2008年5月15日 (木)

内田樹氏の「頭を冷やせ」になるほど。

東京は久しぶりに良い天気。昨日までコートを着て、事務所近くまで地下鉄を乗り継いだのに、今朝は日よけにキャップをかぶって外苑東通りをウォーキング。事務所に入ると、やはり昨日まではモーツァルトの短調のピアノコンチェルトなぞを聞いていたのに、今日はベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』、往年のジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団の演奏CDなど久しぶりにかけてみる。

ここのところ、チベットのことで中国に対して批判というよりは誹謗中傷する連中に頭に来て、特に聖火リレーをデモで妨害する行為に対する反発から、カッカと来ていろいろ言いながら、なんとなくスッキリしない気分でいたところ『毎日新聞』2008年5月12日付夕刊で内田樹氏の「争いがとりあえず決着するために必要なのは、‥当事者の少なくとも一方が(できれば双方が)、自分の権利請求には多少無理があるかもしれないという『節度の感覚』を持つことである」「『いいから少し頭を冷やせ』というメッセージが政治的にもっとも適切である場面が存在する。そのような『大人の常識』を私たちはもう失って久しいようである」という論を見た。

いつも内田氏の議論は面白いと思うが、今度も第三の視点を出すとすればこういうことかとなるほどと思った。ただし、内田氏も「そんなことは言っていない」と言われるだろうが、森田としては21世紀に入ってからのわが国の政策の方向性の誤りについて批判し、代替プログラムを模索することを「自制する」つもりは毛頭ないけれども。

【以下は、毎日新聞2008年5月12日夕刊より内田樹論文 =『内田樹の研究室』より=】      

オリンピックの聖火リレーをめぐる騒動を眺めていて、いささか気鬱になってきた。何か「厭な感じ」がしたからである。何が厭なのか、それについて少し考えたいと思う。
 熱い鉄板に手が触れたときに、私たちは跳びすさる。「手が今熱いものに触れており、このまま放置すると火傷するので、すみやか接点から手を離すことが必要である」というふうに合理的な推論してから行動するわけではない。たいていの場合、私たちはわが身に何が起きたのかを行動の後に知る。
 聖火リレーにまつわる「厭な感じ」はそれに似ている。
 だから、この論件については、誰の言い分が正しく、誰の言い分が誤っているというような「合理的」なことは申し上げられない。それは「厭な感じ」が議論の内容ではなく、論を差し出す仕方のうちに感知されているからである。語られている政治的言説の当否は私にとっては副次的なことにすぎない。
 私が「厭な感じ」を覚えたのは、たぶんこの政治的イベントに登場してきた人たちが全員「自分の当然の権利を踏みにじられた被害者」の顔をしていたせいである。
 チベット人の人権を守ろうとする人々も、中国の穢された威信を守ろうとする人々も、聖火リレーを「大過なく」実施したい日本側の人々も、みな「被害者」の顔で登場していた。ここには「悪者」を告発し、排除しようとする人々だけがいて、「私が悪者です」と名乗る「加害者」がどこにもいない。
 そんなの当たり前じゃないか、と言われるかも知れない。権利を主張するということは「被害者」の立場を先取することなのだから、と。
 まことに、その通りである。「本来私に帰属するはずのものが不当に奪われている。それを返せ」というのが権利請求の標準的なありようである。それで正しい。困ったことに、私はこの「正しさ」にうんざりし始めているのである。
 近代市民革命から始まって、プロレタリアの名における政治革命も、虐げられた第三世界の名における反植民地主義の戦いも、民族的威信を賭けた民族解放闘争も、つねに「被害者」の側よりする「本来私に帰属するはずの権利の奪還」として営まれてきた。
 私たちが歴史的経験から学んだことの一つは、一度被害者の立場に立つと、「正しい主張」を自制することはたいへんにむずかしいということである。
  争いがとりあえず決着するために必要なのは、万人が認める正否の裁定が下ることではない(残念ながら、そのようなものは下らない)。そうではなくて、当事者の少なくとも一方が(できれば双方が)、自分の権利請求には多少無理があるかもしれないという「節度の感覚」を持つことである。エンドレスの争いを止めたいと思うなら「とりつく島」は権利請求者の心に兆す、このわずかな自制の念しかない。
 私は自制することが「正しい」と言っているのではない(「正しい主張」を自制することは論理的にはむろん「正しくない」)。けれども、それによって争いの無限連鎖がとりあえず停止するなら、それだけでもかなりの達成ではないかと思っているのである。
 私が今回の事件を見ていて「厭な感じ」がしたのは、権利請求はできる限り大きな声で、人目を惹くようになすことが「正しい」という考え方に誰も異議を唱えなかったことである。「ことの当否を措いて」自制を求める声がどこからも聞こえなかったことである。
 「いいから、少し頭を冷やせ」というメッセージが政治的にもっとも適切である場面が存在する。そのような「大人の常識」を私たちはもう失って久しいようである。

(毎日新聞2008年5月12日付夕刊)

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2008年5月14日 (水)

朝日新聞記事「五輪の囚人」(4月28日付)

最近、新聞を読んでいて「えッ」と思った記事があった。それは、中国で当局批判を行って投獄されたり、そうした人々を助ける弁護士の活動を報じたものだった。一昨日、池上彰さんのコラムを読んでやっぱりメモしておこうと思った。

森田自身も、基本的人権の尊重されるべきことは人類普遍の原理であると思っている。また日本国憲法の定めるところにより、わが国も国家としてそのような立場であるはずである。ここに報じられたような事実があるならば、メディアがこれを報道するのは当然のことだ。「えッ」と思ったのは、申し訳ないことに中国駐在メディアは、当局の目を恐れてこのような報道は自己規制してしまうだろうという先入観があったからだ。

以前、故田中角栄元首相の葬儀に際して、ある政治家が読んだ弔辞について田中真紀子代議士が「父の全てを語って下さいました」と礼を述べた。実は、その弔辞を担当した歴史観に欠け、空気ばかり読むライターは、田中角栄氏の事績を振り返る弔辞から「ロッキード事件と裁判対策としての自民党闇支配」については全て欠落させていた。

昨年の温家宝首相の国会演説、先般の胡錦涛主席の早稲田大講演で「日本の戦後の歩み」が高く評価され、ODAへの感謝も述べられた。「タブー」は破られた格好だが、これら首脳スピーチが歴史の流れを語る際に言及が避けられるのは、『大地の子』が中国で放送されなかった原因とも考えられる「文化大革命」と、6・4天安門事件だ。しかし、実はここを抜きに中国の本当の歴史を語るのは難しい。

こうしたことが率直に語られるようにというのは、当面の外交課題というのとは少し違うだろう。しかし、とにかく「五輪の囚人」を取材した記者や、この記事の掲載を決断したホネのある人々の頑張りが助けとなって、いつの日にか、中国の人々とこうした20世紀後半、あるいは21世紀初頭の「歴史」についても構えることなく本当のことを語り合える日が来るといいなと思う。

【以下は『朝日新聞』2008年5月12日付夕刊be4面の池上彰氏によるコラムの写しです】

(池上彰の新聞ななめ読み)「五輪の囚人」 記者の怒りと勇気、感じる

 新聞記事の中には、これだけの内容に仕上げるには、さぞかし苦労があったのだろうと思わせるものがあります。最近では、「北京百日前」企画のひとつである「五輪の囚人」が、そのひとつでした(4月28日朝刊)。

  中国で、「北京五輪に巨費を投じるより人権状況を改善してほしい」という署名活動をしただけで、「国家政権転覆扇動」の罪で懲役5年の判決を受けた男性。逮捕された後、拘置所でベッドに手足を縛りつけられたまま食事や排泄(はいせつ)を強いられたという。この男性は、「五輪の囚人」と呼ばれる。
 人権活動家を支援する弁護士が、「公安」と名乗る4人の男に拉致され、3日間も監禁されたという。
 別の弁護士は、逮捕されている活動家の面会に行く途中で暴漢に襲われ、重傷を負ったが、警察は取り合ってくれない。
 中国国内で相次ぐ事件の数々を伝えています。「共産党独裁政権の弾圧を恐れずに人権や民主、法治、言論や信教の自由などを訴えているのは活動家だけではない。彼らを支援する弁護士も、身の危険にさらされながら闘う」と北京の朝日新聞記者は書きます。
 活動家の弁護をする弁護士は、弁護士の業務を停止させられたり、本人自身までもが国家政権転覆扇動罪に問われたりする危険があるというのです。
 こうした事実を、中国の報道機関は報じません。報道機関自らが、共産党中央宣伝部によって統制されているからです。
 「権力は党に集中する。その幹部に不正がはびこる。メディアは沈黙する。大衆が不満を募らせても、党批判は断罪されかねない。罪に問われた被告を守ろうとすれば、弁護士にも身の危険が迫る。
 これが中国の現実だ」
 記事には、記者の怒りが滲(にじ)んでいます。しかし、報道の自由がない中国で、日本の新聞記者が、こうした現実を取材すること自体、当局の妨害を受けるはずです。電話が盗聴されていることを前提にして、取材対象に迷惑をかけないように配慮しながら、取材の連絡を取り合う苦労。
 当局にとって都合の悪いことを書けば、その後、陰に陽に嫌がらせを受けることが容易に予想できる中で、ペンを鈍らせることなく、どこまでのことが書けるのか。
 この記事を書いた記者は、きっと中国の弁護士たちの行動に勇気づけられて、ペンをとったのでしょう。その記事を読むことで、私たちもまた、勇気づけられるのです。

(朝日新聞2008年5月12日付夕刊be4面)

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2008年5月12日 (月)

NHKスペシャル「セーフティーネット・クライシス」【感想】

NHKスペシャル「セーフティーネット・クライシス~日本の社会保障が危ない~」を見る。社会保障というと、話題として何が目立っているかということで「①年金、②高齢者医療、③介護保険‥」といった順番でとりあげられることが多いように思うが、ここでは「①医療保険、②介護保険、③生活保護、④教育支援‥」という順番で、しかもここのところ急速に進んだ「正規雇用の非正規雇用による置き換え」「小泉改革による社会保障費削減」がもたらしている影響という明確な視点を持って取り上げていた。

また「暗い面ばかり取り上げている」という自民党の政治家もいるのだろうが、さすがに小泉内閣以来の政権ブレーンである吉川洋氏も「非正規雇用の割合が増えすぎたと言う点ではコンセンサスがあると思う」と発言、財界代表の門脇英晴氏も「非正規雇用が増えれば、国民健康保険がどうなっていくかといった点で想像力に欠けていた」と認めざるを得なかった。企業が保険料を半分持つ正規雇用を減らし、企業の保険料負担のない非正規雇用に置き換えると、企業城下町の市町村で国民健康保険の負担が増え、これまで加入してきた商店主なども保険料が上がってしまうという状況が番組で紹介されていた(あの松下政経塾のスポンサー企業の城下町ではなかったか)。

吉川氏や門脇氏の殊勝な姿勢の裏には「だから消費税増税が必要でしょう」という主張があるわけだが、いずれにせよ金子勝教授が言われるように「最低限の保障はどれだけのものを整えるべきか」ということを、現実に起こっていることを出発点に国民合意を作り直すことが日本国憲法第25条からいっても、まずなされるべきことだ。国の政策、方向性の「転換」が必要なのだ。

森田は数年前、鼠けいヘルニア(脱腸)の手術をした。傷跡のほとんど残らない全身麻酔の腹腔鏡手術という何十万円もかかる手術だったが、7割は社会保険、同じく保険からの高額医療費補助、任意の掛け捨て共済保険からの給付でかなりの部分がカバーできた。以前、別のドキュメンタリー番組で、同じ病気の人がリストラで正社員の地位を失い、不幸が重なって国民健康保険の保険料も払えなくなった結果、病状が悪化して腸閉塞で死ぬリスクと背中合わせで暮らしている様子を紹介していた。

森田自身は制度のありがたさを感じたが、もっと苦しい立場の人が救われないのでは、やはりセーフティーネットとしては本末転倒だ。もちろん制度全体の再設計が必要だが、まず一番弱い立場の人に焦点を当てて緊急の手直しを考えるべきだろう。本来、政治がやるべき仕事はこういうことであるはずだ。

キャスターに町永俊雄氏が出てきたところで、今日はまじめな番組だということがわかったが、ケース紹介において政府・与党に容赦なく、討論では建設的な意見交換を重んじる、優れた番組だった。

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2008年5月10日 (土)

「フリーチベット!」より、日本企業による人権侵害=外国人研修・実習 不正=を糺すべき

「フリーチベット」を叫ぶ人々を見て、人権問題に関心を持ち、行動する若い人々がたくさんいることを知り、たいへん結構なことだと思う。

こういう人々には、外国の政府がやっている人権侵害を安全地帯から批判するだけではなく、ぜひ自国の企業がやっている、また自国の政治・行政がそうした行為を事実上作り出したり、放置している「外国人研修・実習の不正」といった問題にも目を向け、行動してほしい。

その辺が、本当に「人権」に関心があるのか、ただ安倍晋三たちのように外国の悪口を言って劣情を満たし、あるいは「右」の世論に阿って政治基盤を拡大しようとしているだけなのかのリトマス試験紙になるだろう。

チベットの人権について、人類社会の一員として発言し、行動することはよいことだ。しかし、それ以前に、日本企業が行っている、また日本政府がそれを事実上手助けしている問題については、日本国の主権者である日本国民は、直接に責任を負っているからである。

こうした人権侵害を放置しているのは日本の恥だ。外国人労働者の処遇問題は、経済がらみで自己の利害にはねかえってくる可能性があるからと目をそらし、自分は何の痛みも感じない「フリーチベット」にのみ狂奔するのは、愚かなだけでなく、卑怯だ。

【以下はNHKニュース原稿貼り付け】

外国人研修・実習 不正が急増

5月10日 6時32分
法務省は、外国人が日本の技術を学ぶ「外国人研修・実習制度」で、研修生らを不当に安い賃金で働かせるなどの不正行為があったとして、去年1年間で前の年のおよそ2倍の449の企業や団体に処分を行いました。

「外国人研修・実習制度」は、平成5年に、日本の技術や技能を発展途上国などへ移転するために設けられましたが、安い労働力を確保する手段として使う企業があとを絶たず、法務省入国管理局は、企業への立ち入り調査を増やすなど指導を強化しました。法務省のまとめによりますと、その結果、去年1年間に不正行為があったとして処分を受けたのは449の企業や団体に上り、前の年のおよそ2倍に増え、過去最高となりました。このうち、残業の割増賃金を支払わないなど不当に安い賃金で働かせていた企業などが175と最も多かったほか、中には、研修生らが逃げ出すのを防ぐためにパスポートや預金通帳を強制的に取り上げるなど、悪質な人権侵害に当たるケースもあったということです。政府は、現在の制度には問題が多いとして来年までに見直すことにしていますが、法務省は「制度の見直しと並行して、企業側に対する指導もさらに強化していきたい」と話しています。【NHK】

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2008年5月 9日 (金)

メドベージェフ大統領はいつまでもプーチン傀儡ではないかもしれないというNHK石川解説委員の意見

ニュースが胡錦涛主席来日と重なったが、ロシアのメドベージェフ大統領の就任式があった。クレムリンの側で売られているプーチン・メドベージェフのツーショットの肖像を表面に描いているマトリューシカ(次々に中から小さなものが出てくる人形)を見ても、プーチン前大統領がやや前面に出ている様子をテレビでも紹介していた(NHK・BS1「今日の世界」)が、事実上、前大統領の指名による選出であり、「新大統領はプーチン氏の傀儡」という見方が多いようだ。

もっとも、「アジアクロスロード」(NHK・BS1)での石川解説委員は、そういう面は当初は否定できないにせよ、ロシアの大統領権限は極めて強大であり、首相に就任するプーチン氏に対して忠臣とはいえ世代による感覚の違いがあるメドベージェフ氏が、やがてフリーハンドを確保しようとする方向性が出てくるのではないか。その場合に摩擦が起こることも否定できないという見通しを語っていたのが印象に残る。

ブッシュのアメリカがイラク戦争にかまけているうちに、ロシアはチェチェンの人権問題などでの欧米の批判をすり抜け、豊富な産出を誇るエネルギー価格の上昇などで「勝ち組」の様相を示している。APEC開催地に決まったウラジオストックなど極東のインフラ整備も急速に進み始めたようで、温暖化問題でも大きな存在だ。日本の近隣外交という面からも再び目が離せない存在になってきている。領土問題など、歴代自民党政権のようなアプローチではなく、早めに「お互いの主張の真ん中あたり」で折り合うのが合理的な考え方のように思うけれど。

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2008年4月14日 (月)

「光州5・18」=政治、外交、歴史を学ぶ学生の5月連休明け必見映画

1980年、全斗煥軍事クーデターに反対する民衆の運動を、全羅南道光州市で軍部が空挺部隊を投入して血の弾圧を行った事件「光州事件」を映画化した「光州5・18」という映画を角川映画の試写室で見る。友だちの友だちということで、まだお目にかかっていない真鍋祐子さん(東大東洋文化研准教授)より招待券送っていただいた。

森田の人生と重ねると、朴大統領暗殺事件が大学1年。光州事件は大学2年の5月。何が起こっているのかよくわからない。『世界』のT・K生氏(池明観先生)のレポートなど毎月熱心に読んだこと、次の年にかけてこの事件を口実に死刑判決を受けた金大中氏の死刑反対の手紙に学友の署名を呼びかけると、大半がノンポリ組の学友たちが驚くほど積極的に応じてくれたのを思い出す。

映画は、「事件」を光州市の、民衆の内側から描き出す。余計な紹介は無用だろう。「市民が参加」という活字は当時も読んだ。つくづく思うのは、自分なりに想像力を働かせて、あの時の光州の状況を考えていたつもりだったけれども、映画でさえこれまでの想像より段違いに苛烈であり、またそこに人間のドラマの積み重なりがあるということだ。

「光州事件。覚えているけどどんな事件だったっけ?」という大人の人は、この映画を見ることでようやく本当に北東アジアで生きてきたということになると思う。まだ生まれていなかった大学生諸君。仮にも「国際政治を勉強しています」とか、「北東アジアの地域協力に関心があります」と言いたい学生にとって、この映画は必見映画です。「軍」というものの本質について学習する機会にもなるだろう。なにしろ、韓国陸軍も、陸上自衛隊も、蒋介石の国民党軍同様、戦前の日本の陸軍士官学校出身者が礼儀作法からカルチャーまで形作っていることでは共通しているわけだから。

「私たちのことを忘れないでください‥」。そう演じるイ・ヨウォンさんは事件の頃の生まれか。忘れてないさ。ちょっとだけ、いや本当いうとずいぶん表現方法は違うけれども、僕もひとりの「光州市民」として、あなたたちが意地を通した同じ隊列を歩んでいるつもりだよ。

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2008年4月 3日 (木)

大阪、京都での「靖国 YASUKUNI」上映決定を歓迎する。

報道によると、大阪市淀川区の「第七芸術劇場」、広島市中区の「サロンシネマ」、京都市下京区の「京都シネマ」などが映画を予定通り上映することを決めたそうだ。自民党の稲田代議士一派の陰湿な圧力や、右翼の威圧には「屈しない」という姿勢を示されもので、高く評価すると共に連帯のエールを送りたい。

これらの館がリスクを負って使命を果たされようとすることに対し、皆で何か支援の方法を考えたい。

右翼の暴力に対しては、警察が法秩序を守る観点からもちゃんと役割を果たすことが大切だ。トップが基本姿勢を示すことが大切であり、かつて加藤紘一代議士宅が焼き討ちされた際には、小泉首相も、安倍官房長官も、一週間以上何のメッセージも発しなかったことがあったが、ここは福田総理および国家公安委員長から「言論の自由、表現の自由を暴力やいやがらせで損なおうとすることは、法秩序に対する挑戦であり、警察も毅然とした姿勢で臨むべきである」というメッセージが発せられて然るべきである。

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2008年4月 1日 (火)

NHKに映画「靖国 YASUKUNI」の放映を望む

「靖国 YASUKUNI」という映画が話題になっていたので、ぜひ見にいきたいと思っていた。上映予定館を調べたところ、便利なのはシネマート六本木というところなので、そこに出かけてみようと思っていた。

ところが、残念なが」ら「上映中止」ということだ。自民党の「右」が補助金の対象としておかしいというプレッシャーをかけ、映画館も右翼の威圧を受けたとか、それを恐れて「自粛した」などと言われている。

これを「あの2008年の桜の頃が、日本における言論の自由のターニングポイントだった」ということにしてはならない。

具体案が一つある。できれば地上波のチャンネル、次善の策としてはBS2でもよいので、NHKが放映することだ。

僕はNHKの視聴料をちゃんと払ってきた視聴者の一人として、事情があって映画館で見ることの難しい作品を見るチャンスがほしいという素朴な要望なのだが、同時に「いろいろな見方のある作品ですが、議論を深めるために放送します。視聴者のみなさんはどう思われますか」というスタンスでの放映は、公共放送の使命に合致していると思う。

もちろん、制作サイドでテレビ放映はビジネスの妨げだからいやだというのなら仕方がないが、そうでないなら積極的にNHKと対話されてはどうか。件の自民党・稲田代議士も、安倍前首相のお仲間ながら、言論の自由は守られるべきで、上映が不可能になることは望んでいないという趣旨のことを言っているらしいので、よもや放映に反対するということはないだろう。

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2008年2月21日 (木)

倖田來未さんバッシングに湯川れい子さんの一言

2008年2月20日付の『朝日新聞』朝刊17面の「声」欄に、音楽評論家 湯川れい子さんの以下の投書が掲載されていた。共感覚えたので、書き留め【全文引用】。

すてきなことみつけようよ

音楽評論家 湯川れい子(東京都世田谷区 69歳)

 歌手の倖田來未さんが「35歳をまわるとお母さんの羊水が腐る」と言ったとかで、CM打ち切りやメディアのバッシングを受けているようですけれど、結婚した仲間に「早く赤ちゃん産んだ方がええよ」と言った意味で、つい表現がすべってしまったということでしょう?

 確かに「腐る」という表現は感心できないし、間違っているとは思うけれど、ここまで鬼の首でも取ったように寄ってたかってバッシングするようなことでもないと思うんですけれど。

 それよりも、あまりに多くの添加物が環境ホルモンとして母体に影響を与え、年齢が高くなるほどリスクが高まるとも考えられているのですから、そういうことの方こそメディアは取り上げてほしいと思います。

 いずれにしても、寄ってたかって小さな問題をバッシング対象にするというのは、大人の社会までがイジメの体質を持ってきているようで、気持ちの良いものではありません。イヤなところを見つけて責めるより、もっと気持ちの良いステキなところをみつけてほめる習慣を、国も社会も身につけたいものですね。

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2007年12月21日 (金)

平安時代、藤原仲成処刑以来350年近く死刑を停止したわが国の朝廷=『毎日』コラム「余録」より=

学生時代、大学にアムネスティー・インターナショナルのグループを作りたいという友人に誘われて参画した。アムネスティーが「良心の囚人」とよぶ、世間で言う政治犯の釈放に当局への書簡送付などソフトな「直接行動」を粘り強く進める団体の趣旨に強い共感を覚えたが、当時は「死刑廃止」の主張には違和感を覚えた。

フランス革命で大量殺人を犯し、奴隷の売買や虐待について明確な謝罪をしていないヨーロッパ諸国が死刑廃止を訴えることに偽善を感じる人も多いだろう。

しかし、死刑の実情についての新聞記事を読み、9・11同時多発テロの際に、報復の連鎖を避けるべきというヨハネ・パウロ二世の言葉に共感し、今もイラクなど世界の現状にその言葉の正しさを日々感じている自分としては、「人類には、死刑を正当化している原始的な段階に止まる人類と、死刑を止めたより進歩した人類の二種類がある」と考えるようになっている。

アメリカでは、1970年代の最高裁判例変更で多くの州で復活した死刑が、最近のニューハンプシャーのように一部の州で再び廃止される動きがあるという。あのアメリカでも、州によっては死刑を廃止しているのだ。日本は、それでも中国やイスラム圏と同様に死刑制度を続けるのか。

そんなことを考えていたら、毎日新聞の12月20日付のコラム「余録」で興味深い事実を知った。保元の乱で藤原信西が復活させるまでの平安時代、天皇家25代、350年近く、わが国では死刑が停止されていたというのだ。余録子も言っているが、こんな例は世界にもまれだろう。仏教思想の影響が指摘されるが、とにかく「死刑廃止」はわが国と天皇家の、世界に誇るべき伝統なのだ。

「死刑」を続けるのか。それは、われわれがこれからどのような社会を作っていくのかという大議論の中にしっかり位置づけ、タブーとせずに議論していくべきだと思う。

【以下は、12月12付『毎日新聞』コラム「余録」の写しです】

余録:死刑停止

 「死罪を行えば海内(かいだい)に謀反(むほん)の輩(ともがら)たえず」は「平家物語」の平重盛の言葉だ。保元の乱の際、天皇家25代にわたって長らく行われなかった死罪を藤原信西(しんぜい)が復活させたのを批判する。清盛に死罪を思いとどまらせるためだ▲信西は後の平治の乱ではその報復を受けることになった。重盛はそこで仏教的な因果応報を説くのである。実際に朝廷は810年の藤原仲成(なかなり)の処刑以来、350年近くにわたって死刑判決があれば減刑し、事実上死刑は廃止されていた▲背景には仏教思想があったものの、たとえ仏教国であれ何であれ、こんな長期にわたり死刑を停止した例は世界でもあまりないだろう。その復活をもたらしたのは武家の台頭で、それから850年もたてば日本も世界もまるで様変わりする▲国連総会は死刑執行の一時停止を加盟国に求める決議案を賛成104カ国で採択した。ここでの日本は米国や中国など53カ国とともに反対票を投じ、棄権は韓国など29カ国である。決議の背景には、死刑廃止にむけた国際的圧力を強める欧州連合(EU)などの働きかけがある▲「死刑停止」といわれても、昨今の凶悪犯罪の冷血、被害者遺族の無念を目の当たりにすれば、とても受け入れられないという方が多かろう。ただ凶悪犯罪は日本だけでないのに、この30年間で一挙に100カ国以上も増えた死刑廃止・停止国である。その経験や、掲げる価値を踏まえた論議はもっとあっていいように思える▲裁判員制度では市民が死刑判決にかかわる局面が生まれる。死刑の現実を見つめ、人間の罪と罰をめぐる深みのある考察が求められる今だ。平安時代ほどの論争もない方がおかしい。

毎日新聞 2007年12月20日 0時01分

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2007年12月13日 (木)

大阪府知事選、自民党の狂った人選

きっこのブログが言っていることに尽きていて、言い足すことなし。核武装論者の阿倍晋三氏を首相にしてしまった自民党であるとはいえ、「憲法改正して核武装すべきだ」などという人物に知事選出馬を要請すべきではない。

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2007年10月31日 (水)

民主党の「取り調べ録画」刑訴法改正案提出方針を支持する

えん罪事件などが絶えず、裁判官が「お気の毒」などと人ごとのようなコメントを言っている現状を考えると、取り調べに「録画」を義務づける法案を出そうという民主党の方針は理にかなっている。

長く続いた自民党一党天下の下では、法改正というと業界団体の利害に関わるようなチマチマした話しばかりで、「刑事訴訟法」改正によって人権保障をより確かにしようといった話しはほとんど聞いたことがなかった。参院の与野党逆転を現実に活かそうとするもので評価できる。

「お役人の天下」を終わらせるには、「刑法」「民法」などの基本的な法律からはじめ、政治が「立法権」を持っていることをハッキリさせるため、国民サイドに立って見直していく作業が必要だ。いろいろなお考えがある問題かも知れないが、森田は死刑廃止論であり、そこまで世論形成が進んでいない現段階でも「死刑と無期の中間に『終身刑』を作る」といった刑法改正はすぐに行うべきだと思う。

いま、前防衛事務次官の「接待漬け」が問題になっているけれども、お役人のごっつぁん体質を根本から直すには、収賄に関する刑法の条項に「職務権限にかかわらず」と書き込む改正をして、お役人は「物がほしければ自分でお金を出して買う」、「飲んだり食べたりしたければ自分でお金を出す」というルールの転換を行うべきだ。今は職務権限が裁判所に認定されなければ贈収賄にならないという、便宜供与については事実上無法状態なのだ。

元官僚の坂東真理子という人が書いた「女性の品格」と言う本が売れているそうだが、「品格ある女性は、お世話になった人に季節のおいしい食べ物を贈る」と書いているらしい。さすがに元キャリア官僚だけに頂き物が大好きなのだろうが、こういう根本的なところから直していかなければ、政治・行政の腐敗はいつまでも無くならないだろう。

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2007年9月28日 (金)

時津風部屋の集団暴行致死事件

「『僕いい子になるから迎えに来て』というのを信じてやれなかったのが悔しい」というお父さんのコメントを読むのはつらい。遺品には真っ二つに折られた携帯電話もあったという話しに激しい憤りを感じる。

「伝統」という名の下に悪風を残すことは許されない。「伝統」ということばは、しばしば権威主義、アカウンタビリティー否定の隠れ蓑になる。安倍前政権の下で教育基本法が改訂され、「伝統文化の尊重」が盛り込まれ、さっそく議論が生煮えのまま「武道必修」という方向性が出されているが。

徹底的に膿を出すべきだ。相撲は「国技」を自称し、そう思っている人も多いのだから、相撲が悪しき伝統を墨守するのではなく、あたらしい「よき伝統」をどう作っていくべきかについて、開かれた議論が望まれる。

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2007年9月27日 (木)

ミャンマー反軍政デモと日本

ミャンマーでエネルギー価格大幅引き上げを契機に、25日には僧侶らを先頭に10万人規模の反政府デモがあり、昨日は軍の発砲などで死者が出ている。国連事務総長は初の総会演説でこの問題にいちばん長い時間を割き、ブッシュ米大統領やブラウン英首相も軍事政権への強い牽制、批判を述べている。

テレビのコメンテーターたちは、「軍事政権の選挙結果の否定や人権弾圧を欧米は批判し、経済制裁などをしてきたが、中国などが制裁破りをするのでうまくいかない」といったことを言っている。

中国については、天安門事件直後と現在では対応に変化があり、さらにオリンピックなどを控えて欧米政府やメディアを意識するだろう。

中国の悪口を言っているよりも、まずわが国、日本がこの問題にどのような姿勢で臨むかが重要だ。

ミャンマーの軍政について、欧米やオーストラリアの批判的な姿勢に対し、日本政府は「慎重な関与を続けるべきだ」という姿勢を続けてきた。アメリカから足並みを揃えるように言われても、外務省の一部の役人たちは「日本外交の独自性」を声高に語らないまでも、アウンサン・スーチー女史の身辺に協力者を作って、うちうちでは彼女を貶めるようなうわさ話を流すなど、基本的に「軍政支持」、民主勢力には冷酷な態度だった。

アメリカから、中東での戦争を「手伝え」と言われるときは、ハイハイと憲法・法律ギリギリの線で一生懸命やるのに、「これは人権問題だから大事だよ」と足並み揃えることを求められても、それは無視する。これが自民党と外務省主流の対米姿勢だ。

安倍前首相も、「集団自衛権行使」という名の「軍事攻撃への協力」にはことのほか熱心だった反面、民主党主導になったアメリカ上下両院が「従軍慰安婦問題は旧日本軍による人権蹂躙問題」と認識していることが理解できず、「河野談話は証拠がない」発言が袋だたきに合い、訪米でブッシュ大統領と米議会に「謝罪」するハメになり、我々からは「謝る相手が違うぞ」と批判を浴びるトンチンカンぶりを示した。

軍事介入はわが国の憲法の原則と相容れない。私は「経済制裁」も、戦争に準じる行為として、本質的には日本国憲法の原則と相容れないと思っている。しかし、ミャンマーの軍政の暴力と人権弾圧は、1973年からのチリや、1979年の韓国・光州で起こったことと同じように、暴力・殺害・拷問などが横行していることが容易に想像できるだけに、見過ごすことはできない。

日本政府は、ミャンマー政府に対し、直接に「事態が暴力を用いずに収拾されるべきこと」「基本的人権が尊重されるべきこと」を強く申し入れるべきである。「大使」などが手厚い処遇が与えられているのは、レストランで高級料理を食べているためではなく、こういう時に、日本人の志を代表して、強面の相手にもハッキリ物を言うためである。

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