警察

2009年4月23日 (木)

草なぎ剛君逮捕のニュースを聞いて(感想)

驚きのニュースだったが、ます思ったのはとにかく日本の場合は警察が出てきた場合「ご迷惑をかけて申し訳ありません」と権威を認めたふりをして低姿勢で出るか、反抗的な態度をとるかどうかで扱いが全く異なると聞くので、恐らく後者の方だったのではということ。

ついで思ったのは、草なぎ君は韓国通で韓国語も得意なので、

▼もし酔っての叫び声に韓国語が混じっていたことが逮捕に関係しているとすれば、関東大震災時の官憲がからんでの朝鮮人虐殺という過去もあるので、その時の警察官とのやりとりは詳細にフォローする必要がある。

ということだ。帰宅して娘に聞くと、案の定酔って一部は韓国語で叫んだり、歌うったりしていたという。

さらに、ワイドショーなどを見ていた娘によると、

▼鳩山邦夫総務大臣が激怒して「人間として最低だ」といった趣旨のことを吐き捨てるようにコメントしていたという。そうかな。確かにご近所に迷惑というのは反省しなければいけないけれども、若い人が酔っぱらってハダカになったことで、国務大臣が「人間として最低」などと断じるのは、むしろ品格に欠けた、思い上がった発言ではないか。

「地デジ」のPRキャラクターということがあるのもしれない。しかし、それを言うなら、総務省の役人の天下りや接待、蓄財に都合がいいからだかなんだか知らないけれども、この国民生活厳しき折に、不要不急の「地デジ」に血道を上げている自分たちの方が「最低」なんじゃないか。

▼この際、草なぎ君の「地デジ」関連のコマーシャル出演料なども国民の前に明らかにし、総務省だの、それに連なるいろいろな機関や企業が「国民の税金」をどれくらい無駄遣いしているのか、していないかも徹底解明すべきだ。

鳩山邦夫氏の「かんぽの宿」がらみの仕事などはいい仕事だ。まあ、今回の大臣コメントでお里が知れたことで、「かんぽの宿」が自民党の支持率アップにつながる効果が減殺されたとすれば良かったが。

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2009年3月10日 (火)

漆間官房副長官「自分からは辞めぬ」は、「総理が、警察敵に回してクビにできるわけないだろう」という意味

漆間官房副長官゛が、「総理が辞めろと言えば辞めるけれども、自分からは辞めぬ」という意味は、「総理が、警察敵に回してクビにできるわけないだろう」という意味であると森田は思う。

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2008年10月22日 (水)

海自特殊部隊「訓練」暴行死-自民党議員ヤジ「小さなこと質問するな」

委員会審議で民主党の川内博史代議士が、先日の海上自衛隊の対テロ部隊のリンチ致死事件の疑いの濃い事案について質問していたところ、自民党委員から「小さなことを質問するな」というヤジが飛んだそうだ。

これが自民党の体質か。然るべき立場にある政治家の説明が聞きたい。それがなければ、要は「軍」の論理優先、人命、人権軽視が自民党の体質と断じざるを得ない。

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2008年4月 3日 (木)

大阪、京都での「靖国 YASUKUNI」上映決定を歓迎する。

報道によると、大阪市淀川区の「第七芸術劇場」、広島市中区の「サロンシネマ」、京都市下京区の「京都シネマ」などが映画を予定通り上映することを決めたそうだ。自民党の稲田代議士一派の陰湿な圧力や、右翼の威圧には「屈しない」という姿勢を示されもので、高く評価すると共に連帯のエールを送りたい。

これらの館がリスクを負って使命を果たされようとすることに対し、皆で何か支援の方法を考えたい。

右翼の暴力に対しては、警察が法秩序を守る観点からもちゃんと役割を果たすことが大切だ。トップが基本姿勢を示すことが大切であり、かつて加藤紘一代議士宅が焼き討ちされた際には、小泉首相も、安倍官房長官も、一週間以上何のメッセージも発しなかったことがあったが、ここは福田総理および国家公安委員長から「言論の自由、表現の自由を暴力やいやがらせで損なおうとすることは、法秩序に対する挑戦であり、警察も毅然とした姿勢で臨むべきである」というメッセージが発せられて然るべきである。

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2008年2月28日 (木)

イージス艦衝突事件=ゴーストップ事件を想起する必要あり。ミサイル防衛システム導入は見直しを=

イージス艦あたごが引き起こした衝突事故に関して、防衛省が捜査に当たる海上保安庁に連絡することなく、艦長を本省にヘリで呼び出して聴き取りを行っていたという。これはシビリアンコントロールにとって分水嶺であり、われわれはゴーストップ事件を想起しつつ厳しく始末にあたらなければならない。

簡単に言えば、自衛隊が市民社会との関係で違法行為を問われたときに警察の管轄下に入るのか、勝手に行動することが許されるかという重大な問題なのだ。

先にも触れたが、自民党の憲法改正案は軍事裁判所の創設を謳っている。今回の事件に当てはめていえば、「事件の捜査には憲兵隊があたり、裁判は軍事裁判所の管轄になるので、海上保安庁は引っ込んでいろ」という状況を作るための改正案だ。

私はそんなことは認めたくない。自民党には改正案の「改正」を望みたいし、そうしないなら、次の総選挙以降、永久に野党になってもらいたい。

防衛省、自衛隊の抜本的なネジの締め直しが必要であることに多くの国民が気づいたわけだが、とりわけ象徴的なのは進めつつある「ミサイル防衛システム」導入の取り扱いだ。

これは、防衛省内でも意見が真っ二つに割れていたと言われている。そもそも本家のアメリカでもクリントン前大統領は、対人地雷禁止条約や全面核実験禁止条約を推進する文脈の中で、一時は国連演説で「配備計画の延期」を表明するなどしていた。

しかしブッシュ政権が誕生し、イラク戦争の下手人でもあるチェイニー副大統領やラムズフェルド国防長官がミサイル防衛を強力に推進する。わが国でも北朝鮮のミサイル発射や核実験に対する国民世論の沸騰を奇貨として、それに便乗する人々が多くなる。

そう言った中で、防衛省を牛耳った腐敗の権化である守屋前事務次官が強力に推進して配備を決定したのが「ミサイル防衛システム」であり、この巨費を要し、東アジアの核戦略にも微妙、というよりは、はっきり言って核軍備競争を激化させる要因となるシステムの現場を、どういう人々が運用することになつているかと言えば、今回の艦長だの見張り役だのといった人々と同じような人々なのだ。あたごがその尖兵であることは、広く報じられているとおりである。

「全ては艦長である私の責任です」と短いセンテンスで言い切れないエリート自衛官を見て多くの人が感じたと思うが、安倍晋三氏、衛藤征四郎氏あたりが鉦と太鼓で実現した「防衛庁の省昇格」など、きわめてナンセンスなことだった。

もうひとつ言えば、人命が失われた大事件だが、マスコミがこの事件を熱心に報道する一方で、たしかイラク戦争の際、海上自衛隊の幹部自衛官が、大臣にも内閣にも指示を受けていないのに、勝手に米海軍に連絡して「空母の出港時に、海上自衛隊のイージス艦が護衛に当たるよう、米海軍の方から要請してほしい」と頼み込んだといった話にはほとんど反応しなかったのは困ったことだ。

こういう軍人の政治的な動きは、軍艦の操船ミスによる事故などよりも国家の運命に悪影響を与える。

真珠湾攻撃の航空艦隊司令長官の南雲忠一という軍人がいる。この人は「日米交渉妥結の時は断固引き返すべし」という山本五十六連合艦隊司令長官に、「引き返せるわけがない」とタテつく一方で、第二次攻撃を見合わせて米軍の石油備蓄を温存させ、空母を撃ち漏らしている。ミッドウェーでは艦載機を「直ちに発進させるべし」という山口多聞少将の進言を退けて爆弾を魚雷に再びつけかえる作業をさせて大敗を招いた。

しかし森田は、南雲の大罪はそういった軍事面での無能以上に、元老東郷平八郎元帥まで担ぎ出してのロンドン軍縮条約反対運動の先頭に立って旗を振り、日本を愚かな戦争の路線を歩ませるお先棒をかついだことにあると考えている。この点で南雲が断罪されたことはないわけだが、同じようなことがいま繰り返されていないか、われわれは目を光らせる必要がある。

「ミサイル防衛システム」の洗い直し。イージス艦事故をきっかけとしてやるべき仕事の一番であると考える。

それにしても「亡国のイージス」という小説のタイトルを考えた作家は優れた時代感覚をしていると思う。

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2008年1月 8日 (火)

行方不明となっていた岩田和輝君は、1月8日に無事発見保護

資料を片付けながら「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」という映画の放送録画を見る。ナチスの追及と死の恐怖にたじろがず、聡明な理性と優しい心に生き、状況に立ち向かい処刑された女子学生に、心から敬意を抱いた。

それに比べ、自分はなんと呑気な暮らしぶりと反省していたところに、横浜で行方不明になっていた、発達障害の少年が無事保護されたという嬉しいニュースがあった。

人ごととは思えず、でも何もできない自分にいらだちを感じてもいたが、他方、発達障害に関わる方々がメーリングリストなどで呼びかけ合う様子、あるいは朝のテレビのワイドショーで「発達障害」について情報をかみ砕いて説明しながら、視聴者に心から協力を呼びかけているように感じられたレポーターの様子などに、心ある人々が、ゆるやかにでも力を合わせようという空気が感じられ、「まだ日本も捨てたものではない」などと思った。

よい一年のスタートが切れたような気がする。

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2007年10月31日 (水)

民主党の「取り調べ録画」刑訴法改正案提出方針を支持する

えん罪事件などが絶えず、裁判官が「お気の毒」などと人ごとのようなコメントを言っている現状を考えると、取り調べに「録画」を義務づける法案を出そうという民主党の方針は理にかなっている。

長く続いた自民党一党天下の下では、法改正というと業界団体の利害に関わるようなチマチマした話しばかりで、「刑事訴訟法」改正によって人権保障をより確かにしようといった話しはほとんど聞いたことがなかった。参院の与野党逆転を現実に活かそうとするもので評価できる。

「お役人の天下」を終わらせるには、「刑法」「民法」などの基本的な法律からはじめ、政治が「立法権」を持っていることをハッキリさせるため、国民サイドに立って見直していく作業が必要だ。いろいろなお考えがある問題かも知れないが、森田は死刑廃止論であり、そこまで世論形成が進んでいない現段階でも「死刑と無期の中間に『終身刑』を作る」といった刑法改正はすぐに行うべきだと思う。

いま、前防衛事務次官の「接待漬け」が問題になっているけれども、お役人のごっつぁん体質を根本から直すには、収賄に関する刑法の条項に「職務権限にかかわらず」と書き込む改正をして、お役人は「物がほしければ自分でお金を出して買う」、「飲んだり食べたりしたければ自分でお金を出す」というルールの転換を行うべきだ。今は職務権限が裁判所に認定されなければ贈収賄にならないという、便宜供与については事実上無法状態なのだ。

元官僚の坂東真理子という人が書いた「女性の品格」と言う本が売れているそうだが、「品格ある女性は、お世話になった人に季節のおいしい食べ物を贈る」と書いているらしい。さすがに元キャリア官僚だけに頂き物が大好きなのだろうが、こういう根本的なところから直していかなければ、政治・行政の腐敗はいつまでも無くならないだろう。

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2007年10月16日 (火)

警察庁が「命の教室」-教育・警察連携が持つ可能性

警察庁が来年度から、犯罪被害者の遺族の思いを子どもたちに語ってもらう「命の教室」という事業をはじめるという記事を見た(2006年10月9日付『毎日新聞』)。受刑者などを対象に行って効果を挙げている事業の対象を一般の子どもたちに広げるということのようで、教育効果を考えても、また遺族の方にわずかでも慰めにつながるとするならば、たいへんよいことだと思う。

以前、アメリカ・ネブラスカ州オマハの私立小学校の授業を見学したときに、長身・制服の女性警官が教壇に立って「麻薬」に関する授業を行っているのを見たことがある。その授業は単発ではなく、同じ警察官が半年にわたって行うもので、森田が見学した日は「薬」そのもののことではなく、「お前も万引きしないと、仲間はずれにするぞ」と言われたときにどうしたらいいかというケースについて、子供たちに意見を言わせ、警察官が先生役としてアドバイスするという内容だった。

先生の話の内容も、法律云々というタテマエの話しではなく、人間関係術にわたる巧みで子供たちを惹きつけるものだった。

過激派が横行した70年前後の子ども時代、午後家にいると交番のお巡りさんがまわってきて、家族構成などを聞きながら雑談していくということがあった。警察の人に「ああいうことを充実させると、地域の防犯力というか、テロ対策なんかにもいいんじゃないですか」と話したことがあるが、「最近の若い警察官は、対人関係が苦手な者が多く、そうやって地域と関係を作っていくことがなかなか難しい」と聞いて少し驚いたことがある。

最近の子供たちの「薬物汚染」などひどいものがある。教育と警察が連携して、例えば定期的に警察官が教壇に立ち、麻薬や犯罪についての情報を子供たちに与えながら、子供たちと一緒に安全な地域づくりを考えるといったことも良いのではないだろうか。

そうすることは、警察官や警察組織の自己認識を「国家権力」というだけではなく、「人権を守る組織」「地域ととも安全を守る組織」という方にも向けていく効果が期待できるのではないだろうか。警察官のコミュニケーション能力アップにもプラスになると思う。

すでに「学校評議会」などに所轄の署長などを招いている学校も多いのだろうが、こうしたもっと生徒たちの身近なところで「市民と歩む警察」を作っていく努力を充実してはどうだろう。

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