2008年5月21日 (水)

クラスター爆弾国際会議-NHK山澤記者のレポートに違和感

おととい5月19日(月)、ダブリンでクラスター爆弾の禁止を目指す「オスロ・プロセス」の最終合意をめざした会合が始まった。小型爆弾を多数ばらまくクラスター爆弾は、一昨年、イスラエルがレバノンに侵攻した際に使用され、戦闘が終わって軍隊が撤収したあと多数残った不発弾の事故で、多くの子どもたちが亡くなったり、手足を吹き飛ばされたりしたことで、かつての「対人地雷」と同様、人道的観点からの廃止論が高まった。

「オスロ・プロセス」は、対人地雷の時のカナダ政府の役割をノルウェー政府が買って出たもので、この「有志」のプロセスには対人地雷の時と同様に、アメリカ、ロシア、中国といった国々は参加していないが、志ある国々の政府と国際NGOが連帯して、具体的な措置を動かし、国際世論も動員することでこうした国々をも動かそうというものだ。

各紙で報じられている通り、一方ではアメリカ、ロシアなど禁止に反対でこのプロセスに参加していない国々があり、その反対にノルウェー、中南米諸国など全面廃止に積極的な国々、そしてその中間に「部分禁止」を主張する英仏独などの国々がある。

それでは、わが国、日本政府の立場がどうかと言えば、朝日新聞2008年5月20日付3面の記事では「日本や英仏独などは‥『信頼性が高く、正確なものは除外すべきだ』という立場を取る」と書いている。さらに毎日新聞の同日付は英独仏は「最新型」のみを例外とすることを主張しているのに対し、日本は現在保有するものを持ち続けることを前提に「不発率が実戦で10%以上もあるとされる現有の『改良型』の堅持を主張している。国連の軍縮関係筋は『日本の主張に同調しそうなのはフィンランドくらいだ。逆に、他の部分禁止派と全面禁止派の溝は狭まっている』」と報じている。

現段階での日本政府は、当時の小渕外相が政治決断する以前における「対人地雷」の時と同様、アメリカにおもねる外務省と、軍事力維持の面だけから廃棄に反対する防衛省が積み上げてきた、いわば霞ヶ関のお役人たちボトムアップで形成された政策を主張することに止まっている。自民党政権が長く続きすぎたせいか、そこに憲法第9条の理想などかけらも見あたらない。福田さんにも、せめて小渕さん程度の大所高所からの政治的な判断を期待したいものだ。

ところで、このことを報じた2008年5月19日放送のNHK・BS1の「今日の世界」(22:15~)において、スタジオからの原稿読み上げと字幕では、わが国が英独などとともに「全面禁止」には反対し、「部分禁止」を主張していることを紹介していたが、現地からの山澤里奈記者のレポートでは、わが国がどういう立場をとっているかという話がスッポリ抜け落ちていた。これでは極右の経営委員長とは逆の意味で「どこの国のニュース番組なの?」ということになってしまう。「合意をめざすノルウェー政府代表が部分禁止を主張しているイギリスやドイツの政府代表を訪ね、妥協点を探っている」というだけの原稿は、「日本は全面禁止に反対している」という事実の印象を、作為的に薄めようとしているのではないかと感じた。

NHKの国際部記者が、外務省の役人や自民党の一部政治家と良い関係を築いておきたいというのは処世術かもしれないが、あまりに「アメリカ政府に最大限に媚びを売り、日本国民にはそのことを最大限覆い隠しておきたい」一部外務官僚に操作されていることが見え見えで、その思惑通りの放送をしているのでは公共放送の使命を果たしていることにならないと思う。

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2008年5月15日 (木)

内田樹氏の「頭を冷やせ」になるほど。

東京は久しぶりに良い天気。昨日までコートを着て、事務所近くまで地下鉄を乗り継いだのに、今朝は日よけにキャップをかぶって外苑東通りをウォーキング。事務所に入ると、やはり昨日まではモーツァルトの短調のピアノコンチェルトなぞを聞いていたのに、今日はベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』、往年のジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団の演奏CDなど久しぶりにかけてみる。

ここのところ、チベットのことで中国に対して批判というよりは誹謗中傷する連中に頭に来て、特に聖火リレーをデモで妨害する行為に対する反発から、カッカと来ていろいろ言いながら、なんとなくスッキリしない気分でいたところ『毎日新聞』2008年5月12日付夕刊で内田樹氏の「争いがとりあえず決着するために必要なのは、‥当事者の少なくとも一方が(できれば双方が)、自分の権利請求には多少無理があるかもしれないという『節度の感覚』を持つことである」「『いいから少し頭を冷やせ』というメッセージが政治的にもっとも適切である場面が存在する。そのような『大人の常識』を私たちはもう失って久しいようである」という論を見た。

いつも内田氏の議論は面白いと思うが、今度も第三の視点を出すとすればこういうことかとなるほどと思った。ただし、内田氏も「そんなことは言っていない」と言われるだろうが、森田としては21世紀に入ってからのわが国の政策の方向性の誤りについて批判し、代替プログラムを模索することを「自制する」つもりは毛頭ないけれども。

【以下は、毎日新聞2008年5月12日夕刊より内田樹論文 =『内田樹の研究室』より=】      

オリンピックの聖火リレーをめぐる騒動を眺めていて、いささか気鬱になってきた。何か「厭な感じ」がしたからである。何が厭なのか、それについて少し考えたいと思う。
 熱い鉄板に手が触れたときに、私たちは跳びすさる。「手が今熱いものに触れており、このまま放置すると火傷するので、すみやか接点から手を離すことが必要である」というふうに合理的な推論してから行動するわけではない。たいていの場合、私たちはわが身に何が起きたのかを行動の後に知る。
 聖火リレーにまつわる「厭な感じ」はそれに似ている。
 だから、この論件については、誰の言い分が正しく、誰の言い分が誤っているというような「合理的」なことは申し上げられない。それは「厭な感じ」が議論の内容ではなく、論を差し出す仕方のうちに感知されているからである。語られている政治的言説の当否は私にとっては副次的なことにすぎない。
 私が「厭な感じ」を覚えたのは、たぶんこの政治的イベントに登場してきた人たちが全員「自分の当然の権利を踏みにじられた被害者」の顔をしていたせいである。
 チベット人の人権を守ろうとする人々も、中国の穢された威信を守ろうとする人々も、聖火リレーを「大過なく」実施したい日本側の人々も、みな「被害者」の顔で登場していた。ここには「悪者」を告発し、排除しようとする人々だけがいて、「私が悪者です」と名乗る「加害者」がどこにもいない。
 そんなの当たり前じゃないか、と言われるかも知れない。権利を主張するということは「被害者」の立場を先取することなのだから、と。
 まことに、その通りである。「本来私に帰属するはずのものが不当に奪われている。それを返せ」というのが権利請求の標準的なありようである。それで正しい。困ったことに、私はこの「正しさ」にうんざりし始めているのである。
 近代市民革命から始まって、プロレタリアの名における政治革命も、虐げられた第三世界の名における反植民地主義の戦いも、民族的威信を賭けた民族解放闘争も、つねに「被害者」の側よりする「本来私に帰属するはずの権利の奪還」として営まれてきた。
 私たちが歴史的経験から学んだことの一つは、一度被害者の立場に立つと、「正しい主張」を自制することはたいへんにむずかしいということである。
  争いがとりあえず決着するために必要なのは、万人が認める正否の裁定が下ることではない(残念ながら、そのようなものは下らない)。そうではなくて、当事者の少なくとも一方が(できれば双方が)、自分の権利請求には多少無理があるかもしれないという「節度の感覚」を持つことである。エンドレスの争いを止めたいと思うなら「とりつく島」は権利請求者の心に兆す、このわずかな自制の念しかない。
 私は自制することが「正しい」と言っているのではない(「正しい主張」を自制することは論理的にはむろん「正しくない」)。けれども、それによって争いの無限連鎖がとりあえず停止するなら、それだけでもかなりの達成ではないかと思っているのである。
 私が今回の事件を見ていて「厭な感じ」がしたのは、権利請求はできる限り大きな声で、人目を惹くようになすことが「正しい」という考え方に誰も異議を唱えなかったことである。「ことの当否を措いて」自制を求める声がどこからも聞こえなかったことである。
 「いいから、少し頭を冷やせ」というメッセージが政治的にもっとも適切である場面が存在する。そのような「大人の常識」を私たちはもう失って久しいようである。

(毎日新聞2008年5月12日付夕刊)

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2008年5月11日 (日)

葉千栄氏の胡錦涛主席来日に関する感想=上田紀行氏を迎えた番組で=

胡錦涛主席の来日について、5月8日(木)放送のCS朝日ニュースター『ニュースの深層』におけるキャスター、葉千栄氏のコメントが興味深かった。

葉氏は、日中友好6団体主催のレセプションに日本側(!)の出席者の一人として列席したそうだが、「もし中国にいたら、雲の上の人で絶対に姿を見ることがなかっただろう」という胡錦涛氏のナマで見る印象の第一は、「腰の低い人だ」というとだったそうだ。演壇に上ると3方向に向かって一度づつ、3回お辞儀をするるこれは毛沢東以下のかつての中国のトップのイメージからは想像できないと言うのだ。

それを聞いたゲストの上田紀行氏が「(ギョーザ、チベットなど)いろいろまずいから、低姿勢だったんじゃないの」と混ぜ返していたが、葉氏は中国にいる友人たちと電話で感想を交換していたようで「聞いてみると中国での共産党の会合でも同じだそうです」ということだった。

葉氏の感想の第二は、胡錦涛氏は他の指導者に比べ非常に「親日的」なのではないかという印象を持ったということだ。胡耀邦時代の青年交流の話は、今回の訪日の報道を通じて多くの人々が再び共有するところとなったわけだが、日本と中国の両方のカルチャーを肌で知り、ジャーナリトストとして「人」と話し、「人」を見続けてきた葉氏の観察にはさらに重いものがある。

10年前に来た江沢民前主席は、宮中晩餐会に人民服で現れ、日本側が「反省と謝罪」を明記しなかったからと文書に署名しなかった。5年後や10年後の指導者は、アメリカ一辺倒かどうかはともかく、日本などは全く先進国グループのワンオブゼムとしか見ないだろうことを考えると、今回の「10年ぶりの中国国家元首来日としての胡錦涛主席来日」について、日本側は大きなチャンスを逃してしまったのではないかと言う気がしてくる。

葉氏の感想の3つ目は「こんなことここで言っていいかどうか」と声をやや潜める葉氏のいつものスタイルで、胡錦涛主席に続いて演壇に上がったのが令計劃(れいけいかく)中国共産党中央書記処書記・党中央弁公庁主任、王滬寧(おうこねい)党中央書記処書記・党中央政策研究室主任の二人であり、葉氏流の表現で「たいへん偉い人」である戴秉国(たいへいこく)国務院国務委員、楊潔チ(ようけつち)外相、武大偉外務次官(六カ国協議代表)らが、この二人に対しもたいへん遠慮して、一歩も二歩も下がっていたのが印象に残ったということだった。

葉氏は、5年後の中国指導部の一端を垣間見た気がするというが、一方で腹心・令計劃氏はともかく、王滬寧氏は葉千栄氏が上海の大学で演劇を専攻したり、新劇俳優だった時代には「復旦大学の国際政治の先生に過ぎなかった」ので意外感があったようだ。これもクレムリノロジーの一種だろうが、分析の視点を持ち、データ観察を積み重ねてきた人の話だけに、記憶に止めておきたい。

なお、NHK・BS1が放送した早稲田大学での胡錦涛主席講演を報じる中国中央電子台のニュースの映像も、まず「令計劃主任と王滬寧主任」の二人、ついで「戴秉国国務委員、楊潔チ外相」の二人を映し出していた(ただし同時通訳の音声は「令計劃主任、戴秉国国務委員らが同行」としていた)。

ちなみに、早稲田講演は恐らく王滬寧氏の「監修」だろう。戦後日本に対する肯定的評価、ODAなどの支援に対する感謝などはすでに昨年四月に温家宝首相が国会で演説した内容に含まれていたので、驚くような内容だったわけではないが、温家宝演説が素晴らしい内容ながら、おそらくさまざまなリサーチの結果、助言などを盛り込みすぎて、全体の構成がややゴシック的な感じになっていたのに対し、胡錦涛早稲田講演は清朝末期の留学生たちのことをはじめ歴史的な視点を織り込みながらも、シンプルな流れでまとめられ、結語に早稲田構内の演劇博物館の「世界は舞台」というシェークスピアのことばを引き「世界という舞台で共に役割を演じていこう」とまとめる洒落たものだった。

番組のゲスト・上田紀行氏は、最近ダライ・ラマとのインタビューを本にしていて、胡錦涛来日についても、例えば「唐招提寺などで胡錦涛主席を接遇する仏教関係者は、チベットのことを強く言うべきで、日本にもそれくらいの気概がなければ」といったことを言っていた。それはともかく、上田氏と葉氏が、チベットの歩みについて詳しく論じていくのを聞くのはたいへん参考になった。ダライ・ラマは柔軟な思考と反射神経を持つ、たいへん興味深い人物のようだ。聞いていて、中国にとっても、ダライ・ラマが死ぬのを待つのではなく、対話する方がよいのではないかと思った。

もっとも、日本の「仏教界」に対して上田氏はかいかぶりないしは無理なプレーアップがあるように思う。全国の僧侶の大半は、通夜・葬儀と法事に時間の大半を過ごしており、うんと偉いお坊さんたちの「世界宗教者平和会議」などへの参加などは例外として、平和の問題、貧困の問題はじめ社会問題との関わりに、鎌倉時代、あるいは江戸時代以前の仏教関係者が持っていたような真剣な関わりの片鱗も感じられない。

上田氏は、そういった問題にも関心を持ってきているのは知られている。チベット問題を、カンフル剤として日本仏教の(葬儀業ではなく宗教としての)再興につなげようというセンスは、政治的には正しい計算と言えよう。ただ、結果として日中関係の健全な発展を阻害する反中国扇動に流れないようにお願いしたいものだ。

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2008年5月 8日 (木)

イエメン論議は「A」、対中外交強硬論は「C」=フジテレビ朝ワイド『トクだね!』採点=

フジテレビの『とくダネ!』は、アンチ中国の国民感情に棹さすばかりで、結局1930年代から40年代に戦争を煽ったメディアのDNAをまさしく継承していると大いに不満。上村某というう元新聞記者に「安倍首相は靖国に行くかもしれないと脅しをかけながら中国と駆け引きしたが、福田首相はダメ」などと言わせているのを聞くとがっかりする。

もっとも、イエメンの誘拐事件についての小倉智昭氏はじめレギュラー陣の論議を聞いていると、なかなか座談のレベルは高いと思う。古代のシバの女王の伝説から、最近の天然ガスが出るまで中東でも非常に貧しい国だったことの紹介、岩上安身氏の「日本の女性と驚くような危険なところで出会うことがある」という注意喚起や、サウジ出身といわれるアルカイダ幹部も、ルーツはイエメンにある場合が結構あり、「貧困」がテロの背景にあるという解説は適切だ。岩上氏の対中強硬論には、結果として中国内の江沢民のような保守強硬派を利することになると思うので賛成できないが。

小倉さんも「パンダ以外に何か成果はあるのか」というのは、僕から見れば悪態だが、小倉さんのチームがテレビに出ている人々の中ではかなりいい方だというのも事実。中国の人たちには「ましな方でもこういう感じよ」と教えることで、参考にしてもらうことにするか。ところで、昨日出ていたデーブ・スペクターという人は、だじゃればかり言っている人かと思ったら、日中をめぐる国際政治論などはバランスがとれた見方をしていると思った。高木美保さんは、いろいろなことで良い意見を言っているが、対中外交については空気に流されて強硬論を煽る方に回っている。テレビで煽るより、中国政府に直接助言するようにした方がいいんじゃないか。ちょっと残念。

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2008年5月 6日 (火)

シューベルト

4年目になる東京のラ・フォルジュルネ音楽祭のテーマはシューベルトだったので、ピアノソナタなどに出かけたいと思っていたけれども、うっかりしていてチケットを購入しようと思ったときには関心あるコンサートは全部売り切れ。まだ残券あったフランスから来たトリオが弾く変ロ長調だかのピアノ3重奏がすごくいいらしいという前評判を聞いたけれども、22時30分開演ということで、自宅で録画しておいた「ぴあのピア」(NHK)のシューベルトのシリーズや、名曲探偵アマデウスの「死の乙女」を見ながら自宅で一杯やる方を選ぶ。

ぴあのピアで見るシューベルトの人間像は、とても友だちに大切にされた人であることが印象に残る。きっと、とても人柄のいい人だったのだろう。うらやましい。リートの人で、室内楽もいいが、ピアノソナタも奥が深そう。かつて内田光子さん、最近では田部京子さんなどが全曲演奏に取り組んでいるが、すこし追いかけてみたいと思う。

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2008年5月 5日 (月)

「仮面ライダー電王&キバ/クライマックスデカ」

引き続き息子のお供で、「YASUKUNI」を降りたバルト9で「仮面ライダー電王&キバ/クライマックスデカ」を見る。

冒頭からラストまで期待通りの出来映え。「電王」のテレビ放送は1月に終了しているが、度肝を抜かれた「どこにでも電車でやってくる」という設定、このCGはやっぱり劇場スクリーンで見るといちだんと迫力が。東映だけに、ちょっと暴力過剰かなとも思うが、子役(松元環季)のワイヤープレイの大活躍など楽しい。同社は何十年かぶりの観客動員初登場1位をとったとかで、ささやかな祝意を‥

客席に子どもがあまり多くないのには驚いた。女子高生らしいグループ、20代女性の3~4人組などが目立った。「大人だから」「女性だから」といって遠慮することなく、「見たい人が見る」という時代なのだなと思う。男優たちも魅力的だが、エンドロールで「モモタロスの声 関俊彦」など異界出身の準主役たちの声優の名前が真っ先に出てきたあたりに、声優ブームが反映されているようにも思った。客層もこの辺の反映か。

デンライナー一行と行動を共にするゲスト、新米刑事(村井良太)が始め無鉄砲な行動で皆に迷惑をかけ、最後には手柄を立てる成長物語はお約束だが、時を行き来できる主人公たちに、ご褒美として22年前のある場面に連れて行かれるシーンでは涙がこぼれた。この場面を短時間演じた森本亮治という若い俳優は好印象で存在感もあり、伸びる人のように思った。エンディングの制作シーン、松本若菜さんが花束に涙ぐむように見えた「ご苦労さん」シーンなどには、テレビ版に出演した人たちの番組への思い入れも感じられた。

最近のこの手の作品には、いや以前からかも知れないが、「異界」に住む者同士が理解し合い、力を合わせ、友情を育てるストーリーが多いように思う。現実の外交や国際政治がその点であまりに「遅れている」ことに対する、クリエイターたちの、また民衆のいらだちの反映ではないか。

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2008年5月 1日 (木)

「砥いで出てくるのは、塗り重ねたもんだけ」-NHK朝ドラ『ちりとてちん』より

2007年10月~2008年3月放送の、NHK朝の連続テレビ小説『ちりとてちん』、実は一度も欠かさず、一日平均1.5回くらい見ておりました。視聴率はあまり上がらず、一方で新聞の文化部記者や関係筋にはたいへん評価が高かったらしい。

『タイガーアンドドラゴン』のような落語再現時代劇も楽しみだったけれども、とにかく脚本の「腕力」が素晴らしく、落語のストーリーを換骨奪胎して織り込みながら、家族の物語、師弟愛の物語が縦横に展開していく物語。キャストも音楽も皆素晴らしかった。音楽はちょっとうるさかったかな。

騙されやすい方なので、四散していた草若一門の弟子たちがようやく再結集する八犬伝のような場面には、わがことのように喜び、佐藤めぐみという人は本当に悪い人だと思いこんで見ていた。

連休5日と6日に放送される総集編の前振りで、大阪制作の「それぞれのちりとてちん」というエピローグのような番組が、東京でも深夜放送され次の台詞にまた出会った。

正太郎(祖父・塗箸職人・米倉斉加年)人間も箸とおんなじや。砥いで出てくるのは、この、塗り重ねたもんだけや。なあ、一生懸命生きてさえおったらあ、悩んだことも、落ち込んだことも、綺麗な模様になって出てくる。お前のなりたいもんになれる。

喜代美(子役)  ‥‥(笑顔)。

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2008年4月27日 (日)

日曜午後「エフゲニー・オネーギン」のビデオ見る=NHK「名曲探偵アマデウス」は楽しい=

「東京のオペラの森」の「エフゲニー・オネーギン」のリヒター演出が良いという批評(毎日新聞4月24日付夕刊・梅津時比古氏)を見たことに刺激され、またNHK・BSの「名曲探偵アマデウス」で、チャイコフスキーが「悲愴」4楽章冒頭のメロディーを第一バイオリンと第二バイオリンにメロディーとハーモニーを分解して、個々に聴いてはわからないように書いてアンサンブルを徹底的に聴きあうように工夫した、という話しに感心したこともあって、放送を録画していたパリオペラ座(バスチーユ)のロシアの歌手たちを起用した2003年公演のテープを見る。

演出という点ではこれもなかなかで、決闘から時が流れ、タチヤーナが公爵夫人になっていく心象風景を例の「ポロネーズ」を間奏曲のように使い、黒い衣装の人々の静かな動きで表現していて見事だった。

タチヤーナ役のソプラノ(オリガ・グリャコワ)も、思慮深い人柄の表現にせよ、心の乱れを垣間見せながらの堂々とした幕切れも立派。それにしても、このオペラを見ると自らの愚かさ、あらゆる意味でのタイミングの悪さを責められているようでつらいものあり。

ついでながら、「名曲探偵アマデウス」はパイロット番組の「ボレロ」、本放送の「ベト7」、「ブラ4」「ゴードベルク変奏曲」など、すべてたいへん良い出来映えだった。森田程度のクラシックファンが知るアナリーゼの基礎が全部盛り込まれていて、スタジオのN響が曲の一部をパートごとに演奏して見せるなど、なるほどと思わせる。毎回のベテランゲスト俳優もそれぞれ演技に味がある。

この番組も、小・中・高の学校音楽の授業でビデオを生徒に見せるといいのではないかと思う。

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2008年4月17日 (木)

「NHKスペシャルは格差や貧困に偏りすぎ」=自民党・世耕議員の偏向質問=

少し前になるが、3月31日に参院総務委員会でNHKの新会長を呼んでの参考人質疑が行われ、世耕弘成議員(自民党)が質問に立っていた放送をテレビで見た。たまたま自動録画をセットしている「視点論点」の時間を変更しての放送だったので目に止まったわけだが「NHKスペシャル」についての発言がちょっと聞き捨てならない感じがしたので参院の会議録から紹介したい。

「最近若干、この一年ぐらい気になるのが、どうもNHKスペシャル、看板番組、NHKが世の中に、今これが問題ですよ、世の中こっちの方へ注意をしなければいけないんじゃないかというような注意喚起の番組だと思っていますが、その内容がこの一年ぐらいどうも、格差の問題とかワーキングプアの問題とか貧困の問題、どうもそっちに偏り過ぎているんじゃないか。この問題も私は非常に重要だとは思いますけれども、しかし余りに内容としてそっちに偏り過ぎている」

「その背景にある厳しいグローバル競争の現状とか、あるいは中国が今世界でどうなっているか、アジア諸国が今世界でどうなっているか、日本のアジアにおける立場がどうなっているか、そういうことをもう少しスポットライトを当てる番組が不足をしているんじゃないか。これは私は感覚で申し上げているんではなくて、現場でも経済部とか国際部の人がいろいろ企画を上げてもなかなか通らないという声も私は聞いております。そういう中で、新会長として、こういった面についてもやはりビジネス御出身の立場としてもう少し重点を置くべきではないかということについてはどうお考えでしょうか」

これを聞いてみなさんはどう思われるだろうか。森田は、3度に渡る『ワーキングプアー』の放送などは、現実に起きている問題に警鐘を鳴らす、公共放送の使命を果たしたものであると高く評価している。森田には世耕氏の発言は「国民の多くが本当のことに気づくと困るからもっと工夫しろ。あんたは、せっかく我々が送り込んだ財界出身の会長なんだからうまくやれよ」と聞こえる。

もちろん、国会内で行われた逃げも隠れもしない政治家の発言であり、この発言について何か法的な追及を行うべきだといった話しではない。しかしひとつ言えることは、自民党という政党は、NHKについてこういう考え方であるということを、有権者としてよく認識した上で選挙権を行使したいということだ。

あの安倍晋三氏も、何の羞恥心もなく元気に復活してドイツに出張してメルケル首相と会談するそうだ。こういった人たちが、NHKをすっかりねじ曲げてしまわないうちに、一度自民党は5年くらいは野党にする必要があると思う。

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2008年4月10日 (木)

「とくダネ!」小倉智昭さんのチベット問題発言=チベットという地域は中国の領土の一部という言い方認める国際人はそんなにいない=は視聴者をミスリードする発言

チベット問題がクローズアップされている。森田は世界中のどこであれ、人権は守られるべきであり、民族自決権、民族文化は尊重されるべきであると考えている。チベットの人々の人権は守られるべきだし、中国政府はチベット民族の伝統文化を尊重し、より高度な自治を認めていくべきだと思う。これは「信条」の問題。

他方、現在の国際関係は、お互いがお互いの「領土、主権」を認め合う主権国家同士が、「お互いの主権を尊重する」という前提の下に外交関係を結んでいるというのが、平たく言った国際社会の基本ルールだと思う。これはかなりの程度の「現実」の問題。

この二つはオールオアナッシングではないが、矛盾することもしばしばである。小倉さんの番組中での発言は、リベラルな小倉さんだけに論旨の大方には同意できる。しかし、福田総理が「中国の内政問題」と発言するのを、「チベットが中国の一部という言い方を認める国際人はほとんどいないんじゃないか」と一刀両断にするのは、視聴者に日本政府がとるべき政策について誤った示唆を与えるのではないかと思う。

森田なら、「福田さんは中国の内政問題と言うけれども、国家間の関係としてはそうだということは認めるけれども、人権の問題は人類普遍的な問題なんだから、『内政問題であるというのは理解するが、私は、日本国民はチベットの人権が尊重されることを願っている』ともっと強く言うべきだ」と言うところだ。

国威発揚の聖火リレーにクールな視線を送るのは正しいのかもしれないが、暴力による聖火リレー妨害を容認するかのような姿勢も問題だと思う。イスラム教徒を弾圧する人々に甘く、たまたま批判されるべき対象がアジアの国家だとかさにかかってバッシングしてくる欧米メディアに引きずられるのはいかがなものかと思う。それでなくとも、中国は扱いの難しい国だ。欧米と違って、わが国にとっては引っ越せない隣組であり、今後の国益を考えた上でも戦略をもってつきあわなければならない相手だ。メディアにも賢明な対応を望みたい。

【以下は、番組中の小倉智昭氏の発言】

「日本政府、福田さんは『チベット問題は中国の内政問題だ』ということで、『友好的な話し合いをして下さい』と言うだけなんですよね。でも国際的に見ても、誰がどう考えても、チベットという地域はチベット民族のものであって、中国が言うように『中国の領土の一部』というような言い方を認める国際人は、そんなに僕はいないんじゃないかと思うんですよね。

今もう、チベット民族は言葉を奪われ、さらにチベット語の名前を奪われ、そして結婚問題だってね、中国男性とチベットの女性の結婚は許すけど、中国女性とチベット男性は許さないとか、結婚はね。仏教を弾圧したりとか、これで国際世論が黙っているわけがないですよ。

そういう状況でオリンピックをやって、聖火リレーはきれいごとでやっていいのかって思うのは誰しも一緒だと思うんですけどね。」

(2008年4月10日 8:00~「とくダネ!」=フジテレビ=」 家庭用録画の音声より)

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2008年4月 1日 (火)

NHKに映画「靖国 YASUKUNI」の放映を望む

「靖国 YASUKUNI」という映画が話題になっていたので、ぜひ見にいきたいと思っていた。上映予定館を調べたところ、便利なのはシネマート六本木というところなので、そこに出かけてみようと思っていた。

ところが、残念なが」ら「上映中止」ということだ。自民党の「右」が補助金の対象としておかしいというプレッシャーをかけ、映画館も右翼の威圧を受けたとか、それを恐れて「自粛した」などと言われている。

これを「あの2008年の桜の頃が、日本における言論の自由のターニングポイントだった」ということにしてはならない。

具体案が一つある。できれば地上波のチャンネル、次善の策としてはBS2でもよいので、NHKが放映することだ。

僕はNHKの視聴料をちゃんと払ってきた視聴者の一人として、事情があって映画館で見ることの難しい作品を見るチャンスがほしいという素朴な要望なのだが、同時に「いろいろな見方のある作品ですが、議論を深めるために放送します。視聴者のみなさんはどう思われますか」というスタンスでの放映は、公共放送の使命に合致していると思う。

もちろん、制作サイドでテレビ放映はビジネスの妨げだからいやだというのなら仕方がないが、そうでないなら積極的にNHKと対話されてはどうか。件の自民党・稲田代議士も、安倍前首相のお仲間ながら、言論の自由は守られるべきで、上映が不可能になることは望んでいないという趣旨のことを言っているらしいので、よもや放映に反対するということはないだろう。

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2008年2月21日 (木)

倖田來未さんバッシングに湯川れい子さんの一言

2008年2月20日付の『朝日新聞』朝刊17面の「声」欄に、音楽評論家 湯川れい子さんの以下の投書が掲載されていた。共感覚えたので、書き留め【全文引用】。

すてきなことみつけようよ

音楽評論家 湯川れい子(東京都世田谷区 69歳)

 歌手の倖田來未さんが「35歳をまわるとお母さんの羊水が腐る」と言ったとかで、CM打ち切りやメディアのバッシングを受けているようですけれど、結婚した仲間に「早く赤ちゃん産んだ方がええよ」と言った意味で、つい表現がすべってしまったということでしょう?

 確かに「腐る」という表現は感心できないし、間違っているとは思うけれど、ここまで鬼の首でも取ったように寄ってたかってバッシングするようなことでもないと思うんですけれど。

 それよりも、あまりに多くの添加物が環境ホルモンとして母体に影響を与え、年齢が高くなるほどリスクが高まるとも考えられているのですから、そういうことの方こそメディアは取り上げてほしいと思います。

 いずれにしても、寄ってたかって小さな問題をバッシング対象にするというのは、大人の社会までがイジメの体質を持ってきているようで、気持ちの良いものではありません。イヤなところを見つけて責めるより、もっと気持ちの良いステキなところをみつけてほめる習慣を、国も社会も身につけたいものですね。

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2007年12月20日 (木)

国会は古森NHK経営委員長を呼ぶべきだ。

NHKの古森経営委員長(富士フイルムの持ち株会社の会長)が、強引な委員会運営でホコリをたてているようだ。複数の経営委員が公の場で委員長が世間に説明していることと違うことを言っている。公共放送であるNHKの経営委員会が、強引な運営によって偏った方向に引っ張られていることを伺わせる事態である。

NHKが、イデオロギー偏向によってねじ曲げられてはならない。とにかく、経営委員の承認権を持つ国会は、古森氏を呼んで、事実関係を聞くことからはじめ、委員会の公正な運営を確保する努力をすべきである。

【以下は東京新聞の記事の貼り付け】

NHK経営委員が委員長批判会見 求められる説明責任
2007年12月20日 朝刊

 NHK経営委員会の菅原明子委員、保ゆかり委員が十九日、会見を開いて、次期NHK会長選出をめぐる古森重隆委員長のやり方を批判した。経営委員が公の場で委員長への不満を述べるのは前代未聞の出来事。「強引で、看過できない」(菅原氏)というのが理由だが、両氏の説明と古森氏のこれまでの発言は、事実関係で食い違いが目立つ。両氏の批判を受けて古森氏は「一方的な運営をした事実はない」と反論しているが、説明責任を果たす必要があるのは間違いなさそうだ。 (小田克也)

 「威圧的で、議論を封殺する」。両氏は、古森氏の議事運営をこう言い切った。

 その具体例として、経営委員による指名委員会(13日)の模様を取り上げ、「新会長についてNHKの内部から起用するのか、それとも外部からか」という議論のスタートがそもそもおかしく、人物本位で選ぶべきだと意見を述べたが、古森氏に聞き入れられなかった-と主張した。

     ◇

 これまでの会見で古森氏は、十三日の指名委員会で各委員に次期会長の候補者を挙げてもらうと述べていたが、菅原氏によると「(事前に)そういう働きかけはなかった」という。

 NHK会長は放送法に基づき、全国八地区から選ばれた八人と地区に関係なく選ばれた四人の計十二人の経営委員中、九人以上の議決により選出する。要するに多数決で選ぶのだが、「委員長は、できれば採決しない方向を考えていた」と菅原氏。これが事実とすれば、放送法との整合性の点で疑問符がつく。

 菅原氏は「(13日の指名委員会後の会見で)古森委員長は、外部からの起用に反対だったのは一人と言ったが、正確には答えを保留したのが二人、内部からの起用がいいと言ったのが二人いる」と説明。

 放送法によれば、会長が任期満了を迎えても、新会長が任命されるまで在任することになる。

 従って、古森氏が意中の人物を提案しても「(経営委員の)四人が反対に回れば、現執行部が残る確率はある。(内部、外部からの起用以外に)第三のオプションとして、それもあり得ると思っていたが、委員長は会見で、そのことも説明していない」とも述べた。

     ◇

 古森氏の議事運営がおかしいと思うなら、両氏は記者会見を開く前に委員会の場でただすべきではないのか。十九日の会見でこう記者団に問われた菅原氏は、「委員会は議論できる状況にない。この方法しかなかった」と語った。「委員長は声が大きかったり、自分の意見を強く推されるので、思ったことが言えない」とも。「委員長に議事録をテープに残して公開してほしいとお願いしているが、人事案件だから、と言葉を濁している」と不満をあらわにした。

 九州・沖縄地区選出の保氏は、「特定の候補を推薦しない委員もいる。(委員長に意中の人物の)名前を公表してほしいといっても公表してもらえない。地方にいる者などは、いきなり二十五日に言われても判断できない」と、困り顔だった。

 こうした両氏の批判に対し古森氏は、次期会長選出について、「すべての委員から意見を聴取の上、少数意見にも配慮し、今後の議論の対象とした。各委員からの個別の推薦もさらに呼びかけていた。両名の意見についても十分に議論し、経営委員会としての機能を果たしていく」などとするコメントを発表。批判は当たらないとの考えを示したが、矛盾点についてはあらためて説明する必要がありそうだ。

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2007年11月30日 (金)

「防衛省改革会議」報道の不思議

誰がどういう基準で人選しているのかが出ていない。福田総理が官邸に設けるという「防衛省改革会議」のこれまでの報道だ。

政府与党中枢、つまり結局は役人と自民党のボスたちが都合のいい顔ぶれを人選し、都合良く運営しようということは初めからわかっているわけだが、だからといって新聞やテレビ報道がブリーフィングを受けたままを回覧板のように配信し、放送していていいわけがない。

もっと国民に「よく見えるように」。報道はその使命に応えてほしい。

なお、国会。特に野党が多数を占める参院は、官邸お手盛りの「防衛省改革会議」に遠慮する必要などさらさらない。さっさと特別調査会を設けて、国政調査権を充分に発動し、参考人質疑、証人喚問も含め気張ってほしい。

なお、内閣の「防衛省改革会議」は「機密保持の徹底」を3本柱の一つとするという。「焼け太り」は奴らのお家芸である。なにせ、普通選挙法に治安維持法を抱き合わせた連中の直系の「子孫」たちのやることだ。監視の目を緩めてはならない。

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2007年11月21日 (水)

1999年のハリケーン「フロイド」=2005年の「カトリーナ」との対比で=

阪神大震災の「周年もの」などのテレビ番組のVTRテープを整理していたら、1999年にNHKスペシャル「世紀を超えて」の危機管理を取りあげた第3シリーズ初回に放送された「巨大ハリケーン」のエピソードが目にとまった。

2005年のカトリーナが、ニューオーリンズに巨大な被害をもたらしたことは記憶に新しい。、その時にテキサス州の牧場での休暇から動かなかったブッシュ大統領の初動の悪さ、クリントン政権下でアメリカの機動的な災害対策の中核を担っていた緊急援助庁(FEMA)が、ブッシュ政権によりテロ対策のためと称して新設された「国家安全保障省」に吸収合併され権限が縮小されていたこと、またそのトップに選挙の論功行賞で無能な人物を起用されていたため機能しなかったことで被害が拡大したと言われた。こういう時に役立つ州兵も、人員の3分の1、機材の多くがイラクに派遣されていて力を発揮できなかったとも指摘された。こういったことは、2006年中間選挙での共和党敗北の一因ともなったわけである。

ハリケーン「フロイド」を取りあげたこの番組は、カトリーナの6年前、9・11同時多発テロよりも2年前に放送されたものだが、松平アナのナレーションにより、核軍備の予算を削って消防署に救助チームを配備を主導するなどした当時のFEMAが中心になり、フロイド接近に対し避難命令の対象とした60万人を含め、300万人の避難を実現して犠牲者を最小限に押さえ込んだ様子を紹介していたのを見ると、本当に9・11テロとブッシュ政権がアメリカと世界を大きく狂わせてしまったと実感する。

もっとも、わが国の場合も阪神大震災後、かつてのFEMAを参考に設けられた内閣の「危機管理監」というポストも、各省庁への指揮権がないなど、体制整備も中途半端に終わっている。

そろそろ、阪神大震災も「のど元過ぎて」という時期を迎えているのかも知れないが、こういう平時にこそ、家族同士の安否確認の方法についての再確認、「古い住宅の耐震強化推進」、「緊急時の救援、医療体制の確認」、「災害時のトイレ・水の確保についての進捗状況の確認」などに取り組みたいと思う。

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2007年11月 9日 (金)

ひろいもののテレビドラマ「ジュリアス・シーザー」(2002年、米など)

世界史を勉強中の高2の息子と、NHKスペシャル「ローマ」3回、同ハイビジョンスペシャル「ローマ皇帝の歩いた道」2回のうち前編を見たところ、息子が「シーザーの扱いが軽いな」と言うので、たしか正月にTBSが放送した米伊など合作のテレビドラマで未見だった『ジュリアス・シーザー』の録画テープを引っ張り出して見た。これが拾いものだった。夜中の放送で、見た人も少ないだろうから、NHK-BSでも放送した方がいいのではないだろうか。

スッラのクーデターで生命の危機にさらされ、逃亡途中で海賊に捕まるエピソードのあたりから、暗殺までを描いているが、ジェレミー・シストという線の細めな俳優がシーザーを演じていることもあり、塩野七海さんの『ローマ人物語』によって語っている、型どおりの英雄豪傑ではなくちょっとインチキ臭い、しかし人間的な魅力と胆力のあるシーザー像と一致している。

ブルガリアでロケしたというガリア遠征の合戦シーンもなかなかの迫力で、エジプトの宰相がポンペイウスを暗殺する場面のおどろおどろしさ、自決するカトーと、葬儀の主催を申し出るシーザーに対しカトーの息子が示した威厳ある態度もよい。一方、シーザーの娘ジュリアとギリシァ人奴隷家庭教師の心の触れあい、その家庭教師が奴隷反乱に参加して捕らわれ、ジュリアの救済を断って仲間と共に処刑されることを選ぶ場面など、なかなか心を打つ。

シーザー暗殺の場面で終わるので、シェークスピア劇では見せ場であるアントニーのシーザー追悼演説、あの「ブルータスは高潔な人物である」で始まり、表面上はブルータスらを持ち上げながら、演説を聴いたローマ市民が「シーザー暗殺は間違いではなかったか?」と局面を転換するに至る弁舌の場面はない。しかし、脚本がよく工夫していて、男前の若手俳優が演じるアントニーが、ルビコンを渡る前のシーザーから元老院に先乗りを命じられ、公衆にシーザーの立場を代弁する演説をして喝采を受ける場面が描かれていた。

アメリカの脚本家組合が大規模なストライキをやっているというニュースが伝えられているが、このドラマを見て、アメリカの脚本家の力もたいしたものだと改めて思った。

それにしても、日本政治にはシーザーのような人間力、アントニーのような弁舌力をもって局面を転換するような人材が「平民派」の方から出ないものか。右の方は「小泉マジック」を繰り出して、後継の安倍氏が凡庸すぎた故に今は後遺症に悩んでいるわけだが。

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2007年11月 6日 (火)

「雲は何色だ?」-映画「真珠の耳飾りの少女」

フェルメールが、モデルになった新人のお手伝いの少女を窓際に呼び、「雲は何色だ?」と訊く。少女は「白‥」と思わず口にしたあと、もう一度目を細くしながら雲を見上げて「黄色、‥青、‥灰色」。フェルメールは「理解したようだな」と言い、少女をラビスラズリを買いに出す。

日曜日にNHK・BSで放送された映画「真珠の耳飾りの少女」。先週、新国立美術館の展覧会、「フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展」に出かけたが、そこで垣間見た「世界」が映像で目の前に展開する。なんとも楽しい。

昨日の午前、事務所で見る。昼食に出ると映画のあの場面のような空、雲。思わず「何色かな」と暫し見上げる。

小沢一郎氏が党首を「辞めた」のではなく、みんながひれ伏して「続けてください」と言えば続投してやってもいいということらしい。またか。それや、これやは、雲と光が見せる世界に比べると、実につまらないことだなあ、と感じた午後だった。

そういえば、フェルメールこそ面白いという話しをはじめて聞いたのは、四半世紀前、座談会での浅田彰氏の発言だった。どうしておられるだろうか。ちなみに、絵だけ見るとパラノイア型に見えるフェルメールは、映画の中では充分にスキゾ型だった。

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2007年11月 2日 (金)

「奇兵隊」の最期-「その時歴史が動いた」エンディング

「その時歴史が動いた」(10月31日、NHK総合22:00~)で「奇兵隊」を取りあげていた。高杉晋作が上海で国際情勢の現実を知ったこと、武士ではない人々によって構成された奇兵隊が第二次長州征伐における幕府軍に対する完勝の立役者だったことなどは学校で習ったり、大河ドラマ『花神』で見た通りだった。

そうかぁ、と軽い衝撃を覚えたのは番組のエピローグで紹介された「その後の奇兵隊」だ。早い話、奇兵隊に集った人々の多くが、維新後の新政府軍整備に反対して挙兵して敗れ、多数が木戸孝允(旧名・桂小五郎)の指揮の下、極刑に処されたというのだ。

家人は「そんなことやってるから鬱病になるんだよ」などと言っていたが、歴史とそれに関わる人のドラマの一面だ。

新しい研究を反映して、巷間言われてきた「善玉・悪玉」に新たな光を当てること、また古代史においても、それ以降の歴史についても「東アジアの国際関係」の視点を重視していることがこの番組の特徴であると思うが、これからも、視聴者にいろいろ発見を提供する番組として続くよう期待したい。

安倍晋三氏も「持ち上げられて落とされた」ということかもしれないが、持ち上げることによって取り返しのつかない過ちの数々に道を開いた人々の断罪は終わっていない。次の総選挙こそ、その機会である。

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2007年10月30日 (火)

メディアは元幹部自衛官の佐藤元久参院議員(ヒゲの隊長・自民)に守屋前次官の批判だけ言わせておいていいのか

フジテレビの朝番組「とくダネ!」が、昨日の守屋前防衛事務次官の衆院・証人喚問を報じる中で、「この人も声を上げた」と安倍政権下の7月の参院選で自民党から比例代表で当選した佐藤正久議員の「俺たちが現場で苦労しているののに何やっているんだ」というニュアンスの守屋批判コメントを語る様子を流していた。

ここでこの番組が作りだしている構図は、「防衛省の役人トップの腐敗はあまりにひどい。イラク派遣などで現場で苦労している無垢な自衛官たちが気の毒だ」というイメージだ。

実際には、明らかになっている接待攻勢は業者の防衛省・自衛隊に対する接待攻勢の氷山の一角なのであり、むしろ防大出の制服組の自衛官たちのうち、有望とされる者には若い頃から高級食品を中元・歳暮に送りつけるのに始まり、激しい接待攻勢がかけられているのが実情だと巷間言われている。

この際必要なのは、関連業者との会合等の実態、報告などのルールが守られているといったことの洗い直しだ。野中弘務氏はかねてより「会合の飲食代を接待側が持つことに対する規制を緩めるべきだ」と主張している。野中氏の政見には賛成できるものが多いが、この問題については賛成できない。意見交換はオフィスですればいいのであり、情報公開は公平に、オープンで行うのが筋だ。

実態と離れて、「腐敗官僚」に対し「清廉な制服組」というイメージを作りだしていては、戦前「腐敗した政党政治」を叩いて、結果として軍部の台頭を招いたのと構造的には同じことを繰り返すことになる。

巨額の調達をめぐる不正は、大正時代の海軍大スキャンダルのジーメンス事件、いやきっと明治維新当初からの軍・官僚組織の宿痾なのだ。これには政治家・軍人、背広・制服の別はない。仮にもマスメディアに関わる人々は、多少なりともそういう歴史感覚を持って事実にメスを入れてほしい。

佐藤議員に対しては、防衛産業・商社などの制服組への働きかけの実態について詳しく聞くべきなのであり、内局の腐敗を叩いてアリバイを作る片棒をかつぐことなどあってはならないのである。

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2007年10月24日 (水)

飾らない人柄が魅力のプリンシパル、吉田都さん

10月22日放送の「英語でしゃべらナイト」に、ずいぶん長い間、英ロイヤルバレエのトッププリンシパルの地位を守り、日本に本拠を移しKカンパニーに加わってからもロイヤルバレエのゲスト・プリンシパルに遇されている吉田都さんが出演。その飾り気のない態度、話し方は大変魅力的だった。

何せ、「世界のトップ」に長く君臨している存在であり、もっと偉そうにしていたり、もったいぶった態度をとっていても誰も文句を言わないだろうに、バックンはじめレギュラー陣と本当にリラックスして、また率直に聞かれたことに答えていた。

森田はバレエの技術、文法には全く明るくないが、NHKで当時放送されたバーミンガム時代の『くるみ割人形』など誠に軽やかだった。獲得して守っておられる地位を考えると、その技術・芸術性が極めて高く評価されていると想像がつく。

その彼女が、例えて言えば、旅行の電車で乗り合わせたら、お互い見ず知らずでもひとしきり楽しく世間話して過ごせるような様子なのだ。たいへん好感を持つと共に「ホンモノというものは、はこうなんだろうな」と敬意を覚えた。

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2007年10月19日 (金)

亀戸天神の二株の藤

NHKハイビジョン特集「日本 庭の物語 -江戸大名庭園から未来の庭へ-」を見ていたら、亀戸天神の美事な「藤」は、先の大戦の空襲でいったんは全て焼け落ちてしまったけれども、奇跡的に二株だけが芽を出し、現在の姿に復活した。庭園としてのデザインも広重の「江戸名所図絵」そのままだが、藤も江戸時代のものであるといった話しを紹介していた。

それだけのことと言えばそれだけのことだが、なんだか良い話しだと思った。

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2007年10月15日 (月)

『源氏物語』千年紀-丸谷才一氏の話しになるほどと思う

10月14日(日)夕方、NHK教育テレビの「日曜フォーラム『一千年目の源氏物語』」を見る。2~3年前に『輝く日の宮』をたいへん楽しく、また感心しながら読ませてもらった丸谷才一氏の話しに再び感心した。

森田は文学に造詣が深い方ではないので、その世界に趣味のある人には当たり前の話しなのかもしれないが、丸谷氏によれば長編小説にとって大事な二つの要素の一つは「構成」で、もうひとつは「文体」だそうで、まあ「文体」というのは表現の魅力というコトだと思うけれども、氏が言うには『源氏物語』はこの二つの両方の要素とも優れており、やはり当時の世界の水準を考えても、たいへん優れた作品であるということだそうだ。

この番組を見るきっかけになった『朝日新聞』文化欄の記事にも紹介されているが、いろいろな理由から、一部国学者を除いて、長い間蔑視されていた『源氏物語』が注目されたのはアーサー・ウェイリーという人の戦前の英訳がきっかけで、それで中央公論から谷崎潤一郎の現代語訳が出て注目が高まったという。丸谷氏は昭和は暗くてやな時代だが、『源氏物語』に光が当たったというのは良かったといったことを言っていた。

これも、日本文化とか日本歴史というものを、国際的な視点において捉え直すと言うことの意味を教えているエピソードだと思う。

番組中の発言の中で、加賀美幸子さんが紫の上の最期のところのさわりを朗読した。さすがの説得力と味わいで、七五調の読み方について自分は自信がなかったけれども、あれでいいのだなどと思いつつ、あの加賀美さんの話を拡大したようなテレビシリーズができないものか、などと思った。

なお、『源氏物語』がほぼ千年前の書物であるという話しは、小渕内閣が2000円札を出した時に聞きかじったが、『紫式部日記』の言及というファクトを基準にすれば2008年が『源氏物語』千年紀だそうだ。去年はモーツァルト生誕250年にすっかり熱中したが、今度は源氏物語か。以前、ちょうど紫の上が亡くなるあたりまで読んだ瀬戸内寂聴訳の続きを読むあたりからはじめましょうか。

(以下、メモ代わりの朝日新聞記事写し)

シンポ「一千年目の源氏物語」「新しさ」ときほぐす

2007年10月10日10時47分

 『源氏物語』の存在が初めて記録に現れてから来年で1000年。この「一千年目の源氏物語」をめぐる講演会とシンポジウム(国文学研究資料館主催、朝日新聞社など後援)が先月、東京都立川市で開かれた。作家の丸谷才一さんが、昭和における源氏の発見や20世紀ヨーロッパのモダニズム文学に通じる先進性について語るなど、聴きごたえがあった。

 『紫式部日記』の寛弘5(1008)年11月1日の条で藤原公任(きんとう)が紫式部にたわむれる場面に、「若紫」「源氏」という言葉が出てくる。このことから、宮中で当時すでに源氏物語が読まれていたと推定される。

 丸谷さんは「暗澹(あんたん)たる昭和に功績があったとすれば長くおとしめられていた源氏を華やかにたたえた時代である点だ」と語った。

 「国文学者を除けば源氏は昭和に至るまで蔑視(べっし)され無視されてきた。皇子(みこ)が天子の后(きさき)と恋仲になって子をなし、その子が帝(みかど)になる筋がけしからん、という非文学的な理由によって。明治最高の目利きである鴎外と漱石も源氏に冷淡だった」

 源氏の発見を促したのは20世紀ヨーロッパのモダニズム文学だという。アーサー・ウェイリーの英訳(1925~33)で、源氏は欧米で『失われた時を求めて』と同じように受け入れられ、読者はプルーストと同じ資質を紫式部に見いだす。ウェイリー訳を国内では正宗白鳥が絶賛し、その影響で谷崎源氏が生まれ、源氏は戦後、日本文学最大の長編小説とされる。

 「源氏には(1)時間を扱う(2)文体の美しさというモダニズム文学に通じる要素があり、千年前の紫式部は現代の読者の心を動かす。小説で大事なのは構成と文体だが、二つを備えた小説はごく少ない。構成と文体について最もよく教えてくれる小説が源氏であり、長編小説の模範だ」

 歌人の岡野弘彦さんは師事した折口信夫の「源氏はいろごのみの道徳を説いた物語」という説を踏まえ、源氏の中で女性が果たす役割についてこう指摘した。

 「源氏は理想的な男性の物語と考えられやすいが、私は女性が多様性をもって生き生きと生きている物語とみる。いろごのみとは理想の異性を選びとることであり、古代からのいろごのみの伝統が平安の華やかな雰囲気を巻き込みながら源氏で新しい展開を見せた」

 たたりをなす六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の造形について「黄泉(よみ)の国を支配したイザナミノミコトに一つの原点を置いてみたい」と指摘したのは興味深かった。

 詩人の大岡信さんが取り上げたのは、第26帖「常夏」などに登場する個性的な脇役の近江の君。粗野で早口で和歌もへただが、憎めない。「道化者的な彼女が登場する個所は長編の中の短編を思わせ、小説全体を引き締める。複雑な構造をもつ源氏は千年の時間差を感じさせず今も新しい」

 NHK番組キャスターの加賀美幸子さんも「源氏は好きな個所から読めば物語がおのずから胸を開いてくれる。出家する女性の多さに着眼するなど、様々な読み方ができる」と語った。

 講演会とシンポジウムの内容を編集した番組が14日午後6時からNHK教育テレビで放映される予定だ。

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2007年10月 5日 (金)

安倍前首相が「任命」した古森重隆NHK経営委員長(富士フィルム社長)の偏向に要注意

安倍前首相の退陣は、さすがの温厚な国民もあまりの偏向に「ノー」を突きつけたということだが、安倍氏の教育基本法改悪強行成立などの悪しき実績は消えない。安倍氏の応援団である富士フィルム社長の古森重隆氏が、NHK経営委員長に就任したことも、安倍政権の亡霊として監視が必要だ。

なにしろ、参院選挙中の報道が野党寄りに偏向していたかのような圧力発言だ。NHK叩きが続く中で、NHKの現場は「憲法60年」にしても、もうすぐ体験者がみな他界してしまうであろう年齢に達した、先の大戦についての「証言」を集めたドキュメンタリーにしても、よい仕事をしているのが気に入らないのだろう。

古森氏が経営委員にふさわしい人なのかどうか、ここはよほど注意して見ていく必要がある。参議院も責任をもって考えるべきだし、われわれも必要があれば「富士フィルム」に対して何らかの意思表示をしていくことも考えるべきだろう。

「朝日新聞」が、社説で古森氏のNHKの経費削減などについての言動に拍手を送っていたが、たまたま対立した経緯があるからといって、肝心なことを外していると思う。

NHKの議事録公開はたいへん結構なことだ。政府の各種「審議会」も議事録公開を法的に義務づければ、少しは国民の目が行き届くことになると思う。

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