営者は梅屋の末裔(まつえい)にあたる。

 実家が長崎の貿易商だった梅屋は、19世紀末に香港で2歳年上の孫文と知り合い、その革命思想に深く共感する。日本活動写真株式会社(日活の前身)を設立し映画事業で財をなした梅屋は、孫文に多額の資金援助を繰り返した。さらに梅屋夫妻は孫文と宋慶齢との結婚を仲介し、東京・大久保にあった梅屋邸で披露宴を催したという。

 2人の友情は群を抜いていたが、梅屋は「孫文トワレトノ盟約」について「一切口外シテハナラズ」と遺言したため、貴重な資料は長く公開されることがなかった。

 夕食会では、梅屋のひ孫にあたる松本楼常務の小坂文乃さん(40)らが孫文ゆかりの羽織や宋慶齢の手紙などを両首脳に披露した。胡主席にとって、孫文をたたえることは、中国共産党とともに抗日戦線を担った国民党の再評価につながり、現在の台湾で国民党を率いてきた馬英九・次期総統への前向きなメッセージになる。台湾との和解プロセスというわけだ。

 福田首相にとって松本楼は、父・赳夫元首相が三枝夫人と結婚式を挙げた場所。自然な形で日本人が辛亥革命を支援した歴史を振り返り、中国の対日感情に訴えることができるメリットがあった。

 年1回の「10円カレー」で有名な松本楼は1903年、日比谷公園と同時に開業した。松本楼の創業者である小坂梅吉の孫と、梅屋の孫が後に結婚したため、梅屋の資料は小坂家に引き継がれた。小坂さんは「両国のトップにこの歴史を伝えることができて光栄です」と話している。【古賀攻】

毎日新聞 2008年5月7日 東京夕刊

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月15日 (火)

井出孫六『中国残留邦人』(岩波新書)=広く薦めたい良書=

「中国残留孤児」が大きく報道され、世間の耳目を集めたのは80年代になってからのことだった。たまたま改革開放後の海外留学「一期生」の同じ年の友だちがいたのだが、NHKのテレビ中国語講座などでも活躍していた彼女が、当時はまだ東京オリンピック時代の建物を使っていた代々木のオリンピック記念青少年センターに通い、ボランティアを務めていたのには頭が下がった。

様子を聞くと「森田さん、信じられないかもしれないけれど、私は日本語の通訳というつもりで行ったけれども、あの人たちは中国語の読み書きも不自由なんです」と言われ、驚いたことを思い出す。

満蒙開拓団を一番多く送り出した長野県出身で1931年生まれの井出孫六氏は、自身の子ども時代のふるさとでの見聞から説き起こし、どのような背景、手続きで人々が大陸に送り込まれたのか、またどのような暮らしだったのかに始まり、終戦時の様子はもちろん、肝心なところとして戦後のわが国の保守政権が取り残された人々をどのように扱ったのかがこの本では時系列を追ってていねいに語られる。

どうして中国語の読み書きもできない人がいたのか。なぜ「残留孤児」ではなく、「残留邦人」という用語でなければならないのか。行政の恣意により若い女性だった故に一段と苦労されることになった方々のこと、また岸信介という人が政権に就き、日中関係の正常化をイデオロギーを先行で妨げたことが、残留日本人に「二次災害」と言ってもよい被害をもたらした政治面でのいきさつなどがよく見通せる。

この本は、若い人々が「中国残留邦人」の苦難をたて糸に、戦前戦後を通じての、日本という国家と国民の関係を実態に即して知る上でとても参考になる。神奈川県では知事の肝いりで高校の「日本史」が必修になるそうだが、大化の改新や蒙古襲来ばかり何度も繰り返して勉強していも仕方がないので、教師の方々には、この本を夏休みの課題図書にされることを薦めたい。

政治は「結果」なのだから、「自虐史観だ、いやそちらのは自慰史観だ」などといった観念的な話よりも、この教材で日本政府は戦前、戦後を通じて現実に国民をどのように扱ったのか、またいまは行政や司法でどのように扱っているのか、事実を学ぶことが良いと思う。

神戸地裁の判決が巻末に抄録されている。裁判官の出来映えも、国の運命を左右すると強く感じる。論点が少しそれるかもしれないが、今の時代、裁判の判決文も、個人の住所などは伏せ字にした上で、全文ホームページで閲覧できるようにし、広く国民の批評を受けるようにすることも考えるべきではないかと思った。

ところで、井出さんが三木内閣の井出一太郎官房長官の弟で、村山内閣の井出正一厚生相(さきがけ)の叔父であることは知る人ぞ知ることだろう。しかし、この本には伊東正義外相や新自由クラブの田川誠一代表などの名は見えるが、この問題で著者の働きかけもあって大いに働かれたに違いないこれらの著者の親族についての言及はない。こういう奥ゆかしさには、大いなる魅力というかなつかしさを感じる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月10日 (木)

「とくダネ!」小倉智昭さんのチベット問題発言=チベットという地域は中国の領土の一部という言い方認める国際人はそんなにいない=は視聴者をミスリードする発言

チベット問題がクローズアップされている。森田は世界中のどこであれ、人権は守られるべきであり、民族自決権、民族文化は尊重されるべきであると考えている。チベットの人々の人権は守られるべきだし、中国政府はチベット民族の伝統文化を尊重し、より高度な自治を認めていくべきだと思う。これは「信条」の問題。

他方、現在の国際関係は、お互いがお互いの「領土、主権」を認め合う主権国家同士が、「お互いの主権を尊重する」という前提の下に外交関係を結んでいるというのが、平たく言った国際社会の基本ルールだと思う。これはかなりの程度の「現実」の問題。

この二つはオールオアナッシングではないが、矛盾することもしばしばである。小倉さんの番組中での発言は、リベラルな小倉さんだけに論旨の大方には同意できる。しかし、福田総理が「中国の内政問題」と発言するのを、「チベットが中国の一部という言い方を認める国際人はほとんどいないんじゃないか」と一刀両断にするのは、視聴者に日本政府がとるべき政策について誤った示唆を与えるのではないかと思う。

森田なら、「福田さんは中国の内政問題と言うけれども、国家間の関係としてはそうだということは認めるけれども、人権の問題は人類普遍的な問題なんだから、『内政問題であるというのは理解するが、私は、日本国民はチベットの人権が尊重されることを願っている』ともっと強く言うべきだ」と言うところだ。

国威発揚の聖火リレーにクールな視線を送るのは正しいのかもしれないが、暴力による聖火リレー妨害を容認するかのような姿勢も問題だと思う。イスラム教徒を弾圧する人々に甘く、たまたま批判されるべき対象がアジアの国家だとかさにかかってバッシングしてくる欧米メディアに引きずられるのはいかがなものかと思う。それでなくとも、中国は扱いの難しい国だ。欧米と違って、わが国にとっては引っ越せない隣組であり、今後の国益を考えた上でも戦略をもってつきあわなければならない相手だ。メディアにも賢明な対応を望みたい。

【以下は、番組中の小倉智昭氏の発言】

「日本政府、福田さんは『チベット問題は中国の内政問題だ』ということで、『友好的な話し合いをして下さい』と言うだけなんですよね。でも国際的に見ても、誰がどう考えても、チベットという地域はチベット民族のものであって、中国が言うように『中国の領土の一部』というような言い方を認める国際人は、そんなに僕はいないんじゃないかと思うんですよね。

今もう、チベット民族は言葉を奪われ、さらにチベット語の名前を奪われ、そして結婚問題だってね、中国男性とチベットの女性の結婚は許すけど、中国女性とチベット男性は許さないとか、結婚はね。仏教を弾圧したりとか、これで国際世論が黙っているわけがないですよ。

そういう状況でオリンピックをやって、聖火リレーはきれいごとでやっていいのかって思うのは誰しも一緒だと思うんですけどね。」

(2008年4月10日 8:00~「とくダネ!」=フジテレビ=」 家庭用録画の音声より)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月21日 (金)

平安時代、藤原仲成処刑以来350年近く死刑を停止したわが国の朝廷=『毎日』コラム「余録」より=

学生時代、大学にアムネスティー・インターナショナルのグループを作りたいという友人に誘われて参画した。アムネスティーが「良心の囚人」とよぶ、世間で言う政治犯の釈放に当局への書簡送付などソフトな「直接行動」を粘り強く進める団体の趣旨に強い共感を覚えたが、当時は「死刑廃止」の主張には違和感を覚えた。

フランス革命で大量殺人を犯し、奴隷の売買や虐待について明確な謝罪をしていないヨーロッパ諸国が死刑廃止を訴えることに偽善を感じる人も多いだろう。

しかし、死刑の実情についての新聞記事を読み、9・11同時多発テロの際に、報復の連鎖を避けるべきというヨハネ・パウロ二世の言葉に共感し、今もイラクなど世界の現状にその言葉の正しさを日々感じている自分としては、「人類には、死刑を正当化している原始的な段階に止まる人類と、死刑を止めたより進歩した人類の二種類がある」と考えるようになっている。

アメリカでは、1970年代の最高裁判例変更で多くの州で復活した死刑が、最近のニューハンプシャーのように一部の州で再び廃止される動きがあるという。あのアメリカでも、州によっては死刑を廃止しているのだ。日本は、それでも中国やイスラム圏と同様に死刑制度を続けるのか。

そんなことを考えていたら、毎日新聞の12月20日付のコラム「余録」で興味深い事実を知った。保元の乱で藤原信西が復活させるまでの平安時代、天皇家25代、350年近く、わが国では死刑が停止されていたというのだ。余録子も言っているが、こんな例は世界にもまれだろう。仏教思想の影響が指摘されるが、とにかく「死刑廃止」はわが国と天皇家の、世界に誇るべき伝統なのだ。

「死刑」を続けるのか。それは、われわれがこれからどのような社会を作っていくのかという大議論の中にしっかり位置づけ、タブーとせずに議論していくべきだと思う。

【以下は、12月12付『毎日新聞』コラム「余録」の写しです】

余録:死刑停止

 「死罪を行えば海内(かいだい)に謀反(むほん)の輩(ともがら)たえず」は「平家物語」の平重盛の言葉だ。保元の乱の際、天皇家25代にわたって長らく行われなかった死罪を藤原信西(しんぜい)が復活させたのを批判する。清盛に死罪を思いとどまらせるためだ▲信西は後の平治の乱ではその報復を受けることになった。重盛はそこで仏教的な因果応報を説くのである。実際に朝廷は810年の藤原仲成(なかなり)の処刑以来、350年近くにわたって死刑判決があれば減刑し、事実上死刑は廃止されていた▲背景には仏教思想があったものの、たとえ仏教国であれ何であれ、こんな長期にわたり死刑を停止した例は世界でもあまりないだろう。その復活をもたらしたのは武家の台頭で、それから850年もたてば日本も世界もまるで様変わりする▲国連総会は死刑執行の一時停止を加盟国に求める決議案を賛成104カ国で採択した。ここでの日本は米国や中国など53カ国とともに反対票を投じ、棄権は韓国など29カ国である。決議の背景には、死刑廃止にむけた国際的圧力を強める欧州連合(EU)などの働きかけがある▲「死刑停止」といわれても、昨今の凶悪犯罪の冷血、被害者遺族の無念を目の当たりにすれば、とても受け入れられないという方が多かろう。ただ凶悪犯罪は日本だけでないのに、この30年間で一挙に100カ国以上も増えた死刑廃止・停止国である。その経験や、掲げる価値を踏まえた論議はもっとあっていいように思える▲裁判員制度では市民が死刑判決にかかわる局面が生まれる。死刑の現実を見つめ、人間の罪と罰をめぐる深みのある考察が求められる今だ。平安時代ほどの論争もない方がおかしい。

毎日新聞 2007年12月20日 0時01分

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年10月29日 (月)

東亜同文書院大学の資料展

霞ヶ関ビルの隣りに建った「霞が関コモンゲート」内で開かれた東亜同文書院学院の資料展をのぞいてみた。

1901年に近衛文麿の父親、近衛篤麿が上海に創立した同学院は、中国・アジア重視の国際人を育成し、現在、豊橋市にある愛知大学はその流れを汲むものだそうだ。

NHKのハイビジョン特集「真珠湾への道 二人の旅人がたどる1931~1941」(2002年)では、中国人元学生が学校当局による中国人学生に対する所持品検査などによる思想チェックがあったという証言も紹介され、「五族協和」というタテマエとは別に、やはり侵略の尖兵という役割も結果として負っていたのだろうが、草創期の理想は高いものだったようである。

今回の展示自体は小規模でやや表面的なものだが、草創期の教員でもあった山田良政という人が1900年に孫文が起こした「恵州起義」に参加し34歳だかで「戦死」したといった事件が、その人の良い面構えの写真と、孫文が後に揮毫した墓碑銘とともに紹介されていたり、その弟で孫文の秘書となり、日本人としてただ一人孫文の臨終に立ち会った山田純三郎宛の孫文の革命資金についてらしい領収書が展示されていたり、それなりにナマナマしいものだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月22日 (月)

中国の指導部人事の?

中国共産党の5年に一度の党大会が終わり、胡錦涛指導部の二期目の顔ぶれが決まった。ほぼ予想通りということなのだろうが、若干の?が残った。

上海の汚職摘発、成長一辺倒の修正、黄菊氏の死去といった様々な背景から、5年前の胡錦涛体制発足時の人事が、退く江沢民氏と上海閥のやりたい放題だったことに修正が加えられるのだろうとは多くの人が思っていたが、上海の汚職摘発の時期などに江沢民派から胡錦涛派に鞍替えしたのではと言われた曽慶紅氏が引退し、同じ江沢民派でも引退が早くから取りざたされた賈慶林・全国政治協商会議主席、直前に香港情報で引退と報じられた呉邦国・全国人民代表大会(全人代)常務委員長という、あまり内容のない二人の江沢民派大幹部が残されたことに若干の違和感というか、失望が残った。

江沢民派の地位が高い凡庸な人物を残し、有能な故に危険な曽氏を切ったのか、それとも江沢民派が根強いのか。「次世代」に注目することが必要なのだろうが、気になったのはむしろ上記の点だ。ひな壇の江沢民氏は不機嫌のようだったが、あれはポーカーフェイスなのか。

賈慶林氏は先の来日時に「引退」と外務省筋は囁きあっていたが、中国のマスコミ関係者は「人事は指導者の腹一つ。本当のことは発表されるまでわからない」と言っていた。その通りなのだろう。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年9月27日 (木)

ミャンマー反軍政デモと日本

ミャンマーでエネルギー価格大幅引き上げを契機に、25日には僧侶らを先頭に10万人規模の反政府デモがあり、昨日は軍の発砲などで死者が出ている。国連事務総長は初の総会演説でこの問題にいちばん長い時間を割き、ブッシュ米大統領やブラウン英首相も軍事政権への強い牽制、批判を述べている。

テレビのコメンテーターたちは、「軍事政権の選挙結果の否定や人権弾圧を欧米は批判し、経済制裁などをしてきたが、中国などが制裁破りをするのでうまくいかない」といったことを言っている。

中国については、天安門事件直後と現在では対応に変化があり、さらにオリンピックなどを控えて欧米政府やメディアを意識するだろう。

中国の悪口を言っているよりも、まずわが国、日本がこの問題にどのような姿勢で臨むかが重要だ。

ミャンマーの軍政について、欧米やオーストラリアの批判的な姿勢に対し、日本政府は「慎重な関与を続けるべきだ」という姿勢を続けてきた。アメリカから足並みを揃えるように言われても、外務省の一部の役人たちは「日本外交の独自性」を声高に語らないまでも、アウンサン・スーチー女史の身辺に協力者を作って、うちうちでは彼女を貶めるようなうわさ話を流すなど、基本的に「軍政支持」、民主勢力には冷酷な態度だった。

アメリカから、中東での戦争を「手伝え」と言われるときは、ハイハイと憲法・法律ギリギリの線で一生懸命やるのに、「これは人権問題だから大事だよ」と足並み揃えることを求められても、それは無視する。これが自民党と外務省主流の対米姿勢だ。

安倍前首相も、「集団自衛権行使」という名の「軍事攻撃への協力」にはことのほか熱心だった反面、民主党主導になったアメリカ上下両院が「従軍慰安婦問題は旧日本軍による人権蹂躙問題」と認識していることが理解できず、「河野談話は証拠がない」発言が袋だたきに合い、訪米でブッシュ大統領と米議会に「謝罪」するハメになり、我々からは「謝る相手が違うぞ」と批判を浴びるトンチンカンぶりを示した。

軍事介入はわが国の憲法の原則と相容れない。私は「経済制裁」も、戦争に準じる行為として、本質的には日本国憲法の原則と相容れないと思っている。しかし、ミャンマーの軍政の暴力と人権弾圧は、1973年からのチリや、1979年の韓国・光州で起こったことと同じように、暴力・殺害・拷問などが横行していることが容易に想像できるだけに、見過ごすことはできない。

日本政府は、ミャンマー政府に対し、直接に「事態が暴力を用いずに収拾されるべきこと」「基本的人権が尊重されるべきこと」を強く申し入れるべきである。「大使」などが手厚い処遇が与えられているのは、レストランで高級料理を食べているためではなく、こういう時に、日本人の志を代表して、強面の相手にもハッキリ物を言うためである。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年7月 6日 (金)

なぜ「80年生まれ」はスポーツ界のビンテージなのか=日中韓・国際スポーツ大会誘致の連携を考えるべき=

 陸上競技の結果を報じるテレビニュースの映像を見ていて、例えば女子走り幅跳びの池田久美子選手の走る様子を見て「格好いいな」「美しいな」と思う人は多いかもしれない。

 朝日新聞2007年7月5日付の堀川貴弘記者による、第11回世界陸上選手権(8月15日開幕、大阪・長居陸上競技場)に向けての署名記事、「日本代表『黄金世代』5人」は、その池田選手がいずれも1980年生まれで同学年の選手評を紹介していて楽しい。どうして80年生まれに強い選手が多いかについて、ある「説」も紹介されている記事の後半を以下に紹介する。

【以下は上記、朝日新聞記事の後半部分の写しです】

 池田は仲間をこんな風に見ている。「やんちゃな末続(男子200メートル)が最近、陸上界全体を考え出すなど大人になった。沢野君(男子棒高跳び)はクール。内藤君(男子110メートル障害)はちょっとなよなよしていて女友達みたい。醍醐(男子走り高跳び)は不思議キャラ。それぞれいろんな性格で楽しい」

 「松坂(大リーグ・レッドソックス)以外にも、大相撲の朝青龍やバスケットの田臥勇太も同じ世代なんですよ」という池田は、指導を仰ぐ福島大の川本和久監督に「なぜ80年生まれにスポーツ選手が集まっているのか」と尋ねたことがある。

 その時、川本監督はこう答えた、という。「モスクワ五輪をボイコットして出場できなかった選手の怨念が、選手に注ぎ込まれているから強いんだ」。80年5月、ソ連がアフガニスタンに侵攻したことに抗議し、日本は五輪をボイコットした。そんな時代に5人は生を受けた。

 もう一人、忘れてはならない選手がいる。

 昨年8月に虫垂がんで亡くなった砲丸投げの日本記録保持者、森千夏さん。彼女も5人と同世代で、池田とは中学時代に競技会で知り合い、ともに03年、スズキに入社した。日本記録を出したのは00年で、実は同世代の中ではいちばん早い。

 「森ちゃんの分まで」。一周忌を迎える今夏、5人は大阪・長居を舞台に熱く舞う。

【引用終わり、以下、追記です】

「80年モスクワオリンピック」。マラソンの瀬古、柔道の山下らの顔が思い浮かぶ。2014年の冬季五輪がソチに決まったが、今度はボイコットなどが起こらないよう祈りたい。

 2回連続「決選投票前1位、大接戦」で落選したピョンチャン(韓国)はたいへん残念。2011年の陸上世界選手権はテグに決まったが、『冬のソナタ』のピョンチャンをお手伝いできなかったのが申し訳ない気分だ。一部政治家の愚かな振る舞いで2002サッカーW杯共催の連帯感はすっかりしぼんでいるけれども、できれば「日中韓スポーツ担当大臣の定期会合」のようなことを設定して、国際大会誘致には協力し合うようにしたらどうだろう。こういう選挙も、「地元」を固めることが大事でしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月28日 (水)

北京オリンピックまで500日

2008年の北京オリンピック開催まで500日を切ったそうだが、私はひとりの日本人として、この大会の成功を願わずにはいられない。

「中国の国威発揚じゃないか」という意見もあるかもしれない。わが国の1964年(昭和39年)の東京オリンピックもそうだったという見方もあるだろう。

しかし、オリンピックは言うまでもなく平和の祭典だ。戦後、田畑政治という人(故人・日本水連会長)がオリンピック招致を言い出したきっかけは、国際競技大会に復帰した日本選手にアジアの人々から浴びせられた罵声であり、「平和国家日本」の再出発を国際社会にアピールすることだったという話しが最近の「その時歴史が動いた」(NHKテレビ)で紹介されていた。

そのような田畑の意向もあり、東京オリンピックの聖火はラングーン、クアラルンプール、マニラ、香港、台北など日本が戦火をもたらした地をリレーし、開会式の最終ランナーは原爆が投下された日に広島で生まれた青年が務めた。しかし、画竜点睛を欠いたのは中国とは国交正常化前であったため、東京オリンピックには中国の参加がなかったことだ。

東京オリンピックは「2回目」だった。1940年(「紀元2600年」)に開催が決まっていた東京大会は、1937年に始まった日中戦争における日本の行為を批判したアメリカやイギリスが不参加を決めたことなどにより、1938年に中止されている。

この二つのことを考え合わせると、北京でオリンピックが開催され、それに日本も参加すると言うことは真に喜ばしいことであることがわかる。私たちが北京オリンピックの開催を祝福し、よきスポーツ交流の実を挙げることができれば、20世紀の恩讐を超えて、日中が平等なパートナーとして歩み始めることを象徴するイベントになるのではないか。

国威発揚や公共投資誘導の観点から「3度目」の東京オリンピックを言うよりも、まずアジアの平和、近隣外交の面から北京オリンピックの持つこのような側面について考えてみることが必要なのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月19日 (月)

北の核放棄へ「日米韓」「日米韓中ロ」の結束が重要-聖学院大総研のシンポジウム

先週末の16日(土)午後、池袋で開かれた聖学院大学総合研究所主催のシンポジウム「東アジアの平和と民主主義」を聴講しました。「六者協議」妥結以前に計画されたものだけに、発言者はあらかじめ印刷配布された冊子に書いたことと離れて、合意をめぐっての評価などについて発言しました。

17日(日)のNHK「日曜討論」にも出た伊豆見元静岡県立大教授は、「アメリカでも保守派は『核の完全廃棄ではないのに与えるものが多すぎる』と批判しているが、彼らが強硬論を唱えて取引を拒否している間に、北朝鮮が持つプルトニウムは生産が続いて5倍に増えた。これからが大変だが、『初期段階』でプルトニゥム増産を止めるだけでも、これまでの何の歯止めもない状態よりよほど良い」と評価し、「重油5万トンプラス95万トンというのも、北朝鮮が94年の枠組み合意で目論んでいた重油総量の5分の一以下で、金額の面から見てもアメリカにとって安い合意だ。それでも合意したのは、北朝鮮にとってアメリカとの関係が前進する可能性に魅力があるということだ」と指摘しました。

さらに伊豆見氏は、合意が成立した原因は、アメリカ政府が北朝鮮の核実験後、国連決議の草稿に「六者協議復帰を」と書き込んだことでわかるように、北の核の脅威を本物と考えるようになって「取引をしよう」と政策を変えたことが大きいと述べました。この点でパネラーの朝日新聞記者の渡辺勉氏はイラク戦争の現状により軍の人員配置が厳しくなっていること、さらに中間選挙の敗北が政策転換の背景であると強調しました。

日曜午前の各局テレビ出演者の顔ぶれがアメリカ、日本の視点にほとんど限られていたのに対し、このシンポジウムは韓国、中国からのパネラーの発言が興味深かったです。

韓国からの康仁徳・韓国極東問題研究所長(中央情報部出身、金大中政権の初代統一相)は、合意を一応評価しつつも「金正日氏の言うことは『十分の一くらい信じられる』という実感を持っているが、大事なことはアメリカ、韓国、日本の3国が結束を固め、その結束に基づいて中国に共同歩調を求めていくこと。現在の韓国の政権はアメリカや日本と歩調を合わせることよりも、単独で北支援にのめり込んでおり、これは良くない」と強調しました。

中国の金熙徳・中国社会科学院日本研究所副所長(延辺生まれ)は、中国の見方は幅広いが「北が核を持つことは認めない」ということは一致している。中国は本音では認めるつもりだという見方は間違っていると強調しました。

金副所長は関連した背景説明として「中国社会科学院などの中国の研究機関では、部内の議論における発言は全く自由。しかし、刊行物などでは一定の範囲に収まるよう編集部が執筆者に協力を求める。北朝鮮についても、以前から厳しい意見はあったが、核実験前は外に出さなかった。実験後、そう言う意見も外に出すことになり、見かけ上中国の北に対する厳しい意見が急に出てきているように見えるかもしれない」と述べました。

さらに、興味深い話しとして「(第三国の)外交官などには『北を崩壊させても、中国が後を支配下に収めれば問題ないではないか』といった粗雑な話しを持ちかけてくる人がいるが、中国は自らの現実的な利害に基づいた戦略に従って行動するので、そのようには動かない」「中国人に北朝鮮と韓国のどちらが好きかと言えば、10人中10人が『韓国』と言うだろう。しかし、北を崩壊させるか、守るかと言えば、全員が『守る』と言う。それは戦略上の判断だ」。

さらにパネルディスカッションで北の将来像について意見交換がありましたが、金熙徳副所長は「北朝鮮以外の社会主義国は、全て改革開放に踏み切るか、崩壊した。私たちは崩壊を望んでおらず、改革開放に導きたい」とし、次期指導者についての質問に「個人的には、次も世襲することは難しいと思う」と発言。その点は韓国の康仁徳氏も「世襲は難しい。集団指導体制で安定するのが良い。韓国の大多数も一挙の統一を望んでいない」と展望を示しました。

さらに、金熙徳副所長が「私は北の非核化には6カ国協議の他の5カ国が結束を維持することが肝要だと思う」と述べたのに対し、渡辺記者は「中国、韓国が戦略観を持ってこの問題に対処しているのに対し、日本政府の戦略がなかなか見えないのは残念」という趣旨のコメントをしました。

安倍政権は『拉致問題』という、自国のというよりも、自らの政権の利害に汲汲としてしているように見え、大きな戦略を打ち出すということがありません。これは無いものねだりというものですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月15日 (木)

6者協議合意-日本も行動すべきと言う河野太郎代議士に賛成

北朝鮮の核をめぐる6者協議の合意について、河野太郎代議士はメールマガジン「ごまめの歯ぎしり」2月15日付でウラン濃縮や既存核兵器について曖昧など不十分な点もあるが、北がミサイル搭載可能な核弾頭開発に進めば、わが国にとって本当の脅威になるので、そういった国益の観点から日本政府も合意の実現に向けて、出来ることをすべきだという趣旨の発言をしている。

このブログで何度も言ってきた通り、森田も全く同意見だ。河野太郎代議士といつも意見が一致するわけではないが、この問題については森田とアメリカのまともな人々との意見が一致しているということかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月20日 (水)

天下為公

麻生太郎さんが派閥をつくり、「為公会(いこうかい)」と名付けたそうだ。

「天下をもって公となす」。『礼記』が出典とのことだが、むしろ、近代中国建国の父・孫文がよくこう揮毫していたように思う。

麻生さんも結構中国に敬意を払っているのだなと思ったり、いやいや、台湾でよく見かけたんでしょうと思ったり。

孫文の墓、中山陵は南京にあります。清朝時代には日本を革命運動の根拠地の一つにしていました。対華21か条要求を発出した後のわが国に対しても「今後日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の鷹犬となるか、或は東洋王道の干城となるか、それは日本国民の詳密な考慮と慎重な採択にかかるものであります」と、「今からでも遅くない」というように呼びかけてくれた人でもあります。

まあ、手遅れだったわけですが。ちょっと思い出しましたので。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月12日 (火)

シンクロの井村前ヘッドコーチ中国招聘のニュースを歓迎する

シンクロナイズドスイミング日本代表の井村雅代前ヘッドコーチが、北京五輪で中国代表の指導に招聘されたというニュースは、一部には「中国脅威論」の一種として迎えられるかもしれないが、これも「日中文化交流」のひとつの可能性を示すものであると思う。

明治維新以来、とにかく「追っかけ」一方だった日本から、オリンピックに全力を注ぐ国に得意種目の指導者がコーチとして招かれるということ自体誇らしいことだが、それ以上に、井村さんの指導がどのように成果を結んでいくか、あるいは困難に直面するかといった「過程」において、日本の国民性と中国の国民性といったものについて、お互いがよく理解する契機の一つになり得ると期待するからだ。

われわれは、ややもすると「国際」とか、「国際性」というと欧米ばかりを思い浮かべる傾向があるが、「中国の井村コーチ招聘」は、日本の「国際性」を一段高いレベルに引き上げるきっかけとなるような気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月31日 (火)

「6カ国協議再開」の報に

中国政府が「6カ国協議再開で合意と発表」という報道を聞いて、よくも悪くも「やれやれ」という感じだ。

うちの高校生の娘なども「また北朝鮮が振り回そうとしてんじゃないの?」とクールな反応だが、しかし、「戦争を選択肢にすべきでない」「しない」のだから、とにかくテーブルに就くことが大事だ。

アメリカ政府には、核兵器開発を進めさせないためには何が効果的なのかをよく考えて政策を進めてほしい。「偽ドル札を刷るから金融制裁」というのは法律論としては正しいのだろう。しかし、正しい政策でも時と場合を考えて、特に国家としての総合的な政策遂行の中にちゃんと位置づけて判断してもらわなければ困る。

「北の核実験は、アメリカがいいところで金融制裁を発動したのが原因だ」と言うのはいいすぎかもしれないが、法律論として正しいということと、起こっていることに責任があるのかないのかということは別問題だというのも事実だ。

北朝鮮の政権も、実現したいことが何なのかをそろそろちゃんと判断し、明確に示さないと、国民を悲劇に引きずり込むことになるのではないかと心配だ。1930年代の日本とアメリカの交渉をよく研究してほしい。あの時もそうだし、対イラク戦争開戦を考えてもわかるとおり、アメリカにはあとからよく考えると「本当は、そんなに戦争したくなかったのに戦争を回避する努力を怠った」ということがある。あなたたちほどではないが、とてもユニークな国なのだ。

では、わが国の安部政権。藤原帰一教授が言っているので、北の核実験後のわが国の対応はパーフェクトなのだろう。しかし、そんなことは秀才を集めた外交官たちなら出来て当然のこと。そうではなくて、核実験などさせないために日本政府は何が出来たのか、しなかったのか。あるいは再度の核実験や核兵器開発の継続をさせないために日本政府は何をするのか、が問われている。

みんなで前向きの知恵を出していこう。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年10月28日 (土)

日中関係の現状と今後

はじめに
1.戦後の中国「不在」と日本躍進の記憶
2.20世紀前半の対中政策の評価
      =「普遍の立場に立つならば」= cf.イラク戦争支持の評価、核武装論
3.「均衡」を求めて進む中国
4.文化交流の重要性
      =「孔子学院」、高校生ホームステイの可能性=
しめくくり
 
はじめに

小泉前総理が、説明不足のままA級戦犯を合祀する靖国神社参拝を繰り返したことで、日中関係は首脳会談も開けない、昨年春には北京や上海で反日デモが吹き荒れるという状況になってしまった。

かつて中曽根氏が総理に就任したあと「前の政権で、日米関係は最悪の状態だった」と述べたことがある。私は当時の中曽根氏の発言が正しい認識だったとは思わないが、いまは「前の政権で、日中関係は最悪の状況だった」といっても過言ではない。

安部総理の就任は、以前から安部氏が歴史教科書問題や核武装問題について発言していた内容から、日中関係にとって心配に思った人々が多かったけれども、ご承知のように安部氏がこれまでの言動と打って変わって日中、日韓の歴史問題について歴代内閣の基本的な認識を継承することを表明し、北京とソウルを訪問して懸念は一応払拭された格好になっている。

前がひどかったので、あたりまえのことが「何かとてもよいこと」のような印象を与えているわけだが、いずれにせよ総理大臣という立場を踏まえて、公式発言を正しい方向に軌道修正していることは歓迎したい。

この際、日中関係の現状を私がどう見ているか、また今後の方向性について、思っているところを申し上げてご参考に供したい。

1.戦後中国「不在」と日本の躍進の記憶

政界にも、若い人々も含め国民一般にも、残念ながら率直に言って「中国脅威論」「反中国感情」といたものが広く認められ、近年勢いを増しているように見受けられる。

日本の若い人々はテレビを見ていて、中国のサッカー競技場で日の丸が燃やされたり、中国の若い人がテレビカメラとマイクを向けられた時に日本のことを口汚く罵るのを見て、素朴な反発を強めた面があると思う。本当はその背景に何があるのかにまで目を向けるべきなのだが、日中両国ともお互い圧倒的に多数の人々がマスメディアを通じてしか相手の姿を知る機会がないのが現実であり、実際問題としてこれに関わる人々の責任は大きいと言わざるを得ない。

それにしても、近年の政界の議論を見ても「中国の透明性の低い軍事費増大は我が国にとって脅威だ」「感謝しない中国に対するODAは早く打ち切るべきだ」といった中国を敵視するようなことばが声高に語られてきた背景はいったい何か。

私が最近申し上げている仮説のひとつは、戦後の世界政治・経済における「中国不在」の時期が1950年代~70年台と続き、その間がちょうど日本の高度成長時代と重なったことが与えている日本人の自己イメージ、日本人が中国に対して抱いたイメージと現実のギャップが生み出してるのではないかということだ。

日本の戦後の自己イメージは「戦争ではひどい目に遭ったけれども、戦後は軍国主義を捨てて平和な産業国家の道を歩み、日本人の優秀性と勤勉性によって世界経済の中で大躍進し、一人あたりのGDPで世界のトップクラスとなり、アジアでは並ぶもののないトップリーダーだ」というものだっただろう。

このイメージそのものは、ある時期までは必ずしも現実と乖離したものではなかったかもしれない。しかしその時期は東アジアにおいて、また世界において、中国が事実上「不在」だった特殊な時期だったという現実がある。

産業革命以前において中国が世界経済に占める比重は「中国とインドの二カ国で世界の総生産の半分を占めた」というきわめて大きいものだったわけだが、産業革命後の帝国主義の時代に中国は近代化に遅れをとり、19世紀はイギリスやロシアなどヨーロッパ諸国、20世紀は日本の侵略と戦わなければならなかったという事情があった。

さらに中華人民共和国建国後も「大躍進」「文化大革命」といった時期は、経済については鎖国と言っては極端かもしれないけれど、とにかく70年代末の鄧小平さんによる改革開放路線の採用までは「眠れる獅子」だったのが実情だ。

繰り返しになるが、日本の戦後の高度成長体験は、たまたまこの中国「不在」の時期にあたり、多くの日本人は「日本はアメリカに戦争に負けたので、中国に負けたのではない」という意識とともに、ライバルの中国が不在であったことが日本のプレゼンスを大きく見せていたことを自覚しないとともに、「日本は優れた国民性の先進国、中国は遅れた途上国」という意識を持つに至っているのではないか。

それがある日気がついてみると、日本がバブル経済の中に自らの姿を見失い、その後も「失われた10年」を経験する中、中国経済経済は躍進を進め、いまは上海の高層ビル群は日本を凌ぐ繁栄ぶりを示し、北京の地下鉄建設は日本のODAでお手伝いしたばかりなりに、テヘランの地下鉄は中国によるODAで建設されたと聞くとビックリするとうことが起こっている。

私は、人間の能力にはだれも大差はない、どの国民にもその資質にしろ、能力にしろ個性、持ち味はあるにしろ「優越」「劣等」といつたことはないと思っている。ある分野においてある段階で差がつく、ある年の例えば一人あたりの国民所得で差がつくとすれば、それは政府の仕事ぶりや教育の成果の違いということはあるかもしれないけれども、それも含めて国民の能力の優劣というよりは、歴史的な条件や政治環境による違いが一時的に現れていると考えている。

このことを日中経済の相対的な力関係に当てはめて考えるならば、20世紀後半の長い時期に日本が中国に先んじて高度成長を達成したことを「日本人は中国人より優れている」などと思い上がるのはナンセンスなことなのであり、一方で、今後の「世界の中の日本」「世界の中の中国」を展望して、「日本は中国にかないっこない」「中国は怖い」といった心配に苛まれるのも現実的ではない。

私は、最近の一種の「中国脅威論」の高まりには、以上に述べたような心理的な背景があると見ており、これを克服するには世界の経済史などを客観的に見て、中国の躍進を異例のこと考えるのではなく、世界がふつうの姿に戻りつつあるのだというリアルな認識を持つことがまず必要なのではないかと考える。

2.20世紀前半の対中政策の評価
      =「普遍の立場に立つならば」= cf.イラク戦争支持の評価、核武装論

19世紀後半から欧米の帝国主義と戦って独立を維持しようと考えれば、日本にせよ、中国にせよ、朝鮮にせよ、あるいはベトナムといった国にせよ、体制の近代化を図り、産業と軍事力を整えることが急務であった。

そのような中で、比較的早期に政治体制の近代化に成功したのか日本だが、それではわが国が中国や朝鮮に対してどのような態度をとったかについて、「世界に通じることば」で言えば、それは「手を携えて独立維持に協力する」といったものではなく、「自らの独立を維持し、欧米を追いかけて帝国主義を追求する上で踏み台にする」と言っても過言でないものだった

ところが、学校の歴史の授業では「日清戦争は、朝鮮に対する支配権を争った戦争だった」「日露戦争は、やはり朝鮮半島の支配権を争うものだったが、さらに日本側としては『ロシアが中国東北部の支配権を狙っているが、中国(清)の独立と領土保全のためにはこれと戦うことが必要』ということを戦争の大義名分として掲げた」ということを必ずしも明快に教えない。

「日本がそういう名分でロシアと戦ったので、中国の『門戸開放』を唱えるアメリカはポーツマス条約による日露講和に協力した」というストーリーをはっきり教えなければ、どうしてアメリカが「満州事変」で日本が中国東北部で排他的な権利を確立しようとしたときに、あれほど怒ったのか、廬溝橋事件以後、中国本土に侵攻したことに対して「通商条約破棄」「石油禁輸」といった厳しい措置に出たかが理解できないだろう。

いま、北朝鮮の核実験に対し各国が「制裁」を実行しようとしている。このようなときは、1937年の日本の中国侵攻についての各国の制裁論議を振り返るよい機会だ。あるいは、1990年夏のイラクのクウェート侵略と、国連安保理決議に基づく1991年の湾岸戦争を覚えている世代には、1941年から1945年のわが国とアメリカの戦争について「中国に侵攻した日本と、撤退を求めて制裁措置を発動したアメリカなど国際社会との戦争だった」という点で湾岸戦争と同様な構図の戦争である、という骨格をしっかり教えるべきだ。

いきさつを詳細に語ろうとすれば、語るべきことはたくさんある。国際的に理解される「共通語」ではなく、わが国独自の言い分を語ろうというのならなおのことだ。

しかし、日本の進む道を人類普遍の原理の上に構築しようとするのならば、歴史においてもその「骨格」部分について世界に通じることばで明快な認識を持つべきだし、子供たちの世代にそれをしっかり教えていくことが、わが国の国益を守ることにつながるだろう。

なお、ついでに言えば、客観的、普遍的に通用する認識を外交の基礎にすべきてあると考える私の立場からすれば、安部政権が前政権の「対イラク戦争開戦支持」について正直に再検証しようとしないのは問題だ。うその上には正しい外交は成り立たないし、誤りを正さないことは、同じ誤りを繰り返すことにつながるからだ。中川昭一自民党政調会長の「わが国が核武装することも選択肢に入れて研究すべき」といった国際的にどう理解されるかを考えない発言を放置することも大きく国益を損なうものだ。

3.「均衡」を求めて進む中国

胡錦濤政権の政策は、外交においては主要国との協調、内政においては進んだ地域と遅れた地域の均衡の重視という、内外ともにバランス指向であるという分析を聞いた。上海のいろいろな問題を整理することに着手したことは、胡錦濤政権のリーダーシップが一層強化されていることの現れという見方もある。

これが政権の基本的な姿勢であれば、それは中国の長期的な安定、発展にとり大きなプラスになると考える。それはひいては東アジア、世界の安定と発展にもプラスの影響を与えるだろ。わが国との関係でも、歴史問題を揺るがせにすることはないだろうが、それを突出させた江沢民時代とは対応が変化してくる可能性がある。

相互作用がよい方向に向かいつつあるように見受けられるので、願わくば安部総理には「騙し討ち」ととられかねない「靖国参拝」によって再び中国側で対日改善を指向する勢力を窮地に追いやるようなことがないようにしてほしい。

4.文化交流の重要性
      =「孔子学院」「高校生留学交換」の可能性=

日中関係においても、本当に関係を深めていくためには「政治」、「経済」といったこと以上に、「文化」交流や、人と人との交流によって、お互いについての理解を深めることが非常に大切であると考える。

中国政府は、世界中に中国語学習などのセンターとして「孔子学院」を展開している。この活動に「孔子」の名を冠していることは興味深い。

なぜなら、文化大革命当時は「批林批孔(林彪を批判せよ、孔子を批判せよ)」というプラカードが見られたように、孔子の思想は「封建思想」として急進派の攻撃対象になっていたからだ。

わが国は、江戸時代に儒教の一派である朱子学が幕藩体制の「体制のイデオロギー」であり、戦前も朱子学の素養が基礎的な教養とされてきたため、孔子の教えは様々な形で日本人の生活の中に入り込んでいる。おそらく文革期に学校時代の大半を過ごした中国人より、一般の日本人の方が自覚的かどうかはともかくとして孔子の教えをよく知っていると言えるだろう。

日本、韓国、台湾、ベトナムなど中心に、古典といえば儒教など中国の古典を教養の根底に持ち、漢字を用いてきた伝統を持つ国々が多いという事実はね中国にとって大きな財産であるはずだ。

わが国も、そのような伝統を地域の国々との交流、心のふれあいに活かしていくことができればすばらしいと思う。

さらに現代的な取り組みとしてはね国際交流基金が取り組んでいる「中国高校生の日本での長期ホームスティ」という事業はよい事業だ。

先に述べたように、相手国についての情報を大手マスメディアからしか得ていなということは、相手について偏った見方しかできない恐れを大きくしている。若い時に、ふつうの日本人と生活をともにする経験を持ってもらうことは、中国人の日本理解にとって大きくプラスに作用するだろう。

しめくくり

日中関係は、お互いが大局観をしかっかり持って臨むのであれば何の心配もないというのが私の意見だ。

毛沢東主席は、蒋介石総統と第二次国共合作を進める際に、蒋介石総統が出した「赤化根絶案」という名の、本来なら絶対に受け入れられるはずのない政策さえ受け入れた。「いま必要なことは蒋介石をやつつけることではなく、抗日救国運動をやることである」という考えに基づいて党幹部たちを何度も猛烈に説得したという。

それに比べて、日本は「廬溝橋事件やその後の衝突を謝罪しない国民党政権は思い上がっている」と軍事攻撃を続けて、その当否は別として、もともとの政策たった「中国の共産化を防ぐ」ことに結果として失敗した。

いちばん大事なことは「なにを実現したいのか」をはっきり自覚することだ。日中関係についてもそれは同じである。                                以上

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月20日 (金)

アジア・アフリカについて思い浮かぶことのノート

1. 安倍訪中、訪韓については、前の政権でどうにもならなかった、またアメリカも心配したり不都合だと思っていた日本と両国との関係を、ようやく本来の軌道に戻す上で役に立った。
 何か素晴らしいことのような錯覚にとらわれるが、前の政権で作り出されていた状況があまりにひどいものであったこと、また政権に就く前の安倍氏の発言があまりにひどいものだったことの反動である。
 しかし、よい方向に軌道修正が行われたという結果については評価せざるを得ない。

2. 北朝鮮の核実験については、最初の段階で「重大な脅威」と表明するのはあまりに過剰反応だったが、わが国の安全保障にとって、これがやがて実験を重ねることでミサイルに搭載できるような小型化につながっていくということであれば、ほんとうに「脅威」となり得る。
 そのような事態をどうプラグマチックに回避していくかが政治の仕事であり、ただただ「制裁、制裁」と騒いでいればいいという問題ではない。
 ましてや、わが国は「国際紛争解決の手段としての武力行使」を放棄し、その中には広く捉えれば「臨検」という名の海上封鎖も含まれるのが本来なのに、国連の非難決議追求の場などで「7章」を強調する姿勢を示したのは先走りだ。
 外務省や官邸が突出して、わが国外交の根幹をゆがめるのは遺憾である。
 北が「核実験継続」など、国際秩序に対決姿勢で歩みを進めようとするならば「出てきた分だけは押し戻」さなければならない。一方で、こちらから体制崩壊といったことを仕掛けるべきではない。それが正しい「封じ込め」だ。
 「対話と圧力」のうち「圧力」一辺倒の状況であり、あくまでも「対話」による北朝鮮の国際秩序への軟着陸を目指すという筋論で状況に対処すべきである。

3. 中国については、胡錦濤政権が内外共に「均衡」ということをテーマに政策を推進しようとしている。北朝鮮の「核実験」に対する対応などにもそれは見受けられる。
 中国がそのような「均衡のとれた」路線を内外で追求しようとしていることは、中国自身に安定感をもたらすことを通じ、わが国にとっても良い状況につながることと思う。
 中国は内政面で、これから貧富の差、地域格差、地方政府などで権力を持つ人々と貧しく権利を認められていない農民といった問題に取り組んでいかなければならない。これは大きな摩擦も生じるだろう。
 環境、エネルギーといった面での協力に加え、「均衡ある発展」という面でも、わが国が隣人として、あるいはある程度の成功を経験した先達として、対話を通じて協力できればいいと思う。
 また、昨年の「反日デモ」のような摩擦を想起すれば、「政治」「経済」の関係も大事だけれども、「文化交流」を含めた人と人との出会いといったものが、実に重要であることがわかってくる。
 お互いに反感を持つ人が、相手国について得ている情報はテレビなど大手メディアを経由したものに限られることが多い。タテマエの「友好」ではなく、また「東京-北京」だけではない交流を深めるべきだ、例えば「南京虐殺」で日中関係の負のシンボルになっている「南京」は、もともと気候風土や人情、文化の面で北方よりもより日本にとって近しい江南地方に属している。こことの交流に力を入れて正負を一挙に逆転するといった取り組みも必要ではないか。 

4.韓国については、あまり大きな声では言えないが「振幅」が日本以上に激しいことが特徴だ。盧武鉉大統領の対日批判、あるいはアメリカや日本との調整を度外視したかのような韓国単独での「太陽政策」推進など、これまでのあり方がすでに軌道修正されたり、あるいは次期大統領選挙でそのことが、ますますはっきりすることが予想される。
 むしろ、心配なのは「軌道修正」のいきすぎだ。北東アジアの平和と安定のためにはアメリカ、日本、中国などと調整し、協力してもらうことが重要であり、「北」との対話、北が誠意を見せれば「協力」にも力を入れるという韓国のこれまでの「基本線」については「これからも重要」というメッセージをはっきり出すべきだ。

5.中東については、イラクの現状にせよ、パレスチナ問題にせよ、イスラエルのレバノン侵攻、それにイランの核開発問題など「大混乱」と言える。
 これについては、より根本的で緊急度の高い問題は「パレスチナ問題」だ。日本も、引き続き知恵も出し、汗もかくべきである。P5ブラスドイツといった形で取り組まれることが多いが、日本政府は外されているのか、引っ込んでいるのか。
 なお、「歴史問題でベタ折れ」などともいわれる安倍内閣の国会答弁でいちばん問題なのは「イラクに対する開戦の支持」について検証も反省もしないことだ。こういうことでは誤った政策判断を繰り返す恐れが大きい。国会に9・11から今日までの内閣、行政府の活動を総括する調査会を設けて検討すべきではないか。

6.アフリカについて、ひと言だけ言えば、エイズ問題、あるいはマラリアといった伝染病についても、わが国から見ればわずかな支出で、多くの人々を苦しみから救うことができるということだ。
 世界の現実から目をそらしてはいけないということについて言えば、いちばん悲惨な人々を直接助ける。そういうわが国や先進国の市民的な取り組みをサポートすると言うことが大事だ。
 国連安保理の選挙も、一般の選挙と同じで「そういう時期になってから」というのはダメで、日頃から陰徳を積まなければならない。

7. インドの躍進は間違いなく、またインドの多元的な深い文化は魅力的だ。日本文化の基底は、ひとつには中国の古典文明ということがあるが、いまの文化に強い影響のある「禅」の属する仏教はインドがルーツだ。
 インドとの本当の交流を深めるべきだが、「中国牽制の手段」などと見るのは不毛だ。インドは中国と急速に関係が改善し、貿易相手国としても中国がトップになる勢いである。インド接近が中国牽制になるというのは現実離れしているし、そういう気持ちでは相手にとっても迷惑だろう。
 それよりも、日本で仕事をしようというインドの人々に敬意を払って接し、彼らの文化や歴史に関心を持つことから始めるべきだと思う。
 そういう意味では私はインドとの交流の強化論者である。

8.アメリカとの関係では、安倍政権がホワイトハウスと官邸の直接の結びつきを強めると言っている。一般的には悪いことではないかもしれないが、実際の国際政治情勢の中で考えた場合、現在のホワイトハウスはアメリカ国内においても、国際的にも偏った人々だという見方もあるだろう。
 「外務省-国務省」「ホワイトハウス-官邸」という関係の強化と平行して「日本の国会-米国議会」の関係強化も必要である。野党や与党内のハト派はアメリカ議会内の国際協調派といった人々との関係を強化する必要がある。中間選挙の帰趨はまだ予断を許さないが、官邸がホワイトハウスとの連携を強めるならば、われわれは米民主党の要路と連絡と意見交換を密にして、役割分担することが国益にかなうだろう。
                                                                        以上 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月11日 (水)

安倍を「右」から攻めるのは時間のムダだぞ民主党!

今日はテレビ中継の入る参院予算委員会が開かれていたが、例えば西岡武夫氏が「日韓首脳会談で竹島は日本の領土であることをちゃんと強く主張したのか」と安倍総理を攻撃する。何とかいう新潟の元自由党の女性議員は「国連の北朝鮮核実験に対する制裁決議の『理由』に拉致問題を盛り込まないのは、拉致問題への熱意に疑問を起こさせる」と騒ぎ、トップバッターの元神戸製鋼で総理と同期だったという議員は「防衛庁長官が民間機で大阪に移動中だったため、その間核実験の事実を知るのが遅れたのは、安倍内閣の危機管理意識が不十分だ」と攻め立てる。

いい加減にしてもらいたい。安倍は「格差拡大路線の『右翼国権論者』」なのだ。「村山談話などで一見ベタ折れに見えるから、右から攻めよう」という小賢しい考えかもしれないが、これでは西岡議員らの倒錯した個人の趣味というのにとどまらず、かつてロンドン軍縮条約を推進した民政党の浜口内閣を、鳩山一郎らの政友会が党利党略で「統帥権干犯」と攻め立て、結果として議会政治、政党政治そのものの首を絞めてしまったのと同様、一時的な打算で、国を誤った方向に導きかねない論の立て方だ。民主党じゃ日韓関係は小泉時代に逆戻り、軍部がいっそう幅を効かす息苦しい世の中になるのかと思われてしまう。

民主党は「近隣諸国重視、戦後平和外交路線の継承」、「適正な規模の福祉サービス保障と、それを支える公正で持続可能な負担の構築」を二つを柱に、横綱相撲をとっていればいいのだ。「歴史」「アジア外交」で安倍がネコをかぶるなら「安倍も少しはわかってきたか。でも国民の皆さんはだまされないでしょうね」と余裕で言っていればいいのだ。菅直人氏が「民主党が保守本流の位置をとればいい」というのは、今でも妥当な見方だと思う。キャンキャン吠える犬みたいに、「安倍より俺の方が国家主義者だ」などと騒ぐのは、資源とポテンシャルの浪費だ。

昨日は衆院で前原氏が、また中国の軍事費の透明性の問題を強調したり、「平壌宣言は生きているというのはおかしい」と煽っていたが、やはり攻め口を間違えている。民主党、頼むからしっかりしてほしい。小沢一郎氏、菅直人氏、岡田克也氏あたりを中心に、横路さんの意見もよく聞いて、参院選に向け、何をテーマにどう攻めるか、しっかり整理した方がいい。今日の参院予算委員会のようなことをやっているなら、霞ヶ関任せの安倍自民政権の方がましなように見えてしまう。お願い、頼むからしっかりして。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年9月25日 (月)

若宮啓文・朝日新聞論説主幹の署名コラム「安倍首相 祖父とチャーチルに何を見る」

表記の署名コラムは、一人でも多くの人に読んでほしいものです。【しばらくするとアクセスできなくなるので、貼り付けておきます。】前月のものも良い内容でした。

安倍首相 祖父とチャーチルに何を見る

2006年09月25日

 「アンポ、ハンターイ」と、デモ隊が岸信介首相の私邸まで包囲した1960年6月。5歳だった首相の孫は、この叫び声を祖父と一緒に聞いた。

 祖父はたじろがない。轟々(ごうごう)たる世間の非難があろうとも、国の将来だけを考えた真摯(しんし)な政治家――それが孫の描く岸信介像となった。

 幼心にも強烈な政治との出会いだったのだろう。46年後に首相となる安倍晋三氏は、著書『美しい国へ』の冒頭にこの思い出を書いている。

 なるほど、岸氏が政治生命をかけた日米安保条約の改定には屈辱的な旧条約を改める大きな意味があった。長じてその確信を深めた安倍氏にとって、祖父はさらに光を放ったのだろう。いま安倍氏が高く掲げる「憲法改正」も岸氏の悲願だった。

    ◇

 だが、この著書に書かれていないのは祖父と戦争のことだ。日本の傀儡(かいらい)国家「満州国」の高官として力を振るったことも、東条内閣の商工相として太平洋戦争開戦の詔勅に署名したことも、戦後にA級戦犯の容疑で捕らえられ、巣鴨プリズンで3年の収監生活を送ったことも、全く出てこない。

 あるエピソードがある。巣鴨に連行された岸氏に、郷里山口県の恩師が吉田松陰の歌を送った。「命を惜しんで名を汚すな」という趣旨だったが、これに次の歌を返したというのだ。

 名にかへてこのみいくさの正しさを 来世までも語り伝へん

 「聖戦」への強いこだわりである。

 だが、この覚悟は法廷で語られぬまま釈放に至る。岸氏を救ったのは、中国の共産化などアジアが緊迫化するなかで、日本の民主化より「反共」重視へとカーブを切った米国だった。

 その岸氏がついに首相となった。安保反対で燃えた熱気には「そういう戦争責任者に対する反発が、若い者にパーッと広がったせいもあった」(中曽根康弘氏)のだが、幼い孫はそれを知るよしもなかっただろう。

 いや、いまそれを蒸し返そうというのではない。ただ、安倍氏のすっきりしない歴史観が、祖父への思いと重なっていないかと気になるのだ。

 今度の総裁選では谷垣禎一氏も麻生太郎氏も、あの戦争の多面性を認めつつ、中国に対しては「侵略戦争」だったと明言した。安倍氏だけが「侵略」と言わず、「歴史認識は歴史家に任せるべきだ」の繰り返しだった。

 「侵略」や「植民地支配」をわびた村山首相談話について、あるいはA級戦犯を裁いた東京裁判についても言葉が煮え切らないのは、本音ではそれを認めたくないからに見える。「歴史を単純に善悪の二元論でかたづけられるのか」と、著書で強調している。

    ◇

 そんな安倍氏に警戒の目を向ける外国メディアは多いが、今月、強烈なパンチを浴びせたのがドイツのニュース週刊誌シュピーゲルだ。ホロコーストの歴史的事実を認めようとしないイランのアフマディネジャド大統領に「安倍氏は似ている」と書いた。

 いささか度の過ぎた比喩(ひゆ)である。ホロコーストを作り話だと言うこの大統領は、安倍氏とは比較にならない教条主義者だ。加えて言えば、安倍氏はナチスに対しては決して甘くない。

 実は彼が「古今東西の政治家で最も決断力に富んでいた」と言うのは、ナチスと真っ向から戦った英国のチャーチル首相なのだ。著書では、チェンバレン内閣の「宥和(ゆうわ)政策」が「結果的にナチスドイツの侵略を招いた」とし、断固たる信念で勝利に導いたチャーチルを高くたたえている。

 何やら北朝鮮に強硬姿勢をとる自分を重ね合わせているようでもあるが、おやっと思ったのは、安倍氏もナチスの行為については「侵略」と、こだわりなく断定していることだ。「歴史家に任せる」とか「善悪二元論はとらない」などとは書いていない。

 チャーチルが首相になった時、欧州に覇を求めるナチスはチェコ、ポーランドなど周辺国に次々と兵を進めていた。やがてフランスも占領する。安倍氏の認識に間違いはない。

 だが、これを侵略だと言うのなら、満州支配に飽き足らず、上海へ南京へと次々に進撃し、膨大な被害を与えた日本の戦争は、なぜ侵略だとすっきり言えないのか。チャーチルの警告を無視し、ヒトラーと手を結んで米英と戦った日本の是非も、やはり「歴史家に任せる」というのだろうか。シュピーゲルが問いたいのは、そういうことではないか。

 そもそも、いまさら「歴史家に任せる」もなかろう。満州事変からの中国進攻はどう見ても侵略であり、見通しなき米英との開戦も愚かな選択だったというのが、まっとうな歴史家のほぼ一致した見方だからだ。「任せる」のなら、これに逆らうことはない。

 さて、岸氏は外相や首相になったとき、国会で自身の戦争責任を聞かれ、「巣鴨などで十分に反省した」と何度も答えている。それでなければ首相は務まらなかったはずである。

 おじいさんの強さ、したたかさは見習うのがよい。同時に、その負の部分はクールに見てほしい。

 明日はいよいよ内閣総理大臣への就任だ。安倍さん、ここは新たな見識を示して、シュピーゲルを見返していただけないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月24日 (日)

日本の等身大像を中国に伝える「東京視点」に期待する

2006年9月23日(秋分の日)午後、新橋のビクターホールで開催された中国人留学生らを中心とした市民映像ジャーナリズム集団「東京視点」の5周年イベントに参加してきた。

すでに広くメディアで紹介されているが「大手メディアが紹介する日本像とはちがった、日本のリアルな市民生活を中国に住む人々にインターネットを通じて発信し、日中両国民の相互理解を進めよう」という基本コンセプトをもった集団だ。

まだ彼らの作品群をご覧になっていない方があれば、ぜひご覧になっていただきたい。アーカイブスの2003年にある「私の日本人おばあちゃん」をはじめ、みなそれぞれに楽しく興味深い。

その作品群も狙い通りの素晴らしいものだが、さらに活動を通じて参加した日中両国の青年たちがお互いの文化についての認識を深め、またアドバイザーとして参加している放送ジャーナリスト・下村健一氏とのやりとりのなかでメディアリテラシーにかかわる技を深めている。大手メディア(TBS)を離れて、市民ジャーナリズム運動に取り組むとしていた下村氏が初志を貫徹して、実に内容のある活動を展開しているのを知ってうれしかった。

代表の可越さん(長春出身)はイベントの冒頭スピーチで、活動の財政面に関わる将来性に触れたとき、涙ぐんでしばし絶句する場面があって驚いた。国策の面から考えても、中国国民の対日感情を大きく改善することにつながるこうした意義深い活動を、なんとかみんなで支えていきたいものだ。

森田はこのイベントを2週間ほど前に『朝日新聞』の「ひと」欄で知り参加したが、イベント後の餃子パーティーで主催者の求めで二胡を演奏した渡里文恵さんも、5年にわたる中国音楽修行を終え、南京の大学院から帰国早々にこの記事を見て参加したそうだ。日中文化交流に貢献すべく活動していきたいと話しておられた。

参加者は200名ほどだろうか。そのうち3分の1ほどが日本で仕事をしていたり、留学生だったりの日本語を話す中国人の人々で、いろいろ話せて楽しかった。「東京視点」がこのような輪を広げていく先頭集団として、今後も大いに活躍することを期待したい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月12日 (火)

安倍晋三氏が「戦争責任」の話しをどうしても蒸し返したいというなら、岸信介氏の責任追及を真っ先にすべきだ。

2006年9月11日の自民党総裁選公開討論会でいちばん違和感を感じたのは、谷垣候補が「日中国交正常化をしたときに、中国は戦争指導者と一般の日本国民を分けて国民に説明した経緯があった」と指摘したのに対し、安倍晋三候補が「そんな文書は残っていない。国と国とが国交を正常化するのは、交わした文書がすべてなんだろうと思う」と答えた場面だ。

なぜわざわざ、お互いがある程度共通理解としてきたことを蒸し返すようなことをするのだろうか。たしかに、戦争指導者と一般を分ける考え方にフィクションの要素があることは否めない。多くの国民が戦争を支持し、今の2チャンネルの連中と同様に国際協調派に罵声を浴びせ、近所同士お互いに圧力をかけあっていたのは事実であり、それは本質的には「騙されていた」などと言って免罪されるものではない。

しかし、自民党総裁や内閣総理大臣が取り扱うべきは「現実の国益」なのであって、戦争責任論の学問的な厳密な検証などではない。安倍氏自身が「歴史家に任せるべきこと」があると主張していながら、なぜこれまでの外交関係の前提をわざわざ壊すような、過去の話しを蒸し返し、われわれ日本国が国益を守るためにも都合の良い「戦争指導者と一般国民を分けて考える」考え方を否定するようなことを言っているのか。もっと「未来志向」になってもらわなければ困る。

それとも、どうしても全部をやりなおしたいというのか。それならば、まず日本自身が戦争責任を追及する法廷をやり直すべきだ。「極東軍事裁判」が冷戦をめぐるアメリカの都合で、一回の起訴しか行われなかったことを改めるため、その理由だけで起訴に至っていなかった岸信介氏の戦争責任の究明などは真っ先になすべきことだ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年9月 6日 (水)

気になる‥『朝日新聞』夕刊連載-「文革と向き合う 終結から30年」

朝日新聞夕刊ではじまった連載記事にふと目が止まった。

文化大革命当時、朝日新聞に実相を知らせる報道はなかったと思う。そもそも酷かった時期は国交正常化前のことだ。

10年近く前か、日本語を話す中国から来日した日本研究者と表参道のオープンカフェで雑談した時、遠慮なく言ってみた。「NHKの『大地の子』が中国で放送されないのは、文革の描写があるからでしょ」「僕自身は日本の中国侵略については罪を認めて謝罪すべきだという立場だけれども、中国国民が日本の侵略のことを遠慮無く言うのは、たとえば酷い目にあった文革のことはおおっぴらに批判できないので、心理的に『補償』しているようなところがあるんじゃないですか」。彼はもちろん、強く否定した。

産経新聞の読者などは「朝日も軍門に下った」「アリバイを作っている」と言うのかもしれないが、森田は別の観点から連載に注目する。文革についても隔意なく意見交換したり、中国が「文革」をほんとうに克服することに、手助けはできないだろうけれども、隣人として求められれば「聞き役」くらいになるといった心構えが、実は日中の足に地の付いた良い関係づくりにつながるのではないかと思うからだ。

とにかく、二回目以降を読んでいきたい。「気になる」。とりあえずの感想だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月16日 (水)

ちょっと味な中国人記者のコメント

小泉総理のA級戦犯合祀の靖国神社8・15参拝強行に関する報道の中で、朝日新聞の2006年8月16日付朝刊2面のヨコ組みの記事「中韓の市民は」の「◆北京」二人目に、日本大使館前のデモを取材に来ていたという29歳の地元紙男性記者のコメントに心惹かれた。

中国の状況についても比較的客観的に見、日本側に対してもナマの批判ではなく、「成熟した日本メディア」に期待するという、嫌みにならない程度の軽い皮肉を言っているのだが、このような余裕の感じられる味なコメントを聞けると、日中関係将来に向けて明るい気持ちになれる。

【以下、上記記事の該当部分・全文引用】 「大使館前に取材に訪れた地元紙の男性記者(29)『私たちは政府の公式見解しか報道できず、ここで見たことを記事にすることは許されない。成熟した日本メディアには、関係改善に役立つ報道をしてほしい』」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月15日 (火)

小泉総理「終戦の日」靖国神社参拝

早朝、参拝を決めたことを知る。自らの人気を、国益に優先する愚かな振る舞いだ。「敗れて目覚める。それ以外に日本が救われる道があるか。そのさきがけとなるのは本望」と犠牲を受け入れた、若き有為な人材たちの心を無にするものだ。

なぜわが国の首相は、わが国の国民は、目を覚ましていることができないのか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月 5日 (土)

8月6日(日)19:10~再放送される「アジアから見た日本・明治編」(NHK・BS1)はお薦め番組

5月連休前後に放送されたNHKの番組では、教育テレビで放送された『岡倉天心~アジア100年の旅』と、BSの『世界から見たニッポン・明治編』①②が優れた番組でありお薦めだった。

そのうち、明日の夜19:10より、何度か目の再放送が予定される『世界から見たニッポン・明治編②アジアの希望と失望』は、中国やベトナムから見た日本が日露戦争までに集めた期待、そしてそれがいかに裏切られていったかといった過程について、留学生数の推移といったデータや、いくつかの具体的なケースによって跡づけられていて、なるほどと思わせる。

梁啓趙、秋謹といった人々のエピソード、神保町の中国料理店に伝わる孫文の様子が、現在の店でのインタビューで紹介されるなど興味深いが、ベトナムの老女が歌うフランスや日本の支配についての国民感情を映し出す俗謡が印象が残る。日本統治下で数百万人の餓死者を出したとあっては当然のことだが、「中国や韓国は反日的だが東南アジアはそうではない」などという簡単な話でないことは言うまでもない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月28日 (水)

「日本・中国・韓国」犯罪グループによる誘拐事件のニュースに、外国語教育の方向性を考える

女性誘拐犯が「日中韓」グループだったというニュースを聞いて、そういう時代かなと思った。徳川時代の鎖国、冷戦など一時の歴史的な条件が隔てていた日中韓は近くて近い国になってきた。

こんどのような事件に接して考えるべきことは「中国人や韓国人はできるだけ入国させるな」「犯罪予備軍として警戒しろ」といった、中国人や韓国人を遠ざける方策ではないと思う。

犯罪グループだってこんなに協力できるのだから、文化・学術や経済産業、政治・行政などあらゆる分野で協力の潜在的可能性は大きいと考えるべきだ。同じ東アジアの文化的な伝統の上に立ち、しかし全く個性の異なる文化の出会いは新しい創造の源泉となり得る。

犯罪抑止という面だけについて言っても、例えば捜査当局全体の「中国語」「韓国語」の能力の水準を高めるといったことが効果的だろう。

しかし、それらのことをとってつけたように実現することはできない。国策として、外国語教育における英語一辺倒を改め、第二外国語として中国語や韓国語を学べる機会を飛躍的に充実すべきである。小学生に英語を教える「特区」があるそうだが、第一外国語が「韓国語」「中国語」「ロシア語」という市町村があってもいいと思う。その場合、第二外国語として英語を学べる機会の充実が必要であることは言うまでもないが。

日本はアメリカの植民地ではないのだから、外国語教育のあり方について、もっと国益を真剣に考えた構想を持つべきである。そうしたことが日本の「国際化」の本当の意味での出発点になるだろう。

ピンは「日中韓のコラボレーションの未来」のため、キリは「不心得な中国人や韓国人の犯罪から子どもたちを守るため」、日本人の中国語力、韓国語力を飛躍的に向上させるべきだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月24日 (土)

米印原子力協定支持表明「保留」方針の報道

日米首脳会談に向けて「米印原子力協定への支持表明は保留」という記事が出ていた。将来支持する可能性を強くにじませている点大きな不満が残るが、ブッシュ政権のやることには国家原則を曲げても全部賛成という流れが、部分的に正常化しつつある兆しとして歓迎したい。

わが国は広島・長崎で核攻撃を経験した民族的な体験を世界に伝える使命を持ち、実際の政策としても「核不拡散体制」の強化をめざしている。日本とインドの相互理解の深化、関係強化は必要であるが、「核不拡散体制」の弱体化に直結する合意を支持することで国家原則を曲げるべきではない。

【以下は上記『朝日新聞』記事のコピー】

米印の原子力協力合意 日本、支持表明せず
2006年06月24日06時25分

 政府は、米国とインドの原子力協力合意について29日の日米首脳会談で支持表明を求められた場合、明確な支持表明はしないものの「前向きに検討していく」と言及する方向で調整に入った。首脳会談までに、合意実施に必要な米議会の結論や、国際原子力機関(IAEA)の保障措置が決まる見通しが立たないためだ。ただ、反対はしないことで将来的に条件が満たされれば支持する可能性を示唆している。

 複数の政府関係者が明らかにした。

 日米首脳会談で米印原子力協力が話題になった場合、首相は「インドは民主主義という共通の価値観を共有しており、日米両国にとって重要な国である」と指摘。(1)インドの急激な経済成長に伴うエネルギー需要に対応する必要がある(2)インドを核不拡散体制に組み入れることにつながる――などとして反対はしない考えだ。

 ただ、(1)米議会が結論を出していない(2)IAEAの保障措置の具体的内容が決まらず、民生用技術が軍事転用される可能性が否定できない(3)6月初めの原子力先進国など45カ国でつくる原子力供給国グループ(NSG)の年次総会で慎重論もあり、合意が先送りになった(4)日本は被爆国である――などの理由から、明確な態度表明は先送りする。最終決断は米議会の動向などを見極めてからになるとみられる。

 英仏ロなどはすでに協力を進めている。米政府はNSGでの承認も目指しており、日本政府は「NSGでの全会一致を日本だけが止めることはしない」との立場を米側に伝えることも検討している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 9日 (金)

ロッキング・オン・ジャパン7月増刊号『SIGHT』(!)

書店に『世界』7月号を買いに行くと、となりに同じサイズのちょっと似た表紙の見慣れない月刊誌。「特集 小泉靖国参拝で日本は何を失ったか」「田中秀征×藤原帰一」「加藤紘一」の大きな文字。

ロッキング・オン・ジャパン増刊とある。「渋谷陽一氏、たしかロックの評論家じゃなかったっけ?こんなことやっているのか。リニューアル第一号というけど、初めて見たな」と興味引かれて買う。定価780円。

いろんなところから、いろんな声が出るのは良いことと思う。全体の風向きがおかしいから、こういう声は、特にどんどん出て欲しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 5日 (月)

日中文化交流の前進~NHK・BS1「今日の世界」上海京劇院日本公演の紹介

やや旧聞だが、2006年5月30日放送のNHK・BS1「今日の世界」後半(23:15~)で「上海京劇院」の来日公演について紹介していた。驚いたのは演出家の厳慶谷さんが流ちょうな日本語を話し、レポーターに京劇の勘所や拍手のタイミングなどについてレクチャーしたり、女優の通訳をしたりしていたことだ。なんでも中国で行われた狂言のワークショップに参加したのがきっかけで来日し、茂山流に1年留学していたという。

どこの国についても「外交安保も経済も大事だが、本当に大事なのは文化交流や相互理解の深化だ」と言うのは簡単だが、ややもすると上滑りになる。その点、このレポートは着実な半歩前進を目の当たりにして嬉しかった。

鳴り物や色彩は「伝統」といっても元代(モンゴル支配)以降の要素が強く、江南のしっとりした文化とは異なるけれども、いまも早朝の北京の公園を散歩すれば京劇の節回しを練習するお年寄りがたくさんいるように、中国の大衆文化の一端を知るきっかけにはなる。訓練された立ち回りは見事で、見得を切るのもカッコいい。東京公演は週末で終わったようだが、これから各地巡演するのでお時間ある方にはお出かけをお勧めしたい。

なお、インタビューで出てきた落ち着いた声の女優・史敏さんが「綺麗だから関心持ったんでしょう」と妻に突っ込まれる。否定しきれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 3日 (土)

松本重治『昭和史の一証言』(たちばな出版)

今から20年ほど前に毎日新聞社から出版された、國弘正雄氏氏によるインタビューの翻刻版。ロベール・ギラン『アジア特電』などと並んで、若いジャーナリストや政治家志願者に特に勧めたい本だ。

やはり読み進めるごとに「失われた機会」を嘆く気持ちを抑えられない。例えば近衛文麿首相は日中戦争の長期化を自らの責任と自覚し、主観的にはアメリカとの戦争を回避するために努力したことが知られる。

しかし、最初に首相に就任したばかりの時に起こった廬溝橋事件の際に、内地から大部隊を派遣する閣議決定を行ったことは日本の運命を変えた。経験不足であったと言えばそれまでだが、近衛を起用した重臣たちも責任を免れない。

対米戦争回避の思いは主観的には強かったにせよ、「南部仏印(ベトナム)進駐」が、アメリカに対日戦争不可避を判断させる決定的な要素になることをあらかじめ理解出来なかったことも決定的失策といえよう。

極東軍事裁判起訴を目前にした自決は、昭和天皇に近すぎる自分が訴追され、公判の対象になること自体が国体護持の妨げになるという判断も主観的には立派なことなのかもしれないが、靖国神社がその近衛を祀っていることは、首相による靖国参拝を(筋道立てて考えるならば)不可能にしている。

ただし、救いは「機会」は失われているばかりではないということだ。戦後、同盟通信を退いた松本氏が刊行していた『民報』社説のGHQ草案「誤訳」の指摘により、日本国憲法の天皇条項の政府案は「(その地位は)主権の存する日本国民の総意に基づく」と修正され、国民主権の規定が明確になったそうだ。

活かされた「機会」もあるのである。いつも目を覚まして、出来得ることをやっていかなければならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月24日 (水)

「二酸化炭素からプラスチック」こんな研究開発に力入れるべき

『朝日新聞』2006年5月23日付夕刊科学欄に、中国で二酸化炭素からプラスチックを作る実験プラントが作られていて、それは40年前に日本で開発された技術を使っているという記事が出ていた。「地球温暖化問題」が意識されていなかった時代に「高コスト」ということで切り捨てられた技術が息を吹き返しているわけだ。

こういった、理にかなって「こんなことできたらいいな」ということを実現する科学技術の話しはとても良いと思う。「光合成をする物質を人工的に作り出す」など出来ないものか。はじめから、無理と決めつけずに研究すべきではないかしら。きっと、どれだけカネをかけたかより、どれだけ頭を使ったかが勝負だろう。

巨額の開発費をつぎ込んで、核燃料サイクルといった古い、危険で、核武装の意思を疑われ、全体としてのコストが合うかどうかわからないことに取り組むことよりも、こういう本当に役に立ち、「環境とともに生きる」人間像に合致した研究開発の方向を考えるべきだ。

【以下は頭書の朝日新聞記事の貼り付けです】

CO2からプラスチック 40年前日本で発見、中国で工業化進む

 二酸化炭素から直接プラスチックなどの高分子をつくる技術が中国で工業化された。実は、約40年前、日本で発見された方法だ。コストの問題で実用化されなかったが、温暖化対策などで見直され、日本でも応用研究が再開した。(鍛治信太郎)

 二酸化炭素とエポキシドという炭素化合物を亜鉛化合物の触媒で反応させてつくる。高分子の重さのうち、4~5割が二酸化炭素の分だ。プラスチック容器やポリ袋などに使われるポリエチレンやポリエステルより、燃やしたときの二酸化炭素の発生量が少ない。
 この反応は68年、東京大工学部助教授だった井上祥平さん(現東京理科大教授)と大学院生だった鯉沼秀臣さん(現東京大新領域創成科学研究科客員教授)が見つけた。
 発見のきっかけは、二酸化炭素の利用とは関係がない。鯉沼さんは、外国の論文を参考に二硫化炭素という液体を使って高分子をつくる研究をしていた。高分子はできたが、非常にくさいイオウ化合物が発生する。二硫化炭素と似た二酸化炭素を代わりにできないかと考え、触媒を工夫し、成功した。
 二酸化炭素からいきなり高分子がつくれる珍しい反応だったため、学会や企業から注目された。だが、問題は触媒の効率だった。1グラムの触媒でできる高分子の量は100グラムほど。ポリエチレンはその1万倍以上で、とても太刀打ちできない。
 「当時は、石油資源の枯渇のおそれや地球温暖化といった問題がまだ認識されていなかった」と井上さんはいう。
 鯉沼さんたちは2年前、中国の内モンゴル自治区に年間生産量1千トン規模の試験工場がつくられたことを知った。中国の研究者が触媒の効率を約10倍に改良し、03年から生産を始めているという。隣接のセメント工場から出る二酸化炭素を原料にしている。
 まだ製造コストは高いが、土中などで微生物に分解される「生分解性」などの特徴を生かして食器などに利用しているらしい。さらに、海南島に年間1万トン規模の工場も建設中という。
 日本では昨年、物質・材料研究機構や高分子学会などが中心になって実用化の研究調査会をつくった。中国のさらに10倍の効率を目指す。また、生分解性や、燃えるとき発熱が少ないこと、約200度で分解してきれいになくなることなどの性質を生かした用途を考えたいという。秋ごろまでに研究をまとめ、来年度の経産省のプロジェクトに提案する考えだ。

 【写真説明】
中国の工場で二酸化炭素から直接つくられたプラスチック原料。大きく表示された「生物降解」は生分解性を意味する=04年8月、内モンゴル自治区で、井上東京理科大教授提供

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月11日 (木)

岡倉天心『茶の本』(岩波文庫)読了

岡倉天心の『茶の本』が出版されて100年だそうだ。NHK教育テレビの『岡倉天心アジア100年の旅』でも紹介していたが、日露戦争直後に書かれたこの本書き出しで天心は「西洋人は日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国とみなしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行いはじめてから文明国と呼んでいる」「もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう」と言っている。

いいセリフではないか。自衛隊の海外派遣や日米安保のガイドライン変更といった話しにもそのままあてはまるし、あるいは「経済競争力」に遅れをとっては世界の中での存在が否定されるかのような脅迫観念をいったん離れて、天心の説く、道教や禅といったアジアに源のある思想を受容し、育まれた日本文化の中にこそ、ほんらいわが国が誇るべきものがあるのではないかといったことを考えさせる。

ある人が「この魚は心から楽しんでいる」と言ったら、もう一人の人が「おまえは魚ではないのに、そんなことがわかるわけがないではないか」と混ぜ返したのに対し、初めの人が「お前は私ではないのに、私が魚の気持ちをわかっているのかわかっていないのか、わかるわけがないではないか」と言い返したという話しの紹介には、大喜利を連想して笑ってしまった。もっとも、笑点のやりとりにも「禅」がベースにあると解釈することができるかもしれない。

「美」を知ろうとするものは、姿や振る舞いも美しくあるよう心がけるべきだといった話しには、そういったことに頓着しない自分を反省した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月26日 (水)

中国からの「沖縄観光」の可能性

中国の王毅大使が沖縄で「中国から海外に出る観光客は一年に3200万人、その1パーセントの32万人を誘致できれば、現在沖縄を訪れる外国人観光客13万人をはるかに上回る」(『沖縄タイムス』2006年4月24日、他に『琉球新報』当日付)と述べたそうだ。

面白いスピーチだと思う。中国は内陸部分が広く、沿岸も北の方はリゾートといった気候ではない。距離の近い外国、また日本有数の観光資源に恵まれる沖縄の「中国からの観光」の潜在市場は大きいだろう。

沖縄県が、県立博物館の展示用に故宮博物院収蔵の琉球王朝由来の品々の貸し出しを希望しているように近代以前の交流の歴史もある。もちろん「遠景」として安全保障といったことも大使の念頭にはあるだろうが、沖縄にとっても観光振興は大いにメリットのある話しだ。訪れた中国人に少しでも「日本」の印象が良くなれば、大きな意味での安全保障にもつながる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月15日 (土)

松本重治、加藤周一、國弘正雄-新装・国際文化会館での土曜午後

気温は低めながら好天に恵まれた15日(土)午後、もともとの建築デザインを生かしたまま新装なった六本木の「国際文化会館」で、國弘正雄氏の『操守ある政治家 三木武夫』(たちばな出版)の出版記念会が開催された。故松本重治氏が創設と運営に心血を注いだ国際文化会館で、緑美しい庭園の景色を背景に加藤周一、國弘正雄といった人々が語る戦後の日米文化交流の思い出、「米、中、日」の三者の良い関係を構築するすることの重要性などに耳を傾けながら、先人達が努力で築き挙げてきた遺産を、われわれが軽薄に流れることで食い潰してしまってはならないという思いを強くした。

加藤周一氏は「杖を使っていますから、あまり長くは話しませんからご安心ください」と笑わせながら語りはじめ、同盟通信の上海特派員として虐殺事件のあと最も早く南京入りするなど活躍した故松本重治氏の戦中の中国での仕事ぶりについて、仏通信社に勤務していたロベール・ギラン氏から「日本の情報ソースは宣伝のような話しばかりの人が多かった。南京事件の犠牲者数については松本氏とは見解が違うが、しかし松本氏の情報は一般に信頼性が高かった」といった話を戦後話を聞いたことなどを披露した。

ライシャワー大使にベトナム戦争に苦言を呈すると、大使が真っ赤になって米政府の立場の正当性を語ったといったエピソードには、戦後アメリカとの知的交流の部分は、日本側に負い目のようなものがあったにせよ、今より活発で深みがあるものであったのではないかと感じる。ブッシュ・チェイニー・ラムズフェルドばかりがアメリカではないので、森田としても中国や北朝鮮に「関与を強めるべし」というのとある意味では同様に、アメリカとの本当の付き合いは、これからむしろ深めていくべき時なのかもしれないと感じた。

筑紫哲也氏は朝日新聞の外務省記者クラブにいた時、南平台の三木邸で睦子夫人、外相政務秘書官の國弘氏と三人でよく三木外相(当時)を「妥協的だ」とつるし上げ、三木氏がよく「みなさんはそう仰いますが、現実の政治はなかなか皆さんの言われるようにはいかないんですよ」などと言っていたという話などを披露したが、長めのスピーチの中程に「長くなってはいけませんが、加藤さんも丈夫な杖をお持ちでした」と笑いをとり、立食の料理もなかなか旨く、楽しい土曜の午後だった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年4月 3日 (月)

「総理在任中は靖国参拝せず」明言が次期自民党総裁の必要条件

安倍、麻生両氏が、中国の胡錦涛国家主席の「日本の指導者が靖国神社参拝を取りやめれば首脳会談に応じる」という発言をそろって批判しているそうだ。

この二人は、総裁選を通じて総理に就任した場合にA級戦犯を合祀する靖国神社に参拝するのかしないのか、明言しないで通すつもりらしい。はっきり言って、それでは中・韓との関係は今後3年間、引き続きうまくゆかず、日本外交全般に大きな障害をもたらすことになるだろう。危なっかしくてこの二人を日本の首相に選ぶことに賛成できない。

「首脳会談の条件にするのはおかしい」という。「首脳会談の条件にして欲しくない」という気持ちなのだろうし、「首脳会談の条件にするのは認められないので、これこれの手だてて首脳会談に引き出すつもりだ」ということであるのなら、賛成できるかどうかはともかく筋は通っている。しかし中国が「条件だ」と言っているのは「現実」なのであり、「おかしい」という「理想論」を語るだけで手を拱いていているのでは、首相としての使命を果たすことができない。

首相に求められるのは、現実政治において国益を実現することであり、いかに大衆の空気が「国家のプライド」に傾いているといっても、それに迎合して世界政治においてトンチンカンな振る舞いを続けるのであれば、20世紀前半に国を誤った人々と同じ精神構造と断じざるを得ない。

対英米開戦の閣議決定に署名したA級戦犯容疑者だった岸信介氏の孫である安倍晋三氏がそうであっても驚かないが、戦前・戦中は陸軍など軍国主義勢力と戦った吉田茂氏の孫である麻生太郎氏も同類項だというのはたいへん残念だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月 1日 (土)

靖国神社「遊就館」-多数の遺影に想う

高2の娘と少し前から靖国神社の「遊就館」に行ってみようと約束していたところ、桜も満開で好天の休日となったため家族で出かけてきた。

「遊就館」は思ったより大きな、きれいな施設で驚いた。広々したスペースに近代の戦争・歴史絵巻が展開され、先の戦争はやむを得ない自衛戦争だったという史観に基づく映像などが何カ所かで放映されている。

いちばん印象に残ったのは、展示の最後の方に遺書や遺品などとともに、たくさんの小さな遺影が氏名、階級、死亡場所などを明記して掲げられていたことだ。そこに東条英機首相も「法務死」として紛れ込ませてあるところはまことに姑息な感じがするものの、一人一人の遺影を見ていると、それぞれの多様で、しかし平凡でどこでも出会うような表情の後ろに、家族の様子、学校時代の様子や徴兵前の職場での様子などが思い浮かび、戦争の歴史がいかに多くの人々の人生を巻き込んだかを印象づける。

神社側の狙いは「靖国史観」の宣伝なのだろうが、森田自身は「こんなにもの犠牲。政府首脳の誤った判断と、大衆・マスメディアが作り出した愚かな、しかし逃れることの難しい『空気』によってこんなにも多くの人々を犬死にさせた愚行を決して繰り返してはいけない」という思いをますます強くした。

終戦を小さな子供として迎えたであろうご婦人達が、開戦前の日本が戦略物資の入手をどれくらいアメリカからの輸入に頼っていたかを示すグラフを前に「これで戦争を始めるなんてとんでもない」と語り合っていたのをはじめ、批判的な視点をもった来館者も見かけた。

娘は「ほかに近代日本の政治外交史、戦争の歴史を詳しく紹介した博物館などはないのだから、見る価値がある」と言っていた。そうかもしれないが、開戦を望んだアメリカに締め上げられて仕方なく自衛のために戦ったという史観に貫かれ、政府首脳の失策のなかで昭和天皇の意向を受けて終戦に尽力した鈴木貫太郎首相のポツダム宣言「黙殺」のみを特筆大書し、展示の最後でパール判事の東京裁判批判を大きく掲げて自らの主張を押しつけようとする展示には違和感を覚えざるを得ない。

阿南陸相の遺書を見た5~6歳に見える女の子が「どうして血がついているの?」と父親に聞いていた。陸軍の意向を代弁しつつもついに辞表を出さずに踏みとどまり、ポツダム宣言受諾に極めて大きな役割を果たした阿南氏の責任ある態度は、今日のわが国の繁栄の礎の一つであることは間違いない。少女がそのことを知るきっかけに触れることができることは、一面では良いことだと思う。

しかし、それがこのような偏った考え方の施設でしか行われないというのは困ったことだ。やはり靖国神社はビル・エモット氏の言うように国営化して展示施設などは政府の見解に沿ったより中立的なものにすべきかもしれない。そうでないなら、青少年や外国人に日本の近代政治外交史、戦争史を紹介する公営の展示施設・博物館などを別に設けることを考えるべきだと思う。

A級戦犯合祀や、このような偏った展示施設に皇族の写真などもたくさん掲示していることは、わが国の姿勢について諸外国に誤解を与え、青少年の歴史教育において問題がある。このような国益を損なう事業を「宗教法人」として課税面でも特別な優遇を受けて続けさせていいのだろうか。公益を損なう勝手なことをどうしても続けたいというのなら、宗教法人の認可は取り消して、一民間結社として固定資産税などちゃんと払わせるべきだと思う。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年3月27日 (月)

小泉首相の「理解力」

予算成立を受けた記者会見で、小泉総理はあいかわらずA級戦犯合祀の靖国神社に日本の首相が参拝することに対する中国、韓国の批判が「理解できない」と繰り返している(例えば毎日新聞記事)。さらに、批判を容れることは中国や韓国の言いなりになるということだそうだ。

何度でも言うが、この程度の「理解力」、この愚かな「単純化思考」の人間に総理を任せておくことは危険きわまりない。

小泉を支持するならバカでもいいと選ばれた自民党新人議員83人、メール問題にスピードをもって対処することの出来なかった無能な前原党首。こういう連中を放っておいていいはずがない。

マスメディアもそろそろ目を覚まし、ちゃんとその位置にふさわしい人が、その位置に就くようにするために少しは仕事をしてもらわなければ困る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月25日 (土)

自民党ハト派「絶滅危惧」に思う

『毎日新聞』の岩見隆夫氏によるコラム「近聞遠見」(2006年3月25日付)が、自民党ハト派の元官房長官・坂本三十次氏の葬儀に文章を寄せている。

佐藤内閣当時、国連の逆重要事項指定決議案への対応をめぐり福田赳夫外相不信任案が採決された際に藤山愛一郎、宇都宮徳馬、坂本三十次、河野洋平といった議員たちが欠席した当時には、自民党内部に今より強固なハト派の潮流があった。

なぜハト派は「絶滅」が危惧されるようになったのか。小選挙区制の導入の影響は大きかった。仮に、自民党の政治家や支持者の7割がタカ派で、3割がハト派だったとしよう。中選挙区制なら自民党の二人目や三人目でハト派が当選してくる可能性があった。

現在の選挙区ごとにただ一人を立候補させる小選挙区制のもとでは、どうしても、候補者は全て相対的多数派のタカ派からになってしまう可能性が高い。さらに、執行部の言うことを聞きさえするならばバカでもいいというのが最近の風潮だ。自民党ハト派絶滅は選挙区制度の構造がもたらしている。

もし次期総裁選でも小泉亜流のような総裁が誕生するなら、自民党内のハト派は静かに全滅を待つよりも、タカ自民と袂を分かって、民主党以下の野党のうちハト派的な部分と連携し、「中道左派」プラス「保守リベラル」の連立政権を樹立して執権する道を選ぶべきではないだろうか。

「中道左派」の方は、早く前原某のようなたかがメール問題にもきちんと処すことのできない軍事オタクなど早く自民党に引き取ってもらい、共産党まで含めた連携による政権奪取の体制を整えるべきである。日本共産党も、いつまでも自分がお山の大将でなければ気が済まないという姿勢を脱却し、公明党が自民党を表向き立てているように、大きな与党を表向き立てて実際の影響力を確保することを考えたらいいのではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月 6日 (月)

米インド核開発協力合意をめぐる各紙社説

 米インド核合意についての各社社説について。

○ 『東京』が、批判的な立場を一番明快に示しており、森田の考えに近いです。

○ 『朝日』は他紙に先がけて3日付で「唯一の被爆国として核拡散に強く反対し、核廃絶を求めてきた日本としては受け入れがたい」と表明。

○ 『毎日』も「このままではNPTは空洞化」するとし、「5大国特に米国」の説明を求めています。

○ 『読売』も「NPT体制を弱体化させるものではないか。問題をはらんだ合意だ」と書き出しています。

○ 『読売』はさらに「関連物質・技術など国際的な輸出管理規制を緩和するため、日本など原子力供給国グループ(NSG)の間でも意見の一致が必要」と指摘しており、わが国政府もこの問題に無関係ではないことを示しています。さらに『日経』社説はこの問題を、核エネルギーをめぐる国際的な政策潮流の変化の中に位置付けて、日本はIAEAなどの濃縮・再処理の国際管理強化の流れに背を向けて「独自の核燃料サイクル」にこだわる姿勢をとっているが、これは見直す必要があるのではないかという趣旨のことを説いており正論です。

  「IAEAなどの国際管理強化路線に寄りそい、アメリカのインド特別扱いのお先棒はかつがない」というのが正しい選択だけれども、「核サイクル問題でアメリカに特別扱いしてもらう見返りに、インドの核についてはアメリカに協力する」という方向への圧力が、財界の一部や「原子力村」から出てくることが予想されます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月 5日 (日)

米・インドの核エネルギー協力合意は核不拡散条約違反

 アメリカのブッシュ大統領が今回の南アジア歴訪の際、インドのシン首相と合意し発表した核エネルギーに関する合意は、核不拡散条約(NPT)に違反する内容だ。NPTは加盟国以外への核技術供与を認めていない。

 世界政治に一番大きな影響力を持つアメリカは、イランや北朝鮮に対してNPTのルールを守らせることについても一番大きな責任を負っている。そのアメリカがルール違反を恣意的に行うというのでは国際秩序の維持が難しくなる(朝日新聞3日付社説参照)。

 それとも、またイラク戦争の時のように「俺がルールだ」というわけか。日本政府も、もし若干でもプライドというものがあるならば、この問題への対応にイラク戦争開戦支持や自衛隊派遣決定のような情けないやり方を繰り返すべきではない。

***   ***

 以下、ご参考までに3月3日(金)14時15分からNHK・BS1で放送された米PBSの「ジム・レーラー・ニューズアワー」の同時通訳音声部分を録音し、手持ち資料にするため書き留めたものを掲載します。

 ジム・レーラー 今日最初は、ブッシュ大統領のインド訪問について、ホールマン記者のレポートです。

 ホールマン アメリカのブッシュ大統領とインドのシン首相が、原子力の協力で合意に達しました。これは世界の2大民主国家の関係が劇的に変わったことを示す出来事です。中立主義とは言いながら、冷戦時代にはソヴィエト連邦寄りだったインドは、急速にアメリカと政治的、経済的パートナーシップを築きつつあります。ブッシュ大統領はこの合意により、両国は国内の政治的反対を乗り越えて、関係強化をめざす意思を示したと述べました。

 「私たちは本日、原子力に関して歴史的な合意に達しました。シン首相にとって簡単なことではなかったと思います。アメリカの大統領にとっても容易なことではありませんでした。これは必要な合意で、両国の国民の役に立つものになります。状況や時代が変われば、指導者も考えを変え、これまで人々が信じていたのとは異なるメッセージを世界に伝えることができることを示しています」(ブッシュ大統領)

 インドは1998年に核実験を行い、これまで一度も核拡散防止条約に加盟してはいません。アメリカや、国際的な原子力協力プロジェクトからも閉め出されてきました。今回の取り決めではインドが軍事用と民生用のプログラムを分け、後に22の原子炉のうち14基に対してIAEA(国際原子力機関)の査察を受け入れることになっています。これと引き替えにインドは、アメリカの原子力技術を利用することができ、増えつつあるエネルギー需要を満たすことが可能になります。

 インドのシン首相はこのように述べています。「ブッシュ大統領に対してインドは、約束通り民生用施設を分離したことをお知らせし、国際原子力機関とインドにとって適切な保障措置の実施について話し合う予定だあるということをお話ししました」

 ウィーンに本部を置くIAEAは、この合意を歓迎しています。エルバラダイ事務局長はこの声明について「核のテロリズムを予防し、原子力の安全性を高めるための核拡散防止体制にとって重要な一歩になる」と述べました。 

 この合意は連邦議会で承認される必要がありますが、反対も予想されます。マサチューセッツ州選出、民主党のマーキー議員は危険な先例を作るものと批判しています。「この合意はNPT体制にとって、災いになります。NPT体制に穴を開けるものだと思います。将来パキスタン、イラン、北朝鮮など核兵器開発を望むどの国に対しても説得力を失ってしまいます。平等に扱っているとか、本当に保障措置があるのだと言えなくなります」

 ブッシュ大統領の訪問に抗議して数千人がデモを行いましたが、政府の対応は温かいものでした。国際的な世論調査機関は、インドにおける大統領の支持率は他のどの国におけるよりも高いと言っています。11億人の人口を抱えるインドは、たいへん魅力的な市場であり、対米貿易はこの5年間で140億ドルから300億ドルに増加しました。しかし、米中貿易の2000億ドルに比べればほんの一握りです。ここからはマーガレット・ウォーナーが伝えます。 

 司会(ウォーナー) アメリカとインドの原子力協力合意と、両国の関係の変化についてお話を伺います。インドの文化と文明、政治学がご専門のインディアナ大学のスミット・ガングリー教授。インドのお生まれですが今はアメリカに帰化されています。カーネギー国際平和財団・拡散防止センターのジョセフ・シリンシオーネ所長。戦略国際問題研究所で国際安全保障プログラムの責任者、カート・キャンベルさん。クリントン政権時代に国防次官補代理を務められました。ガングリー教授、これはインドとアメリカにとって良い合意なんでしょうか。

 ガングリー はい。この取り決めはインドにとってもアメリカにとっても非常に好ましいものであることを疑う余地はほとんど無いと思います。

 司会 どうしてですか。

 ガングリー まず、インド側から見るとインドはエネルギーの需要が非常に大きく、温暖化ガスも非常に大量に排出している国ですから、この取り決めで長期的にエネルギーの安全保障を担保することになります。また温暖化ガスの排出の抑制につながります。さらにはインドの核プログラムのかなりの部分が国際社会の監視下に入ります。そのほか、これが一番重要なことだと思いますが、老朽化が進み、すぐにも改修が必要な設備が近代化できると言うことを意味しているからです。またこれはアメリカにとっても意味のある政策の転換だと思います。30年間の政策では目的を達成することが出来なかったからです。インドの核プログラムを阻止することは出来ませんでしたし、原子力事業の制約すら出来ませんでした。ですから今回の合意は、歓迎すべき政策の転換だと思います。

 司会 シリンシオーネさんはどのようにお考えですか。

 シリンシオーネ この合意が実施されるとNPT(核拡散防止条約)は崩壊するでしょう。ブッシュ大統領は歴代の大統領が30年、40年かけて作り上げてきた枠組みに穴を開けてしまったのです。インドの要求はよくわかっています。彼らは原子力技術を欲しがっているのです。

 司会 民生技術ですか?

 シリンシオーネ はい。アメリカから燃料や原子炉を買いたがっています。これまでこの要求に応えたアメリカの大統領はいませんでした。ニクソンも、レーガンも、ブッシュ元大統領もです。しかしブッシュ現大統領は核兵器は売らないまでも、それ以外の全てを与えてしまったのです。

 司会 なぜこの合意がNPT体制に穴をあけることになるのですか?インドはそもそも加盟もしていません。イランや北朝鮮のように加盟しながら脱退したり、ごまかしたりしたわけではありません。

 シリンシオーネ しかし「協力協定」には調印しました。60年代、70年代に原子炉を手に入れるためです。アメリカとカナダは平和利用を前提として原子炉を提供しましたが、インドはその協定を破り1974年、原子炉からプルトニゥムを抽出して核実験に踏み切ったのです。このようなことが二度と起こらないようNPTの枠組みが出来たのですが、今回ブッシュ大統領はそれをぶち壊してしまいました。

 司会 キャンベルさんはどう思われますか?

 キャンベル 明らかに不完全な合意です。それは疑いありません。しかし、合意した以上、受け入れるしかないでしょう。タイミング的にもまずかったですね。今後イランに圧力をかけなければならないときに、誤ったメッセージを与えると思います。今後50年間アメリカにとって最も重要な国はインドになるでしょうから、合意を取り消すことは両国の関係にとりかえしのつかないダメージを与える可能性があります。

司会 ガングリー教授、シニシオーネさんが仰るとおり「悪いことをしたインドに、褒美をあたえる」ようなことにならないのですか?NPTの国際的枠組みを損なうという意見をどう思われますか?

 ガングリー 私はもちろん、先ほどの方とは異なる意見を持っています。インドがNPT(核不拡散条約)の締約国でないということは重要な点だと思います。1968年に18の国が集まって軍縮会議を行い、これが最終的にNPTにつながっていたったわけですが、インドはその当時から「大国のエゴ」(への反対)と原則論を根拠としてこの体制に反対してきたのです。自国の安全保障を懸念し、不平等条約は受け入れられないと主張したんです。

 司会 シリンシオーネさんは、インドが西側諸国をだまして民生用の原子炉を手に入れたとおっしゃっていますが、どのように思われますか?

 ガングリー はっきり申し上げて、シリンシオーネさんの話は大げさだと思います。カナダが提供した原子炉で、そこで作られたブルトニウムが、本来の目的以外の目的で一部使用されたということはありましたが、その一方で、両国の合意文書にはインドがあの原子炉からの使用済み核燃料を取り出してはならないという条項は無かったんです。合意の精神には反していたかもしれませんが、文言には反していません。

 シリンシオーネ それは馬鹿げた考えです。ニクソン大統領はインドがしたようなことを再び許さないという法案を議会に提出して承認されました。それをいまブッシュ大統領は踏みにじっているのです。大統領は、インドの核開発を助けることを禁じているNPTを破っただけではありません。アメリカの5つか6つの国内法も改正せざるを得なくなります。

 司会 あとでもっと幅広い観点から議論したいんですが、先ほどの国際的な体制に穴が開くとおっしゃった点ですけれども、インドは軍事用と民生用を分けて、原子炉の3分の2に対して査察を受け入れることになるわけですよね。

 シリンシオーネ それはつまり3分の1の原子炉は査察を受けないということで、それは問題です。今回の合意の意味はインドの核兵器製造能力が年間2倍、3倍になることではないでしょうか。現在年間6個から10個作る能力がありますが、アメリカからの燃料が民生用の原子炉で使われるなら、それを軍事目的に転用し、核兵器製造能力を3倍にすることも可能です。そうなると、パキスタンはじっとしていないでしょう。中国や日本はどうでしょうか。アジア地域にとっても、ブッシュ政権にとっても問題です。

 司会 キャンベルさん、この合意は何を象徴しているのでしょうか。単に核の意味にとどまらないとおっしゃっていましたが、どういう意味ですか?

 キャンベル そうは言っても、原子力合意が今回のインド訪問の主な目的です。今後しばらく賛否両論うずまくでしょうが。 そのほかにも宗教指導者や政治家、財界人との会食があって、インドからのマンゴーの輸入を17年ぶりに再開する合意も成立しました。

 司会 マンゴージュースで乾杯していましたね。

 キャンベル そして、両国が意識しているのが中国です。アメリカ政府、インド政府の行動の背後には中国の存在があります。両国とも中国を「敵」とみなしているわけではありませんが、今後おもな競争相手になっていくと見ています。中国と協力できる分野もあるでしょう。そしてアメリカとインドが手を組めば、中国とよりよく協力できるという確信が、アメリカ・インド両国にあると思います。それが両国の関係強化を後押ししているんです。

 司会 ガングリー教授、これがインドやインドの対米姿勢においてどの程度大きな変化だと思いますか?また中国の存在をどの程度意識しているのでしょうか。

 ガングリー これはまさに、インドのアメリカに対する姿勢がいかに劇的に変化したかを示す出来事だと思います。実はシン首相のこの決定には、インドの科学界がかなり強く反対していたんです。「インドはアメリカに身売りをするようなものだ」と。そういう反対です。原子炉の3分の2を国際社会の監視下に置くということで合意をしているからです。しかし、もっと核心的な問題に戻って考えたいと思います。それはつまり、インドとアメリカとの関係改善という点なんですけれども、まさにこれは大々的な変化だと思います。インドのアメリカに対する姿勢が大きく変わったのです。

 そしてキャンベルさんが正しく指摘された通り、この問題では中国の存在も影響したと思います。インドもアメリカも中国がただちに脅威になるとは考えていません。しかし、それでもやはり両国は中国の軍事力、経済力の増大ぶりと、そして将来それがどのように行使されるのだろうかということについては、ある種の懸念を抱いています。その結果としてアメリカとインドは中国というアジアにおける新たな巨大な動物について、協議をせざるを得なかったと言えると思います。

 司会 これは中国に対抗するという面で、どれくらい重要なことなんでしょうか。あなたは合意に反対をしていますけれども、もっと広い視点で見るとどういうことになりますか。

 シリンシオーネ インドとアメリカの関係が急激に変わったきっかけは、2000年のクリントン大統領の訪問でした。まるで王様のようなもてなしを受け、抗議デモもありませんでした。しかし、それでもアメリカの原則を変えることはありませんでした。ところが中国の脅威が高まる中、一部のネオコンが、むしろインドの核を強化して中国に対する抑止力にしようと考えました。インドを中国に対抗するアメリカの同盟国にしようと、今回の合意のひな型を作ったのです。

 司会 キャンベルさん、アメリカはこの合意から何を得るんでしょうか。そのうち何割くらいが、経済やビジネス上の利益なんでしょうか。

 キャンベル 先ほどのリポートにもありましたが、アメリカとの貿易、アメリカからの直接投資は増えましたけれども、まだ十分ではありません。特に中国に対する貿易や投資に比べて少ないです。ですから、今回の合意をきっかけにインドとアメリカの間で、エネルギー全般やソフトウェアーの分野での協力が強まることを期待します。 また今回の合意は、アメリカにとって未来に関するものですが、インドにとっては過去に関するものでもあります。つまり、アメリカはこれまでインドに十分敬意を払ってこなかったという気持ちがインドにはあります。それを今後乗り越えていくという点が大きな意味を持ちます。次にインドと会談するとき、彼らの態度は大きく変化しているでしょう。アメリカに対する不信感が和らぎ、協力的になっているでしょう。 防衛面での協力もあり得ると思います。

 司会 それはすでに強化されていますよね。

 キャンベル しかしこの合意をもっと完全なものにするためには、さまざまな分野でインドの協力が必要でしょう。国境を越える問題、核拡散防止の問題などでインドの協力が得られれば、合意は価値あるものになるでしょう。 全般的には懸念の多い合意ですが、こうなった以上、前進するしかありません。今後の展開によっては、インドがアメリカにとって前例のない重要なパートナーになる可能性があります。

 司会 ガングリー教授、インドはもっと幅広いパートナーシップを目指しているんでしょうか。そして、やがてアメリカの小売業界にも市場を開くと思いますか?

 ガングリー インドはアメリカとの間でより広範な関係の強化を求めていることは明らかだと思います。アメリカと聞くだけで拒否反応を起こしていた、そういう嫌悪感といったものとは決別したと思います。もちろんブッシュ大統領の訪問中に一部でまだそのような反応が出たことはありました。しかし、そういう人たちはかなり減ってきていると思います。 また小売業界の開放はたしかにアメリカが求め、インドがまだ抵抗していますが、民主国家ですから有権者の声が結局はものごとを決めます。政治家も政治的に微妙な問題については慎重に対応せざるを得ませんね。しかしインドはその点でも一歩前に出ています。個別の小売り産業について市場参入の許可を出していますからね。これからは大手の企業、スーパーなどにどう参入を許していくかということが問題になると思います。

 司会 ウォルマートとかKマートとですね。

 ガングリー そうです。

 司会 これからの見通しはどうなんでしょうか。なぜ原子力の協定が必要だったんでしょうか。これからどうなりますか?

 シリンシオーネ 今回の合意によって、アメリカの核拡散防止法が4つから6つ改正しなければならなくなります。それには議会の承認が必要で、何年もかかるでしょう。今年は何も変わりません。白熱した公聴会が行われるでしょうが、上院外交委員会のルーガー委員長からも、下院外交委員会のハイド委員長からも懸念する声が出ています。ですから合意が承認されるまでに解決されなければならない問題がたくさんあります。

 司会 キャンベルさん、激しい論争になりますか?

 キャンベル 二つのことに注目すべきです。まず久しぶりに両党からホワイトハウスの政策に対する強い反対の声が上がっています。今回の合意もその一つとなるでしょう。第二に、インドはプライドの高い、時に扱いにくい国ですから、今後アメリカ議会とホワイトハウスの間で、この合意を巡って激しい駆け引きが行われるのを快く思わないでしょう。ですから私もシニシオーネさんのように、今後の成り行きを見守りたいと思います。今後数年間、そうスムーズにことは運ばないでしょうから。

 司会 みなさんどうもありがとうございました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月 3日 (金)

劇団四季ミュージカル「昭和の歴史三部作」パンフレットの残念

 昨秋、知人の強い薦めで劇団四季のミュージカル『李香蘭』のチケットを買った。あいにく当日仕事が入ってしまったため、高1の娘と妻が見に行った。定評のある作品であり、娘も「歌も踊りも良かったけれど、戦争までの中国との歴史が苦手だったけど、初めてよくわかった」と言っていた。

 私も、若い世代に右にも左にも極端には偏らない立場から歴史を伝えようとする浅利慶太氏と劇団四季の取り組みには一定の評価をすべきだと思う。『異国の丘』の主人公のモデル・近衛首相の長男で、プリンストン大のゴルフ部主将の人気者であり、上海を舞台にした日中和平工作に敗れ、軍部ににらまれて兵士となり、やがて10年シベリアに抑留されて帰国直前に死去した近衛秀隆氏のストーリーは「昭和」が持っていた「もう一つの可能性」を考えさせるよい題材だ。BC級裁判には「ぬれぎぬ」といっていい報復裁判もあったということを伝える『南十字星』も、戦争の実相を伝える良いテーマだろう。

 娘が持ち帰ったほぼ80ページ、定価1,500円のパンフレットには元文藝春秋社員で作家の半藤一利さん、日本外交史の五十旗頭真さんのそれぞれバランス感覚に優れた、これらミュージカルをきっかけに歴史を知ろうとする若い人々にもたいへん参考になる文章が掲げられている。

 たいへん残念なのは、同じパンフレットに「私はあの勝者による敗者への報復の東京裁判を裁判とは認めない。また戦争犯罪人とは思わない」「日本はサンフランシスコ講和条約を結んだが、東京裁判そのものを受け入れたわけではない」といった、産経新聞の石井某のあまりに偏った意見を、筆者の写真入りで2ページにわたって掲載していることだ。

 私は劇団四季は画龍点睛を欠いたと思う。結果として、このような言説を来場者に読ませるというのでは、子どもたちに悪影響を与えることになる。若い人に薦めるのに躊躇せざる得ないのが残念だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月15日 (水)

日経14日付社説「不正輸出、認識が甘くないか」の甘い認識

 日本経済新聞の2006年2月14付社説「不正輸出、認識が甘くないか」がミツトヨ、ヤマハ発動機の事例に触れて軍事転用できる技術、製品の輸出規制に関する企業の法令遵守、認識の強化の必要を訴えている。

 法令遵守の必要については全くその通りだ。しかし、輸出規制の目的が「軍備競争や各国の経済社会の軍事化に力を貸さない」という平和・軍縮を推進する理念に基づく国策なのか、「わが国やアメリカに敵対する国の軍事力強化を妨げる」ことが目的なのかについて少し考えてみる必要があると思う。

 「不正輸出は重大な犯罪であることを認識すべきだ」と力こぶを入れる一方で、アメリカに対する武器技術供与は例外とするのは当然だということでは、結局アメリカ様のミサイル防衛などに深くコミットすることで世界の安全保障情勢を不安定化することに手を貸し、日本の大企業が死の商人になって儲け、ひたすらブッシュ政権下のアメリカとの商売もうまくいくことを願う。日本は所詮そのようなビジネスだけ、拝金主義の国だということになってしまうのではないか。

 ミツトヨやヤマハ発動機を弁護するつもりはない。しかし、国家の基本政策にダブルスタンダードでない、腰が据わったものがなければ、産業界がこぞって「そうだ。輸出規制は大事だ。万難を排して守っていこう」ということには、なかなかならないのではないかと思うのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月10日 (金)

小泉総理の「NHKは英語チャンネルを」発言考

 小泉首相は10日昼、業務の肥大化に批判が出ているNHKについて、「(チャンネルを)減らすより、英語放送なりほかの外国語放送をもっと増やした方がいいと思う」と述べ、同日午前の閣僚懇談会で竹中総務相に検討を指示したことを明らかにしたという。

 英語のニュースは、30年前はラジオの第2放送の夜7時頃やっていただけだったが、今では総合テレビの夜7時、10時などのニュースが英語の音声も放送されており、BS1では米ABCのナイトライン、米PBSのジムレーラーニューズアワーやCNN、英BBCのニュースなどもほぼ毎日放送されており、英語放送はかなり多い。アメリカ人がこれ以上増やせというなら、それは一種の植民地主義じゃないか。

 たまたま招待した客人の声は、このように偏った意見でもすぐ採り上げるというのは不用意だ。ただし、英語放送なり「ほかの外国語放送を」と言っているところは救いがある。数年前からやはりラジオ第2で韓国語、中国語、ポルトガル語の放送を英語の30年(?)遅れで始めているところで、特に日本の今後を考えた場合、韓国語、中国語、またフランス語やスペイン語にはもっと力を入れた方がいいだろう。

 芸能関係の腐敗した元職員や、政治家と癒着した報道関係の職員の問題から、旧「海老沢体制」への批判は強いが、海老沢時代に教育テレビなどでアラビア語講座が始まり、アルジャジーラとも契約して定時で中東発のニュースの放送を始めたこと、今後の東南アジア政策を考えた場合重要なベトナムの国営放送局へのかなり力を入れた協力など、NHKの「国際性」はここ何年かで大きく前進している。

 その辺の認識が欠けたまま、アメリカばかりありがたがって「英語放送充実こそ国際的」、などといったトンチンカンな議論が広がらないことを切に望む。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月26日 (木)

部屋を貸すのに外国人差別は止めた方がいい

 東亜日報の日本語ホームページで「アパートを借りたいという人を外国人だからと言う理由で断ってはいけない」と言う趣旨の判決が日本であったという記事を目にしました。よい判決であると思います。

 日本に住む中国人や韓国人と付き合いのある人なら、だれでもまず「外国人だから」と言う理由でアパート探しにたいへん苦労するという話しを聞いたことがあると思います。

 留学に来た人にせよ、仕事で来た人にせよ、日本に住んだ外国人が日本のことを好きになって帰るか、いやな思いをして帰るかは、わが国の評判に関わることであり、大げさに言えば日本の安全保障にかかわることだと思います。

 いつまでも井の中の蛙のようなことはやっていないで、こういう機会でも国際交流を楽しむということでありたい。国際化というと「小学生にも英語必修にしよう」といったアメリカ一辺倒のようなことばかりに走るのではなく、身近なところで近隣諸国の人々との心の触れ合いを大切にすべきだと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月 2日 (月)

河野洋平衆院議長の広島スピーチ(2005年8月)

 昨年末でニフティのニューズ・クリップスのサービスが終了したため、グーグルのニュースページを眺めることにしていますが、元旦には広島の地方紙『中国新聞』に河野洋平衆院議長の年頭の辞についてのニュースが出ていました。きっと紙が配られたのでしょうが、ほとんど全てのメディアが小泉総理の「焦点」をわざと外した年頭所感ばかりを報じているのに対して目を引きました。

 広島といえば、昨年の衆院解散直前の8月6日に河野衆院議長が当地の式典で行ったスピーチについては、産経新聞の社説が批判していたのが目立っていた一方、現地で聞いた人々のブログに高く評価するものが目立ち、探すとロイターやAFP、新華社などの配信で世界中のメディアに引用されているのに、国内の主要メディアではほとんど報じられていませんでした。

 この時、報道関係に配られた紙をその後入手しましたが、まあ目新しいことは何も言っていないものの、森田としても「このくらいが日本政界の認識のスタンダードであってほしい」という線のことが出ていたのを思い出しました。

 どうもどのページにも出ていないようなので、ここにコピーを掲示してご参考に供したいと思います。

※※※   ※※※

 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式における議長挨拶(案)

(平成17年8月6日(土)午前8時)(於 広島市平和祈念公園)

 昭和20年8月6日、ここ広島は原爆の投下を受け、人類史上最初の核戦争の現場となりました。

 その巨大な破壊力により、一瞬にして生命を奪われた多くの方々、あるいは原爆による放射線の影響に長く苦しみ、亡くなっていった方々、また今もその影響に苦しむ方々をはじめ、関係者の皆様にあらためて心からのお悔やみと、お見舞いを申し上げます。

 あれから60年。ひとつの区切りとなる時を迎え、私はいま二つのことを肝に銘じなければならないと考えております。 ここ、広島平和公園の慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれています。この「過ち」とは何でしょうか。

 一つは、わが国、日本が明治維新以後、60年前の原爆投下の日まで、アジアの中で針路を誤り戦争への道を歩んだことであると思います。 欧米列強から独立を守るため、明治維新で近代化を成し遂げたわが国には、「アジア諸国が独立と民主主義を求める戦いに連帯する」という「もう一つの選択肢」があったにもかかわらず、実際に歩んだのは「日清・日露戦争後に韓国の独立を奪い、中国に軍事介入し、自らの支配を押しつけ」ようとする、欧米列強と同じ帝国主義の道でした。

 わが国にもアジア諸国の独立運動に連帯し、支援を惜しまない人々がいたことも事実ですが、日本が国家として選んだのは別の道であり、その道を国際社会を敵に回して歩んだ帰結の一つが、原爆の投下だったのです。

  私たちが繰り返してはいけない、もう一つの「過ち」は、人類が、いかなる理由があるにせよ、核兵器という巨大な破壊力を持つ非人道的な兵器を、同じ人類に対して使用したという事実です。 「人類と核兵器は共存できない」。広島で起こったあまりに悲惨な現実を知るとき、私たち日本人には、このことを世界に訴える使命があることがわかります。

 アメリカをはじめとする核保有国は、核拡散防止の枠組みを強化するためにも、包括的核実験禁止条約の批准など核軍縮に取り組む国際的な約束を政権が替わったからといって反故にすることなく、真摯に守らなければなりません。

 核兵器を持たない国々は、自国の平和利用の権利ばかり言い立てるのではなく、IAEAの査察強化など、拡散防止に役立つ措置の導入にもっと前向きにならなければなりません。

 わが国はまず、そのような核不拡散体制の強化に尽力し、将来の核兵器廃絶に向けての足場をしっかり固める努力に全力を傾注していかなければならないと考えます。

 衆議院は去る2日、終戦・被爆60周年にあたり、核兵器廃絶とあらゆる戦争の回避を求める決議を行いました。

 今日ここに原爆投下60周年を迎え、犠牲者の方々のご冥福をあらためてお祈りしますとともに、戦後広島をこのように復興した市民の皆様に敬意を表します。

 最後に戦後、「民主主義」「非核・平和」の道を歩み、国際社会に誇れる民主的で豊かな国家の再建を成し遂げたわが国が、これからも民主主義、独立、平和を求める世界の人々と連帯し、核兵器の脅威のない、平和な世界の実現に向けて努力して参りますことを戦没者の御霊の前にお誓いし、私のご挨拶とさせていただきます。

平成17年8月6日

衆議院議長 河 野 洋 平

(河野洋平衆院議長の広島スピーチ(2005年8月))

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月17日 (土)

「アジアが見つめた8月15日」ほかNHKの必見再放送番組目白押しの週末

 今年は戦後60年ということもあり、NHKを中心に20世紀前半のわが国の戦争をめぐる歴史を振り返ったドキュメンタリーが何本か放送されましたが、年末年始がらみの編成上の都合か、この週末にも優れた番組が何本も再放送されます。

 私は中でも18日(日)夜10時10分からNHK-BS1で再放送される「アジアが見つめた8月15日」が一番のお薦めです。たっぷり時間をかけ、60年前の8月15日をソウルやジャカルタで、日本人と接点のある現地の人々がどのように過ごしたのかが描かれ、「玉音放送」にのみ集中しがちな回顧を現代に連なるアジア政治の広がりの中で考えさせてくれます。

 つい先日も再放送があった「地獄(ヂグク)沖縄戦最後の33日」も17日(土)午後3時10分からNHK-BS1で見ることが出来ます。

 異色の番組は17日(土)午後1時10分よりからNHK-BS2でこれも何度目かの放送がされる「伝道者になった真珠湾攻撃隊長-淵田美津雄心の軌跡」です。キリスト教の伝道師になったという話は聞いたことがありましたが、肉親や日米、ハワイで関わりがあった人々の語る淵田氏の戦後の歩みは、まさに「心の軌跡」であり、「許し」をめぐるストーリーはクリスチャンではない私にとっても心を動かされました。

 淵田氏が書きためていた未完の自伝は『夏は近い』という題で、昭和51年に亡くなった淵田氏が、すでに当時の社会情勢を「再び戦争になる日は遠くないのではないか」と捉えていたことを暗示して番組は閉じられるのですが、先日放送された山田太一さん脚本、中井貴一さん・柳沢慎吾さん主演のドラマ『最後に見た街』(テレビ朝日)で昭和20年の正月から、2000年代の未来の東京に再度タイムスリップした主人公が核兵器に破壊された東京を体験する場面で終わっていることと符合して、番組制作者たちの危機感を伝えます。

 アメリカのプロダクションが制作し、今年度のドキュメンタリー大賞を受賞している「アメリカはなぜ戦争するのか」(18(日)午後3時5分)も、軍産複合体の問題、どのような階層の若者が兵士となっているのかなどを、まさしく現在の状況のなかで描き直しており、アメリカ政府がタテマエで言っていることをオウム返しにしているだけではとんでもないことになるのではないかと感じさせてくれます。

 19日(月)夜9時10分からの「マッカーサーが見た日本の降伏」(BS1)はフランス制作で、若干尻切トンボの感がある番組でしたが、マッカーサーの厚木到着や横浜への移動、ミズーリ艦上の降伏文書調印式の詳しい進行などの鮮明な映像がふんだんに使われており、印象が強いです。降伏文書調印でカナダ代表が署名の位置を間違えたため、以下全員がずれた位置に署名、印刷の肩書きを米将軍が手書きで直すといったエピソードもありました。

 どうもNHKのPRのようですが、それぞれ私が掛け値なしに良い番組と思いましたので、録画しておいて正月休みにでもじっくりご覧になることをお薦めします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月 9日 (金)

中国のゴミ捨てマナー

 昨日(12月8日)未明にNHK・BS1で放送された中国・中央電子台のニュース(午前3時20分頃)のトップ項目は北京市民のゴミ捨てのマナーについてでした。老若男女問わないゴミの散らかしっぷりの映像にはあきれすぎて笑ってしまいました。

 最近、日本海沿岸に中国や韓国からのゴミが大量に漂着して困っているという問題があるそうで、「クローズアップ現代」(NHK総合、19時半~)などで取り上げられています。

 12月7日の「今日の世界」(BS1、23:15~)では富山での国連環境会議主催の日中韓ロのラウンドテーブルの様子が取り上げられていましたが、中国政府の女性は今年日本沿岸に中国の医療廃棄物が大量に漂着した問題についても「調査しなければわが国のものかわからない」と官僚的な対応に終始していました。

 その様子を見ていたうちの奥さんが「北京に行ったとき、道ばたにゴミが集められているようなところがたくさんあったけれど、翌日もそのままだった。ちゃんと収集しているのかしら」と言っていたところ、翌朝見たCCTVの録画でまさしくゴミ箱のまわりにゴミを放り投げてゆく人々の映像と、それが風で吹き飛ばされて町を汚すというアナウンスに触れることになったわけです。

 中央電子台のニュースは通常、トップ胡錦濤主席、二番手温家宝総理の動静、三番手以下もそれに準ずるという決まったパターンで、クレムリノロジーのようなものに興味ある人以外には困った構成で、中国の若い人たちも「見てる人はいないよ」と言っていますが、この日はたまたま国のトップ以下が海外出張の移動日にでもぶつかったのか、珍しいトップニュースでした。

 これを見た中学生の息子が「中国人はバカだなあ」と言いましたが、そうではなくて「民度」の発展レベルの問題だと言って聞かせました。何しろ、日本で言えば夜7時のNHKのニュースのトップでやっているわけで、北京オリンピックに向け「このままじゃ」という意識が外国帰りなどの人々の間では強くなってきたのではないでしょうか。窓からのゴミ投げ捨ては返還前の香港でも有名でしたから、政治体制の問題というわけでもないでしょう。

 わが国だって、あいかわらず通勤時の駅周辺では人混みで平気でタバコの煙をふかす人々が多く、吸い殻の投げ捨ても多数見かけます。歴史的条件から遅れた国を笑うより、他山の石としてお互い多少なりとも自国の文化水準向上に努めたいものです。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月17日 (月)

谷垣財務相の中韓は靖国でつべこべ言うな

 以下はNHKの原稿です。「谷垣財務大臣は、首相官邸で記者団に対し、『日本と中国・韓国は、経済面でも相互依存関係が深まっている。(中略)中国も韓国も隣の国なのでいろいろなことがあったが、靖国神社参拝問題だけに焦点を当てて議論するのは、あまりいいことではないと思う』と述べました」。

 これは「翻訳」すると、「日本が20世紀前半に中国や韓国に対して行ったことは、『隣の国だからいろいろあった』と言う程度の問題だ。日本との関係が停滞すればお前たちも困るのだから、靖国問題についてつべこべ言うな」という意味です。

 谷垣氏の悪い意味での保守的な地金が出た発言であり、また、来年の総裁選を睨んで、小泉右翼ブームに便乗し「麻生太郎さんより俺の方がマッチョだ」とアピールしようという時流への便乗と言うべきでしょう。

 「二国間だけでなく、アジアや世界経済全体にとっても大事なことだという意識で、お互いに仕事に取り組む必要がある」(同原稿)と中韓を説教していますが、もしそうならば相手が「絶対にいやだ」ということについては、もっと慎重にすることのほうが人間の常識にかなっています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年9月29日 (木)

中国の「孔子」売り出し、歓迎

 時事通信の9月28日付北京発によれば、孔子生誕2556年を祝う祝賀行事が生誕地の山東省曲阜で盛大に行われ、新華社は「今年は日本、米国、ドイツなど世界30カ所で祭典が開かれ、祝賀活動が初めて地球規模で展開された」と報じたそうです。

 文化大革命当時、「批林批孔」(林彪を批判せよ、孔子を批判せよ)というプラカードの写真が紙面を飾ったように、一時は封建思想の代名詞のように言われた儒教思想について、中国の指導部は、少なくとも観光資源、そして恐らく東アジア文化の共通の基盤としての価値に気がついて方向転換したとすれば結構なことだと思います。

 わが国では、古代に百済から初めてもたらされた文献のひとつが儒教のもので、聖徳太子の「和をもって貴しとなす」が『論語』からの引用だったのに始まり、儒教の中でも大義名分論や「忠孝」を重んじる朱子学が徳川幕藩体制の体制イデオロギーであったこと、戦前も中国の古典が国民教養の基軸だったことなどから、落語や日常会話にまで孔子の言葉が浸透しています。

 ところが本国の中国では特に文化大革命の時期に排撃されたため、私がこれまで対話する機会があった中国の30~40歳代の人々の孔子の思想についての知識は、同年代の日本人よりも限られたものでした。

 中国自身が古典思想を再び大切にすれば、日本人、韓国人、ベトナム人などとのより深いコミュニケーションが可能になります。地域協力の大切な資源が、ここに眠っているのではないでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年9月11日 (日)

日中韓・学生ビジネスコンテスト

 9月9日放送の『きょうの世界』(NHK・BS1 23:15~)で、日中韓の学生一人ずつによるチームがビジネスプランを競い合うコンテストを紹介していました。相互理解を深め、仲良くなるには「共通の課題に一緒に取り組む」のがいちばんであり、良い企画だと思いました。

 あるチームに焦点をあてていましたが、はじめは一人でまくしたててチームを引っ張っていた中国の女子学生が、日本人男子学生、韓国人女子学生とフィールドワークに取り組んだり、余暇時間に歴史問題について率直な意見交換をするなどの過程を通じて、先入観を修正していく様子が紹介されていました。

 「中国の反日教育」ということが言われますが、それ以上にどの国もマスメディアの影響が大きく、そのマスメディアの見方が偏っていないかというチェック、直接相手国民と触れ合ってマスメディア以外からも情報を得るといった努力が必要になります。

 そういう点からもよい企画であり、このような努力の積み重ねが必要であると思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)